プロローグ
ホームルームが終わり、お喋りや帰り支度やらで、クラス中がわいわいがやがやしていた時のことだった。
「美月、ちょっと来てくれる?」
椅子を立とうとしていた彼女を覗き込むように、声をかけてきた者がある。
片山瑞穂であった。
首を心持ちかしげ、微笑んでいる。
うっすらと化粧を施し、肩までさらりと伸ばした髪から、少しいい匂いが漂ってくる。
校則では、化粧は建前上禁じられている。しかし、ナチュラルメイクというのであろうか、ほとんど目立たないようにしているので、学校側には気づかれていないようである。しかし、よく見れば分かるはずである。特に女教師なら。
瑞穂は美しい顔立ちをしているだけでなく、成績もよく品行方正なので、教師たちの受けはすこぶる良い。あるいは、見て見ぬ振りをしているだけなのかもしれない。
庄野美月の通う高校は、建学の精神として文武両道を謳っているだけに、有名なスポーツ選手を輩出したりもしているが、大学進学にもかなり力を入れている。
毎年大学入試が終わると、超難関大学の合格者数を記した横断幕を、でかでかと掲げる。
おおらかな校風でも知られており、真面目に勉強し、特に大きな面倒を起こしたりさえしなければ、生徒の自主性を尊重している。
「ねえ、ちょっとつきあってもらえる?」
瑞穂が悪戯っぽい目付きをしながら、もう一度言った。
隣には、取り巻きの一人である田中容子が、にやにや笑いながら立っている。
またか、と思った。
周りから見れば、私たちはいかにも仲がいいように見えることだろう。
美月は、三階の教室の窓から外を眺めた。
校舎の周囲には銀杏などの大きな樹々が何本も立っていて、その中には、もうすっかり葉を散らしてしまった桜の樹が一本だけあった。
美月は、ここに転校してきた当時のことを思い出した。
彼女は、四月の新学期が始まるのを待って、東京の近郊にある、この地方都市の高校に転入してきたのである。
母の道子に連れられ初めて校門をくぐった時、もう葉桜になりかけていた樹から、花びらがひとひら舞い降りてきて、彼女の肩に止まった。
これから自分の身に降りかかるであろう運命に、美月はひそかに心を躍らせたのであった。
偏差値の高い特別クラスへの編入であったが、もともと東京の高校でもトップの成績を収めていたから、編入試験も難なくクリアした。
通常、高校三年生での転入は、たとえ成績が良くても非常にハードルが高いのだが、一人でも有名大学への合格者数を増やすことは、私立学校を経営するうえからも非常に有利であるということが、大きく働いたのかもしれない。
特別クラスという性格上、よほど成績が落ちない限り、生徒の顔触れは一年生の時からほとんど変わらない。三年生から転入してきてなかなかクラスになじめない彼女に、初めて親切に声をかけてきたのが、片山瑞穂だったのである。
「ねえねえ、私たちって名前が似ているって思わない? ほら、美月と瑞穂――」 あっ、というような顔を美月がしていると、向こうは手を差し出してきた。
「仲良くしよう」
瑞穂の差し出した右手に、美月もすぐに応じた。
ほかに、もう二人いた。
「私たちも」
そろって手を差し出してきたので、これにもすぐに応じた。
嬉しかった。
二人のうち、一人は田中容子。大柄で、髪はお下げにしている。もう一人は、小島さやか。容子とは対照的に身長が低く、顔はそばかすだらけである。
いつもこの三人でべったりとくっついて行動していたのが、転校してきたばかりの美月にも、いやでも目についていた。
この日から、新しく四人組となった。昼休みも放課後も、そして掃除当番でも、いつでも四人一緒だった。放課後には宿題を教え合った。ほとんど美月が教える側ではあったが。