もがれた翼(Ⅰ)
「通信兵。要塞支援砲撃に修正要請。砲撃位置修正東に100メートル、北に30メートル。砲撃数4発! 復唱の必要なし!」
クラウスはキンダーハイム要塞への支援砲撃の砲撃位置を修正させた。しかしそこは、北東街道から若干北に逸れた湿地帯だった。
「霧雨が雪に変わる前に叩くぞ! 3号車と4号車は位置そのままで先頭車両に対して砲撃。2号車は先制して橋を渡る! オットー行け!」
「了解!」
『歩哨より伝達! 敵戦車後方3キロに、新たに6両の車両を発見!』
「次々と来るか……。新手が来る前に仕留めるぞ!」
さすがに9対3では勝ち目がない。しかし、クラウスは焦ることなく双眼鏡を手にして間近に迫る3両のリーエフを見据えた。
赤軍主力戦車リーエフ。砲塔が車台の前寄りに位置し、後方が長い独特のフォルムを持つ戦車であり、76・5ミリ砲を備えている。被弾経始の傾斜装甲の四角い重装甲の戦車であり、横から見たシルエットが伏せる獅子に似ているということから、リーエフと名付けられたとされていた。
ドリューワーに対抗するためにロクなテストもせずに早期大量生産に入ったことから、故障が多いという噂があった。果たしてその実体はどうなのか?
「履帯幅が狭いな……」
サイズで見るとリーエフはドロッセルよりも一回りほど大きかった。しかし、履帯の幅はドロッセルよりも細い。つまり、湿地や高速移動を必要とする戦闘を想定して作られた戦車ではないことが予想できた。
「先頭車両は2、3号車に任せる。道は僕たちから見て左に弓なりにカーブしている。先頭車両が攻撃された時、2両目は僕らから見て左に出る可能性が高い。それを狙う。右側は植生から想像するとズブズブの沼の可能性がある。オットーはそれに気をつけて操縦してくれ!」
ボルガ川を越えればクラーズヌイの領地故に、クラウスはその場所の直接観察をしていなかった。だが、川の対岸の植生故に公国と大した差は見られない。つまり、公国側の湿地の深みや沼が隠れている場所に生えている草と同じものがあれば、そこは同じような地形と考えることができた。
やがて支援砲撃が湿地帯に向けてはじまった。
激しく泥水が飛び散り、戦車橋で塞がれた川の水が出来上がった砲撃痕にどんどん流れ込んでいく。赤軍の随伴歩兵たちに追い打ちをかけるように、雨足が強まり、霧雨は雨に変わっていた。
2号車は戦車橋に足をかけて停車した。
「クラウス、舌を噛むなよ!」
「大丈夫だ! 行ってくれ!」
すでに戦車橋の上面まで、せき止められた水があふれて流れていた。両脇には石橋の残骸や横倒しになったマーマント、浮き橋の残骸である材木が引っかかり、奇怪な光景をそこに作り出していた。
戦車橋に履帯をかけた2号車は、そのまま一気にその上に乗り上げ、可能な限りの速度で渡河を開始いた。
赤軍の後方から支援砲撃が行われているものの、せっかくかけた戦車橋を破壊するはずもなく、その砲撃は分散していた。
唯一注意すべき攻撃はリーエフからの砲撃だったが、リーエフ自身も移動しておりこちらも高速移動している。行軍間射撃で移動目標と捉えることは至難の業だった。
距離にして600メートル。
戦車にとって、すでに至近戦闘もいい距離だったが、北方街道の幅の狭さが禍して3両のリーエフは止まることもできないでいた。
業を煮やした2両目のリーエフが道から外れ、クラウスから見て左側の草原に飛び込んだ。その直後、激しく泥が後方に巻き上げられて3両目の車両がそれを被った。
ほとんど水に近い泥沼に2両目は飛び込んでいた。
なによりもそこはあふれ出た水とキンダーハイム要塞からの支援砲撃でかき回された地域であり、泥が緩んだ地帯だった。
「鴨撃ちの方が難しいかも……なっ」
ダニエルは呟きながら、泥沼にハマって鈍い動きになったリーエフに砲弾を叩き込んだ。
正確に後方のエンジンブロックを砲弾は貫き、リーエフは猛火に包まれた。
一方、西岸でリーエフの到着を待ち構えていた3号車、4号車は、クラウスの指示通り、先頭車両に照準を合わせ、引きつけるだけ引きつけて砲撃を開始した。
零距離射撃(水平射撃)にて放たれた砲弾は、200メートルの距離まで近づいていた先頭のリーエフの側面と左履帯を貫いた。
次々と僚機が破壊されてあわてたのはリーエフの2号車だった。先頭車両が撃破されたことで道は塞がれ、さらに彼らから見て右側(クラウスから見て左)にそれた3号車はたった一発で撃破されたのである。もちろんそれは沼地に沈み込んだため、戦車の装甲が最も弱い背面部をさらけ出した結果なのだが、パニックに陥った搭乗員たちに、冷静な分析力はなかった。
