延命草
チョコを作ってやろうと思う。ココアクッキー、ブラウニー、ガトーショコラ、チョコムース、トリュフ……なんでもいい。飛びきり甘くて飛びきり美味しい、手作りチョコ菓子をくれてやろうと思う。
ピンクのリボンでラッピングして、なんならハートマークがふんだんに使われたカードをつけてやってもいい。
とにかく来たる二月十四日、その日の為に私はこの今にも溢れ出しそうな怨念をうんと込めたチョコレートを作ってやる。
その日は金曜日だった。
金曜日は一週間で一番好きな日で、朝から浮き足立ち鼻唄雑じりに自転車を漕ぎ登校する。でもそれは一ヶ月前までの話であって、今のこの状況下に置いては話が全然違う。朝食のトーストも固められた砂利の様に感じられ、ミルクココアは泥水だ。そんなおままごとみたいな味の食事を済ませると、中学校に向かわなければならない。おままごとよりずっとリアルな現実が待ち構えている。気分を上げようと歌でも口ずさもうにも、口からは溜息しか漏れない。
金曜の時間割は国語・学級活動・体育・美術・社会・技術。実技教科が多く、明日は休日だという事もあいまってどの生徒もどことなく機嫌が良い。問題があるとすれば、委員会に所属している生徒は放課後に専門委員会があるという事。私にとっての一番大きな問題はそこにあった。
「のりをあげようと思うんだ」
体育は球技で、今日はバレーだった。先生が用具を取りに倉庫へ行っている隙に、整列した隣の列で紗江子が言った。
「は?海苔?」
「違う、のり。くっつけるやつ」
朝から――というよりも三日ぐらい前から、紗江子は悩んでいた。具体的に言えば高橋君の誕生日プレゼントについて。二人はお付き合いをしていて、それでまあ自分の誕生日には腕時計を貰ったしお返しするのは当たり前だ、と言い張りここ数日何か話題を提供するかと思えば「それ」の話だった。
あれでもないそれでもない、と唸り助言を求めてくる。彼氏が居た試しの無い私に聞いたって無駄だと言ってみても続ける所から、どうやらただのノロケらしい。いや、自慢と言った方がいいかもしれない。どちらにしろ不愉快極まり無い。腕時計を貰ったのなら腕時計で返せば、と当たり障りの無い発言をしたら何故か知らないけど怒られた。理解不能だ。それ以来は何も言わない様にしている。
「お金無いの?」バレーボールを手で転がし玩びながら聞く。腕時計と文房具ではどう考えても不釣合いだ。
「違う、ケチってるんじゃないの」手をひらひらと振りながら答える。
「あのね、学級活動の度に高橋君、桜田さんにのりを借りるじゃない」
今の学級活動の活動内容は卒業に向けてのカウントダウンカレンダー作り。確かに今日の二時間目を思い出してみると、高橋君はわざわざ席の遠い桜田さんの所まで行ってのりを借りる。少々不自然だけど、気にする事じゃない。それに後一、ニ時間で制作は終わる。
そう伝えると、また罵声が飛んだ。
「そうじゃなくて、ああ、もう。加奈は分かってないなあ」
それはどうも。お返しにバレーボールを投げつけた。
瞬く間に放課後になった。時間の進み具合はその時の気分に反比例する、と、思う。
図書委員の仕事は図書室で本と図書カードの整理をすること。委員長を中心に全クラス男女一人ずつの図書委員での話し合い(とは名ばかりで形だけの)が終わると仕事を各クラスごとに始める。
「カードの整理は別にしなくていいよな。多分誰も借りてねえし」
恐ろしく適当な仕事具合に反抗してみようかとも思ったけど、命を賭けてるかの様にひどいやる気で仕事をする人よりはマシだと思えたので従う。
「あーあ、皆たまにしか利用しないくせに片付けが適当なんだからなあ」乱雑に詰まれたぶ厚い辞書等を前に溜息をつく。
「ちゃっちゃと終わらせてちゃっちゃと帰ろうな」
私だってそうしたい。その意見には賛成なのに息が詰まる。
「何か予定あるの」
私は自分で自分の首を絞める癖がある事を自覚している。それはひどく悲しい行為だけど、誰かに不意に締められるよりはよっぽど楽なのだ。
「ん。待たせてるから」
「北川さん?」
返事をする代わりに照れた笑みを浮かべてこちらを見る。ほんのり頬が赤い。段々と酸素濃度が薄まっていくのを実感する。このままでは間違いなく窒息死してしまう。手足をじたばたさせても何かに掴まろうとしても、そこにあるのは恐ろしく無知で馬鹿げた笑顔だけで何一つ楽にはさせてくれない。
「もうすぐで一ヶ月なんだよ」
「ふーん」
「冷てえなー」
「おめでと」
何十回と聞いたし、何十回とおめでとうと言った。何回も言ってる内に段々と本当におめでたい気持ちになってくるから不思議だ。皮肉のつもりで小さく笑う。
この次に言ってくる事は分かっている。記念日のプレゼントについて、だ。最初はそんなもの必要無いでしょ、と言ったけれど怒られた。ああ理解不能だ。
だから当たり障りの無いものを挙げる。ぬいぐるみだとか、携帯ストラップだとか、マグカップだとか。いい加減こちらもネタが尽きてきた。
「のりはどう」
「海苔ぃ?」
「食べるやつじゃないよ。文房具の」
なんでそんなもの、と笑いながら言い、お前はおもしろいなあと付け足した。
仕事を終えて下校しようとすると、視界の片隅で何かを捕らえた。さっきと同じ頬の赤さと情けない微笑みを浮かべた顔と、にこにこと可愛く笑っている北川さん。
金曜日はチョコレートの事を考える様にしている。飛びきり甘くて飛びきり美味しい、飛びきり可愛いラッピングのチョコレート。
それを受け取った時、あいつはどんな顔をするんだろうか。それを食べた時、美味しいと感じるのだろうか。甘さに涙を流してくれるかもしれない。毎週金曜日の私の精一杯の笑顔とプレゼントの案を思い出して泣いてくれるかもしれない。
その姿を思い浮かべるとほんの少しだけ気が晴れる。鼻唄も歌いたくなる。世界に二つとない素敵なチョコを作ってやる。くれてやる。けれどバレンタインデーが終わった後、私はどうやって生きていけばいいんだろう。
体育の時間の紗江子を思い出した。きっとのりをプレゼントしても高橋君は桜田さんにのりを借りに行くだろう。紗江子の気持ちを考えた。紗江子はきっとラッピングされたのりを受け取った時の高橋君の表情を想像し、気持ちを想像し、生きている。けれどそれが終わった後、紗江子はどうするんだろう。
赤い水彩絵の具を垂らした様な夕暮れの空の下、私は呆然と立っていた。ただチョコレートがあいつの胃に落ちる所を想像し続け、そして鼻唄を歌う。




