鮮明なピンクの価値
「だから、やっぱり500円だとおもうんだよ」
現在時刻、9月1日午前2時。夏休みが終わりを告げた2時間後、オレの友人であるモトハルは机に広げられた宿題の山からガバっと顔を上げると何の脈絡もなくこう言いだした。
「は?なにが?」
何やら確信めいた表情をして断言する友人に純粋な疑問を投げかける。当然だ。俺たちは今まで夏休みの宿題という名の悪魔を討伐すべく、ファミレスの一角を陣取って英語やら数学やらのテキストとひたすら無言でにらめっこしていたのだ。そんな時にいきなり「だから」と言われても「なにが?」としか言いようがない。
「道端で500円玉を拾った時と同じくらいだと思うんだよね。やっぱり」
「は?なにが?」
10秒前に言ったセリフがまたもや口をつく。この男は一体何を言わんとしているのだろうか。宿題のやりすぎで頭がおかしくなってしまったのだろうか。数年来の友人の身を心配したいところだが、あいにく今は時間がない。7時間後の始業式までに宿題を終わらせなければならないのに未だ英語の長文読解や文法問題が山積みなのだ。
「だから、価値だよ。価値。不意のパンチラは道端で500円玉を拾うくらいの価値があると思うんだよね」
突っ込みどころは多いが、ようやくモトハルの言いたいことを理解することができた。パンチラや500円はひとまず置いておくとしてコイツはまず接続詞の正しい使い方を覚えたほうがいいと思う。『だから』の使い方が何一つ正しくない。
「ああ、そう。分かった。良かったな」
思ったままのことを口に出してもよかったのだが、その時間さえも惜しい。英語は得意科目だがあと7時間しか時間がないことを考慮すると無駄口をたたいている暇はないのだ。適当に流しとく方が時間の節約になるだろう。
「いいや。わかってないね。全く。これっぽっちも。俺が事細かに説明してやろう」
「分かってる、分かってる。だから、モトハルは500円を出してでも女子のパンツを見たいってことだろ?この変質者め」
しまった。面倒くさいやつめ。適当に流す作戦は失敗だった。このまま変に食い下がられても面倒くさいし、早いところ、この会話を終わらせよう。どうせ飽きっぽいコイツのことだ2,3往復会話のキャッチボールがあれば早々に宿題に戻らせてくれるだろう。
「馬鹿だな。お前全然ちげぇよ。どっちも偶然じゃねぇと意味ねぇんだよ。風で不意にスカートがめくれてパンツが見える。そして、女の子が恥ずかしがる。この偶然という名の奇跡が起こって初めて価値が生まれるんだよ。金払って見せてもらうのとは訳が違う」
「ああ、そう」
ちょっとした雑談のつもりが、深夜のファミレスでパンツについて熱弁する友人を見て思わずドン引きしてしまう。パンツなんか見えればどうでもいいんじゃないのか?あと、変質者ということを否定しないあたりどうやら自覚はあるようだ。
「その奇跡と道端で硬貨の王様、キングオブ硬貨の500円玉様を偶然にも拾わせていただくという奇跡がどうして同価値ではないといえるだろうか、いや、いえない」
「そ、そうだな」
言っていることはひたすらにどうでもいいのだが、その語気に気圧されてしまった。唐突に反語を使うあたりどうやら漢文か現代文の宿題でもやってる最中だったのだろうと、これまたどうでもいいことも考えてしまう。
「ところで、英語教えてくんね?」
「いやだ」
接続詞を正しく使えたことは褒めてやりたいが、それとこれは別の話しだ。それにしても本当に今までの話しの流れはどこに行ってしまったのだろうか。飽きっぽいにも程がある。
「おかしいなぁ、いきなりお願いするのは不自然だと思って、自然なトークをした後に自然な流れでOKをもらうはずだったんだけどなぁ。どこで間違ったかなぁ」
なるほど。今までの無駄話は宿題を手伝ってもらうお願いをするための前振りだったようだ。不自然すぎて何のカモフラージュにもなっていなかったが。カモフラージュをするとしても、もっと別の話題はなかったのだろうか。なぜパンツの話題をした後に俺がモトハルを手伝うと思ったのか不思議でしょうがない。
