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第3話 『犯罪人キール』

 それからはあれよあれよと過ぎていった。

 なんか王からの召集状とかいうやけに紙質のいい巻物を見せられたかと思うと、騎士に囲まれ線路上の車輪のごとく半強制的に誘導されて店の外に出た。そこには一台の馬車が止めてあった。

 ユナは固まったままでついては来なかった。


 近所や酒場に来ていた人間たちはなんだなんだと道に出てきてヒソヒソとささやき合っていた。


「娼館士が遂に捕まったらしいじゃねえか」

「ワシはいつかこうなると前々から思っておったのじゃ」

「コルベットさん家もとんだとばっちりよね。一家も巻き添え喰らって捕まらなければいいけど」

「せっかくユナちゃん、王立学校を出たのにねぇ」


 遠くにはさっきの商人のおっさんの姿もあり俺に気付くと「はっ、やっぱり! 」といった表情。


「いや違うんだみんな! これは何かの間違いなんだ。俺は何もしていないぞ!仕事も真面目じゃないがしていたし、娼館の料金もしっかり払っていた。借りた金だって最後には返してたじゃないか! 俺は誰かにはめられたんだ!そうか、これはダイスの仕業だな。あんのクソメガネが! 」


「黙れ」

「すみません」


 騎士の一人に怒られ静まる俺。それに反しざわめき立つ周り。俺がいくら潔白を叫んでも周囲は信用してくれない。それも無理もない、前を歩くのは牢番の男、そして俺は後ろ手を縄で縛られていたのだから。決して普段の行いのせいじゃないよな、な!

 すっかり萎縮した俺はそこから一言も発さずそのまま馬車で運ばれた。

 俺は馬車に揺られる間考え事をしていた。特にこれまでの悪行を。また宿屋の人たちについても。あれだけお世話になったのにこんな形になってしかも店に汚名まで着せてしまうなんて。申し訳ない。こればっかりは本当に申し訳ない。

 着いた先は薄々分かっていたが王都の中心、王城であった。


 そこからも俺は黙って宰相を名乗った男のあとをただただ歩き、あれよあれよと言う間に連れてこられた先は玉座に鎮座する王の前。

 おかしいおかしいおかしい。23歳とはいえ中年のおっさん並みの悪事しかしてないぞ俺は。しかも王の前に連れてこられるほど大逸れたことはしていないはずだ。いやまだ希望が無いわけじゃない。俺はよそ者だから知らなかっただけでかなりの有名人がわざわざ俺のところに来たんだ。これは俺を丁重に扱うというサインではないのか。国王に謁見しているのもそのためのはずだ!・・・縄で縛られているが。


 俺がビクビク震えて下を向いていると上から声をかけられる。とんでもなく距離を感じた。


「面をあげよ。そちがこの本を翻訳したものか? 」

「? 」


 王が持っていたのは一冊の古ぼけた本。それは紛れもなく俺が大金を稼ぎ出した本であり、夫妻の骨董品店にあったものだった。


「・・・は、はひ・・・・・・」


 やばい噛んじまった。これだけで不敬罪で殺されそう。しかしなぜだ。あの本は三年半前に売ったものだ。なんでわざわざ今になって。


「この本もか? 」


 さらに別の本も出てくる。いつかは覚えてないがそれも俺が翻訳したものだった。


「そうでごぞいます」


 また噛んだ。くそっ、こんな舌、王がしなくても俺がチョンパしてやりてえ。


「おぉ!」


 しかし俺の返答に対し王ばかりでなく周りを囲んでいたお偉いさんたちも感嘆の声をもらす。次から次へと俺の見覚えのある本が出てくる。俺はもう噛みたくなかったので頭を上下に激しく振ることで答えとした。その度に周りが驚嘆の声を上がる。最初以外どこに売られたのかは知らなかったが、どれも王都で商売をしていた商人のものばかりだったから貴重な本はここに集まってたのか。


「それは一人でか? 」


 周りの反応に気分をよくした俺は調子に乗っていた。やはり犯罪人というのはフェイクか何かだったのだろう。


「はい。しかもそれはもう一瞬で!一冊目の本でさえ訳すだけなら四日とかかりませんでしたよ」

「嘘だ!」


 急に左後方から声がしてそちらを見れば、これまたきらびやかな服に身を包み腰によく切れそうな剣を刺した、年下と思える青年が立っていた。


「そんなのは不可能だ! 一冊解読するにも大変なのに、一人で、しかもそんな短期間で出来るわけがない! どうせ中身もでっち上げか汚い手段を使って得た情報だろう! 」


 それを皮切りに次から次へと罵詈雑言の嵐が襲ってきた。これに比べればさっきの歓声なんて虫の羽音程度である。

 よく見ればその青年は学者っぽい白衣の男たちに囲まれていた。

 どこの馬の骨かも分からない、しかも年下の野郎のせいでとんでもことになった。くそっ、見るからに学者かぶれの低能な貴族のガキが舐めた口ききやがって。何も知らずにもの言ってんじゃねえぞ!

