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ドランク・ドクター

  ──────────────────

   数年前 カグサメ・レイラ 14:00

     第6番開発都市 スラム地区

  ──────────────────


「……あー、痛ェ」


背中に激痛が走る。


隠れ家への帰り道の道中、頭が冷えてきた事で痛みがハッキリとしてきた。


今日は前々から目星を付けていたとあるジャンカーズグループ、その拠点に入り込んで金目のものを盗んできた。


いつもと変わらない、至ってシンプルな盗みの仕事だ。


サッと潜入し、サッと邪魔者を無力化し、サッとロックを解錠、サッと取るもんとって、誰にも見つからずサッと逃げる。


たったそれだけの簡単な仕事………だった。


しかし今日はどうにもそうはならなかった。この背中がこの証拠だ。


そしてその原因は……


「…………」


この、今もボーっとした顔で俺の隣を歩いている、カグサメ・オーカさんだ。


今日1日彼女はずっとおかしかった。


まずここ数年ずっと愛用していた筈の"タクティカルグラス"じゃなく、今日は同じデザインの伊達眼鏡を間違えてかけてきている。


別に特別故障してた訳でもないのにだ。


それだけじゃない。今日は衝撃の出来事があった。


なんとハッキングをミスったのだ。オーカが。


今の今まで一度もハッキングに失敗したことがなかった人間が、今日、初めてそれを失敗したのだ。


たかがジャンカーズが使ってるセキュリティごとき訳ない筈なんだがな……結局俺が無理矢理ブチ破るハメになった。


……久しぶりの警報の音だった。


というかそもそも様子が変だ。


仕事中、オーカは定期的に何度かボーっとしていた。


まさか敵が居るって状況でまでボケーっと突っ立ってたせいで、オーカを俺が庇うことになり、背中に穴を空けるハメになるとは。


……まぁ幸い俺は頑丈だ。あんなチャチな弾丸如きじゃあ大した傷にはならない。


が、オーカの方は少し深刻かもしれない。


足取りは凄いトロいし、よく見ると少しフラついてきてるようにも見える。心なしか息も荒そうだ。


「なぁ、お前やっぱ大丈夫じゃないだろ? 」


「…………」


「おーい? 」


「……あっ、……えっ? 」


「聞こえてたか? 」


「あー、えっと……」


「な……何……だったっけ……?ハハ……」


「……あぁ……背中の事は……ごめんね……アタシの……せいで……」


「本当に……ごめん……」


………もうずっとこの調子だ。


もう担いで行こうかとも思った程だ。拒否られたが。


でもこんなんじゃ流石に家に帰るまでどんだけかかるかわかったもんじゃない。


面倒くさくなって、無理矢理にでも担いでしまおうと思って彼女に近寄った、その時だった。


「ぁ………」


「なっ──!? 」


いきなりぶっ倒れやがった。


幸いうまくキャッチすることは出来た。


だがやはりと言うべきか、彼女はとても大丈夫じゃ無さそうだ。


身体が凄く熱い。まるでそのまま湯たんぽに出来そうな位だ。


それに息も、今はもう分かりやすく荒く、目はとろんとしていて焦点が定まっていない。


「おい……!?おいって! 」


「あー……うぁ……」


呼びかけてもうわ言を吐くだけで反応がない。


「クッソ……! 」


とりあえず、俺はオーカを抱え、隠れ家まで全速力で走った。


  ──────────────────

   数年前 カグサメ・レイラ 14:15

       第6番開発都市 隠れ家

  ──────────────────


隠れ家に着いた俺は、まず真っ先に腕の中のオーカをベッド…もといソファに寝かす。


「ハァ……ハァ……うぅぁ………」


やっぱり苦しそうだ。一刻も早くなんとかしなくてはならない。


俺は今まで一度も"そう"なった事も無いし、周りの人間でそうなった人間も居なかったから、始めはピンと来なかった。


だが今ようやく気付いた。たぶんこれが風邪って奴なんだろう。


……にしちゃあなんか重すぎねぇか?


