『気分転換のつもりだったのに』
明けましておめでとうございます。今年もマイペースに更新を続けていきたいと思いますので、なにとぞよろしくお願いいたします!
実は、かなり悩んでいる。
今さらすぎるし、毎回のことだが、馴染みすぎている気がしてならない。
良いことではある。
任務があって、それに従い、うまくいっているはずだ。
女装がばれることもなく、生活は楽しい。
それでも、本当にこれでいいのだろうかと思ってしまう。
男子として、この状況を喜んでいいのか。
悩みは尽きない。
予想以上に女装がうまくいっていることは、体感としてはっきり伝わってくる。
何せ、疑われる気配がまったくない。
そんなに女顔だったか?
そう思わずにはいられないが、別に失敗したいわけでもない。
ばれた瞬間、終わりなのだから。
けれど、ここまで気づかれないと、逆に不安になってくる。
男でいられる瞬間と、女装して女性でいられる瞬間。
その二つを、別々に、ちゃんと欲しがっている自分がいる。
所謂、ホームシックならぬ――ボーイシックなのかもしれない。
男として、何にも気を遣わずに生活したくなっている。
そう。
そんなことを考えていたから、俺は実行してしまった。
寮を出て、男性の服に着替える。
以前、沙耶の件で男装したときの服を引っ張り出した。
ありのままの自分でいるはずなのに、
それでも「男装している」と錯覚してしまうのが不思議だった。
男性のときでも、女性のときでも、
どちらでも偽っている気分になるのは、なぜなのだろう。
昔は、身だしなみや仕草なんて、ほとんど気にしたことがなかった。
それなのに今は、この姿でも気になってしまう。
無駄に髪を触ったり、服の具合を確かめたり。
まあ、昔まったく気にしなかった分、帳尻が合っているのかもしれない。
普通の人は、きっとこのくらい気にしているのだろうし。
町に出ると、肩の力が少し抜けた。
スカートの裾を気にする必要もない。
歩幅を小さく揃える必要もない。
自然と、歩く速度が上がる。
無意識に背筋を伸ばしている自分に気づき、少しだけ苦笑した。
ポケットに手を突っ込み、信号待ちの列に並ぶ。
周囲の視線は確かにある。
けれど、それは値踏みするようなものじゃない。
ただの「通行人」として処理されている視線だ。
――ああ、楽だ。
誰にも期待されていない。
誰にも役割を求められていない。
それが、こんなにも気楽だなんて思わなかった。
ショーウィンドウに映る自分の姿を見る。
男の服を着て、男の立ち方をしている。
どこかぎこちないが、不自然というほどでもない。
先に来たのは、懐かしいという感覚だった。
安心とは少し違う。
それでも確かに、「戻ってきた」気がした。
今日だけ。
ほんの数時間だけ。
そう自分に言い聞かせながら、町を歩く。
逃げているわけじゃない。
確かめに来ただけだ。
……本当にそうなのかは、分からないけれど。
駅前から少し外れた場所にある、小さな書店に入った。
冷房の効いた空気が、身体に心地いい。
「いらっしゃいませ」
レジから投げられた声は、事務的で淡々としていた。
それだけで、また少し肩の力が抜ける。
女性として扱われない。
かといって、男だと強く意識されるわけでもない。
ただの客。
ただの、男の一人。
棚の前に立ち、何気なく本を手に取る。
視線も距離も、何ひとつ特別じゃない。
――楽だ。
そう思ってしまった瞬間、胸の奥がちくりと痛んだ。
それでも、否定できなかった。
今の自分は、確かにここに溶け込めている。
考えなくていい。
声の高さも、姿勢も、視線の落とし方も。
間違えないように気を張る必要がない。
それが、こんなにも楽だなんて。
そんな考えが浮かんで、慌てて打ち消す。
楽でいいはずがない。
これは、ただの気分転換なんだから。
店を出た。
外の空気は少し湿っていて、夕方の匂いがした。
人の流れに混じりながら、自然と歩き出す。
――そのときだった。
視界の端に、見覚えのある色が引っかかる。
長い髪。
背の高さ。
少し気だるげな歩き方。
考えるより先に、胸が跳ねた。
……沙耶?
