17
ユナは壁に手を添えたまま、ゆっくりと歩いた。石の壁は冷たく、湿り気を帯びている。指先で確かめながら進まなければ、足を踏み外しそうだった。
暗い。灯りはなく、ただ闇が続いている。
ユナは靴底を浮かせるようにして、足音を殺した。呼吸さえも、意識しなければ大きく響いてしまいそうだ。
――その時。
前方に、かすかな明かりが見えた。揺れる、橙色の光。松明だ。
ユナは立ち止まり、柱の影に身を寄せた。
目が暗闇に慣れてくると、光の正体がはっきりしてくる。
…牢だ。石の壁に埋め込まれた鉄格子。
その前に、武装した見張りが一人、槍を立てて立っている。兜の下から覗く顔は無表情で、松明の光に照らされ、影が濃く落ちていた。
さらに、牢の奥。鉄格子の向こうに、人影があった。座り込んでいるのか、横たわっているのかはわからない。ただ、確かに誰かがいる気配がした。
ユナの胸が、強く脈打った。見られてはいけない。
ユナは息を止め、音を立てぬよう、一歩後ろへ下がる。そして、壁の窪みへと体を滑り込ませ、闇に身を溶かした。
影の中で、ユナはじっと動かず、様子をうかがった。
ユナは、じっと待っていた。
息を殺し、身を縮め、見張りの動きを窺う。
けれど――見張りの兵士は、まったく動く気配を見せなかった。
……無理だ。ユナはそう判断し、静かに引き返そうとした。
一歩、足を動かした、その瞬間だった。闇の中から、突然、腕を掴まれた。
「……何で、こんな所にいるんだ?」
低い声。別の兵士だった。
強く掴まれた腕は、びくともしない。ユナは身動きが取れず、喉がひゅつと鳴った。
「おい、どうした!」
牢の前にいた見張りが声を上げる。
「ネズミだ」
短く吐き捨てるように言って、兵士はユナの腕を引いた。引き摺られるようにして、明かりの下へ連れ出される。
「どうして、ここにいるんだ」
兵士の低い声が、地下に重く響いた。
ユナは必死に言葉を探し、震える声で答えた。
「……ごめんなさい。大切な櫛を、落として……。探していたら、何か……落ちて……」
たどたどしく、途切れ途切れに。
「どうだか」
兵士は冷たく言った。
「どうする?」
「とりあえず、牢に入れるか。持ち物は全部取り上げろ」
ユナは、必死に首を振った。
「待って。櫛だけは、返して……。他は、いいから」
声が掠れるほど、必死だった。
「ふん」
兵士は鼻を鳴らし、ユナの鞄を乱暴に奪った。中身をひっくり返す。
「ろくなもん、無いな。ガキ」
そして、ひとつを摘み上げる。
「櫛ってのは、これか?」
ユナは、その手元を見て、強く頷いた。
――あの、木彫りの櫛。
兵士は、興味なさそうにそれを放り投げた。
ユナは慌てて屈み櫛を拾い上げた。その時、
足元に転がってきた布包みが、視界の端に入った。
反射的に、ユナはそれを掴んだ。中身を確かめる余裕はない。ただ、布越しに伝わる硬さと重み――像だ、と直感した。ユナは身体を丸めたまま、そっとそれを腹の下へ滑り込ませた。
その瞬間。鈍い衝撃が、体を打った。
兵士の蹴りだった。
「っ……!」
ユナの体は壁に叩きつけられ、息が詰まる。
「手間、かけさせやがって」
兵士はそう吐き捨て、ユナを掴み上げると、そのまま牢の中へ投げ捨てた。
鉄格子が、がしゃりと音を立てる。
鍵が回され、重い音が響く。
そして、見張りの兵士は交代し、何事もなかったかのように、その場を離れていった。
闇と鉄の中に、ユナだけが残された。




