若い狩人と二つの泉
今はもう五百年も昔の事……
日本のどこか、誰も足を踏み入れられない程の深い森の奥。小さな村がありました。
森の外の者はその村の存在を知りません。
その村に住む人々は決して裕福ではありませんが、村人皆が仲が良く幸せに暮らしていました。
外からの交流が全く無かったため、食事は森に住む動物や魚を狩り、村人達の食料としていました。
その動物を狩るのは、村に住む狩人達でした。
朝早く森に出かけ、まだ寝静まっている動物達を仕留めて来るのです。
狩った動物が多くなければ、村人全員に食料が行き渡りませんので、狩人達は毎日必死でした。
その中でも、特に血気盛んな若い狩人が居ました。
その狩人の狩りの腕は、年配の狩人達を唸らせる程でした。
彼は生きるための覇気に満ち溢れていました。
その村には、若い女性が居ました。
着ている服はボロボロですが、美しい顔と艶やかな黒髪が村人達を魅了していました。
母性に溢れており、狩りで怪我をした村人達を介抱したり、喧嘩した子供達をなだめたりしていました。
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その村人には、森の外の人間とは違うところがありました。
それはどんなに傷を負おうとも、どんなに年齢を重ねようとも、決して死ぬ事が無いという事でした。
例え体が粉々になったとしても、たちまち元通りになるのでした。
その不老不死の秘密は、森の裏手にある二つの泉にありました。
二又に分かれたそれぞれの道の先にある泉は、決して美しい色をしていません。右側の泉は桃色に濁り、左側の泉は紫色に濁っていました。とても人が入りたがる色をしていません。
しかし、右の桃色の泉は水を飲んだ者を不死の体を与え、左の紫色の泉は水を飲んだ者に不老の体を与えました。
そして、両方の濁った水を混ぜ合わせると虹色に輝き、飲んだ者には不老不死の完全な体を造るのです。
この水を一番最初に飲んだのは、この村の長老でした。
かつて森に迷いこんだ長老は、偶然この二つの泉を見つけ、不老不死の体を得ました。
それは更に千年以上も前の事です。
それからこの森に迷いこんだ者が、次々とこの泉を見つけ不老不死の体を得る事ができたのです。
この水の力を得る事ができた人々が集い、森の中に小さな村を作りました。
この村の住人は本来、争い事の無かった時代を生きた人々です。
不老不死の力を悪用しようなんて考える者は、誰一人として居ませんでした。
決して朽ちる事の無い命は千年もの時を駆けてきたのです。
この村の住人は、二つの泉を守っていく使命がありました。この水が森の外の人間に悪用されて欲しくないからです。
人々はこの泉を『不死の泉』と名付け、神聖な場所として奉っていました。
そして、虹色の水で不老不死になった人間は、二度と泉の水を飲んではいけないという長老からの掟がありました。
なぜ飲んではいけないのかは、村人達は知る由もありませんでした。
不老不死になった人間には、更なる不思議な力が備わっていました。
なんと頭に浮かべた生物に姿を変える事ができるのです。
変身したいものを想像しながら約一日瞑想をする事で、己の体が変わってしまうのです。
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やがて森の外では戦が起きました。
それぞれの国を守るため、多くの武士達が戦い命を落としていきました。
戦場は銃声と悲鳴が響き、森の外にある集落が次々と侵略されていったのです。
村の住人達は迫り来る危機を感じつつもどうする事もできず、泉に向かって祈る他ありませんでした。
若い狩人もその日は狩りに行かずに、紫色の泉にお祈りに行きました。
辿り着いた狩人は、中央に甲冑を着た人間が浮かんでいたのを発見しました。
泳いで様子を見に行ったところ、その人間は溺れ死んでいました。
いくら不老になれる紫の水と言えど、桃色の水を飲まない限り不死になる事はできません。
恐らくこの武士は戦による傷を負いながらこの森に迷い込み、偶然この紫の水を飲もうと泉に飛び込んだところ、浮く力もわかずそのまま溺れ死んだのでしょう。
その夜、その武士は泉の近くに埋葬され、墓の周りにはたくさんの花が手向けられました。
外の者と言えど同じ人間として、村人達はその武士に追悼の意を示しました。
若い狩人はその墓を見る度に、武士の傷だらけの姿が目に浮かびました。
そして様々な質問を自分自身に語りかけます。
どうして命を捨てようとする必要があるのか?
死ぬ事がそこまで美徳なのか?
人間同士が争った先に何があるのだろうか?
