第17話 女神の使徒
私たちの前に、巨大なリザードマンが現れた。
大男のスベトラさんよりも、さらに頭一つ分くらい大きい。
「さっきの奴らが押しつけたのか……おまえたちは、全員後ろに下がれ!」
スベトラさんが指示を飛ばす。
いまだ動けず転がっている三人を、皆が後方へ運んでいく。
⦅おそらく、群れから外れた『はぐれ』だよ。マイルたちは、よく無事だったね⦆
はぐれは、生き残るために独自の進化を遂げるものがいる。
いわゆる変異種と呼ばれるものだ。
体は大きく、力が強い。
このリザードマンがそれだとミケが言った。
スベトラさんと指導教官が前に出た。
襲いかかってきたリザードマンへスベトラさんの大剣が振り下ろされるが、剣で弾かれる。
間髪入れず後ろから指導教官も追撃するが、太い尻尾で防がれた。
一進一退の攻防が繰り広げられる。
「タカナシ殿、申し訳ないがルーク様と新人たちを頼む! 我々は攻撃だけで手一杯だ!」
「お任せください! フィレレース、防御!」
ルーク様と新人騎士たちをまとめて、レースの壁でぐるっと囲む。
これは、防御魔法の進化形だ。
複数人の場合は、盾よりも壁のほうが広範囲に守れるからね。
レースは透けるので、あちら側もこちら側もお互いの状況が見える。
これで安心だし、私たちも自由に動ける。
⦅リサ、ボクたちで援護しよう。いくよ! ファイアーボール!⦆
「援護します! ファイアーボール!」
⦅ウィンドカッター!⦆
「ウィンドカッター!」
スベトラさんたちへミケの攻撃内容を知らせるために、私が詠唱しているフリをしている。
リザードマンがミケの魔法に気を取られる間に、少しずつスベトラさんたちの攻撃が通るようになってきた。
しかし、決め手には欠けるようだ。
「スベトラさん! 私がリザードマンの動きを止めましょうか?」
「やってもらえるなら有り難いが……あんな大物相手に可能なのか?」
「ワイバーンにも通用しましたので、大丈夫です!」
「ああ、例の……」
「では、いきます! フィレレース、捕獲!」
リザードマンの体へ大きなレースが覆いかぶさる。
武器も尻尾もまとめて一塊にした。
「スベトラさん、今です! レースごと切ってください!!」
「おう!」
地面を蹴り勢いがついた大剣は、リザードマンを袈裟斬りにする。
壁越しに戦闘を見守っていた新人騎士たちから、大歓声が上がったのだった。
◆◆◆
演習後ヘンダームへ戻ったルークとスベトラは、領主であるフランツの執務室を訪れていた。
「───というわけで、どうにか無事に演習を終えることができました」
「ルーク、領主代行の仕事ご苦労だった。スベトラ、騎士団長としての責務をよくぞ果たしてくれた。ともかく、皆が無事で何よりだ」
フランツが手に取ったのは、大きな魔石。
演習で討伐したリザードマンのものだ。
「まさか、森の浅い場所でこのような大物が現れるとはな……」
「冒険者たちを追って、森の奥から出てきたものと思われます。タカナシ殿がいなければ、犠牲者が出ていたかもしれません」
「また、噂の女魔法使い殿に助けられたか。私も、ぜひ一度会ってみたいものだな」
小柄な見目からは想像もできない実力の持ち主で、帝国の没落貴族の末裔らしい。
一時期は帝国の間者ではないかと疑われた人物でもある。
フランツも、報告書で人物像だけは把握していた。
「父上、演習時にリサから帝国に関しての情報を聞きました」
ルークは、昼間にリサから聞いた話を報告する。
興味深げに話を聞いていたフランツは、執務机から一通の書簡を取り出した。
「これは、今日王都から届いたばかりの手紙だ。『二月ほど前、帝国が召喚儀式を行った』とある」
「えっ?」
「なんですと!?」
この情報は、帝国からは国を一つ跨いだある国からもたらされたもので、情報源はその国へ亡命した元帝国の魔導士とのこと。
「その者によると、召喚は失敗。さらに、召喚の魔法陣の布が燃えたそうだ」
