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 ある執事とあるお嬢様がいました。

 お嬢様は、立派な女領主になり、強く美しく優しく人々を導いていきました。

 しかし、もう執事は側においでではございません。

 立派になられたお嬢様の姿を見ることは叶いませんでした。

 さて、昔の話を始めましょうか。







 ある執事の名は、レオンハルト。執事育成学校を主席で卒業した執事です。なんと、史上最年少という大変優秀なので、何事も飄々とこなしてみせる執事でした。

 あるお嬢様の名は、リリアンヌ・ファラルア。リリア様は狼のように気高く、愛らしいお方でした。

 リリア様のご両親は、この土地を治める伯爵様です。近頃各地で問題ごとが多く、伯爵夫妻はリリアのことを誰よりも愛しておいででしたが、この執事に任せ、各地に飛び周り、業務をこなしていました。

 年の差はおよそ十も違う、リリアンヌ様とレオンハルトは大変仲が良く、二人の時は互いに「リリア様」「レオ」と呼び合うほど心を許しておいででした。


 伯爵夫妻が不在の中、執事に蝶よ花よと育てられたリリア様は大人しく上品な淑女になるご予定でしたが、何をどう間違ったのか、子犬のようにとっても元気に逞しく育ちました。執事に剣術を習うことをせがみ、花畑を裸足で駆け回るリリア様。

 年若い執事のせいだと影で囁く者もおりますが、執事もさらにリリア様の両親でさえもそうは思っておりません。リリア様の元からの性格でしょう。

 現在、リリア様の年齢は、八つです。

 今も遊びに来ていた他の貴族のご子息様、使用人の息子たちを引き連れて、木登り競争を開催しています。


「私がいっちばーん!」


 リリア様は木登りが大変得意でして、どの男の子たちよりも速く木に登ります。せっかく侍女が整えた艶々の黒い御髪も今は解けて、ゆるゆると風に靡いているのです。


「またリリアンヌに負けた!」


「ふふん。レオ!」


 悔しがる男の子たちを尻目に、リリア様は木の枝から執事の名前を呼んで飛び降ります。いつも執事は涼しい顔で見事にキャッチします。リリア様に、むぎゅうと抱き締められる執事を見て、周りの男の子たちは執事を、きっと鋭く睨みつけます。しかし執事はそんな視線を笑顔ではねのけて、男の子たちをより一層悔しがらせました。

 リリア様はにっこりと微笑みます。これほどの愛くるしさを持つリリア様に心を奪われない者は存在するのでしょうか。

 執事が柔らかい眼差しでリリア様を見つめ、微笑むのもいつものことなのでした。

 他の貴族のご子息様の執事たちも、毎度のことなので微笑ましく見守っています。

 おやつの時間は、貴族のご子息様でも使用人の子どもでも、屋敷の外から来た子どもでも、どんな方々にでも振る舞うのがファラルア家の、リリア様の執事のモットーです。

 今日のおやつはガトーショコラ。たくさん焼いておいたので、皆さんとても満足してくれました。


「レオ!だめぇ、私の分がなくなってしまうわ」


 リリア様もその一人。たくさん食べたいがために、栗鼠のように口いっぱいにガトーショコラを詰め込んでいます。なんとも愛らしい姿でしょう。しかし、ここは執事のお仕事です。上品に食べるよう指導いたします。

 







 さて、歳月が流れ、男の子の間に混じって木登りをしていたリリア様も今は十六歳。花の開く時期です。

 幼い頃から愛らしかったリリア様は、今はもうすでにこの土地一番の美しい少女となりました。夜の闇のような黒い髪に、薔薇色の頬、澄んだ空色の瞳。綺麗という言葉以外が見つかりません。

 執事に向ける幼さを残す可愛らしい笑みは、心が早鐘のように打ってしまう程でした。この愛くるしさを持つリリア様に心を奪われない者が存在するのでしょうか。

 執事はとっくの昔から、リリア様に愛を抱いておりました。

 さて、リリア様のご両親が治めるこの土地は、数年で大きくお変わりになりました。

 めったに雨が降らず、畑は枯れ果て、家畜は咽の渇きに(やつ)れ果てていたのです。しかし、国王に納めるための税金は変わりません。ファラルア伯爵夫妻がどうすることも出来ないほど、国王は横暴でした。黄金の髪と紫色の瞳をぎらぎらと光らせるその姿は、恐ろしいものでした。


 幼い頃のリリア様には、のびのびと育って欲しいと願われたため、ファラルア伯爵夫妻や執事や侍女によってこの土地の貧しさ、国王の横暴さは隠されてきました。しかし、手に負えない程、ファラルアの領地は酷い有様だったのです。

 リリア様は、幼い頃のやんちゃぶりはどこへやら、現実をしっかり受け止めておいででした。令嬢としての役割を果たし、自らの力で調べ、夫妻や執事、侍女によって隠されてきた物事を知るのでした。