 俺は怒りで・・・ではなく縄に繋がれている状況を鑑みて恐怖で肩を震わせて尋ねた。


「どちら様か知りませんがとんだ言いがかりでございます」

「ボクのことも知らないのか! ボクはこの国の第三王子、ユーリ=エイベルンだぞ! 」


 マジかよ、こいつがこの国の王族だって? なんでそんな連中に囲まれてるんだよ!


「な、何かの間違いでは?」

「ふん、そんなことがあるはずもない。ボクが考古学や歴史言語学の専門だったのが運のツキだな。見ろ! この本がその証明だ! 」


 青年は手に持っていた本を俺の足元に投げつけた。縛られていて拾えない俺はしゃがんで中身を見る。


「げっ、これは俺が書いた翻訳本。しかも余りにもつまらない内容だから他の奴と中身をすり替えた本!」


「聞きましたかお父様、こいつ口を滑らしましたよ!」


 まずい、独り言が気付かず口に出ていた。俺は女性への口説き文句、「こいつってこんなに可愛かったっけ」みたいなのだけ偶然言ってしまうラブコメの主人公とは違って無差別なんだ! 口は災いの元とはよく言ったものだ。さらには日頃の行いもしっかりと悪い方に出ている。さすがに中身を全く違うものにしたからそりゃ分かる人には分かるか。だけどお前たちが読むとは普通思わんだろ。くそっ、翻訳しすぎて俺がやったってバレバレじゃないか。まずいまずいまずい!


「第一どうやってそんな短期間で言語を解読出来るんだよ!普通その言語の話者がいない場合の解読には、まず同系統や昔の言語を探し出してきて、それから地道にそれらを比較しなければならないんだ。年単位の時間がかかるのにそれをまして数日でやるなんて馬鹿げている。どうせ嘘をつくならもっとマシなのをつくべきだったな! 」


 その言葉を合図に今度は嘲笑の嵐。こいつらの大半は王子の太鼓持ちなんだろう。

 くそっ、ムカついてるになまじ俺の本当の悪行がバレているから強く出られない。詰んだ、証明する手段がないし国王まで出てきちまったからこれはもう世紀の大悪党として観衆の前で処刑されちまう。


「あぁ、『稀代の娼館士、性器の大悪党して処刑される』っていう口上が頭に浮かぶ!



「静粛に! 静粛に! 皆の者、ただ罵倒するためにこの者をここに呼んだわけではなかろう!キールと名乗る者よ、私も正直お前のことは詐欺師だと思っておる。だが一方で、もしかたらそんな天才がいるかもしれないと思ってもおるのじゃ。この考えを支持する者も少数ながらいるのだ」


 それがはじめの方にあった感嘆の理由か。


「お前の目を見るに嘘をついてるとも思えん。そこでだ、お前に一度だけチャンスをやろうと思う」

「ちゃんす、ですか? 」

「しかり。おいユーリよ、ここに持って参れ」

「はっお父様。しかしさっきのでわかった通りこの者は国家や巷に嘘の情報をもたらし無駄に混乱をもたらした言わば反逆者。この罪は大変おも」

「黙って持って参れ!! 」

「はっ申し訳ありませんでしたお父様」


 そういうや王子は周りを囲む白衣の者達に何かを運ばせた。彼らが俺の前に置いたそれは、十冊ほどの本であった。しかし先ほどとは違いとても丁寧に本を扱っていた。

 すれ違いざまに白衣のうちの一人が俺の耳元でこうささやいた。


「本来ならお前なんかに国宝級の本を触らせるのだって嫌なんだがな」


 俺は王に向かって尋ねた。


「これは? 」


 しかし王は質問に直接は答えなかった。


「お前も近年、魔族が着々と勢力を強めているのは知っているだろう」


 知らないはずがない。俺もかつてはそいつらと戦っていたのだから。


「そして二月前、遂に最北の国エリスラーが魔王軍に落ちたのもな」


 それも知っている。街でも当時はその話題で持ちきりだった。


「今まで魔王領まで遠方だとしてタカをくくっていた我々もこの件でおちおちしていられなくなった。またカリーナ教会もこの件を重く受け止め、カリーナ同盟国に対して魔王軍に何かしらのアクションを取るように通達してきた。さらには功績に応じて多大な報酬を出すこともだ。各国に信徒を持つ教会の財源力は周知の通りじゃ。その金目当てというわけではないが、エイベルンとしても何かしらしなければならない。それがこれらの本じゃ」