「では、リサの言っていたことは事実だったと」
召喚の魔法陣が燃えたのは、帝国が女神の怒りに触れたため。
召喚に関わった者たちは恐怖し、その場で次々に許しを請うたという。
「帝国内には近々女神により神罰が下されるという噂が広がり、国外へ逃げ出す者が増えている。その大混乱に乗じて、優秀な魔導士たちが他国へ亡命しているようだ」
「リサも、その内の一人の可能性が高いですね?」
「タカナシ殿が入国時に身分証を提示しなかったのは、本国からの追っ手を気にしてのことか……」
「おそらく、そうだろうな」
フランツの言葉に、二人は納得したように頷いた。
◇
報告を終えたルークとスベトラが下がり、執務室にはフランツだけが残された。
執務机の上には、先ほどルークたちへ見せたものとは別の書簡が置かれている。
これは、王都とは別ルートで届くもの。
フランツが独自に構築した情報網からのものだった。
『召喚魔法で現れたのは大型獣ではなく白猫と黒髪の少女で、自らを女神の使徒と名乗った』
『女神の命により、青白い炎にて魔法陣の布を燃やす』
『燃え盛る炎の中を平然と歩く姿に召喚に関わった者たちは恐怖し、女神へ次々に許しを請うた』
王都からのものよりも、かなり詳細に記載されている。
情報源は、召喚の儀式で警備を担当していた兵士だという。
王都からのものは、明らかに情報が制限されている。
これは意図的なものなのか。はたまた、情報提供者が神罰を恐れ詳細を語ることを避けたのか。
現段階では判断ができない。
記述はまだ続く。
『召喚が行われた日、多くの帝都民が目撃したのは空を飛ぶ四角い白い物体。それは、神殿のある丘から南へ向かって飛んでいった』
『女神の怒りに触れた帝国へ神罰が下るという噂が広がり、帝都民が動揺。国外へ逃げ出す者たちで町は大混乱。有能な魔導士たちは争いごとを好む帝国に嫌気がさし、混乱に乗じて次々と国外脱出を始めている』
最後に、『情報提供者自身も帝国を見限り、家族と共に安息地を求めている』と締めくられていた。
この件に関しては、情報の見返りとしてナウリム領で受け入れる用意があると返答済みだ。
読み返したフランツは、ふう…と息をつく。
あまりにも突飛な内容にこの情報の真偽を測りかねていたが、ルークの話で確信を持った。
「タカナシ殿は、元貴族でもなければ亡命した帝国の魔導士でもない。おそらく、召喚された『女神の使徒』なのだろう」
誰もいない部屋に、フランツのひとりごとだけが響く。
『白猫と黒髪の女』、『青白い炎』、『空を飛ぶ四角い白い物体』。
自身は黒髪で、従魔は同じ白猫。
トンポイの冒険者ギルドで放ったファイアーボールは、青白い炎だったと報告書にあった。
白い布で空を飛ぶのは、騎士団内では誰もが知るところとなっている。
「さて、私が女神様の使徒と会うためには、どうすればいいだろうか?」
領主が、高ランクとはいえ冒険者と会うには、それなりの理由付けが必要だ。
できれば、ごくごく自然な流れで会いたい。
よくあるのは褒賞を与える場なのだが、そのためには、リサにあと一つか二つ活躍をしてもらわなければならないだろう。
「サイエル王国に、できればナウリム領にこのまま定住していただきたいが……」
魔法陣を燃やしたときも、周囲の者への危害は一切なかったという。
この国へ来てからも、何度も人助けをしている。
穏かな性格と見られる女神の使徒だが、さすがに強制や強要はできない。
リサが自身の正体を隠している以上、フランツとしても動向を静かに見守るつもりである。
そのために、ルークとスベトラには本当の正体を告げなかったのだから。
「『斑の眷属を従えし黒髪の乙女、世に新たな───』だったか。白の眷属を従えし黒髪の乙女は、果たして何をもたらしてくれるのか……」
フランツが窓の外へ目を向けると、空が夕焼けで赤く染まっていた。




