衡理
僕たちは悠久の時間を生きている。
他世界の何十世代の人間の営みを、僕たちは一足飛びに通り過ぎていった。
生まれたのがどれほど前かも分からない。
それほどに昔から、僕たちは生きている。
衡理は非常に狭い世界だ。
数日もあれば世界を回れる。
実際に回ってみたから、確かな情報だ。
遥か昔の話ではあるが、今でもその時の記憶は鮮明に残っている。
簡単には拭えない、絶望の記憶だ。
数日かけて世界を回って、世界には『何も無かった』。
本当に、何も。
樹木が生える森や簡単な草原はあった。
拠点裏手には広めの水辺もあり、川が繋がっていたりもした。
だが、それだけだった。
ただそこに、場所があるだけだった。
そして、もう一つの事実が僕の絶望を更に加速させた。
『世界に端がなかった』のだ。
拠点からまっすぐ歩いていたら、いつの間にか拠点に戻っていた。
おかしいだろう。
なんで前に拠点が見えて、後ろを振り返ったらそこに同じ拠点があるんだ。
なんで水辺から続く川を下って行ったら、同じ水辺の上流へとたどり着くんだ。
あれ程の絶望は、今後一生ないと断言できる。
僕たちの住む場所は、立派な拠点があるだけの場所だった。
拠点は多分、生まれる前からそこにあった。
僕たちは人が一人入れるくらいのカプセルから生まれた。
みんな生まれた時から今と同じ大きさだ。
現在は他世界を観測しているため分かるが、僕たちは食事や、それに伴う排泄をしない。
他にも、いわゆる『生活衝動』とも呼べる行動を、僕たちは何も持っていなかった。
僕たちは少しの間外で生活し、その後はする事が無くなってカプセルの中で寝続けた。
おそらく何年も、何十年も。
どのくらい経っただろうか。
ついに寝るのにも飽き、僕はカプセルの外に出た。
とりあえず、やることを探さないといけない。
僕はうんざりしながら拠点を軽く見回り___それを、見つけた。
散々調べ尽くした拠点に、見たことのない扉があった。
その扉は半分開いており、扉の隙間から何やら画面が見えた。
僕は恐る恐る中を見て、思わず目を見開いた。
映し出されていたのは、間違いなくここと違う世界だった。
何やら暗い場所で、獰猛な動物と武器を持った人間が戦っている。
後になって、その世界が『耀遺』と呼ばれる世界だと知ったが、当時の僕にはそんなことはどうでもよかった。
僕は部屋を飛び出して、カプセル室へ駆け込んだ。
みんなに地獄の終わりを告げたくて、ひたすらに部屋まで走った。
でも、カプセルには誰も眠っていなかった。
外で何やら声がした。
賑やかで楽しそうな声。
僕はその声に引かれ、外に向かった。
建物を出て__
外の様子に、僕は数分は固まっていただろう。
世界に、『色』が付いていた。
中央の拠点以外にも建物が増え、何やら知らないひらひらした生き物が辺りを舞っている。
僕が出てきた拠点も、二回り程大きくなっていた。
「ネリス!」
向こうのほうからアルヴェラがやってきた。
「………あ…」
身体に異常があったわけではない。
ただ、眠っていた時間が僕の身体の『言葉』を錆びつかせていた。
「ネリス!…どうしたの?」
「こと、ば…
…言葉…、アル、ヴェラ…アルヴェラ」
笑ってしまう。
会話が出来る頃は『自分がどうやって会話しているか』なんて考えない。
いざ会話ができなくなって、『当たり前にしている事の理由』を考える大切さを知った。
アルヴェラは僕より少し前に目覚めて、世界の変化に気付いたと言った。
「建物が増えて、知らない人が『お店』ってのをやってたの。
『パン』?って言う物があって、とってもいい匂いなのよ。
口の中に入れても大丈夫で『美味しい』って言うから、食べようとしたら『お金を払ってください』って言われたの」
未知とはこれ程に言葉を引き出すのか。
恐ろしい程饒舌なアルヴェラは更に言葉を続けた。
「それでね、渡せる物は何もないからって諦めようとしたら、
ポケットの中に『お金』っていうものが入ってたの。
なんで?とか、どうして?とか、思ったけど、そのお金を渡したらちゃんと『パン』をくれて、それがすごく美味しかった!」
状況は依然よく飲み込めなかった。
でも、久しぶりにアルヴェラが笑っていた。本当に、本当に嬉しそうに。
僕は頭の中の言葉の錆を必死に落としながら、
「よかった、うん、よかったね、アルヴェラ」
ただそれだけ言ったことを、覚えている。
---
本当に無知とは恐ろしいと思う。
あの時は考えもしなかったのだが、今の僕ならはっきりと分かる。
いや、他世界の観測に教えられたと言うべきか。
衡理は『誰か』に観測されている。
『誰か』によって、衡理は定期的にアップデートを受けている。
それもいいだろう。
僕たちは『誰か』のおかげで、衡理の外に世界がある事を知った。
今はそれだけで十分だ。
当時の僕は世界の狭さに絶望していた。
その絶望を『調整』してくれたのは、間違いなく『誰か』だろう。
だが、いいことだけでもない。
他世界の存在を知り、
『誰か』の存在を知り、
今の僕は、世界の『深さ』に辟易している。