まぁとにかく、風邪を治すには薬が要る。そして今の手持ちはゼロだ。


ならば……どっかから調達しなくてはならない。


そう思って出ていこうとした所だった。


「いやぁ………」


オーカが服の裾を掴んだ。朧気な瞳に涙を浮かべている。


「ごめんなさい……ごめんなさい……」


「あたしが悪かったから……謝るから……」


「だから……いなくならないでぇ……」


「あたしを一人に……しないでぇ……」


……………。


身体が辛いと、心まで辛くなるもんだ。


せめて少しでも安心させてやろうと思って、彼女の頬に触れる。


「大丈夫……大丈夫だから……」


「何があっても、俺は絶対にお前の傍に居るから……」


「今は少しだけ……ちょっとの間出てくるだけだ……」


「すぐ帰ってくるから……だからゆっくり休んで…待ってろ……な? 」


「うん」と力なく彼女が頷く。少しは楽になったろうか。


だがこれでは気休めだ。しっかり治してやんねぇとな。


俺はオーカに布団をかけてやると、すぐさま薬を求め駆け出した。


  ──────────────────

   数年前 カグサメ・レイラ 17:30

     第6番開発都市 スラム地区

  ──────────────────


ふざけんなよボケが。


もう二時間は経ったか?


片っ端から家やら店やら漁ってみたが、風邪薬どころかその他の薬一つありゃしねぇ。


薬局だの病院だの、そういう類いのもんがこの辺りに無いことは承知ではあった。がここまで無いとは思わなかった。


それに……


「オイ、テメェ……」


「ようやく見つけたぞクソガキが……! 」


拳銃と、バットを持った男の二人組。


"ジャンカーズ"……


ここは今日盗みをやったスラム街からはだいぶ離れた場所だ。


が、ここまで手を伸ばしてくるとは……もしくは金でも払って他のグループに依頼でもしたのか…?


とにかく絡まれまくって仕方がない。


こんなクソ共に構ってる暇ねぇってのに……


「テメェの首を差し出しゃあ、良いボーナスが───ぐぁっ!? 」


俺は迷いなく懐から拳銃を抜き、まず銃を持っている男の手と足を撃ち抜いた。


しかしそこで丁度弾が切れてしまった。バットを持った男が振りかぶりながら走ってくる。


「ふんっ! 」


「がっ!? 」


俺はカラの拳銃をそのままぶん投げ、そいつが怯んでいる隙に距離を詰めると、そのまま手首を掴み、足を掛けて地面へ叩き付けた。


そして首の襟を掴んで一発ぶん殴る。


「ぐえっ! 」


俺が本気で殴ったら一発で死ぬ。だから多少の手加減をしてやった。


とりあえずそのまま一つ質問をする。


「オイ、お前薬とか持ってるか? 」


「ハアッ!?な…何を…」


男は既に戦意喪失していた。完全に怯えきっている。


「薬だよ薬。風邪薬だ」


「し、知らねぇよ……そんなん持ってねぇ…」


「あ、でも"ヤク"なら──がふっ! 」


……使えねぇクソボケだ。


俺はもう一発ブチ込んでそいつを"眠らせる"と、もう一人の持っていた拳銃だけ回収してその場を去った。


……しかしどうするか?


もうこの辺りは一通り漁り尽くしてしまった。


最早かくなる上は……


俺は遠くにある煌びやかなビル群を見る。


……"開発地区"……


あそこなら薬局か病院位あるだろう。


だがあそこに入るにも、何か買うにも、病院で治療を受けるにも"身分証"が要る。


当然俺達にそんなものは無い。


忍び込む事は出来なくも無いだろう。だがその警備の厳重さ故に出入りにはかなり手間がかかる。


今の俺に、そこまでの時間があるのか……?