狩人は、死ぬと分かっていながら戦をしている武士たちを理解できませんでした。
彼は変身の力を使って鳥に化け、戦場を空から眺めた事が何回もありました。
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こんな戦は見ていられないと思った若い狩人は、戦を止めてくると長老と若い女性に伝えました。
「外の戦の魔の手はもう間近に迫ってきている。この泉の存在が知れ渡るのは最早時間の問題だ!」
狩人は長老に村の外に出すように何度も頼みました。
長老は人一人出陣した所で状況は何も変わらんと反対しました。しかし血の気の多い狩人は、長老の話を一切聞こうとしません。
その夜は一晩中口論になり、ついに長老は勝手にしろと狩人を突き放しました。
狩人は人間が死んでいく状況を、何もしないで見ている事はできませんでした。
泉の水が悪用される事よりも、ずっとずっと怖かったのです。
若い狩人は若い女性と、必ず帰ってくると約束をしました。
お互い死ぬ事の無い体だったので、若い女性は安心してその夜は眠る事ができました。
狩人は人の気配の無い泉にやって来ました。
戦場に赴くには、まず武士に扮しなければなりません。
狩人は泉の近くにある墓を見ました。墓前にはこの間泉で溺れ死んだ武士の甲冑が供えられていました。
狩人は武士の墓にお参りをします。そして今一度、武士としての心をくれるよう強く願いました。
それから狩人は泉のほとりで瞑想を始めました。
死んだ武士の姿を頭に浮かべつつ、一日中何も口に入れず、座禅を組みました。
すると狩人は、死んだ武士とそっくりの姿になったのです。
試しに泉に自分の顔を映してみました。濁った水でしたが、自分の顔が変わった事は一目瞭然でした。
狩人は甲冑を拝借し、戦場に赴きました。
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武士になった狩人は何度も戦に参加をしました。
その中で外の人間の様々な様子を目の当たりにします。
国の為に忠義を尽くす者。私利私欲で動く者。血を欲する者。死に場所を求める者……
戦う理由は人それぞれでしたが、多くの人々が戦い、命を落としました。
若い狩人も戦場で何度も致命傷を負い、その度に不老不死の力で傷は癒えていきました。
皆が皆戦う事で精一杯で、狩人の異様な姿には誰も気がつきませんでした。
しかしいくら不老不死といえど、これまで獣しか相手にしていなかった狩人の力では、敵国の軍勢を止める事はできませんでした。
長老の言っていた通り、人一人の力では戦を止める事はできなかったのです。
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それから一年が過ぎました。戦はついに終わりました。
森は侵略され、森はほとんど焼き払われてしまいました。
変わり果ててしまった森を見た狩人は、村に戻る事にしました。
狩人は泉の存在が知られる不安と同時に、安心もしていました。
なぜなら彼らは、狩人と同じように不老不死だからです。どんなに傷を負ったとしても決して死ぬ事がありません。
例え泉の存在が知られてしまったとしても、皆が無事でいられるという確信があったからです。
狩人は村人達に会えるという期待を胸に、森の中で本来の自分の姿を想像して瞑想をしました。
すると武士にそっくりだった彼は、本来の姿に戻りました。
近くの小川の水で自分の顔が元通りになった事を確認した狩人は、村を目指します。
村に帰った狩人は信じられない光景を目の当たりにしました。
焼き払われた村の至る所に、墓が建てられているではありませんか。
「ばかな! あの泉の水を飲んだ人間が死ぬはずが……」
狩人は何かの間違いだと思い、村の中の家を次々と訪ねてみました。
しかし、一年前まで顔見知りだった村人達は誰一人としていませんでした。
村の雰囲気は一年前とは一変し、所々に戦火で焼かれた跡がありました。
狩人は一体誰がこんなにたくさんの墓を建てたのかが疑問でした。
彼は村の奥にある泉を目指します。
二つの泉へと通じる道が二つに分かれている場所に誰かがいます。二つに並べたツボの上に腰掛けてぐったりしていました。
狩人は腰を低くしてその顔を覗き込んでみました。
ぐったりとしていたのは、この村に住んでいた美しい女性でした。
狩人は女性の肩をゆすってみます。すると女性はゆっくりと目を開けました。
狩人はもう死んでいるのではないかと思っていたので少し驚きましたが、女性に戦が終わった事を告げました。
女性は安心したようで、狩人に向けて優しく微笑みました。
女性が落ち着いたところで、狩人は女性になぜ死ぬはずの無い村人が死んだのかと問いました。
女性は意を決したように狩人に語りかけます。
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この村には桃色と紫色の水を混ぜ合わせて作った虹色の水を飲んだら、二度と泉の水を飲んではいけないという長老による掟があります。
その理由は、不老不死の体を得た者がどちらかの泉の水を飲むと、飲んだ水の力しか得なくなるからです。長老が教えてくれました。
つまり、私を除く村人全員が紫の水を飲んだのです。
長老は自ら掲げた掟を、破るように村人に指示したのです。
村がなくなると悟った村人達は、死を選ぶという選択をしたのでしょう。
紫色の水は歳はとらないけれど、不死の体にはなれないでしょう?
