第二話「セクシー八極拳の梅花(メイファ)」
コヨーテバーキンシティにはキャットツリー通りというエリアがある。
レシプロ機がぎりぎり着陸できるほどの広さの大通りがあり、その周辺には大人の店が立ち並ぶ。
所謂歓楽街というやつで、俺のような警官にとっては厄介事で仕事を常に増やしてくれる、うんざりする場所だ。
昔はこの通りの中央に大きな樫の木があり、そこが猫の集会所になっていたそうだ。
それがキャットツリー通りの由来。
俺はその通りの端に停めた自動車の助手席に座り、ネオンがあちこちで輝く町の様子を窓から眺めていた。
10時方向に見えるのが今回の目的、ショーパブ『ピクシー・レア』。
違法な薬物の大規模取引が行われるとタレコミのあった場所だ。
そう、俺は今は仕事中、乗っているのも覆面ポリスカーで隣に座ってるのは……。
「おい、キース、こういう地べたを這いずる仕事は退屈か?」
年齢がもうすぐ50に届く、刑事課のクラーク。
アンパンをムシャムシャ食いながら缶コーヒーを飲んでいる。
「いや、別に」
「飛行機が頻繁に飛び回っているこの町でも、常に空の事件ばかりがあるわけじゃねぇからな。
エリート航空チームのクリフ・ファルコンズと言えども、暇なときくらいは俺たちの泥臭い捜査を手伝って貰わないとな」
リンリン、リンリン
金属製のベルを叩く音が響く。
「おっと、連絡か……」
クラークはダッシュボードにいくつも並ぶボタンの一つを無器用に押し、サイドに掛けてあったコード付きのスチールカップ、受信機を取って耳に当てる。
「どうだ? おぅ……そうか……分かった。今からキースを向かわせるよ」
受信機を持ったままクラークは俺の方を向いて言った。
「キース、皆の準備が整ったそうだ。
お前の出番だ。気をつけろよ?
囮捜査がばれたらせっかくの大捕り物が台無しになる。
警察だと決して感じさせるなよ?」
「分かってる。ブツの取引を確認したら1回。緊急事態なら3回押せばいいんだな?」
俺は小型のライターのような機器をポケットからちらりと見せる。
「そうだ。
危険なところへ行かせてすまないな。
代われるものなら代わってやりたいが、俺はこの辺のゴロツキ共には顔が割れてるからな。
今はお前頼りなんだよ」
「分かってる。じゃぁな」
俺は車のドアを開けて外に出ると、ショーパブ『ピクシー・レア』の入口へと歩いて向かった。
***
ショーパブの中は中央にダンスなどのショーが行われる幅10メートルほどの円形の舞台があり、舞台裏へと続くカーテンのある場所からその舞台へとブリッジが伸びている。
俺が入った時には、ちょうどその舞台では一人のダンサーが両手に黒地に天の川のように電飾の施された扇子を持ち、ダンスを披露している最中だった。
ダンサーの身長は155くらいか……、赤黒黄色の木や花が咲き乱れるような模様の、新体操のレオタードのような衣装を着け、網タイツをはいてダンスシューズのようなものを履いている。
何度もくるくると空中を跳ねたり、片足を高々と上げて客に見せつけている。
……俺はあまりこういう場所に通ったりしないせいか……刺激が強すぎる。
だが仕事は仕事、俺は場違いな人間であってはならない。
近寄りがたい抵抗があれば、むしろそちらへ向かっていく。
それが俺の主義だ。
俺はダンサーが踊る舞台の真ん前へと歩み出て、何人かの客がやっているように丸椅子に座り、舞台に両手をついて眺める。
ダンサーは舞台を舞い踊りなが俺の前へと来て、俺と目が合った。
やばい。可愛い。
つーか……何歳だこの娘。どう見ても未成年……。
ダンサーの少女は俺の目の前、距離50センチほどの場所で片足を後ろへと高く上げ、扇子を背中に置いたりして舞わせながら回転し、俺に至近距離でレオタードの股間部分を見せつける。
……ゴクリ……。
平静を装え、俺はこういうのに慣れっこの常連……常連なんだ……よし、俺は周りにいるのと同じドスケベの客……はっ!