……ここにきて、俺は選択を間違えた事を痛感する。


初めから開発地区に忍び込む事を選んでいれば、あと一時間後にはあいつの元に戻れたかもしれない。


例えそれが、物凄くリスクの高い選択だったとしても。


……日も落ちてきた。


とにかく、オーカの様子も心配だ。今日はもう……帰るしかない。


失意の中、俺はひとまず隠れ家に向かって歩を進める。


  ──────────────────

   数年前 カグサメ・レイラ 17:50

      第6番開発都市 隠れ家

  ──────────────────


帰り道にも何人かジャンカーズがうろついていたせいで、ずいぶんと遠回りをさせられた。


しかしまぁ誰にも見つからずに帰れはした。しかし……


「ヒュー……ハァッ……ぁぁ……コヒュー……」


「…ガッ……!ハァ……!……ゼェ……ヒュー……」


……事態は何一つ好転していない。


それどころかオーカの症状は更に悪化している。


吐息は更に荒く、そして不安定になっており、時々何かを詰まらせたように呼吸が止まることがある。

触れてみると、掌に感じる熱は明らかに異常なくらい熱い。


今は寝ているが……いや、気を失っていると言った方が正しいかもしれない。


とにかく、事態は刻一刻を争うだろう。


これでは明日までなんてとてもじゃないが待っていられない。


……やるしか、ないか。


今からでもやるしかない。開発地区へ、行くしかない。


そう決意し、また家を出る事にした。


「……もう少しだけ、待っててくれ」


「……ごめんな……」


  ──────────────────

   数年前 カグサメ・レイラ 18:00

      第6番開発都市 スラム地区

  ──────────────────


しかし……本当にどうしたものか。


開発地区への道中、幾らか思案を行う。


開発地区での盗みはリスクが滅茶苦茶高い。これはもう俺達のような人間にとっちゃ周知の事実だ。


しかし俺は何度か、本当に数回だけあそこに盗みに入った事がある。もちろん全て無事に成功させた。


でも、それは"オーカが居たから"だ。彼女のハッキングが無ければ、あのセキュリティをすり抜けるのは相当困難になる。


ハッキングに頼らないで潜入するルート……そんなものがあるとは到底思えないが……


それでも……やるしかないだろう。


今の心境は半ばやけっぱちだったが、今出来る中で少しでも可能性の高い方法を探るしかない。


そんな思案を続けていると……


「………おーい」


「………おーい、そこのキミ」


……俺を呼ぶ声が聞こえてきた。


……ったくなんなんだこんな時に。


声の方に振り向くと、そこに居たのは女だった。


髪は茶、凄く長く、手入れをあまりしないのかボサボサだ。そして薄汚れた白衣を着ている。


しかし何より特徴的だったのが……


……酒臭ェ。


あり得ないくらいのアルコール臭がする。目を見てみると、焦点は合っていないように見えるし、立ち姿はフラついていて、雰囲気は凄くあっけらかんとしている。


クソッタレ、ただの酔っぱらいじゃねぇか……


俺はもうすぐにでもその場を離れてしまいたかった。


しかし、無視して歩こうとした俺の足は、その女の一言で止められた。


「ねぇ~……もしかして、医者でも探してるぅ? 」


「……なんだと? 」


そのままその女は言葉を続ける。


「いやぁキミ、今日の昼過ぎくらいにさぁ、女の子抱えてたコでしょ? 」


「私ならあの子を治して───」


俺は女に向かって銃を突き付けた。


この女……何を言ってる?


怒りを最低限抑えて、女へ話しかける。


「お前……ナメてんのか……? 」


「"私が治す"だと?どう見てもただの酔っぱらいだろうがお前は」


しかし、その女は何一つ動じていない。


銃を向けられるのは慣れているのか?それとも状況すらよくわかってねぇのか?


