第51話 最期に思い浮かぶのは
ハワードは、大木の上に身を隠していた。
奈落に落ちてから、どれくらい時間が経ったのだろうか。
当初は、湧き出るように現れるゴブリンたちをただひたすら剣でさばいていたが、キリがない。
長期戦を見据え、体力と魔力を温存する作戦に切り替える。
魔物から逃走中に目に入った大木へ避難し、気配を消した。
奈落の底には、地上と変わらない風景が広がっていた。
森があり、川が流れている。
円周が広いため、深さがあっても日差しが十分底まで差し込む。
ただ一つ違うのは、周囲を高い壁で囲まれていることだけだった。
救助隊は来ないと、最初から諦めている。
ハワードは空を見上げた。
日が傾いてきたのか、だんだんと暗くなってきた。
生い茂った枝の隙間から、小さな飛行物体が大きな群れとなり飛び回っている姿が見える。
アレのせいで、ハワードは風魔法で地上へ上がることができない。
今は、日が沈むのを待つしかない。
魔力消費を抑えるために、髪色の変更もすでに解除している。
奴らに見つからないよう暗闇に乗じて一気に駆け上がり、地上まで脱出する計画だ。
手持ちの通常ポーションは、奈落の底に着いたときに飲んだため残り二本。魔力回復ポーションは三本。
地上に上がる前に、魔力と体力が尽きないよう調整をしなければならない。
レースリボンが取れ、垂れ下がってくる長い髪を、大木に絡みついた蔓を切り取り縛り直す。
アイテムボックスの中に濃紺のレースリボンはあるが、大事に取っておきたかった。
穴だらけだった服も着替える。
(絶対に、地上へ戻る)
ハワードは己を奮い立たせた。
◇◇◇
今朝、ハワードとルオンは奈落の森に着いた。
Cランク冒険者として、冒険者ギルドの臨時受付で手続きをする。
ギルドの男性職員からは、こんな注意を受けた。
「奈落へは近づき過ぎないようにしてください。とても深くて底は魔物の巣窟ですから、落ちたら助かりません」
「魔物が奈落から上ってくる場所は、決まっているのか?」
「はい。魔物が奈落から出られないよう周囲には強力な結界魔法がかけられているのですが、百年前のもので……近年一部に綻びが生じておりまして、そこから───」
奈落の底で湧いた魔物が崖の道を上がり、結界が途切れた箇所から地上へ上がってくるのだという。
依頼を受けた冒険者たちは結界の綻びがある場所に待機し、地上に上がってくる魔物を討伐する。
通常の魔物は夜間に活動を活発化させるが、奈落の魔物は日が落ちると活動を停止するらしい。
これは、夜は足下が見えにくく崖の道が危険だからではないかと考えられているようだった。
◇
最初は、他の冒険者たちと適宜交代をしながら順調に魔物を狩っていた。
様子がおかしいことに気づいたのは、しばらくしてから。
「ハイドさん、さっきよりもゴブリンが減った代わりに、オークが増えていませんか?」
周囲には他の者もいるため、ルオンは『副隊長』とは呼びかけない。
「ああ、そうだな」
嫌な兆候だと、ハワードは奈落を睨む。
「レイに、中の偵察をさせろ」
「わかりました」
ルオンがレイと視覚を共有するときは、無防備な状態となる。
二人は休憩を取るふりをして戦線を一時離脱し、木の陰へ移動した。
「どうだ、何か見えたか?」
「これは……オークキングやジェネラルなどが、続々と上ってきています!」
「やはり、そうか」
過去にサイエル王国でスタンピードが発生したときと、状況が似ている。
最初は下位の魔物だったのがだんだん上位種が増えていき、最後に最上級の大物が登場する。
すぐに冒険者ギルドの受付に知らせた。
急遽、帝国軍の兵士も合流し、奈落の周囲は総力戦の様相を見せ始める。
ハワードは場所を移動し、遠距離攻撃で崖を歩く魔物を転げ落とす作戦に切り替える。
一体を落とせば、後ろに続いているものも何体かは巻き込める。
要は魔物を地上へ上がらせなければ良いのだ。
今は、自身の手の内を隠している場合ではない。
