もがれた翼(Ⅱ)
周辺警戒をしながら川まで戻ってきたドロッセル2号車は、兵士たちの大歓声で迎えられた。7両中5両のリーエフをたった1両のドロッセルで撃破したのだから、兵士たちの喜びようもわかるだろう。
橋を渡りきると、出迎えた兵士たちが次々とそのボディを掌で叩き、地面に激しく足を叩きつけるように足踏みをしながらさらなる歓声を上げた。
もう、赤軍がどんな戦車を持ってきても怖くない。ギガントもリーエフも撃破したドロッセルがあれば、この地域は絶対に防衛できると彼らは確信していた。
ツグミが獅子を食い尽くした――
線路の上に設けられた哨戒場で歓声を上げていた通信兵は、未だに砲声が轟き続けるキンダーハイム要塞に向けてそう通信し、戦果報告を行った。
「ベルガー少尉! カペル大佐から、ねぎらいのお言葉が届いております!」
2号車がエンジンを停めるのを待って、土手上にいた通信兵はそう声を張り上げた。
「そこで読み上げてくれ! みんなで聞こう!」
「ハッ! 読み上げます! 大戦果の報告を聞き、吾輩も鼻が高い! こちらの防衛に一区切りがつき次第援軍を送るゆえに、その戦果にさらなる戦果を積み重ねて待っていて欲しい。以上です!」
それはすぐには援軍が遅れないというメッセージだった。しかし、大戦果に喜ぶほとんどの兵士たちはそれが読み取れず、お褒めの言葉をいただいたと喝采した。
「2号車は補給に戻る。現場の防衛指揮は3号車が引き継いでくれ! 2号車が引いたら、4号車はトンネルの中に待機。3号車はその場に隠れたまま待機をしてくれ」
カペル大佐のメッセージの意図を読み取ったクラウスは、ことさら明るい声を上げて指示を飛ばした。
「歩兵中隊の一部は、戦車橋に爆薬を仕掛けていつでも爆破できるようにしておいてくれ。ここに渡河点を絞らせれば、他に待機地域を作る必要がなくなるからね」
そう、ここ以外に渡河点を作られたら公国軍は対応できなくなる。
攻め込まれる場所を限定させているから、これだけの少数部隊でやっていけるのであって、複数から攻められたら対処できなくなる。
それは誰もがわかっていることだった。
そのためにも、この橋をこちらも保持する姿勢を見せることが重要だった。
ドロッセル2号車がトンネルを潜って公国側に抜けると、村人たちが総出で大木を切り倒して障害物を作るなど、橋周辺を奪われた時のために備えた防御陣地が作られている最中だった。
ヘルマンが伝令を走らせ、ドロッセル2号の大戦果を村人たちに報告させていたせいだろう。塹壕を掘る村人たちの顔色は明るく、2号車を見ると誰もが手を振ってきた。
そんな村人の様子を、通信席ハッチから顔を出して見ていたエーリヒは満面に笑みを浮べて振り返り、砲塔のキューポラから同じように上半身を出してるクラウスを見上げた。
「俺たち、ヒーローみたいだ!」
「今のところは、そうかもね」
子どもっぽいエーリヒの叫びに、クラウスも少しだけ得意気な笑みを見せた。
二人の声にサイドハッチと、砲撃手ハッチを開けて顔を覗かせたカールとダニエルは少し照れくさそうな顔をして手を振る村人たちに応えながらキューポラのクラウスを見た。
操縦手以外の全員が、走行中にこうしてハッチから身を乗り出すなど戦闘中はあり得ない。誰もが平和な後方の空気を肺の中いっぱいに吸い込んでいた。
「補給中に、姫様に会ってくる。みんなは整備と補給の手伝いをしていてくれ」
「了解」
ダニエルは生真面目に返事をしたが、エーリヒとカールは顔を見合わせて口を尖らせた。
「クラウスだけ姫様に会うなんてズルイよ!」
「姫様のお命は私が護ります! だから結婚しましょうって告白してくんすか!」
二人の言葉にダニエルは吹き出し、クラウスは額をおさえてため息をついた。
「エーリヒ。おまえがこの部隊の指揮官を務めるなら、喜んで僕は変わってあげるよ」
「それはやだなー!」
エーリヒの15歳の少年らしい反応に苦笑しながら、クラウスは後をよろしくと行って公女たちが待つ役場へと向かった。
村役場は、駐屯地の建物を除くと村で一番大きな建物だった。
バルドー村の人口が約千人と言うと大きな村に感じるが、戸数的に言うと200戸もない。そのため、一番大きな建物と言ってもそれなりの大きさであり、一般の家同様に瀟洒な木造建築だった。
クラウスは陣地構築のための土嚢を運ぶ村人たちに声をかけつつ役場に近づき、その入口の前で役場の時計塔を見上げた。
時刻が誰でも分かるようにと、10年ほど前に作られたという時計塔は、村の教会の尖塔と共に村の木々よりも背が高く、ボルガ川東岸のクラーズヌイ領からも確認できるものだった。同時に最も鉄道路線寄りの建物になっており、万が一、現在確保している一時防衛線を失った場合、土手沿いに襲撃を受ける可能性があった。
公女にはもっと安全な場所に隠れてもらうこと――
それが、今回の戦闘でクラウスが感じたことだった。
クラウスが役所のドアを開けると、職員たちが歓声をあげて出迎えた。
すでに、初戦に続く快勝を伝え聞いていたせいだろう。職員たちの顔は皆明るく、すでに完全勝利したような面持ちだった。
「あの……公女殿下は?」
出迎えた村長はクラウスの顔の険しさを見て怪訝そうにしながらも、こちらへと彼を促した。