 なんと強かな、リリア様。

 ファラルア家の娘として、なんとご立派な女性になられたのでしょう。

 自らの食事を削り、空腹を訴える子どもに配るリリア様。

 高価な服を買うこともせず、自ら繕い始めるリリア様。

 幼い頃から集めていた美しいアクセサリーも宝石を取り外しては貧しい者たちに配ったリリア様。

 リリア様は率先して、この土地の者たちが豊かに暮らしていけるように頑張りました。執事もその後ろで、リリア様の優しい心を見てきました。

 聖母のような笑みで、健気に尽くすリリア様。

 時には厳しく、鬼のような姿を見せるときもありました。

 人の悪口を言った者、盗みを働いてしまった子ども、子どもを間引きしようとした親、リリア様は自分の心に従い彼らを厳しく叱りつけるのです。そして、最後には優しく抱きしめて、必ず許してしまうのでした。大粒の涙をこぼし、不甲斐ない自分を責めるのでした。

 人々はそんなリリア様が好きでした。







 しかし、リリア様のことをどれ程好いていても、空腹では人々の心は荒んでいきます。

 使用人はほとんどいなくなり、夫妻に忠実な数人の使用人とリリア様の側に仕えているあの執事だけになったといってもファラルア家のお屋敷はとっても立派な外観をしていました。

 せめて、他の領地の者から見下だされないようにと屋敷の者たち総出で草刈りをし、レンガを磨いた努力の賜物でした。ですが、人々はそうは思わなかったようです。

 自分達は贅沢をしておいて、私たちから税金を巻き上げるなんて。人々は思いました。

 日に日にリリア様を見る目は冷たくなり、リリア様の優しさを当然のものとした態度を取るようになりました。リリア様のそんなような扱いに、執事の腸は煮えくりかえるようでした。ただリリア様は優しく宥め、その様な執事の気持ちを汲み取ります。ただ時折悔しさを滲ませるような表情を、リリア様は執事にだけ見せました。

 ファラルア夫妻は王様に直接話をしてくると言って東にある王都へ出て行ったきり、まだ戻っては来ていません。

 リリア様だけがそんな状況の中、人々に尽くしまた。執事もできる限りの考えを振り絞り、リリア様に仕えたのです。

 それでも領地の人々は、ファラルアの者に憎しみを抱くようになりました。

 しかし、リリア様は人々には偽善とも思えるその行為をやめることはしませんでした。石をぶつけられようとも、続けるのです。

 執事はそんなリリア様が好きで、仕方がありませんでした。







 そして、あの日も。

 一人の薄汚れた青年がファラルア家の屋敷の前に倒れていました。それを見つけたのは、リリア様です。すぐさま執事に伝えると、青年を介抱するよう命令しました。

 これまでも猫や犬を拾ってきたリリア様ですが、まさか人間を拾うなんて。執事は大変驚きました。

 執事は青年を抱え、温かなお湯がたっぷり入った湯船を用意しました。薪をたくさん消費しました。

 青年の髪はとてもねずみ色のような汚い色をしておいででしたので入念に洗いました。青年はよほど疲れているのでしょう、薄く目蓋を持ち上げただけでした。紫色の瞳がちらりと覗きました。王族と同じ色の瞳を持っているこの青年は、他の領地で虐げられて来たのでしょう。なんとお可哀想に。

 執事は青年の身体を柔らかなタオルで拭きました。青年の服は執事のものを貸すことになりました。身体を綺麗にし、眠ると、倒れていたときと変わってとても艶々した肌の青年になりました。

 そんなこんなで夕食の時間になってしまいました。

 朝早くから執事とともに人々にパンを配り、お疲れになったリリア様が言いました。


「レオ、食事にしましょう」


「今日は兎のシチューですよ」


「さすが、レオ。狩猟の天才ね」


 兎の柔らかな肉と、イモやらカブやらがごろごろと入ったシチューはとっても温かく美味しそうでした。山羊のお乳で作ったシチューは、とろりと口の中で広がり、香草の薫りがふわりと香ります。長い時間ことことと煮たので、イモはほろほろ口の中で崩れていきました。


「うーっ、美味しい」


 リリア様は顔を綻ばせて、スプーンでシチューをすくっては大きな口で食べました。疲れた身体に染み渡っていく温かなシチューは、執事の愛情がたっぷり詰まっていて心が暖まるのだそうです。リリア様は兎のお肉をぱくりと食べると、少し悲しげな表情を見せました。お肉入りのシチューを人々に配りたいと思っているのでしょう。

