タイムマシンの刑
死刑囚は選択をせまられた。
「お前には二つの選択肢がある。一、死刑を執行されるまで、独房でじっとしている。二、タイムマシンの被験者となる代わりに刑を免除する」
その問いかけに対し、含み笑いを浮かべた囚人はタイムマシンの被験者となる選択をした。
••••••
「タイムマシンの技術はまだ完全とはいえないのだ。君が今からのるのは、劣化タイムマシンだと思ってくれ。だから、これが過去にいくか、未来にいくか起動してみないとわからない。それだけは頭にいれておいてくれよ」
「わかりました。私はもう準備が整いましたので、いつでも、乗り込めますよ」
「ヴァルフンくん。では、冥福を祈る」
白いあごひげがよくに合う研究所長は、険しい表情をしていた。あとは起動を押すだけで、たちまち、未来か過去にタイムスリップする。
彼は起動のスイッチを押す手が震えているのにきづいた。これは死ぬかもしれない実験なのだ。何割の確立で成功するのか、研究者の彼らは教えてくれなかった。研究所長のあの険しい表情からもわかるように、これはきっと危険な実験なのだろう。
「鬼が出るか、蛇がでるか」
そんな言葉を口にしたあと、ゆっくりと起動を押した。
密閉空間の外を映しだす大きなスクリーンがあった。ヴァルフンはスクリーンの映像を見て、黄色い火花のような光がハジけるのを、視認する。
「うぅ…」
ズゥ…バン‼ ドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドド‼
雷が落ちたような爆音が続いた。
「くぅ」
彼は必死で、手すりを掴み、身体が吹っ飛ばされないように足をふんばった。
シュゥーーー。
…どうやらおさまったようだ。ヴァルフンの五臓六腑は無事だ。皮膚にかすり傷をつくった程度ですんだ。
「はあ。 ふうー」
座席の背もたれに上半身をあずけ、ぐでーっと緊張をゆるめ、安堵感にひたった。
それから、何時間眠りについたことだろう。座った姿勢で熟睡しているのに気づいた彼は現在のおかれている状況を、すぐに把握できなかった。
「は! 眠っている場合じゃない!」
うたた寝から目覚めた彼は、素早い速度でタイムマシンから出ようと試みた。カチッと音がしたあと鉄製のシャッターが引き上がる。
「よし。…なんとか死なずにすんだようだ。早く出よう」
右足から外界へ踏み出した。パッとこぎみよい音がした。地面を踏む音だ。清々しい空気が彼の五感を癒し、絶望を希望に変えた。
彼は、無事に、タイムスリップしたのである。
「ここは…」
先ほどの研究室だった。
「だれか、いませんか?」
反応が無い。廊下にでてみる。人の気配は無く、閑散としていた。
パ、パ、パ、パ。
ヴァルフンの足音だけが施設に響きわたる。
壁づたいにそって歩き、曲がり角で立ち止まる。どうやら、人らしき声がするのを察知したようだ。彼は耳をそばだてた。
「この実験の被験者はかわいそうですね。こんなの虐殺と変わりませんよ」
「そんなことはないだろう。成功率は2%もあるんだ。素晴らしい希望じゃないか」
「な、なにを言っているんです⁉ たったの2%ですよ。98%は死んでしまうんですよ⁉」
「なにを興奮しているのだ。君らしくないな。『何かを得るためには、犠牲はつきもの』なんだよ。なにをするにも、メリットとデメリットがある。もし失敗したならば、今回はデメリットの中に彼の死が必要だったというだけなのさ」
「…もし、この会話をあの囚人が聞いていたら、と思うと怖いですね。そんなことはないはずですけど…」
「いったいなにを恐れているんだい? 彼は死刑執行をまぬがれない罪人なんだよ? しかも自ら選択した道なんだ。2%の確率だとは知らされていないらしいがね。ヴァルフンという死刑囚の結末を、かわいそうだなんていわなくていい。彼にはもしかしたら運があるかもしれないし、運が無いかもしれない。それだけのことだ」
「はあ…」
全身に緊張がはしった。
「実験日は明日だね。結果が楽しみだ」
明日…
彼は急ぎ足で来た道を戻る。見つかってはいけないと判断したのだろう。音をたてないで器用に歩いた。冷や汗が全身をつつみこみながらすんなりとタイムマシンのあった実験場まで戻った。
「ハア、ハア、あの会話が本当だとすると…過去にきちまったってことか」
明日…つまりここは過去なのだ。
ようするに、ヴァルフンはタイムマシンの被験者としてたった2%の希望をつかみとった。運が良かったということになる。
「あっさりと、来てしまったな…」
呆然としていた。あたりには人影はない。彼は自分が今からすべきことを模索した。しかし、答えはでない。
いずれ、このタイムマシンは見つかってはしまうだろう。そして彼は未来人として扱われるだろう。人々から注目をあびる、有名人になるだろう。
彼はそれを良しとしなかった。注目をあびるのが苦手なようだ。それ以外でも理由はあるだろうが。
「騒がれるのはめんどうだ。早いところ逃げないとな」
タイムマシンをその場に残し、施設の出入り口に近いロビーに向かって早足で歩きだした。ロビーは階段をおりてすぐのところにある。
