メロンと時限爆弾
──ある日、メロンが贈られてきた、
と思ったら、時限爆弾だった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
遅い朝食を終えると、猛烈な睡魔が襲ってきた。
クライアントからの唐突な仕様変更の電話が入ってきたのは、昨夜九時すぎのことだった。締切は今日、六月二十八日午前十一時まで。期限の延長は一切認められないと、クライアントはブリザードのように冷えた声で言って、そのまま電話を切った。電話を受けた時点で、納期まではもう半日余りしか残されていなかった。
糞ったれめ。おかげで一睡もできなかった。つい三十分前にクライアントからのOKがもらえたから良いものの、まったく……寿命が縮むところだった。
外は相変わらず雨が降っている。六月のマイアミは雨が多い。マイアミのあるフロリダ州は、一年を通じて気温が安定しているから、比較的過ごしやすい州だ。しかし、流石にこの連日の雨模様には嫌気がさして来る。
タバコを口に咥えたままソファに背中をあずける。長年の酷使にとうに寿命を迎えたスプリングが悲しげな音を立てた。ふう、と煙を吐き出す。煙はゆらゆらと立ちのぼり、天井にぶつかって幾つにも分かれた。
パソコンオタクが嵩じてフリーのプログラマーになったまではいいが、組織に属さないことは、ときに深刻な問題を生じさせる。要するに、自分のほかに誰も守ってくれる者など存在しないという切実な問題に。
以前はこうではなかった。
三年前に職を変えたことをいまさら悔やんだりはしないが、組織という目に見えないシェルターに守られていたかつての日々を、懐かしく思い出すことがないと言えば嘘になる。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
俺が所属していたのは、危険物処理班という、アメリカ合衆国陸軍工兵隊の中では比較的規模の小さい部隊だった。
主な任務は戦地での地雷撤去。夏の糞暑い日に地面を掘り返す作業は地獄だったが、敵国の施設やトーチカにトマホークミサイルをぶっ放す任務よりは、俺の性に合っていたと思う。
そして何より、かけがえのない仲間がたくさん居た。
休日になると街に繰り出し、誰かが止めるまでテキーラをショットで飲み続けるリック。
糞ったれな上官の似顔絵を木に括り付けて、エアガンで打ちまくっていたエリクソン。
なにかあるとすぐに服を脱ぎたがるレックナート。
なかでも最高に気の合ったのはルーディーだ。
俺と同期で部隊に配属されたルーディーとは、休みの度にドライブに繰り出した。車は俺のスクラップ寸前のシボレー。行き先はそのときの気分次第。宿は専らハイウェイ沿いのモーテルに泊まった。時折、周りからゲイカップルのような目で見られることには辟易したものだ。
初めて会ったときから、ルーディーとは不思議なくらい話が合った。好きなパンクのミュージシャン、好きな番組、タバコの銘柄、好んで使うとっておきの下ネタまで一緒だった。好みがはっきり分かれたのは、女の趣味くらいなものだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
懐かしい日々のことを思い出しながら、ほとんど瞼がくっ付きそうになっていた俺を叩き起こすように、玄関のチャイムがけたたましく鳴り響いた。
遠のきかけていた意識が叩き起こされる。いつの間にかタバコは口から離れ、床に転がっている。もう少しでカーペットに穴が空くところだった。
俺がぼんやり頭を覚ましている間もチャイムは鳴り続ける。四回、五回……嫌がらせのような連打だ。
糞ったれめ。タバコを灰皿に投げ捨て、乱暴にドアを開けると、小太りの男が一人突っ立っていた。えらく人相が悪い。この世の終わりが今日だけで一ダースも訪れたような表情だ。
金髪の巻き毛の上に、人類が誕生してから一度も洗剤で洗われたことがないような、汚れて燻んだ赤いキャップを被っている。キャップには、値段は安いが、スタッフにサービス精神というものが欠落していることに定評のある運送会社のロゴが刻まれていた。なるほどな、と一人納得する。
男は包装紙でラッピングされた小包を無言でこちらに押しやり、その上にばさりと伝票を乗せた。そして俺の胸元にボールペンを突き出す。受け取りのサインをしろという意思表示のつもりらしい。まったく……生まれたてのオウムだってもう少し喋りそうなものだ。