しかしその女はひどく冷静に言葉を紡ぎ始める。


とてもさっきまで酔っぱらってた人間とは思えない。


「………アレ、たぶんこの辺りの風土病だよ」


「ま、遠目からパッとみた感じでしか言えないけどさぁ……」


「あれは、普通なら大した事ない病気だけど、重症化すると命に関わってくるの」


「例えば、突然高熱を出したりとか……あと突然息を詰まらせたみたいに、呼吸が不安定になったりとか……そうなってくると、結構危ないの」


最後に見たオーカの姿が頭をよぎる。


オーカの呼吸の仕方はまさに今コイツが言った通りだ。もし本当にそうなら……


背筋が冷える。鼓動がうるさい。


オーカが、死ぬ。


万が一にも、そんな事はあってはならない。


俺は何があってもオーカを死なせる訳にはいかない。俺にはその責任がある。


彼女の為なら、俺はなんだって出来る。いや、しなくてはならない。


「……私なら、あの子を治せる。だから……私に診せてくれないかな」


………コイツ、本当に信用してもよいものなのだろうか。


目的も一切わからない。


でも正直今は藁にもすがりたい所だ。


今の今までずっと考えていたが、やっぱり開発地区への単独侵入は正直リスクが高すぎるとしか思えない。


もし俺に何かあれば、当然オーカも終わりだ。


だから捕まる危険を犯さなくて良いなら、そうするに越した事はない。


それに普通の風邪薬でどうにかなる段階なのかも怪しく思えてきた。


もちろんこの女の言う事を鵜呑みにするのがマズいのも事実ではある。


しかし……クソ……


…………


………………。


こうして悩む時間も、オーカにとっては惜しい。


俺は腹を決めた。


「………良いだろう」


「でももしなんかあったら……その時は覚悟しとけよ」


「おーけーおーけー、じゃ、案内よろしく~」


その女は傍らのトランクケースを持つと、さっきまでの冷静さはどこへやら、また最初のあっけらかんとした雰囲気に戻る。


………本当に、大丈夫なんだよな。


女を連れ、俺は隠れ家へと向かった。


「……ん? 」


「なんだよ」


「いや、キミ……その背中……」


「あ?……あぁ……まぁ、こんなん今はどーでも良いんだよ。さっさと来い」


「……あぁ…そう………」


  ──────────────────

   数年前 カグサメ・レイラ 18:30

      第6番開発都市 隠れ家

  ──────────────────


「ヒュー……ヒュー……ッッ!……ッガハッ!……」


……オーカは相変わらず苦しそうだ。


「あ~あ~、こりゃ見事に重症だぁ」


連れてきた女はオーカを見て一言そう言うと、手に持っていたトランクケースを開く。


そのまま何かを弄りながら、女は幾つか質問をする。


「えーと、まず症状はいつから出た? 」


「……今日の14時位だ。いきなりぶっ倒れた」


「ん?今日?……えーと、その前になんか症状とかは……? 」


「いや、今日1日なんか様子がおかしかった位だ。昨日までは普通だった」


「えー……相当溜め込んでたのかなぁ……」


女はケースから何か色々道具を取り出すと、オーカの胸に当てたり、口の中を見たり……何かを調べているようだ。


「高熱に、呼吸の乱れ……うん。やっぱりアレだね」


「……さーて……じゃあコレを使うかな……」


一通り調べた後、女はさっきまでの道具をしまい、またケース内のものをごちゃごちゃやり始めた。


「あ、そういえば体重とかわかる? 」


「あ?……いや、量った事ねぇから……」


「うーん、まぁそりゃそうか。えーと……」


女はオーカの身体をジロジロ見る。上か下までじっくりと……


「…………48kgかぁ……ちょっと痩せ気味じゃないのぉ? 」


「えっ」


48kg……言われてみれば、オーカはだいたいそんくらいの重さだった気がする。


しかし目測で量ったのか……?


