もがれた翼(Ⅲ)
ドロッセル3号車はエアハルトの通信中に、すでに赤軍の損害評価監視部隊の位置を特定し、そこに照準を合わせて榴弾を装填していた。
そしてクラウスとの通信を終えたエアハルトが合図をするやいなや、すぐさま砲撃を行った。
そして攻撃状況を確認しながら、エアハルトが喉元のスロートマイクのスイッチを押した。
「さっきのクラウスとの通信を聞いていたな? 全員撤収開始だ。殿は3号車が務める! さっさと引け!」
損害評価監視部隊からの定位置到着連絡が無ければ、赤軍の司令部も彼らがやられたと判断するだろう。そして損害評価監視がなしに無差別の砲撃を行ってくることが予想できた。正確な損害を与えなくとも嫌がらせにはなる。
今までだって、精密砲撃ではなかったのだから――
そうこうしている間に、湿原に腹の底まで震わせる砲声が轟いた。
最初は一発。しかし、すぐさま数え切れぬほどの砲声がそれに続いた。
あちこちで砲弾が炸裂し、わずかばかりはえていた立木を砕き、へし折り、泥を巻き上げていく。
撤収が間に合わなかった数名の兵士が砲弾に薙ぎ倒され、手や足を引きちぎられ、悲鳴を上げていた。
死んではいない。
衛生兵を呼ぶ悲鳴が続いたが、この砲撃下で衛生兵を送り出す分隊長たちはいなかった。
やがて、砲撃が止まった。
大砲による遠距離攻撃の場合、恐怖におののく兵が塹壕から逃げ出す猶予を与えるためにこうして空白の時間を作るのがセオリーだった。塹壕から這いだしてきた愚かな兵を殺すためだ。
「すぐに次がくるぞ! 急いで下がれ!」
なんとか砲弾の直撃を免れた3号車は、砲撃で巻き上げられた泥を大量に被ったまま一気に後退した。
この間に衛生兵たちも飛び出し、負傷兵たちを引きずり、安全なトンネルの中に引きずり込んでいく。
その様子を苦々しく見守りながらエアハルトはトンネルの中で双眼鏡を構え、湿原の奥を監視し続けた。自分たちならこの砲撃を利用して、絶対に接近を果たす。そう考えていたからだ。
事実、戦車はきた。
しかも、かなり軽快な速度で接近してきた。
「湿原に沈まない!? 軽戦車か!!」
軽戦車であっても数十トンはあるわけで、完全な湿地に入れば沈んでしまう。しかし、ある程度の固さを持つぬかるみの上であり、なおかつ履帯の幅が湿地に合ったものであれば、重戦車や中戦車は無理でも、軽戦車なら走ることはできた。
「カザーだ! 敵はTF25カザーだ! 10両……いや、12両はいるぞ!」
それは、クラーズヌイの言葉で山羊という意味の名前を持つ軽戦車だった。悪所でも走破できる10トン前後の軽さと足回りを持つ軽戦車であり、正面以外の装甲を極力削って薄くすることにより得た快速と、装弾数を削ってでも大口径の砲を搭載したことから、突破口を開くために作られた自殺の棺とドリューワー軍から呼ばれていた。
「完全にドロッセル破壊が目的だ! 構わないから橋を爆破しろ!」
エアハルトの指示にディール先任軍曹が起爆装置のスイッチを入れた。
だが、橋にしかけた爆弾が爆発する様子はない。
何度もスイッチを入れ直したが、どれだけ待っても爆発は起きなかった。
「砲撃で……導火線が切られました! すぐに新しく引き直します!」
今にも駆け出しそうなディールの様子に、エアハルトもあわてた。
「無茶だ!」
「しかしっ!」
トンネルの端に置かれた導火線のリールにディールが手を伸ばした矢先、再び砲撃が開始された。
今度はさらに激しく、間断なく砲弾の雨が降り注いでくる。
そしてその間にも、棺ことカザーは接近してくる。
橋を渡ってくるところを攻撃すべきだった。そこなら一列縦隊になるしかない。
しかし、この砲弾の爆発で視界は最悪であり、カザーも潜む場所がこのトンネルしかないとわかれば集中砲撃をここに浴びせてくるだろう。
カザーに装備されている88ミリ砲の直撃だろうと、耐えられる自信はあった。ギガントの砲弾に耐えた経験を直に持つ3号車のエアハルトなら当然の考えだ。しかし、集中砲火を受けて果たして耐えられるだろうか?
万が一、弱い場所に当たったら――
「ディール先任軍曹! トンネルに爆薬は仕掛けてあるか?」
「万が一に備えて仕掛けておくように、ベルガー少尉から命令を受けておりましたので、仕掛けてはあります」
「くっそ! 最悪だ! ヘルマン。トンネル内の兵士たちを公国側に避難させろ! 第二防御陣地まで引く! ゲオルク。4号車も第二防御陣地まで引け!」
『エアハルトはどうするのさ!?』
「俺は多少撃ち合ってからヤツらをトンネルに引きずり込む。ディール先任軍曹は、すまないが公国側トンネル出口にて待機して、ヤツらがトンネルに入り込んだら……爆破しろ! いいな!」
「りょ、了解です!」
エアハルトの言い方にディール先任軍曹は固唾を飲みながら敬礼した。
そう。それは、3号車が破壊されることも含んだ命令だった。
「安心してくれ。俺たちは死なないさ。そう簡単にはな。だから、ドロッセルが脱出するまでは、起爆装置を押すなよ」
笑顔を見せるエアハルトに、ディールも笑みを返した。
「お任せを!」
そして負傷兵を含むすべての歩兵がトンネルから出て行き、3号車だけがトンネルに残された。
「悪いな、おまえら……。俺に付き合ってもらってさ」
エアハルトはマイクを車内通話だけに切り替えて、そう切り出した。
どう考えても、この戦いは不利だった。
おそらく、敵はまた懲罰部隊の兵士を搭乗させているのだろう。マーマントで橋を作った時も、それを操縦していた彼らは死兵であり、救出されることもなかった。
つまり、橋で撃破しようがその破壊されたカザーを押しのけ、生きているカザーが迫ってくるだろう。
カザーの設計思想はドロッセルと似ていた。
軽い車体に強力なエンジンと強力な砲を積む。
異なる部分は、ドロッセルは使い捨て兵器ではなく、あくまでも搭乗員たちの生還を考えた作りをしている。しかし、カザーにはその生還させるという思想がない。あくまでも懲罰部隊を効率よく使うための戦況打開兵器だった。資源も人材も大量にある超大国ならではの兵器と言えるだろう。
カザーは強力な88ミリ砲を搭載するために、装弾数はわずか10発程度。搭乗員も操縦手と装填手、そして戦車長兼砲撃手というわずか3人の構成だった。
そんな狂った兵器に付き合う必要はない。
「悪いが地獄の散歩には付き合ってもらうが、そのまま居座るつもりはない。全員、きっちり働いてくれ」
エアハルトの言葉に、士気が高い返事を搭乗員全員が返した。
少なくとも、誰もがこんな自殺兵器を相手に死ぬことなど考えていなかった。
「弾種徹甲弾装填! トンネルの端ギリギリまで前進。最初のカザーを討ったらトンネル奥に退避しろ! 次弾は榴弾で側面攻撃する! パンツァー・フォー!」