この男は愛想というものを、朝の歯磨きの最中にでも忘れてきたのだろう。もっとも、この男に歯磨きなんていう上品な習慣があればの話だが。
サインを終えた途端、男は伝票を引ったくるように俺の手から奪い去った。そして例によって一言も喋らないまま、元来た道へと歩き出す。清々しいほどの糞ったれだ。男の背中にF⚫︎CK!と最大限の賛辞を投げかけ、ドアを閉める。
ソファに座ってサイドテーブルに受け取った荷物を載せる。小包はバスケットボールがすっぽり収まるくらいの大きさだ。
伝票の差出人欄は全くの空白。つまり何も書かれていなかった。まったく……頭がおかしくなることだらけの一日だ。
そのままもう一度眠りに就きたかったが、中途半端に頭が冴えてしまい、しばらく眠れそうにない。仕方なく、包装紙をゆっくりと剥がしていく。
ほぼ正方形の、真っ白な箱が現れた。
箱の天井部分が蓋になっている。蓋を取る前に、俺は箱に耳を近づけて、異音がしないことを確かめる。
こんなところにも昔の仕事の習慣が出てしまうが、差出人不明の荷物なのだから注意するに越したことはない。
そっと蓋を開ける。
中には衝撃を避ける吸収剤のつもりなのか、凹凸のエアクッションが付いたビニールがびっしり敷き詰められていた。
クッションをひとつひとつ箱の外に出すと、やや小振りなマスクメロンが姿を現した。
薄緑の球体にT字形の房が付いていて、球体の表面には、格子模様を斜めにしたような直線が何本も交差している。
やはり、どう見てもマスクメロンだ。
そして同時に、これが食用の果物ではなく、人の手でメロンに似せて作られたなにかであることも明らかだった。
球体の表面は緑色のペンキで塗装されているようだが、あちこち塗りムラが見える。クロスするように引かれた斜線もフリーハンドで描いたのだろう、歪に曲がってしまっている。
房の部分に手を触れてみれば、それは単に緑色の紙を丸めてT字に貼り合わせただけのものだった。
まったく、馬鹿げた代物だ。
俺は慎重にメロン(と便宜上呼ぶことにする)を両手で掴み持ち上げてみる。ずしりとした質感が掌に伝わった。どうやらこのヘンテコな代物は金属で出来ているようだ。この重量感から推測するに、真鍮製だろうか。
メロンを頭上まで持ち上げてみると、底面に小さなプレートが付いているのを見つけた。
プレートはデジタル式の目覚まし時計のようなデザインをしていた。文字盤らしき枠の右横に、穴が一つ空いている。穴の中には赤いスイッチボタンが埋め込まれているのが見えた。
ご丁寧なことに、赤色のマジックで穴に向けて矢印が引かれ、文字が書いてある。
<PUSH‼︎>
糞ったれめ。いい度胸だ。
俺は危険も省みず、あえてそのままボタンを押した。
文字盤にデジタルの文字が浮かび上がる。
それは短い文章になっていた。
<DANGER!! Take apart,promptly.>
<The deadline is 15 minutes.>
(危険!速やかに解体せよ。猶予は十五分)
面白い。時限爆弾という訳か。
送り主には悪いが、俺は期限の区切られた仕事には滅法強い。奇しくも、今日の昼前にもそれを証明したばかりだ。
文字盤にタイマーらしきものが表示される様子はなかったが、俺はデジタル式の腕時計を操作して、十五分が経過したらアラームが鳴るようにセットする。
俄然血が騒いできた。先ほどまでの眠気は完全に吹き飛んでいた。
俺は飛ぶように物置へ走り、無数の埃が舞う暗がりから、大きな黒のアタッシュケースを引っ張り出した。ケースを抱えてソファに戻る。ケースの留め具を外して中身を取り出した。
ドライバー、スパナ、ナットランナー、モンキーレンチ、電動ドリル、クランプ、ピンセット。
ありとあらゆる工具を床一面に並べる。
元危険物処理班の実力を、舐めてもらっては困る。
まずは基本動作のおさらいからだ。
異音及び異臭がしないことは既に分かっている。次は目視確認だ。
メロンを持って、360°隈なく眺める。メロンの中央、床と水平方向に細い線が入っているのを発見する。この線によると、メロンは中央で上半分と下半分に分解できるようだ。
そしてその分解を阻止する番人として、等間隔で合計四つ、小さなネジが留められていることが分かった。
ネジには特殊な工具でなければ回せない、特別製のものが使われているようだ。
俺は工具の中からそれらしき形状のドライバを選んではネジに当てがってみる。合わない、やり直し。合わない、糞ったれめ。合わない、合わない……ビンゴ!!!