「おっしゃりたいことはことは分かりますがそれと本とどういう関係が? 」

「それが我々にもわからない」

「えっ?」


 どういうこと? なにこれ俺を死刑にする前の余興か何かか?


「この十三冊の本は昔から王城の書庫ではなく国宝が眠る宝物庫に保管されていた。それは我だけではなく、先代も、先々代の王も何故かは知らなかった。ただし宝物庫に保管されいるからには相当貴重なことが書かれているのだろう。しかも見るからにこれらは十三冊で一揃いのよう。この際いい機会だからお前に解読させて見ようと思ってな。お前もいきなり牢獄行きでは納得すまい」


 何その出来すぎた話。俺にやれと言っているようなものじゃないか。実際に言われてるが。


「少々中身を確認されてもらってもよろしいでしょうか」

「うむ構わぬ」


「お父様、あくまでもそれらの本は国宝級。まだ承諾もしていない男に直接触れされていいほど安いものではございません。ぜひ私にページをめくらせてください」


 性懲りも無くまた王子が出しゃばってきた。


「それもそうか。まあ良かろう」

「ありがとうございますお父様! 」


 そう言って王子が近付いてきてその中の一冊を拾い上げ、適当なページを開く。


 俺は正直なんとかなると思っていた。ただの絵ではなく意味のある文章で書かれているのならば、俺に読めない文字はないと。それに俺はぐうたらな生活をしてきたとはいえこの三年半で数多くの解読を行ってきた。最近ではファーストインプレッションで大体の方向性すら掴める。満を持して俺は本を覗き込んだが


「!? 」


 まずいまずいまずい、これはやばいぞマジで難しい! 俺の直観がそう告げている。あくまで感覚的なものに過ぎないがそれこそ今までその感覚みたいなものでやってきていたのだから笑えない。子供の時のでさえなんとかやれそうだと思った。今思えばあれは子供の怖いもの無しな世間知らずではなく、才能が何かを嗅ぎとったのかもしれない。

 それが目の前の本には何も感じられない。

 俺は冷や汗を流しながら恐る恐る尋ねる。


「それで条件はどのように? 」

「なあに、これが解読出来なければ死刑というわけではない。ただ我々もお前を信用して機会を与えてやっておる。()()してな。このことは重く受け止めてもらわなければならない。よってお前の刑期をそれらの本が解読出来るまでとする」


 うーわ人生終わったかもしれない。23にして終身刑確定だ。

 俺の人生こんなのばっかかよ。なんて報われないことばかりなんだ!


「ふはははは! 見たか皆の衆、こいつのこの顔を! この顔は完全に黒だと言っている! こうなれば話は早い! わざわざ猶予を与えるまでもない。それよりもこの男が一人でこんなことを出来たとも思えない。必ず仲間がいるはずだ! 特にあの宿屋が怪しい! あの店の夫妻もこいつの仲間に違いない! 今すぐとっ捕まえてこい! 」


 カッチーン!さすがに弱腰だった俺もそれは聞き捨てならねえな。

 自分だけなら別にいいが、他人を巻き込むんだとしたら話は違う。この際俺の解読者としてのプライドはどうでもいいし、いくら馬鹿にされても聞き流してやるよ!だけどそれだけは駄目じゃねえか?彼らにまで火の粉を飛ばせるわけにはいかねえ。

 俺のせいでご夫妻が犯罪者を匿っていたという誹謗中傷を受けるだけでは飽き足らず彼らが犯罪者の仲間として処罰されるだと?評判が下がって商売がやってられないっていうレベルじゃねえぞ。

 どこから来たかも分からない俺をずっと追い出しもせずに置いてくれた夫妻にはかなり感謝している。返したい恩だってある。その恩をあだで返すなんてもってのほかだ。

 それになんだかんだ言ってユナが可哀想だ。あいつ思春期だし家族や店のこと大好きだし。さすがにあいつが捕まることはないだろうがそれでもそんなことになった日には、俺はあいつに一生顔向けできねえ。死んでも死に切れないぞ。

