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叢書『斯界等距離観測』  作者: Nerith
8/8

衡理

僕たちは悠久の時間を生きている。


他世界の何十世代の人間の営みを、僕たちは一足飛びに通り過ぎていった。


生まれたのがどれほど前かも分からない。

それほどに昔から、僕たちは生きている。




衡理(こうり)は非常に狭い世界だ。

数日もあれば世界を回れる。


実際に回ってみたから、確かな情報だ。

遥か昔の話ではあるが、今でもその時の記憶は鮮明に残っている。

簡単には拭えない、絶望の記憶だ。





数日かけて世界を回って、世界には『何も無かった』。

本当に、何も。


樹木が生える森や簡単な草原はあった。

拠点裏手には広めの水辺もあり、川が繋がっていたりもした。


だが、それだけだった。



ただそこに、場所があるだけだった。





そして、もう一つの事実が僕の絶望を更に加速させた。


『世界に端がなかった』のだ。

拠点からまっすぐ歩いていたら、いつの間にか拠点に戻っていた。



おかしいだろう。

なんで前に拠点が見えて、後ろを振り返ったらそこに同じ拠点があるんだ。

なんで水辺から続く川を下って行ったら、同じ水辺の上流へとたどり着くんだ。



あれ程の絶望は、今後一生ないと断言できる。





僕たちの住む場所は、立派な拠点があるだけの場所だった。

拠点は多分、生まれる前からそこにあった。


僕たちは人が一人入れるくらいのカプセルから生まれた。

みんな生まれた時から今と同じ大きさだ。


現在は他世界を観測しているため分かるが、僕たちは食事や、それに伴う排泄をしない。

他にも、いわゆる『生活衝動』とも呼べる行動を、僕たちは何も持っていなかった。



僕たちは少しの間外で生活し、その後はする事が無くなってカプセルの中で寝続けた。

おそらく何年も、何十年も。





どのくらい経っただろうか。

ついに寝るのにも飽き、僕はカプセルの外に出た。


とりあえず、やることを探さないといけない。

僕はうんざりしながら拠点を軽く見回り___それを、見つけた。




散々調べ尽くした拠点に、見たことのない扉があった。

その扉は半分開いており、扉の隙間から何やら画面が見えた。


僕は恐る恐る中を見て、思わず目を見開いた。




映し出されていたのは、間違いなくここと違う世界だった。

何やら暗い場所で、獰猛な動物と武器を持った人間が戦っている。


後になって、その世界が『耀遺』と呼ばれる世界だと知ったが、当時の僕にはそんなことはどうでもよかった。



僕は部屋を飛び出して、カプセル室へ駆け込んだ。

みんなに地獄の終わりを告げたくて、ひたすらに部屋まで走った。



でも、カプセルには誰も眠っていなかった。



外で何やら声がした。

賑やかで楽しそうな声。


僕はその声に引かれ、外に向かった。


建物を出て__



外の様子に、僕は数分は固まっていただろう。





世界に、『色』が付いていた。


中央の拠点以外にも建物が増え、何やら知らないひらひらした生き物が辺りを舞っている。

僕が出てきた拠点も、二回り程大きくなっていた。



「ネリス!」

向こうのほうからアルヴェラがやってきた。


「………あ…」

身体に異常があったわけではない。

ただ、眠っていた時間が僕の身体の『言葉』を錆びつかせていた。



「ネリス!…どうしたの?」


「こと、ば…

…言葉…、アル、ヴェラ…アルヴェラ」



笑ってしまう。

会話が出来る頃は『自分がどうやって会話しているか』なんて考えない。


いざ会話ができなくなって、『当たり前にしている事の理由』を考える大切さを知った。




アルヴェラは僕より少し前に目覚めて、世界の変化に気付いたと言った。


「建物が増えて、知らない人が『お店』ってのをやってたの。

『パン』?って言う物があって、とってもいい匂いなのよ。

口の中に入れても大丈夫で『美味しい』って言うから、食べようとしたら『お金を払ってください』って言われたの」


未知とはこれ程に言葉を引き出すのか。

恐ろしい程饒舌なアルヴェラは更に言葉を続けた。


「それでね、渡せる物は何もないからって諦めようとしたら、





ポケットの中に『お金』っていうものが入ってたの。

なんで?とか、どうして?とか、思ったけど、そのお金を渡したらちゃんと『パン』をくれて、それがすごく美味しかった!」


状況は依然よく飲み込めなかった。


でも、久しぶりにアルヴェラが笑っていた。本当に、本当に嬉しそうに。



僕は頭の中の言葉のさびを必死に落としながら、

「よかった、うん、よかったね、アルヴェラ」




ただそれだけ言ったことを、覚えている。



---



本当に無知とは恐ろしいと思う。


あの時は考えもしなかったのだが、今の僕ならはっきりと分かる。


いや、他世界の観測に教えられたと言うべきか。






衡理は『誰か』に観測されている。


『誰か』によって、衡理は定期的にアップデートを受けている。


それもいいだろう。


僕たちは『誰か』のおかげで、衡理の外に世界がある事を知った。


今はそれだけで十分だ。




当時の僕は世界の狭さに絶望していた。

その絶望を『調整』してくれたのは、間違いなく『誰か』だろう。


だが、いいことだけでもない。


他世界の存在を知り、

『誰か』の存在を知り、


今の僕は、世界の『深さ』に辟易している。

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