「500円玉は拾ったら交番に届けろ、間違ってるのはそこだ」
「そんな正論聞きたくねぇ。いいから手伝ってくれよー」
もうだめだと言わんばかりにモトハルは両腕を伸ばしてテーブルの上に突っ伏した。しかし、そんな懇願の言葉にかけがえのない時間を費やして宿題を手伝ってやる価値はない。さぁ、無駄話も終わったようだし、宿題の討伐を再開するとしよう。
「くそー。終わらなかったらお前のせいだからなー。あっ」
恨み言を呟きながらテーブルから起き上がったモトハルの指先がすっかり氷が解けぬるくなってしまったメロンソーダの入ったグラスにぶつかった。瞬間、グラスが斜めに傾くと
「おい、馬鹿」
止める間もなく床に落下した。グラスの甲高い音が店内に響き渡り、メロンソーダが床一面を黄緑に染め上げた。幸いグラスは割れなかったが、床の方は大惨事だ。甘い香りを漂わせながら、キラキラと不気味に緑色に光を反射している。
「やっちまった。でも、宿題にはかかってねぇ。セーフ」
「アウトだよ。あほ」
全くセーフじゃねぇ。誰が掃除すると思ってるんだよ。店の人の迷惑も考えろよ。モップでも借りてくるか。ため息をつきながら後片付けの段取りを考えていると不意に女性の声がした。
「大丈夫ですか?お客様」
どうやらこの惨事が起こるのを見ていたらしい店員がモップを持って現れた。このアホに罵声を浴びせずに心配するとはなんて優しいのだろう。
「す、すみませんでした!」
ようやく事態を理解し、罪悪感を覚えたのかモトハルは90度に腰を曲げ平謝りをしだした。しかし、女性店員は嫌な顔一つ見せずニコニコとしている。なんだよ、この人、天使かよ。
「いえいえ。すぐに片付けますので、そんなにお気になさらず。お客様にケガがなくてなによりです」
どうやら女神らしい。店員はそういうとゆっくりとモップで床を拭き始めた。だがモップに手をかけるや否やグラスとは違う甲高い「きゃあ」という声が店内に響いた。床に広がるメロンソーダが彼女の足を滑らせたのだ。
バランスを崩し、背中を俺に向けたまま勢いよく前に倒れ込む。どうにか倒れまいと抵抗するもさらに足を滑らせ右足を後ろにつまり俺のいる方に蹴り上げる体勢になる。振り上げた勢いでスカートがふわりと舞う。見てはいけないと思いつつも俺の目は彼女の真っ白な太ももや臀部を包むピンク色の布をとらえていた。
抵抗むなしく彼女は床に両手をつき、身体中がメロンソーダまみれになるのは避けられたものの、転んだことによる屈辱感か下着を見られたという羞恥心からか顔や耳を真っ赤にしてしまった。起き上がり、この場を早く去りたいのか顔を伏せたまま、ものの数十秒で掃除を終わらせるとすぐに店の奥にひっこんでしまった。
掃除をしている間中モトハルが何度もすみません、すみませんと頭を下げていたが今度は返事をする余裕がなかったのだろう無言でうつむいたままだった。
それから俺たちも無言で宿題を再開させたが、彼女に恥ずかしい思いをさせてしまった罪悪感のせいであまりペースは順調とは言えなかった。
「お前、見たよな?」
のろのろと1時間ほど宿題を進めていたころ、またモトハルが何の脈絡もなく言い出した。だが今度は何を言いたいのかは分かる。位置関係的に言えばモトハルの場所からは彼女の下着は見えなかったはずだ。だから俺が彼女の下着を見たこともばれていないだろうと思っていたが、どうやら違ったようだ。妙なところで感の鋭いやつだ。
「貸せよ」
「は、なにを?」
「英語の宿題、手伝ってやる」
俺は右手を差し出した。偶然拾った500円玉なんかじゃ到底釣り合わないと思ったからだ。時間なんかくれてやる。
この作品は依然投稿したもののタイトルと内容を修正したものです。
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