「量は……これで大丈夫だね」


女は注射器を取り出し、オーカの腕を触る。すると……


「うぁ……?!いやぁっ……!いやぁぁっ…! 」


突然オーカが暴れだした。どうやら起きてしまったらしい。


熱で頭がハッキリしてないのか、まるで子供のようだ。


「あらら……。動くと危ないって」


「……えーと、ごめんね?キミ、ちょっと大人しくさせられる? 」


「あー、ハイハイ……」


俺はオーカに近づき、頬に触れる。


……全くもってクソ熱い。


「ほら、こっちを見ろ。オーカ」


「俺だ。ちゃんと傍に居るから」


「だから安心しろ……な? 」


オーカが俺の顔を見る。発する言葉はうわ言ばかりで何言ってるかさっぱりだったが、落ち着きはしたらしい。


「はーい、チクッとするからね~……」


女はそう言うとすかさず針を刺す。


その動きはとても素早く……


「はい終わり~頑張ったねぇ~」


「早っ」


……一瞬で注射を終えてしまった。


オーカもなんとも無さそうだ。おそらく針を刺された事にすら気付いていないかもしれない。


「……ふぅ、ま、こんなとこかな~」


「"これ"、結構キく奴だから、5分もすればだいぶ落ち着く筈だよ」


こうして、女の処置が終わった。


アルコール臭まみれの人間とは思えない、惚れ惚れするほどの手際の良さだった。


ついさっきまで疑心暗鬼だったのに、正直今では"彼女なら大丈夫だろう"という安心感を覚えさせられる程だ。


「あぁ、でもこれは重症化した時の応急処置みたいなものだから、ちゃんと治す為に薬も飲ませなきゃいけなくてねぇ……」


「あいにく今は持ち合わせとかないからさ、明日の朝にでもここに来てくれる? 」


そう言いながら、彼女は一切れの紙を渡してきた。


地図のようだ。とある1点に目印が付いており、幾つかのメモが書いてある。


「あと、水とかはちゃんと飲ませてあげてね?それに今凄い熱いけど、本人的には逆に寒いと思うから、ちゃんとあったかくしてあげること」


「ご飯は……まぁ喉の痛みとかはない筈だから、何でも食べられはするだろうけど……」


「一応、消化に良さそうなものを食べさせてあげてね」


「わかった? 」


「……ああ」


言うべき事には全部言ったのか、彼女は出口に向かっていく。


「よーし。じゃあ帰ると──」


「ちょっと待ってくれ」


「ん?あー、お代なら───」


「……何でだ? 」


「へ? 」


俺は帰ろうとする彼女を引き留めた。


「何で……ここまで……」


「………"何で"、かぁ……」


「何で……だったんだっけ………」


「…………」


空白の時が流れる。


「……それが、私がしなくちゃならない事だから……?かなぁ……? 」


……疑問形なのかよ。


「……そうか」


「あぁそうだ、それと名前だ。あんた名前は? 」


「私?私は……」


「……えーと……」


……何で自分の名前を言うのに"えーと"が入るんだ……


「あぁそうだ、"ロマシュカ"…」


「"ロマシュカ・ドクトール"。そう、それが私の名前」


「ロマシュカ……そうか」


「俺は、"レイラ"。あっちは"オーカ"」


「今日はありがとう。ロマシュカ……さん」


「んー、じゃあ明日の朝に」


そう言うと、彼女はそのまま隠れ家を出ていった。


…………


……"さん"って……


なんでかつい敬語になっちまった。


オーカを見ると、未だ苦しそうではあるが、呼吸はかなり安定していて、さっきまでと比べて顔つきもかなり安らかだ。


まさか……本当に………


……とりあえず、一晩しっかり看病してやるとしよう。


俺は部屋の電気を弱くし、オーカの傍に行く。


すると……


「んぁ…」


彼女は俺の裾を掴みながら、布団を少し広げる。


まるで俺を誘うかのようだ。


……ああ、うん。やっぱり"それ"が良いのか。


そう思うと、俺は"いつも通り"に彼女の布団の中へ潜り込んだ。


「アハ……ハァ……ハァ……」


「…んぅ……んー……」


俺が布団に入り込むや否や、彼女は俺をしっかり抱き締めて、胸に顔をうずめる。


「……あぅ……さむぃ……」


今日はいつにも増して密着してくる。


こんなに身体は熱いのに、本人は寒く思ってるってのは本当らしい。


特に足に至っては、俺の足に執拗に絡ませてきたり、擦り付けてきたり……末端が一番冷えるのか?


