言いがかり
入るなり、容子から思いっきり突き飛ばされる。そのはずみに、トイレの濡れたタイルの上に突っ伏すように倒れてしまった。
一瞬、頭が真っ白になる。
いったい、自分の身に何が起きているのだろう――。
しかし、このままでいるわけにはいかない。急いで起き上がると、きっとなって二人のほうを振り返る。
すると瑞穂が、また能面のような微笑みを浮かべながら言った。
「さあ、便器から順番に奇麗にしていくのよ」
彼女は何を言っているんだろう。意味が分からない。日本語じゃないような錯覚さえ覚える。
美月が黙っていると、容子が洗剤とブラシを押し付けてくる。
「いくら学校の成績が良くったって、頭の回転は鈍いのね。私たちが監督しているから、あなた一人でトイレを奇麗にするの。分かった?」
さやかは、この場にいない。入口の外で見張りでもしているのだろうか。
美月は二人の顔を交互に見比べながら、冷静に事態を把握しようとした。二人とも意地悪そうに、ニヤニヤ笑っている。
何かの冗談? それにしても、さっきの突き飛ばし方は尋常ではなかった。
「ちょっと、いつまでボンヤリしているの。もう中間テストも近いし、早く帰って勉強したいんだから」
「そうだよ。早く片付けてしまってよ」と、容子も追い打ちをかけてくる。
急に激しい怒りが込み上げてきた。もともと勝気な性格である。
「あんたたち、何を訳の分からないことを言ってるの。冗談もいい加減にしてよ。私のほうこそ、もう帰る」
そう吐き捨てるように言うと、二人の間をすり抜けようとした。
すかさず、容子から制服を掴まれる。
あっと思う間もなく、そのまま振り回されるようにして、洗面台に叩きつけられていた。
腰骨をいやと言うほど打ったばかりか、あやうく鏡に顔面が激突するところであった。
しかし、それだけでは済まなかった。
すかさず髪を掴まれ、そのまま洗面台に頭を押し付けられる。
水道の蛇口をひねり、頭から水をジャブジャブかけられる。
「あんたさあ、頭臭いんだよ。少しは洗ったら?」
「そうだよ、臭い臭い」
瑞穂はそう言うと、けらけら笑った。
必死に逃げようとするけれども、大柄な容子に押さえつけられているので、びくともしない。
やっとのことで離してくれたと思ったら、今度は雑巾で頭と言わず顔と言わず、ごしごし拭かれた。
「これで分かった? 私たちに逆らうなんて、決してできないんだから」
瑞穂が言うと、容子がまた、洗剤とブラシを強引に押し付けてきた。
「それじゃあ、私たちはもう帰るから」
瑞穂は悠々と引き上げていく。
残った容子が言う。
「ちゃんと奇麗にしておくのよ。明日チェックするから、もし手抜きなんかしてたたらどうなるか、分かるわね」
「なんでなのよ」
ドアノブに手をかけた彼女に、美月が叫ぶように言った。
「なんで? 私たち、友達だったじゃない。どうしてこんな――」
「あんた、ホント鈍いんだね」
容子が振り返って言った。
「香川舜のお父さんは、香川建設の社長さんなんだよ。それでもって、瑞穂のお父さんは、そこの副社長。そんな縁もあって、二人は許嫁の関係ってわけ」
「そんなこと、転校してきたばかりの私が、知っているわけないじゃないの」
「どんな理由があろうと、知らなかったあんたが悪い。ばーか」
田中容子は、けたたましくドアをガチャンと閉めて出ていった。