第2話 国境門で
通常であれば二か月はかかる道程を、私たちは二日程度で来てしまった。
空を飛んでいるから、森や川、山や谷だってなんのその。
最短ルートを直進できる。
それに、宿には泊まらず夜レースの上で寝ている間も進んでいるから、当然といえば当然だった。
ちなみに、この世界には空を飛ぶ魔物がいる。
ワイバーンと呼ばれる飛竜だ。
自分たちの縄張りに侵入する私たちを攻撃してきたが、聖獣のミケと一緒なら問題なし。
私は「フィレレース、捕獲!」で、ワイバーンを網でくるんで捕獲は完了。
ミケが、風魔法であっという間に翼を切り刻んでしまう。
墜落したワイバーンから、ミケが風魔法で魔石と爪を取り出してくれる。
それを水で洗浄しアイテムボックスへ収納するのは私の役目だ。
蛇口の模様が描かれたレースを被せると、木のコップには水を注げるし、汚れはきれいに洗い流せる。
肉は火の模様を描いて焼き、道中で美味しくいただいた。
お風呂は、温泉マークが描かれたレースを頭から被れば服も体もスッキリさっぱり。
使用済みのレースは魔法を解除すると消えてしまうので、後片づけもとっても楽だった。
◇
隣国とサイエル王国の国境付近までやって来た。
国境門手前の森の中に降り立つ。
さすがに空から検問を越えることはせず、入国審査のための行列に並ぶ。
サイエル王国は、大陸南部に位置する中堅国家とのこと。
私たちが召喚されたデール帝国は中央に位置しており、大陸一の大国なのだとか。
そんな国が悪さをできなくなったことで、大陸全体が安定してくれることを願う。
平和な国で生まれ育った私は、これからも穏やかに暮らしていくことを望んでいる。
「次の方、どうぞ」
係の騎士の前に出る。物腰の柔らかそうな壮年の男性だ。
今の私は、道中で立ち寄った村でワイバーンの肉と物々交換をした村娘のような服装の上に、魔法使いのようなローブを羽織っている。
さすがにあちらの世界の服装では、怪しまれて入国を拒否されるかもしれない。
それを懸念してのことだった。
男性は私の足下にいるミケにチラッと視線を送ったあと、私へにこやかな笑顔を向けた。
「身分証明書を、こちらの水晶へ」
「私はまだ証明書を持っていないので、入国税を払います」
身分証明書を持っていない者は、どこの国でも入国税を取られる。
金額は銀貨一枚だ。
この世界の貨幣価値は、事前にミケから聞いていた。
下から鉄貨(約百円)、銅貨(約千円)、銀貨(約一万円)、金貨(約十万円)、白金貨(約百万円)があるとのこと。
この世界の一般庶民のひと月あたりの生活費が銀貨五枚ほどらしいから、決して安くはない。
そのため、旅人は皆、身分証明書を所持している。
事前に知っていたため、女神様から貰ったお金は使わずに残しておいた。
入国したら、すぐに冒険者ギルドで登録をするつもり。
万事、抜かりはないはず。
「……君は、どちらの国から来たのかな?」
「えっ?」
てっきり入国の目的を聞かれると思っていたのに、まさかそんなことを尋ねられるとは思わなかった。
つい視線が下を向く。でも、騎士の目の前で足下にいるミケに相談はできない。
そして、この大陸で私が名を知っている国は二つしかない。
「えっと……デール帝国です」
サイエル王国に入国するのに、この国の名前を出すわけにはいかない。
必然的に、もう一つの国の名を答えることになる。
周辺国へケンカを売りまくっている、召喚されたあの国の名を。
「申し訳ないが、別室で話を聞かせてもらいたい。お願いできるかな?」
「……はい」
ここで拒否すれば、二度と入国はできなくなる。
ミケを抱き上げた私は、トボトボと男性の後に続いたのだった。
◇
「そんなに緊張しなくても、大丈夫だよ」
そう言って、壮年の男性…ニックさんは笑った。
私が連れてこられたのは、国境門の中にある六畳ほどの部屋だった。
椅子に座り向かい合うのはニックさんで、その後ろに、若い女性騎士のメルサさんが立っている。
「まずは、君の名と歳を教えてほしい」
「私は高梨理沙と言います。齢は二十歳です」
「えっ、二十歳? では、成人はしているのだね」
この世界の成人は十八歳だと、ミケが言っていた。
ということは、私はそれ以下に見られたのだろう。
「タカナシが家名かな?」
「そうです」
「入国の目的は?」
「こちらの国で、仕事と住まいを得るためです」
「それは……冒険者とか商売人のような新たな仕事に就くということ?」
「はい。冒険者として活動しつつ、自作品を売りたいのです」
この質問は想定していたので、澱みなく答えることができた。
ニックさんは「ふむ」と呟くと、隣へ顔を向けた。
「メルサ、どうだった?」
「彼女は嘘をついていません。ただ、旅をしてきたにしては、手持ちの荷物がないことが気になります」
膝にのっているミケが「ニャー」と鳴く。私に、椅子が嘘発見器のような魔道具らしいと教えてくれた。
「旅の荷物は、どうしたの?」
「一人旅ですので、すべてアイテムボックスの中に入れてあります」
「そうか、君は魔法使いなのだな」
こちらは、すんなりと納得してもらえたようで良かった。