有効な攻撃手段は何でもやる。
ルオンは火魔法を遠慮なく奈落へ叩き込んでおり、レイは空から急降下しながら魔物を鋭い嘴で突き奈落へ落としていた。
「た、助けてくれ!!」
一人の冒険者がオークに足を掴まれ、奈落へ引きずり込まれそうになっている。
魔物と戦っているうちに、奈落へ近づきすぎたようだ。
ハワードは瞬時に反応し救出に向かう。
オークの腕を切り落とし、すぐに奈落から離れた。
「すまん、助かった……」
「あれはオークジェネラルだ。数人で対処しなければ、討伐は難しいだろうな」
「とにかく、魔物の数が多すぎる! 増援は、まだなのか!!」
冒険者は憤るが、これ以上の増援は期待できないとハワードは思う。
士気が下がるため、ここでは口にしないが。
ハワードが苦い笑みを浮かべたその時、レイの鳴き声が耳に届く。
視線を向けると、ルオンが二体のオークジェネラルに際まで追い詰められていた。
「ルオン!」
レイが主を助けようと一体の頭を必死に攻撃しているが、体格差がありすぎて相手にならない。
基本的に、魔法使いは接近戦には弱い。それは、詠唱にかかる時間に相手から攻撃を受けてしまうから。
その弱点を補うべくハワードは剣術も磨いてきた。
彼の身分証に『魔法使い』ではなく『魔法騎士』と書かれているのは、このためだ。
ハワードは風魔法でスピードを上げ、部下のもとに駆けつける。
まずは、レイの攻撃に気を取られている一体の急所を突く。
一撃で仕留めたあと、もう一体の前に立ちふさがった。
「申し訳あり…ませ…ん…魔力切れ…を起こしま…した……」
「俺が相手をしている間に、早くポーションを飲め」
「は…い…」
素早くポーションを飲み干し、復活したルオンが笑う。
「『俺は助けてやらんぞ』って言っていましたが、やっぱり助けにきてくれましたね」
「フフッ、『部下の窮地を救うのが、上官の務め』なのだろう?」
オークジェネラルは力任せに拳を振り下ろしてくるが、動きを読んでいるハワードには通用しない。
拳が地面にめり込んだところを、上から剣で突き刺し腕を縫い留める。
「皆、この場から離れろ!!」
周囲へ避難を促し、魔物の顔にファイアーボールを投げつけた。
視覚を奪われたオークジェネラルはやみくもに暴れ回る。
周りの魔物たちを蹴散らしながら、自ら奈落へ落ちて行ったのだった。
◇
オークジェネラルは倒しても、魔物の進行は止まらない。
ずっと戦い続けていれば、肉体的にも精神的にも疲労が溜まる。
息を吐いたハワードが動きを止めた、その一瞬の隙を突かれる。
気づいたときには腕を掴まれ、空中に放り投げられていた。
他の冒険者と戦っていたホブゴブリンを巻き込み、奈落へと落ちていく。
すぐに風魔法を行使するが、速度が緩やかになっただけで落下は止まらない。
ホブゴブリンがハワードの毛先を掴んでいた。
ファイアーボールを打ちたいが、重みで頭が動かせず敵を狙えない。
そのとき、黒い塊が高速で眼前を通り過ぎる。
ホブゴブリンの悲鳴が聞こえ、体が軽くなり、ようやく空中で停止することができた。
「レイ、おまえが助けてくれたのか。ありがとう」
ハワードの肩に止まった黒鳥の頭をなでる。
レイが嘴でホブゴブリンを攻撃したようだ。
「さて、だいぶ落とされたようだな……」
見上げると、遥か上空に空が見える。
地上は遠いが、階段をのぼるように駆けあがっていくしかない。
気合を入れて踏み出したハワードの足下から、ブンブンと羽音が聞こえてきた。
見下ろすと、黒い塊がこちらに向かって来ている。
よく見ると、それは小鳥の大集団だった。
「まずいな……この辺りは、ハミングバードの縄張りなのか」
リサが暮らしていたあちらの世界のハミングバードは花の蜜を吸う可愛らしい鳥だが、異世界のハミングバードは違う。
生き物の血を吸う、恐ろしい吸血鳥なのである。
ホバリングで取り囲まれ、針のように細く尖った嘴で全身を狙われる。
レースリボンを引きちぎられ、髪がほどける。
