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鋼鉄のベフライアー  作者: みさっち
第1章:開戦
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開戦(Ⅰ)

挿絵(By みてみん)

 どこまでも背の高い葦が広がる大草原。まるで海のように見える草原の所々には、島のように森が点在していた。

 ロムスタット公国の最北端にあるバルドー村は、そんな点在する森の中でも最も大きな森に寄り添うようにある小さな村だった。

 鉄道が敷かれた時に公国最北端で国境の村ということで駅が作られたが、乗降客はほとんどいない。観光資源もない僅かな耕作地を耕して暮す人たちが群れて作った人口が千人にも満たない寒村だった。


 その寒村から北に1キロほど進んだ場所に、一両の戦車が葦原に身を潜めるようにして停車していた。


『こちら3号車。どこまでも葦原しか見えない』

『こちら4号車。エアハルトと同じで葦と灌木しか見えないよ。さっきの農夫が僕らを脅かすためにうそついたんじゃないか?』


「こちら2号車。戦車長はただいま外に出ていて返信できない。しばし待たれたし」

 エーリヒ・ビアーマンは伝えられてきたふたつの通信に返事をしてから通信を切ると、開けっ放しの上部ハッチから上半身を出して辺りを見回した。

「戦車長! クラウス!」

 声を張り上げて周囲を見回したものの、見える物は葦と樹、そしていつ雪が降ってきてもおかしくはない灰色がかった曇り空だけ。

「…ったく。目を離すとこれだ。クラウスを探してくる! カール。通信機を頼む」

「あいよ。線路から向こうには行くなよ」

「クラウス戦車長が行ってたら、行かなきゃなんないだろ!」

 装填手のカールにエーリヒはブツブツ文句を言いながら通信手席から這い出し、傾斜している車体前面から滑るように降りると、腰につけたホルスターから拳銃を引き抜いて走り出した。

「エーリヒ! あっちだ!」

「ああっ?」

 走り出してすぐにかけられた声に振り返ったエーリヒが戦車を見上げると、砲塔のハッチから砲撃手のダニエルが顔を出し、北東を指さしていた。北東に100メートルも進むと、そこには鉄道の線路が敷かれた高い土手がある。

「線路?」

 背の低いエーリヒは背伸びをして様子を窺うと、確かに線路の上に人がいるようにも見えた。

「あんな所まで行ってんのか……」

 エーリヒは葦原にある獣道のような細い道を線路に向かって走った。

 じきにこの周囲は雪景色に変わるが、霜柱が日中の日射しで溶けているために、足元は夏と変わらないぬかるみになっていた。

「くっそ。洗濯したばかりだってのに……。泥はねは落ちにくいんだよ!」

 走ると制服に飛び跳ねた泥がつくし、磨いたばかりのブーツに染みができるのも嫌だったが、今はそんなことを言っている時じゃない。

 エーリヒはなるべく激しいぬかるみを避けながら、線路の土手を目指して走った。


「クラウス! 戦車長!」

 土手が近づいた時、エーリヒは不機嫌そうな声をかけたが、土手の上にいたクラウスは地面に伏せたまま身動きをしなかった。

 土手の下からでは上の様子は見られない。しかし、戦車から土手を見た時の様子からクラウスが伏せているらしいことを思い出したエーリヒは様子のおかしさを悟り、声を上げることをやめ、ゆっくりと急斜面の土手を上がった。

 盛り土をして足場を固めただけの線路用の土手。

 土手の上には敷石が敷かれ、その上に枕木が並べられて線路が走っている。この土手が作られたのは3年ほど前であり、その間に土手の斜面はびっしりと短い草で覆われていた。

 エーリヒはその草をつかみ、途中で足を滑らせながらも、その急斜面を登っていった。

 土手に上がったエーリヒは、身体を屈めて小走りにクラウスに近づいた。しかし、クラウスは微動だにせず、じっと耳を線路のレールに押しつけたままだった。

「クラウス。3号車と4号車から異常なしという報告がきてます」

「…………」

 そうエーリヒは小声で報告したが、クラウスに反応はない。

 彼がなにかに夢中になっている時はいつもそうだった。それを心得ているエーリヒは、少しだけ声を大きくして彼の名を呼んだ。

「クラウス?」

 クラウスは少しだけ顔を上げ、エーリヒの足元の敷石を指さした。

「なんです?」

 エーリヒはクラウスの指さした辺りに目をやった。

 そこにあるのは、どこの線路でも見られるような角の尖った小石ばかり。汽車が走る衝撃を和らげるための物だった。

 なんでそんなものを指さすのかと怪訝そうな顔をしたエーリヒだったが、すぐにその意味を理解した。

 少しでも浮いている敷石がカタカタと震動していた。


 ――これは……?


 さらに耳を澄ますと、北北東の方角から金属が軋むような音が聞こえてきた。

 まだ遠い音。

 だが、その音がなんなのかエーリヒは知っていた。

「まさか……」

 それは、荒れた地面を走る時に戦車軋む音だ。

 1両や2両の音でも震動でもない。

 敷石がカタカタと震動して崩れるほどの戦車の大群が迫っている。

 線路の北東側に200メートルも進むと、国境となっている川幅20メートルほどのボルガ川が流れていた。その川の対岸には、ロムスタット公国の軍人たちが赤軍と呼ぶ大国クラースヌイ社会主義共和国が広がっている。

「農夫が川の向こうで見かけたって兵隊は……嘘じゃなかった?」

 震える声でそう確認するエーリヒにクラウスは頷いた。

「僕ら兵隊を脅かす理由は、この村の人たちにはないだろ」

 そう、だからこそクラウスは農夫の言葉に耳を貸して、戦車隊で国境周辺の哨戒を行っていた。

「そろそろ引き上げよ…」


 チュンッ!