とっさに彼らから見て左側に逃げた。しかしそれは待ち構える2号車に側面を晒す結果となった。
「待ってたよ」
サイドスカートも着けていないリーエフの側面――履帯の転輪の隙間に、照準を合わせてダニエルは間髪を入れずに砲撃した。
瞬く間に黒煙を上げて3両のリーエフが撃破されたために、周囲にいた随伴歩兵たちは算を乱して撤退を開始した。
「支援砲撃。随伴歩兵たちを徹底して削れ!」
ドロッセル3号車と4号車が榴弾を放ち、2号車の同軸機銃と前方機銃が逃げる兵士たちを薙ぎ払った。
飛び散る泥と人間の破片。
燃えさかる炎と濛々と空を覆う黒煙。
通信手席の覗き窓からその様子を見ていたエーリヒは、胸の悪くなる思いを抱きつつ、それでも引き金から指を放すことができなかった。
そんな折り、激しい金属音が響いた。
「撃たれたか!?」
「いいや。衝撃はありません!」
クラウスの言葉にダニエルが即答した。
確かに砲弾が掠めたような衝撃はなかった。
クラウスはキューポラのフタを少し開けて、そっと外を覗き見た。
その時、再び金属が跳ねる音が響き、なにかが2号車の上を飛び越えていった。
――撃たれている……。
砲弾が撃破されたリーエフに当り、跳弾していた。
後方にいた6両の戦車が攻撃してきたのだ。
――約2.5キロ。当たるわけはないし、燃え上がっている車両が僚機どうかの判別もつかないのか?
戦車砲の有効射程は約2キロ。それは75ミリ砲だろうが80ミリ砲だろうが、大した差はない。実際にこれ以上の距離を砲弾は飛ぶが、目標を破壊できる力がなくなる。
あるいは僚機を救おうとしているのかもしれない。
2列縦隊で駆けつけてくるリーエフの先頭の2両は、有効射程など構わずに砲弾を放ち続けていた。
――バカなのか……それとも攪乱のつもりなのか……。
「ダニエル。狙えるかい?」
「あと……500……いえ、必中なら800はください」
「了解。砲撃タイミングは任せる。左の一両目を狙ってくれ」
「了解です」
クラウスは近づいてくる6両を双眼鏡で観察しながら、喉元のスロートマイクを押えた。
「3号車、4号車は2号車周辺の湿地を警戒してくれ。ヘルマン。随伴歩兵の一個分隊を2号車の周囲に配置してくれ」
『了解。一個分隊でいいのかい?』
「1個分隊なら、いざという時に戦車に乗せて《タンクデサント》撤退できる」
『了解! 第一小隊の第二分隊を向かわせる!』
無線で指示を出した後、クラウスはダニエルの肩を叩いた。
「基本的に僕らはリーエフの残骸を盾にする。移動しても右側の数十メートル幅しかないから、ほとんど移動移動できない」
「砲回転は基本左ですね。了解です」
「オットー、聞こえたかい?」
「あいよ! 沈みそうになったら、俺が真っ先に逃げ出すからな」
おどけたオットーの言葉に車内は小さな笑いに包まれた。
その笑いを遮るように、再びリーエフの砲弾で破壊されたリーエフの砲塔が吹き飛ばされた。
「そろそろ、有効射程距離だぞ!」
そう言いながらもクラウスは車外に上半身を出したまま双眼鏡を構え続けた。
――1.8キロの距離でも、まだ二列縦隊で進軍できるのか……。意外に向こうは地盤が固いな……。
「ダニエル。左1両目を撃破したら、列の中央に榴弾を発射。隊列を攪乱してくれ」
「了解!」
「オットー! 右に2メートルほどズレてくれ。砲塔の射界を開く」
「了解!」
ドロッセル2号車は炎上するリーエフを盾にしながら、自分の射撃に最適な場所に移動した。そこは炎上する2両のリーエフのちょうど間に入る位置だった。
その頃には、後方から随伴歩兵の一個分隊が到着していた。
「歩兵の分隊長はどなたか?」
クラウスの言葉に軍曹がドロッセルに駆け寄ってきた。
「私です! ハンス・ランナー軍曹です!」
「ランナー軍曹。戦車は急に動くことがあるから10メートル以上下がり、散開して周辺警戒に当たり、赤軍の歩兵を発見したら攻撃をして欲しい。あと流れ弾に注意して! それから、この周辺の湿地の具合を確かめて欲しい」
湿地の具合。それだけで、戦車が通れる湿地なのか調べるということをランナー軍曹は理解した。
「了解です」
ランナー軍曹に指示を出した後、再びクラウスが双眼鏡を覗くと6両のリーエフは二列縦隊のまま速度を落として接近してきていた。足場の不安さを感じているのだろう。今さらながらに、ダニエルが照準をつけている車両の戦車長がキューポラから身を乗り出し、戦車の足元に気を配っているのが見えた。
「撃ちます!」