「れいぃ……」


「おー…よーしよーし……ちゃんと居るからなー……」


「ゆっくり寝るんだぞ……オーカ……」


まるで子供をあやすかの如く、オーカの頭を撫でながら優しく囁きかける。


……なんだか、とても愛おしい。


このいくらでも涌き出てくるような謎の感情を感じつつ、オーカを寝かしつける。


「スー………スー………」


するとしばらくして、ようやく寝付けたようだ。


俺も目を閉じる。


……いつも通り、とても良い匂いだ。心が安らぐ。


ほんの数時間前の不安が嘘のように、その日はそのまま眠りに落ちた。


  ──────────────────

   数年前 カグサメ・レイラ 5:30

      第6番開発都市 隠れ家

  ──────────────────


ふいに目が覚める。


どうやらもう夜明け間際のようだ。


オーカの様子は、やはり良好なままだ。


ほんの少し熱っぽいが、昨日に比べりゃ遥かに良くなってるし、呼吸も安定している。


……どうやら、あの女…ロマシュカに頼ったのは、正解だったらしい。


俺は起き出して、飯の用意をすることにした。


「消化に良いもん、ねぇ……」


俺は冷蔵庫や棚を色々物色する。


水と、果物や豆の缶詰めと、トマトスープのレーション……まぁこれで良いか。


いつもオーカが作るようなもの程出来の良い飯は作れないかもしれないが、まぁやるだけやってみよう。


俺は料理を開始する。


  ──────────────────

   数年前 カグサメ・レイラ 6:00

      第6番開発都市 隠れ家

  ──────────────────


……よし、出来た。


豆を柔らかく煮てトマトスープにぶち込んだだけの簡単な料理だが、ひとまずこのくらいで良いだろう。


果物の缶詰めも開けて器へよそっておく。


……ごぞごそという物音が聞こえてきた。


どうやらオーカが起き出したようだ。作った料理をそばにあるテーブルまで運んでやる。


「よう、具合はどうだ? 」


「……んぁ…うん……まぁ……へーき…かなぁ? 」


「そうか。飯、食えるか? 」


「うん……」


器をオーカに渡そうとする。すると………


「んぁ~~………」


……オーカが口を開く。まるで何かを期待するかの如く。


……もしかして、食べさせてもらいたいのだろうか。


「……しょうがねぇな」


俺はスプーンでスープを掬うと、多少冷ましてやってからオーカの口へ運ぶ。


「……あむっ」


「どうだ? 」


「……ん~…おいひい」


「……みず」


「えっ水もか……? 」


本当に子供みてぇだな……


その後も、甲斐甲斐しくオーカに飯を食わせてやった。


「んふふ~~…ん~~」


………なんか幸せそうだな。コイツ。


  ──────────────────

   数年前 カグサメ・レイラ 7:30

      第6番開発都市 隠れ家

  ──────────────────


……さて、そろそろだろうか。


あの後しばらくオーカの世話をしてたが、とりあえずこの分なら多少一人にしても大丈夫だろうと判断した。


行くとするか。


「オーカ、俺はちょっと出てくる。少し待っててくれるか? 」


「ああ……うん、分かった」


「もしなんかあったらすぐ連絡しろよ」


「うん……いってらっしゃい。レイラ」


俺は昨日手渡された紙切れを見ると、そのまま家を出ていった。


  ──────────────────

   数年前 カグサメ・レイラ 8:15

第6番開発都市 スラム地区 ウーシェンズ・バベル

  ──────────────────


………ここか。


今俺が居るのはスラム地区の一角、大量のビルが一つの塊のように無造作に積み上げられた場所……"ウーシェンズ・バベル"。


ある巨大なジャンカーズグループが仕切る超巨大集合建造物であり、内部は違法建築を超えた違法建築の積み重ねで最早一つの大迷宮だ。


その中を上へ下へ、右へ左へひたすらに歩き、たどり着いたのはとある"バー"だった。


紫のネオンの看板が妖しく光る。


……"レイヴンズネスト"……


本当にここで合ってんのか…?


