もがれた翼(Ⅵ)
目まぐるしく変わるバルドー村の戦況。
クラウスたちが線路の土手以東を放棄したのとほぼ同じ頃、キンダーハイム要塞は要塞攻略軍の隙を突くように、バルドー村の救出部隊を編成していた。
それは公女救出に必要なものは橋を架けるための工兵たちを中心にした舞台だが、彼らは架橋用資材を同時に運ばねばならず、激しい砲火の中で送り出すことができずにいた。
「ぐぬぬぬ……。赤軍のアホウどもは救出部隊をバルドー村に派遣させぬように図っているな」
ギガントや主力戦車リーエフを派遣してきたことで、赤軍の目的が公女誘拐であることは想定できた。救出部隊の派遣を阻止するように、北のバルドー村に向かう街道とつながる要塞門付近に砲撃が集中していることから、それは明かだった。
「閣下! さすがに砲火の中でも決死隊を送りませんと、バルドー村の人数では赤軍の攻勢から公女殿下をお守りすることは不可能と思われます!」
副官の声にも焦りの色が浮かんでいた。
「そんなことは分かっておる! しかし、この砲火の中で工兵を移動させることは不可能だ」
兵員輸送用のトラックに資材を積んで運ぶとしても、そのことごとくが破壊されてしまいかねない。それでは次の救出が不可能となる。
軍備が不完全なままの公国北部軍は、兵員の輸送すら未だに馬車を使うような状態だった。兵員輸送用のトラックなどごく僅かな配備しかない。
バルドー村で随伴歩兵隊が使っているトラックは、将来を見据えた機械化部隊を想定している実験部隊ゆえにボロとはいえども中隊全員が搭乗できるだけのトラックがあったが、普通の部隊はそうはいかず、要塞駐屯軍の場合、移動装備についてはもっとも配備が遅いのが現実だった。
「せめて……援軍だけでも送っては?」
副官の提案に頷いたカペル大佐は、少ない要塞守備兵から一個中隊――約200名を募り派遣することを考えた。
しかし――
『ダメです! 道の形が変わるほどの砲撃で、兵を送り出すことができません!』
という北門守備隊からの報告により、断念せざるを得なかった。
「かえすがえすもあのバカ者が橋を落としてなどくるから……」
ボッホマン大尉の銃殺刑は、未だに実行されないままだった。
彼の助命嘆願があったわけではない。単純に、止まぬ砲火にその時間が取れていないだけだった。
橋さえ落とされていなければ、ドロッセルに公女を乗せて脱出することも容易だっただろう。
「ともかく、砲火が止んで工兵たちを派遣できそうになったら報告しろと、北門の守備隊に伝えろ!」
カペル大佐はそう吼えるように通信兵に伝達した後、副官に目配せして顔を寄せるよう促した。
「率直な感想でよい。バルドー村の戦車隊は、どれくらい保つと考える?」
「あと3日から4日。長くても一週間というところでしょう。補給がありませんので、砲弾も燃料もそれが限界かと思われます」
「やはり……そうか……」
元々が採用のための威力試験を行っていた実験部隊である。燃料はまだしも砲弾の備蓄に不安があるだろう。まして、どれくらいの量の砲弾を使用しているのかまではわからないが、主力戦車リーエフの部隊を相手にしている以上、相当数の砲弾を使用したと見る方が自然だった。
この時、クラウスが戦車の砲弾を倹約するために、たった1両のドロッセルでリーエフの部隊と渡り合ったことは、キンダーハイムには話半分程度にしか伝わっていなかった。
そしてバルドー村駐屯地では、戦車隊の車両掩蔽壕で、二等辺三角形に似た地図を机の上に広げてクラウスや村の主立った者たちが頭を寄せ合っていた。そこには、役所からここに避難してきた、ドロテア公女の姿もあった。
「放棄した部分はごくわずかですが、これによって一部の面からの攻撃を受ける可能性が出てきました。よって、予定通りに第二防衛陣地に主要の防衛拠点を切り替えます。それと、村役場を放棄して、役場の機能は、すべてこの駐屯地の事務所で行ってください」
役所は線路の土手に近い場所にあったために、クラウスは公女の避難と同時に役場の機能もこちらに移動するように薦めていた。
同様に、新たな戦場となる場所に近い民家の住人も、教会に避難するように呼びかけていた。
「申し訳ありませんが、役所は取り壊してその資材を防御陣地構築のために使わせていただきます」
「そ、そんな……」
さすがにクラウスの説明に村長は青くなった。
だが――
「申し訳ありません。赤軍撃退後は、私、ドロテアの名の下に村役場の再建をお約束します。今は非常事態ですので、ご理解ください」
そう公女に言われては、村長も文句は言えない。それは、第二陣地近くにある民家の住人たちも同じだった。
今までの戦場は村の外だった。
しかし、これからの戦場はすべて村の中なのだ。
その理解し難い現実が、クラウスの言葉となって村の人々の中に浸透していった。
村の主立った人間たちが役場の移動のために出て行った後も、車両掩蔽壕には重苦しい空気が漂って居た。
「アルバン・ハインの代わりですが……私が入らせていただきます」
「はああ?」
カヤの言葉に3号車の搭乗員たちが目を丸くした。
「冗談でしょ? 中尉、めちゃくちゃ危険ですよ!」
エアハルトの脅しにカヤは苦笑した。
「私が設計した戦車です。どれくらいの危険性があるのか理解していますよ。それに通信兵が足りませんから、私が適任です」
「そうですけど……」
どうするよ…と、助けを求めるようにエアハルトはクラウスの顔を見たが、断る理由はクラウスになかった。
「では、カヤ中尉には3号車の通信手として搭乗してもらいます。殿下とお付きの皆さんは、こちらに待機ということでお願いします」
「わかりました。それでは皆さま、お気を付けて」
公女言葉に全員が起立し、申し合わせたように敬礼をした。
その時、新たな開戦の合図のように砲声が轟いた。
砲撃は村の北部――第二防衛陣地付近に向けた攻撃だった。
「砲撃が終わったら、攻めてくるぞ! 各員ドロッセルに搭乗!」
クラウスの号令一下、全員がクモの子を散らすようにそれぞれのドロッセルに向かって走って行った。