無意味なままでは終われない
いらっしゃい。おや、いきなり“それ”を立ち上げるなんて、あんたも通だねぇ。お客さん、よく作業してるね? それも文字を打つことを生業としている。
なんでわかったかって? そりゃあんた、いきなりWordなんて起動したじゃないか。少なくとも文字を打つことを主としてパソコンを使ってなきゃ、そんなこと確かめないだろう? だいたい、ここにいる私らを見ていく人は、ゲームなりネットなりを開いて遊んでいくのが大半さ。ここをゲームコーナーか何かと勘違いしてるんじゃないのかい。そりゃあ、隣にゲーム機は置いてあるけどね。
で、結局のところあんたは何者だい? ……へえ、小説を書いているのかい。その様子じゃ、デジタル派だね。いやいや、便利なご時世だよねぇ。パソコンである私が言うのもなんだけどさ、こうしてデジタルで作成した原稿を、ネット上に投稿するなりメールで先方に送ったりできるんだもの。ちょちょいっとやれば全世界の人が作品を読めるようになるものねえ。あんた、いい時代に生まれたんじゃない?
ああ、うるさかったかい。悪いね、タイピング慣れした人に出会えてちょっと嬉しかったのさ。ほら、最近の若い子はあれ……ええっと、なんだったかね。平たくて四角くて、キーがほとんどなくて、ほとんどが液晶で、その画面をトントンと叩いてるの。そうそう、スマートフォンとかいうやつ。あれ持ってる子が多いじゃない。画面を覗いたことないんだけど、文字を打つスタイルが違うって聞いたのよ。まあ、それを言ったら、携帯電話ってことでフィーチャーフォン、いわゆるガラケーってのも違うわけだけどね。でもスマフォはほとんどパソコンみたいなことができるし、持ち運べて便利だから、あっちの方を使うって人がけっこういるらしいのよ。
長々と喋っちゃったけど、要するに、タイピングの苦手な人が増えちゃったみたいなのよねえ。片手の人差し指一本で、うろうろキーを探しながら一文字一文字打ち込まれると、待ってるこっちはイライラするじゃないか。あれ、ほんと修行してから出直してくれないかねえ?
それから時々、文字打つのは遅いくせに、矢印キーだかZキーだかをとんでもない早さで操作できる人がいたりするんだよ。あとマウスもだね。まったく、私の処理速度の限界を超えようとしてくるんだもの。たまったもんじゃないよ。え、どんな奴って……そりゃあ、そういう類はだいたいネットゲームやってるね。それも格闘ゲームのようなスピードの必要なゲームだわね。わかってくれるかい? ああいうのは、こっちが追いつけないとダメだと当たってどこか行っちゃうね。まったく、あんなになるまでやって何が楽しいのか理解できないよ、私は。
おや、疑問のありそうな顔だね。え、何でタイピング慣れした人に会えると嬉しいのかって? そりゃああんた、自分を使いこなしてくれる人間がいたら嬉しいに決まってるじゃないか。私らは使われるために生まれてきたんだもの。
せっかくこれだけたくさんのキーがあるんだからね、きっかり全部使ってもらいたいのさ。ほら、あんた達人間も才能を尽くすことを美徳とするらしいじゃないか。あれと一緒さ。生まれ持った能力を余すことなく発揮したい、そう思うわけだよ。
ところであんた、小説を書いていると言ったね。しかもパソコンで、だろう? ということは、文字を打つことは慣れている訳だ。そこで聞きたいのだけれど……この「カナロック」って使うかい? ほら、キー上のかなを入力するモードだよ。やっぱり使わないよねえ? ローマ字がわかれば、わざわざ使う意義がないものね。そうそう、だいたい「探すのが大変」って言われるんだよ。アルファベットも似たようなもんだけどね。やっぱり、もう体に染みついてるからローマ字の方が楽だと思ってしまうわけだ。かなの並びを覚えたら、一回で目的の文字が打てるのに……あまり、それで教わったという人はいないよね。
まったく、無駄な機能じゃないかって思ったりするじゃない。私たち道具にとって、「無駄な機能」と思われるのは屈辱なのさ。これ、何に使うのか……え、ローマ字のわからない子供のため? しかしねえ、あんた。そんな子供に触らせる機会ってどれくらいあるのかね。それと、子供に触らせる機会が多かったとして、なんでかなで打つように教わらないんだい? まったく、かな推奨してくれたらこのモードも役に立つのにさあ……。
それにさ、子供じゃないけど、慣れてない人がやるとひらがなから探して間違えるってこともあるじゃない。最初からカナロックになってることってほとんどないからね。しかも慣れてない人はカナロックの使い方すらわからないはずだもの。ここまで使わないならさ、いっそ消してくれた方が潔いってもんだよ。
カナロックじゃなくて、ローマ字入力の場合だけれど、だいたい母音ばかり使われることになるんだよねえ。もちろん、英語だって母音が入るのは同じさ。けど、日本語の仮名を打とうとすると、一文字につきほぼ必ず母音を入れなきゃならないだろう? 最初からかな入力ならすでに完成しているから、わざわざ母音ばかり打つことなんてなくなるのになあ……。
子音もまんべんなく使うかと言えば、違うじゃない。たぶん、日本語の構造に問題があるような気がするね。たとえば「する」とか「~だ」もしくは「た」で終わることが多かったり、そもそも助詞が入るせいで「h」とか「n」とか多くなるわけさ。まあ、それはかな入力でも偏りがあるだろうけれど、ローマ字入力だと「す」も「し」も同じ「s」が入って、動詞なんかの活用形も同じにカウントできちゃうからねえ。
ああ、愚痴ばかりになって悪いね。……え、カナロックが役に立つ方法が思いついた? ふむ、なるほど、暗号にしてしまうのか。例えば「H」は「く」で「A」は「ち」ということだね。どう使っても、そのままでは意味がわからない。まさに暗号だ。さすが、小説家らしい答えじゃないか。あんたなら、私らを使いこなしてくれるね。私はできれば、あんたみたいな人に一生使われたいものさ。
いやいや、せがんでる訳ではないよ。道具は自ら主を選ぶものじゃないからね。『おこがましい』だろう?
おっと、話してるうちに時間が経ってしまった。それじゃ、また会えるのを待つことにするよ。
というわけで、「共用のパソコン」でした。
フォロワーさんに煽られまくった結果、ふと手元にパソコンがあることに気付いてかっとなった。後悔はしていない。