 青年も、おずおずとスプーンを取ると目の前の皿に手を伸ばしました。スプーンですくい、口に運びます。石のように固かった表情がふにゃりと崩れます。


「……美味しいな」


「ふふ、ありがとうございます」


 執事は青年の素直な言葉に、嬉しくなります。

 リリア様は固い黒パンをシチューに浸して柔らかくするべく、スプーンでぎゅうぎゅうと皿に押しつけていました。


「で、もぐ、あなたはどこから、むぐ、来たの?」


 少し柔らかくなった黒パンをもぐもぐと咀嚼しながらリリア様は、青年に聞きました。お行儀が悪いので、執事は指導致します。ごっくんと飲み込んでから、再び訊ねました。


「で、貴方はどこから来たのかしら?」


 青年は音を立てずに銀器を置くと、答えました。


「日が沈む方から」


「それでは、王都へ向かうのかしら」


「ああ」


 リリア様と青年がお話しをしている間、執事はお済みのお皿を下げました。しかし耳はしっかり二人の会話に意識を向けています。なにかしらの情報があるかもしれませんから。


「私はリリアンヌ。リリアンヌ・ファラルア」


「僕は、……シュード。ただのシュードだ」


 シュードさんはそう言いました。王族と同じ瞳を持つ不思議な青年。王族となんならかの関係があるのかもしれないですね。執事だけが、気付いていました。


「ねぇ、シュードさん。貴方はなぜここに?」


 シュードさんはまだお肉の欠片が残る皿に視線を落とします、


「僕は日の昇る場所、王都を目指している。……ただ、ひと眠りしている間に馬がいなくなってしまって、やっと辿り着いたんだ」 


「……」


「……」


「僕は行かなければならない……父と母と約束したのだから」


 リリア様は黙ったまま、執事の顔を伺いました。執事もうなずきます。おそらくその馬はこの領地の人々が盗んだのでしょう。朝、パンを配ったときのことです。いつもふんと威張りくさってパンを奪うように受け取り、リリア様の形の良い耳を塞ぎたくなるような罵声を浴びさせる男がいました。執事は毎度毎度リリア様を嘲る男の喉元を貫きたくなりましたが、ぐっと我慢していました。リリア様の目を汚したくなかったのです。

 しかしその男は、今日は罵らなかったのです。綺麗な気持ちがやっと芽生えたのかと思いましたが、きちんと性根は腐ったままでした。

 彼の心に少しでもある良心を信じていたいリリア様ですが、執事はあの男ならばやると確信しています。執事はリリア様に囁きました。


「そうね……思い当たる男がいるわ。しかしその馬はすでに金に換えられているか、食べられているでしょう。レオ、貴方はシュードさんが東へ向かえるように準備なさい」 


「かしこまりました」


 リリア様の正義は、執事の正義です。

 執事はその日から、屋敷に残るたった一頭の馬に跨がり、比較的栄えている土地へ訪れ、旅に必要な荷物を集めました。屋敷の銀器を売り、皿を売り、絨毯を売りました。ファラルア夫人は物の少なくなっていく屋敷に寂しそうに微笑みましたが、リリア様の行動を信じておいででしたので何も言いませんでした。



 一週間ほど経ちました。

 シュードさんはとても親切なお方で、パンの配給にもついてきてくださいました。優しそうな雰囲気と気品漂う顔立ちから、子どもや奥様方と仲良くなりました。

 ねずみ色だった髪は毎日湯船に浸かれているからか、なんだから色艶も良くなり、銀色に近くなってきました。

 さて荷の準備はほとんどできていました。しかし馬が一頭も用意できませんでした。リリア様と執事は、相談してリリア様のネックレスと執事のチョーカーを売ることにしました。どちらにも青い宝石が煌めく、美しいものです。

 そうして、ようやく深い茶色の馬を用意することができたのです。


「ありがとう、リリアンヌ。レオンハルト。心からの感謝を述べたい」


 銀色の髪を揺らし、紫色の瞳を細めて、シュードは言いました。


「いつか恩を返すと誓う」


 そう残すと、シュードは馬を走らせて日の昇る方向へ駆けていってしまいました。

 残されたリリア様は風に艶やかな黒髪をなびかせています。もう髪留めもなくなってしまったのです。執事はするりと手を伸ばしては黒髪に触れようとしましたが、宙を掴んで下ろしました。


「リリア様」


「なぁに、レオ」


「貴女はいずれ、人々を導くようになるでしょう。しかし、お優しいだけではいけませんよ」


「わかったわ。……レオ」 


「なんでしょうか、リリア様」


「……貴方は私の側から離れないでね」


 リリア様の頰は林檎のように真っ赤になります。とても可愛らしくて、仕方がありません。

 執事はリリア様に肩に触れて、屋敷に戻るよう促しました。リリア様は久しぶりに抱っこをせがみます。執事は、昔と同じように軽々とリリア様を抱きあげました。

 リリア様は細い腕で執事の首に手を回します。

 このとき執事は、リリア様の腕に抱かれて死んでいった犬や猫を思い出しました。

 これまでもリリア様は犬や猫を拾ってくることがよくありました。そして、最期まで看取るのです。大粒の涙を流して、リリア様は悪くないのに必ず謝るのです。『ごめんなさい、ごめんなさい』と。

 かつて屋敷の周りに咲き乱れていた花々は、彼らに手向けられたものなのです。

 リリア様の腕の中で死にゆく彼らを、執事は羨ましくもありました。



「貴女に一生を捧げます、リリア様」



 



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