階段の手すりを掴み、段差をおりようと右足を踏み出したとき、
「そこの君」
背後から声がかかった。
まずい、見つかった! と彼は思った。堰を切ったように、足を俊敏に動かす。全力疾走だ。
一階のフロアに到着した。目の前にロビーがあった。豪奢な見た目の茶色い椅子が複数、おかれていた。
先ほどの声の主はあとを追ってこなかったのだろう、と彼は思った。心拍数が速くなっていたのを鎮めるために、
「はぁ。ふう」
深呼吸した。
それが彼の油断だった。肩をポンと軽くたたかれたのだ。
「なっ⁉」
「やっと追いついた。私も体力には自信があったんだけどな。追いつくのに時間がかかってしまったよ」
勝手にしゃべりかけてくる人物に、彼はいぶかしむ。後ろをふりむくのと同時に、再びしゃべりかけてきた。
「私は君のことをすべて知っているんだ」
真正面に立ち、向かい合う。見たことのある顔だった。
「な、なにを、急に…」
「タイムマシンできた未来人だよね?」
会話がなりたっているのか、謎だった。意思の疎通ができていないと感じた彼は、コミニケーションの足りない会話を阻止しようと試みた。
「未来人て、だれのことを言っているのだ?」
「君のことに決まってる」
即答だった。
その言葉を聞き、思考がショートした。あまりにも早過ぎる。まさか、こんなに早く正体がバレてしまうとは…。彼は歯を噛みしめたあと、気になる質問をした。
「なんでそんなことがわかるんだ? 君はこの実験の関係者かなにかかね?」
相手の名前を聞き出せれば、僥倖だ、と彼は思った。僥倖だったかどうかは定かではないが、その返事は全くもって予想外な事実を彼に突きつけたのである。
「もったいぶる必要もないか。私は君と同じ遺伝子を持つヴァルフンなんだよ。同一人物でありながら、世界に二人存在する。フィクションでは馴染み深いが、こうして出会うと、気持ちが悪いな。なあ。君もそう思うだろ? ヴァルフンくん」
見たことがある顔だと思っていたら、自分自身のことだったなんて、洒落にならない。彼は、気分を害した。
自分自身を視認した。まさか、一日前の自分自身に会うとはついていない。なるだけ、出会わないようにしようと心掛けていたからだ。腑抜けた面をしている、自分を見つめるのはイタイタシイ。想像の自分と目の前の自分とのギャップが彼を苦しめる。見ていられない。見たくない。目をそらすように視線を背景にふらつかせながら、彼は本題にはいった。
「その通りだ。ここまで気持ちが悪いものなんだな。ビックリだよ」
数秒ほど、沈黙した。それからニヤリと含み笑いを浮かべた男は、
「ところで一つ質問があるんだけど」
ときりだす。未来人のヴァルフンは、「どうしたのだ?」と聞き手にまわった。
「未来からきたってことは、つまり実験が成功したってことだろ?」
「そのとおりだ」
「じゃあ、被験者の私は明日、無事に生き残れるということだよな⁉」
身を乗り出して、未来人に質疑する。
「たぶん、大丈夫だ。私が生きてこの世界にいるのが決定的な証拠。君は死にやしないよ」
「そっかぁ。それはよかった」と安堵の表情を浮かべている。気持ちは満たされたようだ。
用がすんだのか、過去のヴァルフンは未来のヴァルフンを置いて階段を上がっていった。
そのうしろ姿を感慨深く見つめる未来人がいた。
••••••
翌日になった。被験者のヴァルフンは平然としていた。自分は必ず成功すると確信しているからだ。
白いあご髭をはやす老人が監視役らしい。
「タイムマシンの技術はまだ完全とはいえないのだ。君が今からのるのは、劣化タイムマシンだと思ってくれ。だから、これが過去にいくか、未来にいくか起動してみないとわからない。それだけは頭にいれておいてくれよ」
「大丈夫ですよ。私はちゃんと過去に行くんですから」
研究所長の老人は、「過去? なぜそんな確信があるんだ?」と質問した。すると、ヴァルフンは広角を自然な仕草で引き上げながら、
「これは決定事項なんですよ。安心して下さい。実験は必ず成功します」
タイムマシンに乗り込み、研究所長は最後の一言を口にする。
「ヴァルフンくん。では、冥福を祈る」
密室の丸い室内。大きなスクリーンがある。席についた彼は余裕のあるスムーズな仕草で起動スイッチを押した。
稲妻がスクリーン画面に映し出された。
ズゥ…バン‼ ドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドド‼
轟音とともに、タイムマシンが爆発した。
それは唐突な悲劇だった。
••••••
あご髭の男はそのありさまを視認していた。焼け焦げた遺体が室内に転がりおちていた。
「惨いのう。さすがに2%の確率をクリアするのは難しかったということじゃな。今回の実験の問題点を集計し、次回のタイムマシン実験に活かすとしよう」
研究者の眼光はまっすぐ未来をみすえていた。
これでこの世界のヴァルフンが一人になった。
2%の奇跡を起こしたヴァルフンは自分の過去の経験とは異なる因果律の噛み合わない世界にタイムスリップしていたということを知らない。
憶測が無駄なら、彼の死は、貴重なサンプルだ。
これこそがタイムマシンの刑。