3
「食べたか?」
男が、火から目を離さずに言った。顔は伸びた髭に覆われていて、年齢はまったく分からない。ただ、炎に照らされるその影から、背が高いことだけは伝わってきた。
ユナは小さく頷いた。
「俺はガルドだ。今は……無職だな」
ぶっきらぼうな口調だったが、声に棘はなかった。
「……ユナ」
ユナは、それだけを口にした。
「さて、迷子か?」
男の問いに、ユナは首を振る。
「なら、家出か?」
もう一度、首を振った。
男は困ったように頭をかいた。
「坊主は、どうしたい?」
その言葉に、ユナは初めて自分自身へと視線を落とした。泥と埃にまみれた服。傷だらけの手。ぼろぼろで、絡まった髪。自分が、どんな姿をしているのかを、ようやく理解する。
喉が詰まり、声が震えた。
「……生きたい」
それでもユナは、かろうじて言葉を絞り出した。炎がはぜる音が、小屋の中に静かに響いた。
「悪いが、俺には何もない。金も、仕事もな。――ただ、近くの村になら連れて行ってやる」
ガルドは、そう言ってユナを見た。
「それで、いい」
ユナは短く答えた。
それ以上、言葉は必要なかった。会話は、そこで終わった。
翌朝。ガルドは簡単な荷物をまとめ、戸口に立って言った。
「行くぞ。歩けるか?」
ユナは、迷いなく頷いた。こうして二人は、小屋を後にし、森の中を歩き始めた。
道なき道を進み、時折休みながら、ほぼ一日を費やして歩き続ける。やがて、木々の向こうに人の気配が増え、村が姿を現した。
「久しぶりだな」
ガルドが声をかけると、村人の一人が顔を上げた。
「おお、ガルドか。戻ってきたのか」
「食料を調達したい。店はやってるか?」
「ああ。待ってるよ」
短い言葉を交わし、二人は村の中へと入っていく。ユナは、周囲をきょろきょろと見回していた。
初めて目にする村。行き交う人々。立ち並ぶ家々。そして――村の真ん中。……社が、ない?ユナは足を止め、もう一度あたりを見渡した。
村の中心にあるはずの、神を祀る場所が、どこにも見当たらない。胸の奥が、ざわりとした。この村の――神様は?
ユナは、懐にしまった神様の像を、服の上からそっと握りしめた。それだけが、今の自分をつなぎ止めてくれる気がした。
ガルドは村でいくつか買い物を済ませると、振り返ってユナに言った。
「あそこに水場がある。顔と身体を洗って、着替えろ」
そう言って、ユナに服と靴を差し出す。まだ新しいそれを受け取り、ユナは小さく頷いた。
水場へ行き、まず顔を洗う。冷たい水が肌に触れ、少しだけ頭がはっきりした。続いて、服を着たまま身体を洗う。
……どうやって、着替えよう?
ユナは周囲を見回した。人の行き交う水場の近くに、隠れられそうな場所は――
……あの、物陰しか、ない?
きょろきょろしているユナの様子に気づいた村人が、声をかけてきた。
「着替えたいのか?あの家畜小屋、使っていいぞ」
ユナは、ほっとして頷いた。
「……ありがとう」
小さく礼を言い、示された家畜小屋をありがたく使わせてもらう。粗末ではあったが、誰にも見られずに着替えられる場所だった。
ユナは、できるだけ顔を髪で隠して戻った。
水場を離れ、ガルドのもとへ向かうと、彼は村人と話をしていた。
「隣の村が、魔物に襲われたそうだ」
「そうなのか?」
「ああ。聖騎士団が言っていた。村人が全滅していたから、村ごと焼いた、と」
「……ここも、心配だな」
その言葉を聞いて、ユナの胸が締めつけられた。
……それは、違う。叫びたかった。でも、声にはならなかった。
「終わったか」
ガルドがユナに気づき、声をかける。ユナは、小さく頷いた。
「じゃあ、俺はここまでだ。ユナ、さよならだ」
その言葉に、ユナは思わずガルドの服を掴んだ。
「待って」
自分でも、なぜそんなことをしたのか分からなかった。ただ、胸の奥に、言葉にできない感覚があった。
……なに、この感じ?
ユナは、ふと気づいた。
ガルドが腰につけているもの――それは、自分と同じ、神様の像ではないだろうか。
ユナが見上げると、ガルドは目を見開いて、ユナを見つめ返していた。
「おまえ……」
「どうしたんだ?」
村人が、不思議そうに声をかける。
ガルドは、しばらく黙り込み、それから言った。
「悪いが、坊主をここに置いていくのは無しになった。……昔の約束を、思い出した」
「そうなのか?まあ、どちらでもいいが」
村人はそう言って、肩をすくめた。
ユナは、まだ掴んだままのガルドの服を、そっと離した。