このために、わかりやすくローブを羽織っていたのだから。
ラノベではおなじみのアイテムボックスだが、この世界ではあまり定番ではないらしい。
魔力量の多い魔法使いだけが所持していることが多いのだとか。
「念のため、アイテムボックスの中身を確認させてもらえないだろうか?」
「わかりました」
取り出したのは、この国で換金しようと貯めていたワイバーンの魔石十個と大きな爪が三十個。
それから、レース編みの道具も見せる。
椅子の魔道具もあるし、ここで下手に隠し事をするのは良くない。
そう思って私は全部出したのだが、なんだかニックさんたちの顔色が悪いような気がする。
ミケが⦅ワイバーンの魔石は一つだけで良かったのに……⦆と呆れている。
これはもしかしなくても、『私、何かやっちゃいましたか?』状態なのでは……
「これで、中身は全部?」
「はい」
「その……確認だが、十個あるワイバーンの魔石は、すべて君が討伐したものかな?」
「ニャー」
「えっと、この子…ミケと一緒に狩りました。ミケは私の従魔ですので」
ミケが⦅ボクが従魔だと伝えて!⦆と言った。
ワイバーンは上位種の魔物だ。
それを一人旅の私が十体も狩るのは、常識からはかけ離れたものになるからとのこと。
実際、五体ずつ倒したので嘘ではない。
「こんな小柄な子と、猫にしか見えない従魔がねえ……」
「でも、ニック副隊長、彼女に嘘はありません。それで、私が個人的に気になるのはこちらなのですが……」
メルサさんが注目しているのは、道中で私がレース編みでたくさん作ったモチーフたちだ。
小花だけでなく、小さいイチゴも作ってみた。
彼女の目がキラキラと輝いているから、やはりどこの世界でも女性は可愛いものが好きらしい。
「これは私の手作りなんです。これを装飾に使用した商品を売るつもりなのですが、売れますでしょうか?」
せっかくの機会だから、現地の女性の感想を訊きたい。
「売れます! 絶対に売れます!! 刺繍はありますが、このように立体的なものは王都でも見たことがありませんから!」
メルサさんは、早口でまくし立てた。
「これを髪飾りにしたら華やかになって素敵ですし、鞄だったらすごく可愛くなります!」
人が変わったように饒舌になるメルサさんに、ニックさんが目を丸くしている。
メルサさんが興奮するくらい、魅力的な商品に映っているのだろう。
「ありがとうございます。そこまで言っていただいたので、自信を持って売ろうと思います」
「商品を売るのであれば、領都にある商業ギルドを通すことをお勧めします。手数料はかかりますが、商品に見合った価格を付けて販売してくれますので、店や客に安く買い叩かれる心配はありません」
「そうなのですね。では、領都へ行ったら訪ねてみます」
「販売が開始されたら、絶対に買いますので!」
メルサさんが鼻息荒く前のめり気味になったところで、ニックさんのストップがかかる。
ようやく、事情聴取が終わりを迎えた。
私とミケは無事、サイエル王国に入国することができたのだった。
◆◆◆
入国税を払い、手続きを終えたリサとミケは意気揚々と町中へと歩いていく。
その後ろ姿を見送っていたニックは、一人の部下へ声をかけた。
彼は、任務を確実に遂行できるだけの実力を持つ人物である。
「すまないが、あの子の動向を探ってくれないか? どこへ行き、何をしたのか。宿泊先も把握しておきたい」
「何か、不審な点でもあるのでしょうか?」
「嘘発見器には反応がなかったが、どうにも気になるのだ。デール帝国の間者とは思えないが、念のためにな」
リサは、この国では珍しい黒髪・黒目の少女だった。
もし間者であれば、あのような人目を引き印象に残りやすい容姿は絶対に隠すはず。
そもそも、デール帝国から来たとは明かさないだろう。
家名持ちならば、貴族令嬢であるはず。事実、肩先まで伸ばされた黒髪は艶があり、手入れが行き届いていた。
あれほどの実力があれば、国に魔導士として所属していてもおかしくはない。
それなのに、身分証明書を持っていないと言った。
入国税は決して安くはないが、証明書には自身の魔力が登録される。
間者だから、それを避けているのかもしれない。
確実に売れるであろう珍しい商品を持ち込んだのは、町にすでに潜伏している仲間の活動資金にするためではないか。
一つを疑うと、すべてが怪しく思えてくる。
「俺は、領都にいる騎士団長へ今回の件を報告してくる」
どんな些細な懸念であっても払拭しておきたい。
ニックは上官へ報告し、指示を仰ぐことにした。
領内の各町村には、騎士団の詰所に通信用の魔道具が配備されている。
この町と領都は隣接しているが、馬車で向かえば半日程度はかかる距離にある。
しかし、これを使用すれば即時連絡が可能なのだ。
「後は頼んだぞ」
「かしこまりました」
(タカナシ殿が、我々に仇なす者でないことを祈ろう……)
ワイバーンを十体も討伐できる実力者と対峙するとなれば、騎士団にどれほどの人的被害が出るのか。
想像もしたくない。
ため息をついたニックは、詰所へと急いだのだった。