二階の応接室が公女の部屋になっていた。部屋の中では外交官や護衛武官たちが集まり、さながら謁見室の趣になっていた。
その場の雰囲気に合わせるなら、片膝をついて座るべきなのかもしれない。そんなことを考えつつも、ドロテア公女の前に立ったクラウスは、直立したまま陸軍式に敬礼をした。
それに対して公女は軽く会釈を返した。
「ベルガー少尉。貴方の戦車隊は快勝をされたとか。まずはおめでとうと祝辞を述べさせていただきます」
「ありがとうございます、殿下……」
歯切れの悪いクラウスの言葉に、ドロテア公女は彼が快勝の報告に訪れたわけではないことに気づいた。
「あの……なにかありましたか? この村では貴方が指揮官です。忌憚なくご意見をおっしゃってください」
「はっ……」
クラウスは果たして付き人や護衛武官たちが、自分の提案に賛成するか悩みつつも、仕方ないと頷き口を開いた。
「公女殿下にはただちにここを出ていただきまして、より安全な場所にお移りいただきたく思います」
その場に居合わせた者たちの表情が凍り付いた。
勝っているはずなのに、なぜ安全な場所に移動しなければ鳴らないのか? それについて、誰もが理解できなかった。護衛武官も近衛兵からの選抜のために、現代戦闘知識が理解できていない様子だった。
30年前の欧州大戦末期から散兵戦術が定着していたが、近衛兵も騎兵もその戦術思想に適合しない、一世代前の中世の遺物と言ってもいい兵科だった。
「どういうことでしょう?」
「今回の戦車戦によって赤軍は直接戦闘の不利を悟ったはずです。彼らが用意してきた戦車は、どれもこの地域には不向きな戦車でした。それ故に、我々は勝利できただけです」
クラウスは公女が自分の話を理解できているか不安になり、言葉を切って彼女を見た。
「続けてください。貴方のお話は理解できております」
「我が方の戦車ドロッセルが勝利できた理由は、湿地帯に敷かれた未整備の狭い北東街道での遭遇戦闘だったからです。つまり、赤軍はここを突破する方法を考えなければなりません」
「赤軍の戦車は重く大きかったために、公国のドロッセルが勝ったということですか?」
「そうです。そこで次に赤軍が打つ手は、砲撃による無差別に近い攻撃です」
部屋の中がザワついた。
木造建築でしかないこの役場が砲撃されたら、ひとたまりも無い。
「おそらく赤軍は線路よりも東側を集中砲撃してくるでしょう。こんな村の駐屯地ですから兵数も限られています。そこでその地域に遠方から砲撃を行い、可能な限り歩兵を削ってゆきます。その後、再び大量の戦車を送り込み、ボルガ川西岸と線路の土手の間の地を奪取しようと考えるでしょう」
「そ、そこまで分かっているなら、なんとかしろ!」
外交官の一人が声を震わせながら叫んだ。
「なんとかするために、公女殿下に移動をお願いしております」
外交官の口ぶりから、彼は明らかに貴族だとわかった。衆民であるクラウスたち兵隊が、命を張って自分たちを守ることが当たり前と感じている様子が窺えた。
この国――公国の衆民と貴族の関係は、決して良好とは言いがたかった。
未だに中世の封建社会からの変革についてこられない貴族たち。もちろん貴族の中にも開明派的な存在はいるが、それはごく一部の人間に限られていた。
さすがにクラウスは貴族を相手に嫌悪感を露わにするような性格ではなかったが、あからさまに蔑んだ言葉を投げかけられれば、応じる口調もキツくなる。
「いささか機械油の臭いが強いかもしれませんが、駐屯地の車両庫はコンクリートの対爆掩蔽になっております。砲撃を受けた場合、すぐにそこに逃げ込めるように、駐屯地に移動なさってください。なにより、ボルガ川西岸を奪われた時、ここでは公女殿下をお守りすることはできません」
「ここでは……ダメなのですか?」
「はい。川に近すぎます。万が一、土手向こうを占領された場合、すぐにここが狙われます」
「なるほど……」
そう呟いた公女は、ほんのわずかの間だけ目をつむって考え込んだ。
「わかりました。私たちが少尉の足手まといになるわけには参りません。そちらに参りましょう」
「ありがとうございます」
当初、機械油の臭いがする場所と聞いて顔をしかめていた外交官たちも、公女がそう言っては反対することはできない。渋々という様子で誰もが公女に従った。
さらに、砲撃を受ける可能性があるからできるだけ駐屯地に逃げるようにという指示も、役場の職員たちが自転車で村中を駆け回って伝えることとなった。
村人たちが駐屯地に集まりはじめたのを確認したクラウスは、無線でエアハルトに指示を送った。
「次は砲撃戦でくると思う。4号車は土手内の野戦指揮所まで下がり、3号車はトンネル内で待機。川縁の歩兵も全員トンネルまで下がるよう指示を出してくれ」
『了解した。こっちもあちらの動きが気になって、通信しようとしていたところだ。偵察というよりも損害評価の監視部隊みたいな少数偵察部隊が、湿地に潜んでいるのが確認された』
「損害評価監視部隊……。砲撃が近いな。撤収を急がせてくれ」
『了解。そいつらは俺が蹴散らしてやるさ!』
通信が切れて一分も経たないうちに、ドロッセルの砲声が轟いた。
そしてさらに数分後、凄まじい数の砲撃音が空を震わせた。
それは、クラウスの予想通りの赤軍からの砲撃だった……。