ダニエルの言葉と同時にクラウスはキューポラから頭を引っ込めた。その直後、ドロッセルの砲が火を吹いた。
砲塔と車台の間を狙った砲撃だった。しかし砲弾は、着弾直前にリーエフが下に沈み込んだために目標を逸れ、上半身を晒していた戦車長の身体を引きちぎって後続のリーエフの砲塔を掠めてはじき飛んだ。
「くっ……。カール。もう一発、徹甲弾!」
ダニエルの要求にカールは準備していた榴弾を脇に置き、砲弾ケースから徹甲弾を引き抜き再装填した。
「装填!」
再装填までの僅かな時間に、リーエフの隊列は乱れた。
左先頭車両は浸水が作った窪地に入ったために車体を大きく沈めた。その瞬間、飛来した砲弾が戦車長の身体を引き裂いた。それが混乱のはじまりだった。
右先頭車両は全速力で直進し、戦車長を失った左先頭車両は脇の湿地の深みも測らずにそこに飛び込んだ。二列目の二両は道を直進に、三列目は左右の湿地に散開した。
「どうします!?」
左先頭車両の予想外の転進にダニエルはクラウスを見た。
再び双眼鏡を手にキューポラから身を乗り出していたクラウスは、車内に身体を引っ込めるなり全速力で接近する先頭車両を指さしながら、自分の左脚を叩いた。
「右先頭車両の左履帯を狙ってくれ!」
「了解!」
瞬く間に戦いは至近戦に突入しようとしていた。
『少尉! 道を挟んで右30メートルは戦車の重量に耐えられそうですが、左は保障できません。川の水のせいで、ズブズブになっています!』
「了解。ありがとう軍曹! 歩兵の接近に注意しておいてくれ!」
『ご武運を!』
ランナー軍曹の無線の言葉と砲声が重なった。
そして狙い通り、砲弾はリーエフの左履帯を吹き飛ばした。片方の履帯を失ったが、もう片方の履帯の動力は生きていた。しかも高速走行で。
リーエフはバランスを崩して激しく横滑りして停車した。
「脇腹を見せたリーエフを撃て!」
再び徹甲弾が装填されるや、横腹を見せるリーエフに照準を合せてダニエルは引き金を引いた。ほとんど直後に、戦車が爆発する衝撃が伝わってくる。
破片や爆風よりも厄介なものは、爆発で飛び散る泥水だった。
キューポラに設けられた覗き窓のプリズム硝子がすぐに汚れて視界が遮られてしまう。結局、クラウスはまたフタ薄くあけて隙間から外を覗くこととなる。
その苦しみは湿地での至近戦闘経験がないリーエフの戦車長たちも同じように味わっていた。しかし戦闘中に顔を覗かせる教育を受けていないことが、彼らに想定外のパニックをもたらした。
至近距離にいる敵戦車が見えないのだから、あわてても仕方がない。
しかも泥水の被り具合は、破壊されたリーエフに接近していた彼らの方が大きかった。
「撃破したリーエフを左に回避するヤツを狙って撃て! 当てればおそらく自滅する!」
ダニエルはすぐさま砲塔を動かし、障害物となっている破壊された戦車を左に回避しようとするリーエフの砲塔に狙いを付けた。
発射直前に後方の戦車の砲弾が、ドロッセルの砲塔を掠め若干の照準が狂った状態で砲弾は放たれた。
「くそっ!」
ドロッセルの砲弾もリーエフの砲塔を掠めた。だがその衝撃にあわてたリーエフは、さらに左に進路を取り、湿地の中に飛び込んで行った。
「クラウスの読み通りだ! 当てるだけで自滅したよ!」
エーリヒが喝采を上げたが、外したダニエルは納得はいっていない様子だった。
「湿地でもがくやつは後回しだ! 砲を右に旋回。障害を右に回り込んでくるリーエフを迎え撃つ! 視界に入り次第撃て!」
すぐさまダニエルは砲を旋回させ、カールは徹甲弾を装填した。
そして回り込んできた新たなリーエフが照準に入るや、その砲塔と車台の隙間に砲弾を叩き込んだ。
激しい勢いでリーエフの砲塔が吹き上がり、コントロールを失ったリーエフはそのまま直進して行った。
「砲を左旋回。湿地に沈みかけのリーエフを撃つ!」
ドロッセルは再び砲を左旋回した。その砲の先には、なんとか湿地から出ようともがくリーエフの姿があった。
砲声が轟き、リーエフがまた一両爆発した。
立て続けに4両のリーエフ――先に来ていたものも含めれば、7両のリーエフが撃破され、後続の2両のリーエフは煙幕を放ち撤退を開始していた。
「撃ちますか?」
道しかまともに走行できない以上、当てずっぽうで撃っても砲弾が当たる確率は極めて高い。
しかし、クラウスは大きく息を吐いて首を振った。
「いや、今日の戦果はここまでとしよう。周囲を警戒。歩兵分隊が川まで引いた後で撤収する」
クラウスは車内のクルーにそう宣言すると、キューポラのフタを薄く開いて周囲を観察した後、身体を出して後方に待機する歩兵分隊に撤収を伝えた。