大人も子供も侵略してきた者に襲われ、悲鳴を上げる事無く死んでいきました。
長い長い年月で死に対する恐怖が存在しなかったのでしょう……
長老はあなたがこの村を出て行った後、私にこんな事を言っていました。
『不老不死というのは本来、生物、自然の摂理に反するという事。これまで千年以上この泉を守ってきたが、時代は変わりゆく。それに合わせて、我々もそろそろ変化しなければならない。この村が無くなるというならば、そのなりゆきに任せようではないか。しかしお前はあの男を誰よりも愛しておる。ならば我々が死んだ後、後世にいずれ現れるであろう心正しき者に、この不老不死の力の語り部になってもらいたい』
そして長老はこの二つのツボに桃色と紫色、それぞれの水を入れたのです。
残った水はこれだけ。後は村人達で泉ごと埋めてしまいました。
そして村人達の墓を建てたのも私……
やるべきことが無くなった私は、あなたが帰ってくるまでずっとここで待っていたのです。
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語り終えた彼女の目からは、ポロポロと大粒の涙が溢れていました。
例え不老不死になろうとも、人間である以上、大切なものを失った悲しみは感じずにはいられないのでしょう。
話を聞いた狩人は、納得する事ができませんでした。
戦場の武士のみならず、千年も共に過ごしてきた仲間でさえ、何故いとも簡単に命を投げ出す事ができるのだろうか?
「分かる限り答えてくれ! 村人達は何故生きられる限り生きようとしてくれなかったのか?」
狩人はやり場のない怒りを女性にぶつけました。
女性は涙目になりながら必死で答えます。
「それは長老が言っていた通り。長く生きることは自然の摂理に反する……」
「いくらことわりに反しているとしても、生きようとする事はそこまで悪い事なのか!」
この一年の間、多くの命が失われてきた戦場を見てきた狩人は、どんな理由があろうと人が死ぬ所を見たくなかったのです。
「……あなたも、死というものを受け入れられないのね……」
女性は泣き顔なのにも関わらず、笑顔を見せました。
そして狩人に飛びつきました。
「私も……私も死ぬ事が怖い! 長老が皆に紫の水を飲ませようとしていた時は、私は必死で反対していた。どんな形であれ、村の皆には生きていて欲しかったから! けれど村が侵略された時は、みんなこの村と運命を共にしようって聞かなかった! 皆が皆、死に急ぐ理由が全く分からなかった。そして私は何もできずに森に逃げ込むしかできなかった……」
若い女性は狩人の胸の中で号泣しました。
それから狩人と若い女性は、泉のほとりで一夜を過ごしました。
そして女性は愛していた事を狩人に告げました。
狩人はそれを受け止めました。
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朝がやってきました。
狩人も女性も、長老から告げられた不老不死の語り部となる事を決意しました。
ツボに入っている二色の水を四つの入れ物に分け、それぞれ二つずつ持ちました。
旅の準備が整いました。
しかしその後は、狩人と女性、全く別の方角へ旅立ったのです。
お互いに何か別に探しているものでもあったのでしょう。
狩人も女性も寂しいとは思ってもいませんでした。
距離が離れていようともお互いに信じ合えば、きっとまたどこかで会えるに違いありません。
長老は女性に、この水を生かすも殺すもお前達次第と言っていたそうです。
長老もこの不老不死を完全に絶つ気は起こせなかったのでしょう。
後世の人間達に望みを託したのではないでしょうか?
彼らとて生きる事、死ぬ事、どちらが正しいのかがまだよく分かっていません。
これから始まる旅を通して、少しずつ知っていく事でしょう。
二人は正しい人間に不老不死の力を与えるべく、再び時代を駆ける事となるのです……
狩人が『不死鳥』という名の存在を知ったのは、それからずいぶん後の話……
『死』は美徳か……?
『生』は欲か……?
『不老不死』は非人道的なのか……?
そして『死』は必ずしも悲劇しか生み出さないのだろうか……?
人間はその答えすら見出せずに、過ちを繰り返していくのでしょうか?
ここまで読んで下さり誠にありがとうございました!
この短編は現在連載中(停滞中…)の『フェニックス』という作品の登場人物のエピソード及び伏線の回収の為に書きました。
殆ど勢いで書いたので、結構矛盾しているところがあるかもしれません。
今回は六千字程度に収める事ができました。
まだまだ至らぬところだらけですが、少しずつ精進していきたいと思います。
あと最後の質問の下りがウザいと思った方、申し訳ありません。
これはほぼ自分に対する質問なのであまりお気になさらず……
それではまた……