ふと気が付いた。
俺がレオタードの股間とすらりと長い脚に気を取られている間、その少女はこちらの顔を見て笑っている。
営業スマイルじゃなく、素で笑いをこらえて顔を赤くしている。
「お、おい」
俺は顔を背けて横のフロアをお盆を持って歩いていたウェイトレスを呼び止めた。
バニーガールのウェイトレスは俺のところへと歩み寄り、お辞儀するように胸を強調する。
「一つくれっ!」
俺は奪うようにバニーガールのお盆からカクテルの入ったワイングラスを取ると、舞台の方を向き直って一気飲みした。
仕事だ! 仕事!
舞台の上のダンサーを見る振りをして、それとなく店内を見回す。
違法な薬物取引をする容疑者、マフィアと密売組織の主要人物の顔写真は何度も頭に叩き込んでいる。
一分程見まわし、俺は2時方向の広いテーブルを囲む派手なアクセサリーにスーツを着た男数人を見つけた。
気づかれないように、さりげなく観察。
間違いない。
額に縦に大きく傷跡をつけたスキンヘッドで筋肉質の男。
コヨーテバーキンシティを本拠地にしているマフィア『レイビーズ・ファミリー』の幹部アダムだ。
テーブルの対面に居る太ったガマガエルのような男。
あいつは密輸で何度も逮捕されたことのある中国人、チン・シェーシェン。
後は取引の瞬間を見極め……。
「ハ――イ!」
「うひっ」
よそ見をしていた俺の正面に、いつの間にかチャイナドレスを着た美女が仁王立ちしていた。
顔を見上げて一瞬言葉が詰まる。
さっきまでレオタードで踊っていたダンサー。
つうか目茶苦茶美人だ。
チャイナドレス越しに分かるその体形はグラマーというよりは、健康的で活発でスポーツウーマンの女子高生、りっ、陸上部体形……。
「隣にご一緒してよろしいでしょうか?」
「……(なんでこのタイミングで……仕方が無い……)ああ、好きにしてくれ」
少女は隠しきれない笑みを一瞬浮かべた後、俺の隣に椅子を寄せて座った。
「私は梅花。見ての通り、ここのダンサーをしています」
「(……名乗らせるなよっ、畜生……え、ええっと……)俺は……」
梅花は横から俺の顔を見つめる。
俺は頭が真っ白になった。
「……キース……」
「キースさん……私のダンスどうでした?」
「え……うん、良かったよ。……綺麗だった」
「キースさんにそう言って貰えるなんて嬉しいっ!」
ヤバイヤバイヤバイ。
任務がピンチだ畜生!
こうなったら、こいつを利用してやる。
「ここはなんか落ち着かないし、もう少し静かな場所に移動したいかな……あの辺とか……」
俺はマフィアの幹部アダムと密輸商人チン、そしてその手下たちが囲むテーブルの隣のテーブルを指さした。
梅花は俺の腕を取って腕組みする。
「そうですね、行きましょう」
俺は梅花に腕組みされた状態でフロアを歩き、目的のテーブルへと進む。
梅花の腕の肌はツルツルというか触り心地が良すぎるというか……温かいというか……皮膚が若い。
「あ、あの君結構若いよね……、差し支えなければ」
「17歳……どうしたの?」
違法!
風営法違反!
逮捕だ逮捕!
この店摘発!
……と今は言えない状況だ。
俺が警官と気付かれたら今回のチームの作戦が全てパー。
「へぇぇ。学校とかは……」
「行ってます。だから夜の仕事しか出来ないんです」
「そうかぁ。大変だねぇ」
「でも私この仕事をしていて良かったと今日初めて思いました……」
「え?」
梅花は答えない。
まぁいい。
こいつを利用して、ブツの取引の瞬間を見極めてやる。
二人用のテーブルにたどり着き、俺はマフィアと密輸商人の居るテーブルを向いて座った。
対面に座るのは梅花。
マフィア達に背を向けて座る。
まだマフィア達に動きは無い。
こういう時にチェックすべき箇所は大体決まっている。
「おっと、ごめん。ストローが落っこちたよ」
俺はわざとストローを床に落とし、それを拾う振りをして顔を机の下へ移動させた。
大体の場合、ブツのやり取りは机の下で行われる。
現状は……梅花の生足が見える……いや違う。
現状は荷物のようなものは見当たらない。
つまり今の段階で仲間が踏み込んでも『何事もなかった』というお騒がせ事件で終わるのだ。
俺はストローを拾って机の上に顔を出した。
……いや、梅花。
なんでそんな目で俺を見る。
梅花はストローでグラスの氷をカラカラとかき混ぜながら言った。
「まだ物足りないようでしたら、もう一回落っことしてもセーフですよ? ……プッ」
笑うな!