何度目かのトライでネジは軽やかに回り始めた。他の三つのネジも外し終わって、メロンの上半分をそっと持ち上げる。ステンレスボウルのような形をしたメロンの上半分は、空っぽだった。
下半分だけ残されたメロンの底には、掌サイズの真鍮製の箱が入れられていた。
爪先でそっと箱に触れてみる。いきなり電流が流れるということはないようだ。ほっと息を吐いて、箱を取り出した。箱の中は空洞になっているのだろうか、存外に軽い。
箱の右側に南京錠の付いた留め具がぶら下がっていた。ダイヤルは四つ。正しい数字を四つ選ばなければ箱は開けられないという訳だ。まったく……いまどき南京錠とは、送り主のセンスに敬意を表したくなる。
少し時間をかければ工具を使って無理やり鍵を破壊することもできなくはないが、それは送り主に対して失礼だろう。ご丁寧に挑発的なメッセージまで寄越してきてくれたのだから。
問題は至ってシンプル。
送り主は誰か?
それが答えだ。
俺は少しの間だけ目を瞑って、頭の中にカレンダーを浮かべ、お目当ての日付を見つける。答えなど考える間でもなかったが、念のため確認したかっただけだ。瞼を開き、迷うことなくダイヤルを回した。
左から0、8、2、5の並びに数字を合わせる。
最初は俺の誕生日の六月二十一日かと少し悩んだ。だがそれでは問題として成立しない。プレゼントの受取り人はほかでもない、俺自身なのだから。それではあまりに簡単すぎる。
八月二十五日。
ルーディーの誕生日だ。
送り主は俺の人生で最高の友。
俺は南京錠を外し、箱を開いた。
箱の中には二つ折りの小さなメッセージカードが入っていた。カードを開く。
<Dear friend>
<HAPPY 35TH BIRTHDAY!!>
(親愛なる友へ、三十五歳おめでとう!)
ストップウォッチを止める。
十二分五十七秒!俺の勝ちだ!!