 夢やぶれてこの街にいるこんな俺でも誰かの足を引っ張る存在、ユナの笑顔を奪うような存在にだけはなりたくない。これは俺のせめてものプライドだ。三年半も一緒にいれば愛着だって湧く。俺はあいつのことを年の離れた妹のように思っているんだ。可愛くないわけがない。


 俺は目付きを変える。それは冒険者の時のものであった。


「分かりました。やりましょう。ただしこちらにも条件があります」


「貴様、罪人の立場で何を言うか! 」

「お前は黙ってろ! 俺は王と話しているんだ! 余計な奴が口を出すんじゃねえ! 」


 王子は俺の急な威圧に気圧されて黙り込んだ。本来なら俺の方が咎められてもおかしくないのに。

 周りの人間たちが何か言おうとしたが、それを王が手で制した。


「して、条件とはなんだ。息子の言葉じゃないが一応自分の立場もわきまえて言っておるのだろうな」


「はいその通りです。条件を聞いて頂ければこちらの猶予は一ヶ月で結構です。それを過ぎれば死罪になりなんなりしてもらって構いません」

「ほう、随分強く出たな。何か焦っておるのか? まあ良い、それで条件とはなんだ」

「条件は三つあります。まず一つ目は、あの宿屋の夫婦が一切関係ないことをここで宣言させてください。彼らは全く関係ありません。その娘も同様です。ですがあなたたちは聞く耳を持たないでしょう。だからこれは私が身をもって証明します。でもどうか、彼らには何も被害が出ないことを切に願います。次に二つ目、何しろ私は完全にアウェーの状態、あとでまた言いがかりをつけられてはこちらもかないません。そこで誰もが私を監視できる状況を作って欲しいのです。そして三日目、その期間だけは私が罪人であることを伏せて欲しいのです」

「つまり何が言いたい? 」

「ちょうど王城の前に広場があります。そこで私に本の解読の作業をさせてください。王都の誰もが監視出来るように。風雨などは私の作業が遮られて見えなくならないようにそちらでなんとかしてください。まあ簡単でしょう。なんせここは魔術国家と呼ばれているのですから。あと出来れば中から外が見えないようにもしてください。あっても意味ないでしょうがカンニングも疑われたくありません。そして題目はこうとでもしましょう。稀代の天才キールが国宝にして古代の奇跡に挑む!!と」


 王の眼光が鋭くなる。


「なかなか注文の多い男だな。そこまで国民を焚き付けておいて結果がしょぼかったらお前だけでなく我々も恥をかくことになるのだが」

「私が失敗することは万に一つもありません。あとは国宝の本の内容次第。しかしそこも問題ないでしょう。なんせお互い()()でやっているのですから」


 王はしばらく間を開けてから一度うなづくと、俺にこう告げた。


「良かろう。せいぜい楽しませてもらおうじゃないか! 」



 それから俺の戦いが始まった。

 あの後すぐに広場の中でも舞台のように頭一つ高くなっている部分、公開処刑も行われる場所に連れてこられた俺はそこで縄を解かれると、数人の魔術士により周囲に結界のようなものが張られ、一瞬で外が見えなくなった。

 それからは食事の時以外は誰も中に入ってこず音も景色も閉ざされた世界で、俺は一人黙々と作業を続けた。

 こんなに本気になったのは初めてかもしれなかった。

 今まで俺の前に立ち塞がったのは、魔法陣や言語の解読という俺にとっては路傍の石に過ぎないものか、はたまた魔力量をどうにかしてあげるという絶対に不可能な断崖絶壁だけだった。