恐る恐る、俺はそのドアを開いた。


  ──────────────────

   数年前 カグサメ・レイラ 同刻

  ウーシェンズ・バベル レイヴンズネスト

  ──────────────────


バーに入ると、まず飛び込んで来たのはやけに野太くて力強い声と、男の声だが女のような喋り方をする声だった。


「──ったく、いくらハンデだっつっても、あんなボロボロの"VD"寄越す奴があるかッてんだよ……ほぼ壊れかけだったぞありゃァ」


「でも、勝ったんでしょ? 」


「ハッ、たりめェだろ。ジャンカーズ如きに負けちゃあ"チャンピオン"の名折れッてもんだ」


「それにあんなクソみてぇなパーツまみれのVDでも使いようだぜ」


「こういうとこで乗り手の技術ッてのが出ンだよ」


「ふーんああそう……あら? 」


カウンターの奥に立っていた、茶髪で小綺麗な身なりをしたオネェ口調の男がこっちに気付く。


この店のマスターだろうか。


「いらっしゃい。適当なとこに座ると良いわ」


「ああ…いや、呑みに来たんじゃなくてだな…」


マスターが怪訝そうな顔をする。


「……ロマシュカ・ドクトールって人に呼ばれて来たんだ。ここにいるのか? 」


マスターは納得したような顔をすると、奥の階段に向かって声を張り上げる。


「ロマちゃーん!患者さんよー! 」


……………


…………………。


反応がない。


「……まーた酔い潰れて寝てンじゃねェのか? 」


黒い肌、スキンヘッドでグラサンをかけた、力強い声の大男が口を開く。


「もう、自分から患者さん呼んでおいて寝こけちゃあダメでしょおに……」


「……あー、お兄さん、もう上行って直接起こして来て貰える?お願い」


「……はぁ」


言われるがまま、俺は奥の階段を上って行った。


……………


……上へ昇ると、そこに広がっていたのは紙と、よく分かんない器具達だ。それらが無造作に散らかった部屋だった。


うわっ、汚ったねぇ……


足の踏み場にも困る様相の中、奥へ進んでいくと……


「……スー……スー……」


……居た。ロマシュカだ。


机に突っ伏したまま、爆睡している。


そして昨日と変わらずめちゃくちゃ酒臭い。


「……あの」


声をかけてみる。


しかし反応はない。


「あの、起きてくれないですかね」


肩を揺すってみると、ようやく反応があった。


「んん……? 」


ゆっくりと目が開く。


焦点のぼやけた青い瞳が俺を捉える。


「…………えーと……」


「…………」


「オーカ君? 」


「レイラです」


「ホラ、薬、出してくれるって……」


俺がそう言うと、彼女は目を見開いて飛び起きた。


「あー……あー!はいはい、ゴメンね。ちょっと待ってて」


そう言いながら、彼女は薬品の詰まった棚を漁る。


すると一つの小さい紙袋を取り出した。


「ほら、コレね」


俺はその紙袋を受け取る。


「えーと、1回につき2錠、1日3回、毎食後に飲ませてあげてね」


「これでだいたい1週間分はあるから」


「ああ、どうも……」


「それと……」


彼女は冷蔵庫から何か箱を取り出す。


「……これ、栄養ドリンクね」


「あんまり良いもの食べて無さそうだったからさぁ。まぁこれで幾分栄養補えると思うよ」


「……助かります」


「……あとキミ」


「はい? 」


「ちょっと背中向けて」


「は?何を……」


「ホラ、背中、穴空いてたでしょ。手当てしてあげるから」


「いやこれは別に……」


「良いから良いから。ホラ……」


彼女はそう言うと、俺のジャケットを脱がしシャツをめくった。


しかし、どうやらそのまま固まってしまったらしい。


「……あれ? 」


そりゃそうだろう。昨日はしっかり空いてた穴が、今はバッチリ塞がってるんだ。


俺は普通の人間とは違う。弾丸さえ取り出してしまえば、後は放置するだけで勝手に治る。


「……だから言っただろ大丈夫だって」


「ああ、うん……。凄い……んだねぇ……」


俺は服を着直す。


…………


…………さて、そろそろ切り込むか。


そして、一番肝心な事を話し始めた。


「…………で、いくらなんスか? 」


金の話だ。彼女にはだいぶ良くして貰った。こんなスラムじゃあ到底受けられないような治療をしてくれた。


薬代も合わせ、それなりの金は払う事になるだろう。今の手持ちで足りると良いんだが……


しかし、そんな俺の考えは全てフッ飛んでしまう事になった。


なぜなら……


「えっ?いや、要らないけど……」


「……はい? 」


「いや、だから、お金は払わなくて大丈夫……」


…………何を言っているんだコイツ。


そんな訳ないだろう。ここまでやったんだ。何か対価を……


そこで俺はハッとした。


そうか、何も対価は金だけじゃない。


「あぁ、じゃあ何かやって貰いたい事が……」


「いや、別に……」


嘘だろ嘘だろ嘘だろ。


なんかもう怖くなってきた。なんなんだ本当に。


そう思っていると、彼女は俺の背中を押して階段まで押していった。


「あーほらほら、オーカちゃん待ってるんでしょ、早く帰ってあげなって」


「えっ、ちょっ……」


「それじゃ、お大事にね」


彼女は俺を部屋から追い出すと、そのまま扉を閉めてしまった。


……冗談だろ?