俺の顔から蒸気が出てるんじゃないかと焦っていると、梅花の背後のマフィアの幹部アダムがこちらを見た。
そして立ち上がる。
ヤバイ……何か感づかれたか?
アダムは梅花の隣に立って横から顔を覗き込んだ。
「んん? 誰かと思ったらお前、確かここのダンサーだろ。……可愛いじゃねぇか」
「えぇ、いつもご来店ありがとうございます」
「客とそういうサービスもしてくれたのかここは。知らなかったぞ」
「私の契約は舞台でのダンスだけですので……今は休憩時間、プライベートなんです。ごめんなさいね」
「おい、そこの兄ちゃんは幾ら払ったんだ? 倍だすぞ?
俺と一緒に飲めよ。悪いようにはしない」
「キースさん、場所を移動しましょうか」
梅花は立ち上がった。
「おい、俺を誰だと思ってるんだ?」
アダムは梅花の腕を掴む。
「いやっ、離してください。ボーイを呼びますよ?」
「そしてそのボーイがここのケツ持ちを呼ぶのか?
おいっ、ここを任せてるのは誰だっけか?」
「ヘイッ、ゴロツキのバリーですぜ」
「この方はここのケツ持ちのバリーのさらに親玉なんだぜ?
大人しくしときなよ」
「離してっ!」
「あ、あの……彼女も嫌がっている事ですし……(任務がぁ――! 任務がぁ――! 泣き)」
「お前、マフィアを舐めたらどうなるか分かってる? エグい目に合うぜぇ?」
「いい加減に……ハイッ!」
梅花は至近距離から両掌で押すように、アダムの脇腹に掌底を放った。
不意打ち、かつ彼女の強烈な掌底を人体の弱点に受けて、アダムはヨロヨロと床に倒れ込み唸って苦しむ。
「野郎っ! おいっ! あの馬鹿女を抑えろっ!」
パァ――――ン!
激しい音を立てて梅花は腰を低くして開脚し、スタイル抜群の生足を露出させながら震脚を放った。
「痛えぇぇぇ!」
梅花の放った震脚の足の……ピンヒールがマフィア構成員の足の甲にぶっ刺さっている。
「ハイッ!」
「ドフッ!」
梅花は目にも止まらない速度で上半身を180度回転させ、目の前から迫って来た別のマフィア構成員の腹部に拳を打ち付けた。
さすがに警戒して身構えていた構成員だが、少女とは考えられない威力の拳を受けて後ろにヨロヨロとよろめく。
パァ――――ン!
ゴキッ
「ングゥゥゥ……!」
今度はそのよろめいた構成員に向かって足を突き出し再び震脚、と同時に肘打ちをみぞおちに命中させる。
つーかあれは確実に肋骨何本かイッた。
「舐めんなこらぁぁ!」
さらに別の構成員が懐から拳銃を取り出し、背後から梅花に向ける。
俺は素早くそいつに近寄ると拳銃を掴み、小指を撃鉄の隙間に入れて射撃を阻止。
腕をそのまま掴んでねじり上げ、地面に押し倒してから……追い打ちの膝蹴りを放った。
「グフッ、てんめぇ!」
「ハッ!」
ゴキッ!
「ンゴエェェェ……うっ……うっ……」
生足を露出して大開脚した梅花がさらに追い打ちの下向き正拳を放った。
うん。
あれは重症だ。
そして俺の任務もグッチャグチャの重症。
だが今は彼女の身を守らねばならない。
「梅花、ここから逃げよう、来いっ!」
俺は梅花の手を引いてその場から走り去る。