16
ユナは礼拝堂の奥で、壁際に並ぶ彫像をぼんやりと眺めつつ、ゆっくりと歩いていた。待つように言われ、することがなかったからだ。
足元に、落ちていた小さな木片を踏んだ。バランスを崩し、ユナは思わず一歩足を踏み出す。
――ごとり。
わずかだが、確かに音がした。石の床が、沈んだ音だった。ユナは足を止め、ゆっくりと足元を見た。
床はすべて同じ色、同じ形の石で敷き詰められている。だが、彫像の影になっている一枚だけ、ほんの少し色が違って見えた。よく見ると、その石の縁だけが丸く削れている。
……踏まれている。
人が、何度もそこに立っている証拠だった。
足を離したあと、石は元に戻っていた。
ユナはもう一度、そっと体重をかけた。
また、同じ音がする。今度は、床の奥から響くような低い音――重いものが動く気配。
さらに気づいた。
香の匂いに混じって、湿った土の匂いが漂ってくる。礼拝堂には似合わない、地下の匂いだった。
視線を上げると、彫像の背後の壁に古い紋章が刻まれている。祈りの模様に見えるが、よく見ると、床の石と一直線になるよう配置されている。
――下。
そう示しているように、ユナには思えた。
床石はぴったりとはまり、継ぎ目もわからない。だが、一定の位置に一定時間体重がかかると、わずかに沈み、石に隙間が生まれる。
――地下室?
ユナは静かに周囲を見回した。
礼拝堂には、祈る人、司祭、聖騎士団の見習いたちがいる。誰もユナを気にしてはいないが、完全に一人になる瞬間はない。
胸が、ざわついた。
理由ははっきりしない。ただ、ここは“見てはいけない場所”だと、本能が告げていた。
ユナは壁にもたれ、目を伏せたまま、人の流れを見た。
司祭が奥へ下がる瞬間。祈り終えた人々が外へ出ていく時間。見回りの聖騎士が持ち場を変える、その隙。
――誰もいなくなったら。その時、確かめる。
しかし、時は、なかなか来そうになかった。仕方なくユナは祭壇の方に向かい、両手を胸の前で組んだ。
目を閉じ、敬虔に祈るふりをする。呼吸を整え、心拍を抑え、ただの信徒の一人になりきった。
時間が、ゆっくりと流れていく。一時間。二時間。足が痺れ、肩が重くなる。
何度か司祭が通り過ぎ、聖騎士の見回りもあった。そのたびに、ユナは祈りの言葉を口の中でなぞり、動かなかった。
やがて、礼拝堂の空気が変わった。人の気配が、薄くなる。最後の信徒が扉を抜ける音。重い扉が閉まる低い響き。遠くで足音が反響し、それも消えた。
……今だ。
ユナはゆっくりと目を開けた。周囲を見渡す。誰もいない。柱の影、祭壇の奥、入口――念入りに確認する。
静かだ。ユナは音を立てないよう、彫像の影へと近づいた。例の位置に立ち、ぐっと体重をかける。
――ごとり。
床が、わずかに沈んだ。
ユナは膝をつき、指先で床石の縁を探る。
……?ここ、動く?そこに力を込めた。
抑えきれない、かすかな軋み音。ユナは動きを止め、耳を澄ませた。
周りからは、何も聞こえない。再び力を込める。
一枚に見えた床石は観音扉のように左右へ割れ、闇が姿を現した。下から、湿った空気が立ち上る。土と鉄の匂いが、はっきりと鼻を突いた。
……開いた。
ユナは唾を飲み込み、闇を見下ろす。下へ続く、狭い階段。灯りはない。
一瞬だけ迷い、それから決意する。ユナは縁に腰を下ろし、壁に手を添えながら、そっと体を滑り込ませた。
闇が、ユナを包み込む。
床石が、静かに閉じた。




