厳しい現実
「それが、最近送ってこないのよ」
「えっ?」
「一昨年のクリスマスイブの日からお父さんと別居するようになって、東京であなたと二人暮らしを始めたわね。
最初の6か月は毎月きちんきちんと送ってくれていた。それが、だんだん途切れがちになって、こっちに引っ越してきてからはさっぱり」
「だって――」
「どうやら、最近あの女と同居を始めたみたいなの。入れ知恵でもされたんじゃないのかなあ」
「私、お父さんに連絡とってみる」
「それはいいんだけど……」
道子はそう言ったなり、うつむいて唇を噛んでいる。何か言い淀んでいるようだった。待っていると、やがて顔を上げた。
「ねえ、美月」
「何?」
「公務員試験を受けようとは思わない? 今からなら、出願も間に合うんじゃないかしら」
「何言ってるのよ。そんな気はまったくないから」
「じゃあ、あなたは、大学で何を学びたいの? 将来、自分はこういう仕事をやってみたいとか、そのために、どこの大学の何学部で勉強したいとかいうような明確なビジョンでもあるの?」
「それは……まだ見つからない。でも、見つからないこそ、勉強する必要があるんじゃないの」
「そんなんだったら、お母さんみたいに人生、失敗するわよ。私だって大学を出たんだから。漫然と大学を出て、漫然と銀行に就職した。
でも、結婚を機に退職したが最後、大学で学んだことを生かそうと再就職しようにも何処にもない。パートしか見つからないの」
「私は、お母さんとは違う。私はこれからなの。未来が開けているの。それをもう今のうちから、人生を失敗するだなんて言わないでよ。あんまりだわ」
「美月、あなたのために言ってるの」
道子は、悲しそうにこちらを見つめながら言った。
それが嫌だった。母の悲しそうな顔なんて、もうこれ以上見たくない。うんざりだった。うっとおしかった。
その感情を振り払うかのように、「もういい加減にして」と、両手の拳でテーブルをドンと叩いた。
道子は、その両拳の上に自身の手を重ねた。
「美月、聞きなさい」
離そうとしたが、逆に強い力で押さえつけてくる。
「お母さんに公務員の友達がいる。高校生の時、お母さんより成績が良かったんだけど、お父さんが病気だとかで大学進学を諦めて、地元の市役所に就職した。それから結婚し、子供を産んだの」
「それがどうしたって言うの? 私には関係のない話だわ」
「大有りよ」
道子はこちらの顔を覗き込むようにしながら、話を続けた。
「その友達は、結婚したからって退職しなくても良かったし、お母さんとと同じように旦那の浮気が原因で離婚もしたけれど、今も市役所で働いていて経済的に何ら不安もなく暮らしている。
それどころか、子供が地元の大学に進学したのを機に、自分も通信教育で勉強を始めたの。この前会ったけど、生き生きとしていたわ。
それに引き比べ、お母さんはどう? 時給950円のパートで、生活に追われるだけの毎日。あなた、お母さんみたいになりたいの?」
いやだ、いやだ、もういやだ――。
美月は椅子から立ち上がると、渾身の力を込めて母の手を振りほどいた。テーブルがガタンと音を立てるのと同時に、食器が落ちて床に転がる。
道子はハッとしたような顔で、こちらを見上げている。
「お母さんは自分が楽をしたいから、そんなことを言っているんだ。私が進学なんかせずに、地元で就職すれば、それも公務員になれば、経済的に楽になるし、家事も手伝ってもらえる。そんな計算をしているんだ。私のことよりも、自分のことが心配なんだ」
「美月、それは違うわよ。ちょっと待ちなさい」
リュックを手にすると、母がそう言うのも聞かず、家を飛び出した。




