18
そこには、すでに人がいた。
薄暗い牢の奥、壁にもたれて座る男。片腕しかない。
ユナは、思わず目を見開いた。初老に近いその男は、ユナの手の中にある櫛を見つめていた。微かな明かりが、木彫りの櫛の輪郭を浮かび上がらせる。
二人は、言葉を交わさなかった。牢の外には見張りがいる。声を出すことはできない。
ユナは、痛む身体を引き摺るようにして、男のそばまで近づいた。
床を擦る音を、必死に殺しながら。男は、ゆっくりと視線を上げた。そして、震える手を伸ばす。
ユナは黙って、櫛を差し出した。男はそれを受け取ると、しばらく、じっと見つめ続けた。
指先が、かすかに震えている。
その表情だけで、言葉はいらなかった。
ユナは床に転がった。
蹴られた場所が、ずきりと痛む。
息を吸おうとすると、胸の奥まで響いた。
ユナは身体を小さく丸めた。腕で腹を抱え、膝を胸に引き寄せる。冷たい石の床が、身体に伝わる。
しばらくの間、ユナは動けなかった。
痛みと緊張で、身体が言うことをきかなかったのだ。やがて、ふと気づく。
腹の下に抱え込んでいた、あの布包みの存在に。
――像。ユナは周囲を窺った。
見張りは牢の外、背を向けたまま動かない。
片腕の男も、息を潜めてこちらを見ている。
ユナはそっと、布をほどいた。
……その瞬間、息が止まった。
像は、折れていた。二つともだ。
本来あるべき形を失い、無残に割れている。
ユナの顔から血の気が引いた。胸の奥が、きゅっと縮む。それを見た片腕の男も、目を見開いた。
声は出さない。ただ、信じられないものを見るように、像を凝視している。
見張りは、まだ気づいていない。ユナは、震える指で、恐る恐る像に触れた。
その瞬間だった。
――熱い。熱が、外からではなく、像に触れた指から。血の流れに沿って、何かが一気に流れ込む感覚。
息が詰まり、視界が揺れる。
像は一瞬にして、さらさらと灰になり、溶けるように崩れた。そして、まるで最初から存在しなかったかのように、空中へ消えていった。
ユナの手の中には、何も残らなかった。
ただ、身体の奥に残る、熱だけが――確かに、何かが起きたことを告げていた。
ユナは、突然、頭を押し潰されるような痛みに襲われた。割れる――そう思った瞬間、視界が白く弾ける。
「……っ」
声にならない息が漏れ、ユナは思わず頭を抱え、その場に踞った。脈打つような痛みが、こめかみから頭の奥へと何度も叩きつけてくる。
しばらくの間、ユナはただ耐えるしかなかった。時間の感覚は曖昧で、牢の冷たい床の感触だけが、やけに鮮明だった。
やがて、片腕の男が動いた。様子がおかしいと感じたのだろう。鎖の音を立てぬよう、慎重に近づき、無言のままユナを覗き込む。
そのとき――ユナが、ゆっくりと顔を上げた。
青い瞳が、暗がりの中で燃えるように輝いていた。
揺らぎも、怯えもない。ただ、内側から灯った炎のような光。
片腕の男は、思わず息を飲んだ。