俺は現実を受け入れられないまま、とりあえず一階へと下りていった。


………………


………一階には、マスターだけが居た。


……タバコを吸っている。嫌なニオイだ。


俺はマスターへ話しかける。


「なぁ……これ……あの人に渡しといてくれないか? 」


俺は手持ちの金をカウンターに置く。


それなりの額がある筈だ。


マスターは、タバコをふかしつつこう言った。


「あぁ~……あの子"また"やったのね……」


「また? 」


「あの子ねぇ…ちょいちょい無償で治療をしちゃうのよ。変なのが寄り付いちゃうからヤメロって言ってるんだけどねぇ…」


「まぁこれはちゃんと預かっとくわよ。安心しなさい」


……ますます分からなくなってくる。


どうして彼女はそんな事を……


ふと昨日の一言を思い出す。


……"それが私のやるべき事だから"……ねぇ……


「……ところでお兄さん、"灰色の狼"でしょ」


「……なに? 」


……いきなりの一言に少しギョっとした。


"灰色の狼"。俺の昔の二つ名で、今俺に"依頼"をしてくる奴の中にも、俺をそう呼ぶ奴が居る。


……こいつ、ジャンカーズとかか?


「……だったらなんだ」


「ああいや、別に取って食おうって訳でも、仕事を依頼しようって訳でも無いのよ」


「ただあんた、今は盗みとか、ジャンカーズからの安っすい依頼で日銭を稼いでるんじゃないの? 」


……まぁ事実ではある。


盗みはアタリを引ければ良いが、そうでないことの方が多いし、ジャンカーズどもの依頼は正直そんな割が良くない。


「単刀直入に言うわ。あんた"雇われ"になるつもりはない? 」


「"雇われ"だと? 」


"雇われ"。それは金によって様々な依頼を遂行する"傭兵"みたいなもんだ。


……そういえば俺も1、2回位"雇われ"に襲われた事があったっけか。


「今と同じ位危険な仕事なのには変わり無いけど……」


「少なくとも、あんたなら今より遥かに稼げるわよ」


「それに、"雇われ"になれば"身分証"も発行出来る」


「つまり、今よりもっと良いとこに行けるかもしれないし、良い暮らしが出来るかもしれないってワケ」


彼は深く息を吐く。


「まぁ今すぐとは言わないわよ。興味があるなら、またここに来なさい」


俺はマスターの話を聞くだけ聞いて、何も言わず店を出た。


…………


……"雇われ"か。


まぁ確かにアリかもしれないな。


最近はジャンカーズどもに目をつけられまくって辟易してたとこだ。


それに、今回の一件で思い知らされたが、やはり身分証は欲しい。


アレが無いと俺らみたいなやつらは"荒廃都市"から出ることが出来ない。


やっぱりスラムでの暮らしは不便だ。


それに───


突然ポケットのスマホが鳴り出す。オーカからのようだ。


「…あー、もしもし? 」


「ねー、まだ帰って来ないの? 」


いつもの明るいオーカの声が聞こえる。


「ああ、大丈夫。今帰る所だ」


「薬を貰いに行ってたんだ。ちゃんと飲めよ? 」


「えー……粉とかじゃないよねそれ」


「安心しろ錠剤だから。……じゃあ切るぞ? 」


「はーい」


……それに、オーカにはもっと楽させてやりたい。


その為なら、俺はなんだって出来る。


……全く、人生ってのは分からないものだ。


間違えたと思った選択が、実はそうじゃなかったりする。


まさか、こんな出会いがあるとはな。


お陰で、今の俺には新たな道が拓かれた。


"雇われ"になるという、新たな道だ。


結局、自分が選んだ選択には、胸を張って突き進むしか無いのだ。


何を選ぼうと、道はその先へと続いていくのだから。


……でもまぁひとまずは家に帰るか。オーカが待ってる。


俺は軽い足取りのまま、隠れ家へと帰っていった。

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