ハワードは、レイを守りながら指示を出す。
「俺が火魔法で隙を作るから、おまえは上に逃げろ! 行くぞ!! ファイアーウォール!」
周囲を炎の壁で覆い、群がっていたハミングバードを燃やす。
レイを風魔法にのせて、上に押し上げた。
「俺は大丈夫だから、早くルオンのところへ行け!」
一つの集団を殲滅しても、すぐに別の集団が現れる。
ハワードは囮になるため、急降下を始めた。
集団は追ってきたが、ある程度の高さになるとこれ以上追いかけてはこない。
先ほど襲われたところからこの辺までが、奴らの縄張りのようだった。
◇◇◇
日が落ちたころ、ハワードは行動を開始した。
ハミングバードの羽音はすでに認識済みで、奴らが動けばすぐに探知できる。
日中に観察をしていて、他に空を飛ぶ魔物がいないことは確認済み。
暗視の眼鏡を掛けて準備は万端だ。
静かに大木から離れると、地上に向かっていく。
なるべく音は立てたくないが、のんびりしていると体力が尽きたり魔力切れになってしまう。
そこの見極めが難しい。
いざとなれば、距離は増えるが崖の道を駆けあがることも候補にいれておく。
いよいよ、ハミングバードの縄張りに入るころだろう。
周囲を確認するが、姿は見えない。
慎重に、しかし、速やかに。
ハワードは駆けあがっていく。
無事に縄張りは抜けたが、進めど進めど一向に地上へはたどり着かない。
疲労を感じているが、まだポーションは飲まない。
ここまでで、すでに通常ポーション一本と魔力回復ポーションを二本飲んでいた。
残りは各一本ずつ。
先が見えない現状では、ぎりぎりまで温存しておかなければならない。
少し離れた崖の道へ視線を送ると、一箇所だけ開けた場所がある。
魔物の気配も感じられない。
ハワードは、あそこで少し休憩をとることにした。
水を飲み干し肉を食べると、ゆっくりと歩き出す。
体力も魔力もだが、時間にも制限がある。
日が昇れば、また魔物たちが動き出す。
彼らはこの道を延々と上ったうえで、さらに戦うだけの体力があるのだ。
まったくもって魔物とは恐ろしい。
魔物の脅威を改めて再認識したハワードは、足下の嫌な感覚に足を止める。
リサから何度も褒められた勘の良さが、ハワードの命を救う。
目の前に突然大きな影が現れる。
それは、大きな口を開けて待ち構えていたワームだった。
どうやら、この辺りはワームの住処に繋がっているようだ。
この巨体に剣は通用しない。
ハワードは躊躇することなく、特大のファイアーボールを投げつける。
ワームの頭部は消し飛ぶが、体は動きを止めない。
ドンドンと足場が揺れる。
音に反応し、ワームが続々と地面から顔を出す。
ハワードは風魔法で再び駆け上がる。
魔物たちが夜間に地上へ上がってこない理由をはっきりと理解する。
音に反応するワームは、昼夜問わず襲ってくる。
足場が悪いためではなく、このワームの攻撃が見えなくなるからだった。
駆け上がりながら、最後の二本のポーションを飲み干す。
ただひたすら、上をめざしていく。
◇
これほど長時間、風魔法を行使したにもかかわらず、地上にはまだ着かない。
体力・魔力ともに削られていく。
(おそらく、間に合わないだろうな)
魔力切れ寸前の頭痛とふらふらする体で、意外にも冷静にハワードは現実を受け止めた。
そろそろ、自分は墜落するだろう。
崖の道に避難しても、地上へたどり着く前に魔物に追いつかれるだけだ。
ならば、このまま行けるところまで上がるのみ。
ふと脳裏に浮かんだのは、白猫を抱っこする黒髪の魔法使いの笑顔だった。
王都のお菓子を持参するという約束は、残念ながら果たせない。
残り少ない魔力でアイテムボックスから濃紺のレースリボンを取り出し、震える手で髪をどうにか縛り直す。
最期の力を振り絞り、レースリボンにそっと触れた。
そして────ハワードは意識を失った。
「間に合って、良かった……」
遠くで、リサのホッとしたような声が聞こえた気がした。




