自らとの闘い
くやしい。このままでは気が収まらない。
スロップシンクの脇に、モップが立てかけられているのが、ふと目に入る。手に取ってみると、木製の柄で軽い。
美月は、それをスロップシンクに突っ込んだ。水道の蛇口をいっぱいにひねり、たっぷりと水を含ませてやった。
少し重くなる。これなら、使えないこともないだろう。
まだ転校してきたばかりで、ほかに味方がいないからって、あまり馬鹿にするんじゃない。こいつで、めちゃくちゃに叩きのめしてやる。目にものを見せてやるんだ。
まずは、容子だ。
身体の大きい彼女さえ一番に片付ければ、あとは怯んだようになって手も出せまい。いや、彼女を相手に、ただ水を含ませたぐらいでは足りない。さっき無理矢理手渡された洗剤を、モップにかける。――目を狙うんだ。
まずは、容子の顔をこれでそっと撫でてやろうか。不意打ちしてやったら、おそらくしゃがみこんで顔を覆うだろう。その背中を、モップの柄で容赦なくぶってやろう。何度も何度も。
あとの二人は、震え上がるだろう。さやかは小さくて機敏だから、さっと逃げ出すかもしれない。
瑞穂はあんなに見えて、本当は気が弱いのではないだろうか。腰を抜かして、必死で哀願するかもしれない。お願い、さっきは悪かった、許してと。目には涙さえ浮かべているかもしれない。
しかしそれでも許さない。頬っぺたを一発ぐらいは、張ってやらなければ。それも思いっきり。
そこまで考えて、美月ははっとした。
いま飛び出していけば、確かに間に合うかもしれないし、こちらが考えたとおりにうまく運ぶかもしれない。
しかし、まだ校内には残っている生徒もいるはずだ。それに、教師たちだって。仮に校舎の外にもう出ていたからって、もっと多くの人目があるはずである。そんな中で大立ち回りをやるというのか。
それで何が得られる? 自分は受験生だ。今が一番大事な時なんだ。こんなことで大切な将来をふいにしたくない。もっと利口にならなければ――。
美月はモップをもとの所に戻すと、洗面台に近寄り自分の顔を見つめた。
ひどい姿だ。
髪の毛からは、まだ水がしたたり落ちている。制服も容子に掴まれ振り回されたせいで、乱れたままだった。
急いでそれを直しながら、自身の乱れた心も整えようとした。
冷静に、冷静に。こんな時はどうすればいいのか――。
美月は、外で働いている母と家事を分担している。
学校から帰宅すると、こざこざと散らかっているものを、まず片付ける。ゴミはゴミ箱に、プラスチックは専用の容器に。全てのものを、それぞれが本来あるべきところに。
それから掃除機をかける。掃除機の先が入らない隙間のゴミは、まずモップで掻き出してから、もう一度掃除機をかける。
次に洗濯物を取り込む。無心でたたんでいく――。
そうしているうちに、だんだん心が落ち着いてくるのだ。時々は、勉強があるのにと腹が立つこともあるが、こんな効用もある。それに、家事はそんなに嫌いじゃない。
美月は再びブラシと洗剤を手に取った。瑞穂たちに降参したわけではない。
便器を一つ一つ丁寧に磨きながら、一生懸命考えた。何かいい手立てが、きっとあるはずだ。
やがて、掃除を全てやり終えた彼女は、ついに決心した。先生に相談しよう。これを告げ口と言うのだろうか。しかし、自分は被害者なんだ。こんなことを放置しておいていい筈がない。
これ以上、彼女たちの行動をエスカレートさせないよう、早めに食い止めなければ。それはまた、彼女たちのためでもあるのだから。
美月は、固くそう信じたのだった。