 ここにきて遂に俺は自分の限界に挑んだのだ。頭をフルに使い、他のことは一切考えなかった。それこそコルベット家のことさえもだ。

 所詮以前の魔法陣に関する本は一般に販売されていた程度のもの。一国の、しかも国宝として扱われているものは一筋縄ではいかず、百筋縄くらいの感覚であった。

 最初は手も足も出ず一冊すら読めなかった。

 だが半月を過ぎた頃に突破口を見つけると、そこからは早かった。堰を切った濁流のように解読が進んでいった。

 俺は寝食も忘れ解読に没頭していた。一月もの間風呂にも入らず、髪はボサボサ、ヒゲも伸び放題だった。

 俺は何枚もの羊皮紙に分かったことを書いて書いて書きまくった。一山作れそうなその紙束は俺の魂、存在意義そのものだった。



 そうして一ヶ月後、期日の最終日、


「・・・やっと・・・終わった・・・・・・」


 最後は三日三晩寝ずにやり続け、その日の早朝にやっと十三冊の本を解読し終えた。

 俺は上の言葉を口にするや、気を失ったかのように眠りに落ち、係りの者に昼に起こされるまで微動だにしなかった。


 そして目が覚めて周囲を見るやそこには既に結界はなく、俺を取り囲むように大勢の群衆が集まっていた。

 誰もがサーカス見たさに集まったような顔をしている。

 最前列には知り合いの酒場の常連のおっちゃんたちがいてわんやわんやと叫んでいる。彼らも花見気分か何かなのか。既に酔っ払っていて呂律が回っておらず何を言ってるのか分からない。

 そしてその近くには旅行から帰ってきたのかコルベット夫妻の姿があった。こちらは周りとは違い不安そうな表情をしている。ユナに何か言われたのか。

 だがそのユナの姿は見当たらなかった。他のところから見てでもいるのか。それとも愛想を尽かされてしまったのか。


 俺が一通り周囲を見渡していると、いきなり上からラッパのような巨大な笛の音が響いてきた。騒音を撒き散らしていた群衆はそれを合図に口を閉ざす。


 ひとしきり待って広場が完全に静寂に包まれてから、俺がいる舞台からもさらにさらに高いところにある、王城のゲレンデから男は俺に問う。それは不思議とよく通る声であった。


「準備は出来たか」

「はい」

「思い残すことはないか」

「ありません。全てを出し尽くしました。ですが最後に一つ、私のわがままを聞いてください。私にとびきり優秀な魔術士を十人ほど貸してください」

「良かろう。おい白光(びゃっこう)隊、彼の言うことに従うんだ」


 王にそう呼ばれた者達が俺の周囲に集まる。


「皆さんに難しいことは要求しません。ただ私が合図をしたら、一斉に魔法陣に向かってありったけの魔力をつぎ込んでください。杖は不要です。ただただ、魔術ではなく魔力を送り込んでください。少しでも足りなければ魔法陣は発動されません。ぜひともよろしくお願いします」


 俺の言葉に「魔法陣?」と疑問を口にするものもいた。

 そう、あの十三冊の本に書かれていたのは全てただ一つの魔術、しかも奇しくも魔法陣についてであったのだ。

 しかも予想だにしなかったものを召喚するための。


 俺は一つ深く息を吐き、それから最後に王に問うた。


「何が起こっても問題ありませんよね」


 鏡がそこにはなかったから自分では見れなかったが、恐らく俺は意地悪くニヤついていたに違いない。


「ああ構わない。我々に奇跡とやらを見せてもらおうじゃないか!」


 その言葉を聞くや見上げるのを止め、俺は自分が立つ舞台の地面に目を向けた。

 そして詠唱を始める。この言葉、この魔方陣のために俺は一ヶ月を要したのだ。

 若干言葉に震えが混じった。ただそんなものは微々たるものに過ぎず、それも恐怖によるものではなく武者震いではなくあった。


「我、世界の(ことわり)を破る者なり。我、世界と世界に道を開き、他の世界の力を持ってしてこの世界を救わんとする者なり。汝、我が言葉に答える者なり。汝、己の力を持ってして何かを成し遂げんとする者なり。これは命令にあらず。繰り返す、これは命令にあらず。我が望み、汝が望んがことである。その言葉に嘘偽りあらざれば、汝、我の問いかけにその魂をもって応えよ!」


 そう唱え俺は自身の魔術で地面に魔法陣を描く。

 観衆たちは息を呑んでいる。


「さあ汝、我の問いかけにその魂をもって応えよ!!」


 俺が再び最後の文言を繰り返すと、他の魔術士たちが一斉に魔法陣に向かって魔力を送り込んだ。


 最初淡く発光していたその魔法陣は魔力注入とともに輝きを増していき、最後、辺りを埋め尽くすように赤い光を爆発させた。




 誰もが数秒間の間視界を奪われ、そこから回復して魔法陣のあった場所に顔を向ける。


 そこにはもう魔法陣はなく代わりにいたのは、見慣れぬ服を着た、十代後半と思える一人の美しい少女だった。


 人々はこのことについて後にこう言った。

『魔術士キールが世界に魔法をかけたのだ』と。

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