俺は今日になって、初めて心から笑った。
携帯を操作し、電話をかける。
三回目のコールが終わらないうちに、懐かしいルーディーの声が聞こえてきた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ルーディーとは俺が軍を辞めてからも何かと理由をつけて(お互い酒が飲みたかっただけだが)会っていたが、五年前にルーディーが結婚してからは会う機会も減ってしまった。
この前会ったのは三年前だっただろうか。ルーディーはいまも危険処理班に所属している。いまの勤務先はメリーランド州にあるらしい。
マイアミのあるフロリダ州とは飛行機でも三時間ほどかかる。同じ国に住んでいても、その距離は近いようで遠い。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
『やあ、クリス。相変わらず呑んだくれてるのかい?』
「ああ、ルーディー。お前も変わりがないようだな」
『仕事の方は順調?』
「おかげでいまも徹夜明けだよ。繁盛しすぎて涙が出る」
『そりゃなによりだ。しかしまさかクリスが軍を辞めたなんて今でも信じられないよ……ビルゲイツの後継者にでもなるつもりかい?』
「……まさか。かつての爆弾オタクがパソコンオタクにジョブチェンジしただけの話さ。」
『なるほど。爆弾も、プログラムも、吹き飛ぶときは一瞬だ……たしかに大した違いはないな』
「最高にクールなジョークだ。恐れ入ったよ」
『そりゃどういたしまして』
「……ところでカミさんとは上手くやってるのか?いくらか品のいいクリーチャーみたいな顔のカミさんだったな。たしか、名前は……」
『エイミー!!……おかげさまでラブラブさ。それにしても僕の愛する妻をクリーチャー呼ばわりとは、おふざけが過ぎるね』
「そりゃ失敬。俺の方は独り身が長いもんだから、デリカシーってもんがなくてね。苦労してるよ。」
『そうかい?僕には独身貴族を満喫してる者の自慢にしか聞こえないけどね。まあいいや。プレゼント、ちゃんと届いたようだね』
「ああ、たしかに受け取った。実にユーモラスなプレゼントだったよ。しかしなんでメロンなんだ?」
『なんでって……メロンは君の大好物じゃないか』
「そして、ルーディーの大好物でもある」
『……そういうことさ』
「ありがとう。プレゼント、本当に嬉しかったよ」
『なあに……昔の約束を守っただけさ』
「ああ……その通りだ。もう十年も前の約束だな。……お前がちゃんと覚えてたことにびっくりしたよ」
『忘れなんかしないさ、親友だろ?君の二十五の誕生日に約束したじゃないか。いまから十年後、クリスが三十五までくたばらずに無事生きてたら、素敵なプレゼントを贈るって』
「そうそう!あのときはバーで酔いつぶれたお前を宿舎まで運ぶのに随分苦労したよ。……ところで、近々あの時みたいな馬鹿騒ぎをまたやりたいと思ってるんだが……」
『奇遇だね、僕もいまそう思ってたところだ』
「カミさんは抜きだぞ?」
『分かってるって!そうだな……場所は独身貴族さまの暮らすマイアミでどうだい?飛行機代は自分で出すから、店の勘定は全てそっち持ちってことで』
「悪くないな。お前が酔いつぶれても、すぐ連れて帰れるから心配がない」
『だったら安心だ。楽しみにしてるよ』
「また空いてる日を連絡するよ……ああ、最後にもう一言だけいいか?」
『うん?なんだい?』
「あのな……俺の誕生日は先週の21日だ、馬鹿たれ!!……じゃあな。幸運を祈ってるよ。心から。カミさんと仲良くな」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
電話を切ってから、輪切りにされた、見た目だけはメロンのように見えなくもないそれを眺める。
再びメロンを元の形に組み立てて、食卓の隅に置いた。球体だからなかなか安定しない。悪戦苦闘の末、なんとかメロンを転がらせずに置くことに成功する。
ソファに座ってそれを眺める。
ふむ、悪くない。
まったく……これ以上に気の利いたバースデープレゼントなんてあるものか。
しばらく余韻に浸ってから、俺は早速作業に取り掛かることにした。
ノートを広げてデザイン設計から取り掛かる。親友の三十五歳の誕生日までもう二ヶ月を切っている。急がなければ。
今日はなんだか締切に追われてばかりの一日だ。
自然と、小さな笑いが口から漏れた。
とびきり素敵なプレゼントを贈るために、俺はいそいそとペンを走らせ始めた。
────────────────────
作者あとがき
作品のジャンル選択で、作者を三十分近く悩ませた問題作です。
サスペンス要素もあるし、ミステリーでもあるし、純文学と言い切ることもできなくはないし。
迷いに迷った末、「ミステリー(推理)」としました。
お読みいただけば分かる通り、後出しの情報が多いため、厳密にはミステリーとして成立していません。純粋な推理ものを期待して読んでくださった方がいたらごめんなさい!!
男と男の絆みたいなものを、少しでも感じ取っていただければ嬉しいです。