 そうクラウスが顔を上げた時、その手元の線路で弾が跳ね、銃声が轟いた。

「狙撃!?」

 銃弾は偶然にも逸れた。クラウスが頭を上げた瞬間に銃撃が重なったせいだろう。

 とっさにクラウスとエーリヒは地面を蹴って跳び、土手の斜面を転がり落ちた。

 その2人を追うように何発もの銃声が轟いた。だが、すでに2人は土手の反対側に転がり落ちた後だった。

「下手な射撃で助かった!」

「ああっ! くっそ!」

「撃たれたか?」

「いいえ! 泥にハマっただけです! ああ、もう! ブーツの中までグチャグチャだ! クソッ!」

「ははは……」

「クラウス……?」

 自分の失態を笑われているのかと勘違いしたエーリヒは、ムッとしたようにクラウスを見た。だが、彼は自分ではなく、土手の向こう側に展開しているであろう見えるはずもない赤軍を見ながら笑っていた。

 銃撃を受けたにもかかわらず、クラウスの口元には状況を楽しむように――

 しかし、そんな笑みをこぼしていられたのもつかの間、耳を覆うような激しい砲声が轟いた。


 ドンッ!


 腹に響く重い震動が空気を震わせた。重砲の射撃音だ。

「退避しろ!」

 クラウスとエーリヒは土手沿いに南下した。

 その直後、2人の背後で砲弾が爆発した。

 2発、3発と爆発し、泥炭とぬかるんだ泥。そして枯れた葦が千切れ飛んでゆく。

 砲撃は2人がまっすぐ土手から西に逃げることを見越して放たれていた。

 飛び散った泥をかぶり、爆風で吹き飛ばされたクラウスは、口に入った泥を吐き出して川向こうの空を見上げた。

 続く砲声はもう聞こえない。

 見張りを脅すには十分という判断だったのか? それとも他に意図があったのか? そこまでは分からない。

 だが、砲撃は3発で止んでいた。

「たった3発でも……すごい破壊力だ……」

 土手の上からほぼまっすぐに穿たれた砲撃痕のクレーター。

「線路が吹っ飛んでますよ」

「ドロッセルに戻って各車と駐屯本部に連絡! キンダガーデンには駐屯本部から伝えてもらえ!」

「了解! 急ぎます!」

 エーリヒは本気で駆け出し、クラウスは腰のポーチから発煙筒を取りだして着火し、線路に投げ上げた。

 発煙が見えれば敵からの砲撃が加えられ、発煙筒ごと破壊される。それでも、味方に危険を伝えるにはそれが一番だった。

 土手の草に引っかかった発煙筒から赤い煙が吹きだして、煙はたちまち上空に昇りはじめ風に流されながらも赤い筋を空に描き上げた。

 それは緊急を告げるロムスタットの煙による信号だった。

 クラウスは発煙を確認してから、エーリヒの後を追って駆けだした。

 そのほぼ1分後、煙を目がけた砲撃が襲いかかってきたが、そこにもうクラウスの姿はなかった。


 この日、1940年11月14日11時24分――

 北の共産主義国家であるクラースヌイ社会主義共和国は、かねてより埋蔵資源問題で緊張状態にあった隣国のドリューワー連邦共和国に対して宣戦布告した。

 そして、その両大国に挟まれた小さな独立国であるロムスタット公国は、宣戦布告すらされぬままクラースヌイの侵略を受けることとなった。


 そしてこの戦いが事実上の初陣となる採用試験中のP1ドロッセル中戦車の搭乗員たち。 周囲の様子を窺いながら戦車長ハッチから乗り込もうとしているクラウス・ベルガー少尉は、わずか4両しかない公国戦車隊の2号車戦車長であり、顔に少年ぽさが未だに残る19歳の青年だった。

 彼だけではない。土手から戻ってきて、必死に他の戦車や駐屯本部と連絡を取っている通信士のエーリヒは15歳。

 戦車のエンジンを紫堂させた操縦手のオットーは18歳。装填手のカールと砲撃手のダニエルは17歳だった。

 わずか一ヶ月前に創設されたばかりのロムスタット公国戦車隊は、10代半ばから後半の少年兵たちで構成されていた。貴族が軍人となる旧態依然とした公国軍においては、戦車とはまだ未知数の怪しげな存在であり、そのため、主戦力にもならない玩具的な扱いを受けていた。そのために、戦車隊は貴族身分を持たないような少年兵ばかりを寄せ集めた部隊だった。

「エーリヒ! 4号車を走らせて村に警告させろ! そして引き返す時に、随伴歩兵を乗せて帰ってくるように指示しろ! 少尉の1号車がくるまで、僕たちとエアハルトの3号車で敵を迎え撃つ!」

 クラウスは喉につけたスロート・マイクを押さえ、矢継ぎ早に指示を出した。

「了解! 伝えます!」

 エーリヒはそう返事をするなり、通信機に飛びついた。

 さらにクラウスの指示は飛んだ。

「ダニエル! もう砲撃されているから遠慮はいらない。警告無視で仕留めろ!」

「了解です!」

「カール。榴弾と徹甲弾をそれぞれすぐに装填できるように準備しておいてくれ」

「ほいさ!」

「オットー! ドロッセル進行! 線路の陸橋下トンネルで奴らを迎え撃つ!」

「はいよぅ! ドロッセル前進!」


 P1ドロッセル中戦車は、低いエンジン音を響かせて排煙を吹き上げ、ゆっくりと前進を開始した。


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