一瞬、目を疑う。
けれど、見間違えるはずがなかった。
会ってもいい。
男装していることは、沙耶も知っている。
隠す必要なんて、どこにもない。
なのに。
身体が、勝手に止まった。
次の瞬間、俺は近くの柱の陰に身を寄せていた。
――なんで。
自分でも分からない。
息が、少しだけ荒くなる。
別に後ろめたいことはしていない。
ただ、男の格好で外を歩いていただけだ。
さっきまで、「楽だな」なんて思っていたくせに。
その感覚が、今はひどく汚いものに思えた。
沙耶は、何も知らずに歩いている。
こちらに気づく様子もない。
……俺は。
俺は今、男でいる自分を守るために、彼女から逃げた。
その事実が、胸の奥に重くのしかかった。
沙耶の姿が、視界から消えるまで待った。
足音も、人混みに溶ける気配も、完全に感じなくなってから、ようやく柱から離れる。
……何をやっているんだ、俺は。
その場に立ち尽くしたまま、しばらく動けなかった。
胸の奥に溜まったものが、うまく言葉にならない。
楽だった。
確かに、楽だった。
男として扱われて、何も考えずに町を歩けて。
それが嬉しかったことも、否定できない。
でも――だからって。
沙耶から、逃げた。
それが、どうしようもなく情けなかった。
歩き出す。
さっきまでより、足取りは重い。
ポケットに突っ込んだ手に、無駄に力が入る。
俺は、何から逃げたかったんだろう。
男でいる自分を、見られたくなかったのか。
それとも、女としての今の立場が壊れるのが怖かったのか。
……どっちも、なのかもしれない。
寮に戻る頃には、空はすっかり暗くなっていた。
部屋に入ると、静けさがやけに重く感じられる。
制服に着替え、鏡の前に立つ。
そこに映るのは、いつもの「朱里」の姿だ。
見慣れているはずなのに、今日は少しだけ距離を感じる。
さっきまで着ていた男物の服が、頭をよぎる。
楽だった感覚が、しつこく残っている。
……最低だな。
誰に言われたわけでもない。
自分で、自分にそう言い聞かせる。
沙耶は、何も悪くない。
俺が勝手に悩んで、勝手に逃げただけだ。
ベッドに腰を下ろし、深く息を吐く。
女装が辛いわけじゃない。
この生活が嫌なわけでもない。
なのに、どちらでもない自分を欲しがってしまう。
それが、いちばん厄介だった。
――明日、どういう顔をして会えばいいんだろう。
考えたくなくて、目を閉じた。
翌朝。
食堂へ向かう廊下で、聞き慣れた足音がした。
反射的に、そちらを見る。
「おはよ、朱里」
沙耶だった。
いつも通りの、少し眠たそうな顔。
「……お、おはよう」
声が、ほんの少しだけ硬くなる。
自分でも分かるくらい、不自然だった。
「? どうかした?」
「え? いや、別に」
視線を逸らしてしまう。
昨日のことが、頭から離れない。
町で見かけた、あの横顔。
そして、逃げた自分。
「なんか今日、落ち着きないね」
「そ、そう?」
「うん。珍しい」
沙耶はじっとこちらを見てくる。
見透かされている気がして、胸がざわつく。
「寝不足?」
「……まあ、そんな感じ」
嘘ではない。
けれど、理由は言えない。
「無理しないでよ。今日は授業も長いんだから」
「うん。ありがとう」
それだけの会話なのに、やけに疲れた。
並んで歩きながら、距離感がいつもと違う気がする。
実際は、何も変わっていないはずなのに。
――俺が、変に意識しているだけだ。
分かっているのに、視線を合わせられない。
「……昨日さ」
沙耶が、ふいに口を開く。
心臓が、跳ねた。
「なに?」
「いや、何でもない。今度また勉強見よっかって思って」
「……うん」
それだけだった。
拍子抜けするくらい、普通の話題。
なのに、胸の奥が少しだけ痛む。
昨日、逃げたこと。
今、隣にいること。
どちらも本当で、どちらも自分だ。
その事実を、まだうまく飲み込めないまま、俺は沙耶と並んで教室へ向かった。
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