3.ヤノシュ教官のよくわかるエシャムール講座
異世界に来た翌日、昨日の混乱が嘘のように爽やかな朝を迎えた鞠達は、改めて自分達が見知らぬ土地へ来てしまった事を確認する。そして宿屋のクルティスに描いてもらった簡単な地図を元に、ヤノシュやルディクと落ち合うためギルドへ向かった。
入り口に木製の大きな看板が掲げられた建物の前は、すでに多くの冒険者で賑わっていた。鞠は緊張と期待が入り交じる中、顕孝、晴翔と共にギルドへ入る。
「よう、あんたら。元気そうで安心したぜ」
「ヤノシュ、昨日はお世話になりました。今日もよろしくお願いします!」
笑顔で声をかけてきたヤノシュに鞠が元気よく応じた。
顕孝や晴翔とも挨拶を交わしたヤノシュは、彼ら三人を受付へ案内する。
「んじゃ、まずは冒険者登録からだな。おーい!ここ三人まとめて新米登録頼む」
ヤノシュが手を上げて声をかけると受付の奥にいた女性が近づいてきた。
「では、まず始めに名前を教えてください」
三人が順に名乗ると、次は使用武器の登録に移った。
「いつでも変更できるからとりあえず得意なもんがあればそれで登録して大丈夫だ」
ヤノシュのアドバイスに従って顕孝は格闘技と短刀、晴翔は武道と拳銃、そして鞠は薙刀を登録する。
「驚いた、マリも武器が使えるんだな」
ヤノシュが感心したように言うと、鞠は少し照れて控えめに宣言した。
「わたし薙刀ちょっとできる」
続いて受付の女性は厚みのある石板を差し出す。板には文字や模様が彫り込まれ、微かな輝きを放っていた。
「では、最後にこちらへ利き手を乗せてください」
鞠は少し緊張しながら自分の利き手を慎重にその石板の上に置いた。すると、板の表面に刻まれた紋章から青白い光がゆっくりと立ち上り、彼女の手のひらを優しく包み込む。受付女性は魔法の光が彼女の手から情報を抽出していると説明した。
板から伝わる微かな振動を感じながら、鞠が登録の完了を待っていると、光は消えるどころかだんだんと強まっていく。
その様子をみた受付の女性が板を確認して鞠に問いかけた。
「あら、あなた使用武器に魔法は登録しなくていいの?」
「私、魔法使えるんですか?」
女性と鞠は不思議そうに顔を見合わせ、同じ方向へ首を傾げた。
二人のやりとりを見ていたヤノシュが吹き出しながら近寄ってくる。
「魔力の持ち腐れじゃねえか。物知らずとは思ったがここまで来ると逆に感心しちまうな。魔法はこれから学ぶだろうし追加しとくか」
ヤノシュの言葉を受けて女性が手続きをすると、光は数秒後に消え去り、鞠の冒険者登録が完了した。
受付女性はチェーンのついた小さなプレートを取り出すと鞠が手を置いていた板の上へ乗せる。不思議に思った鞠がヤノシュに尋ねると、情報の同期を行っていると説明された。
「こちらがあなた方の冒険者としての身分証です」
続けて顕孝と晴翔の登録が終わると、女性が鞠達にそれぞれプレートを手渡す。金属のプレートはひんやりとしており、表面には美しい模様が細やかに刻印されていた。
鞠は、その身分証を門兵から渡されたまだ新しい滞在許可証と一緒に首にかけた。金属製の身分証は、彼女の胸元で小さく揺れて、冒険者の証を誇るかのように光を反射している。鞠はその重みを感じながら、新たな生活の始まりに胸を躍らせた。
「これで晴れて冒険者の仲間入りってわけだ。普通はこっから冒険者の心得を教えたり実践に入るんだが、昨日言った通りあんたらには基礎の基礎から叩き込むぞ」
ヤノシュがそう言って受付の横にある部屋へ鞠たちを連れて行くと、中にいたルディクが三人を大きなテーブルへと導く。テーブルの上には、エシャムール大陸の地図が広げられていた。
「まずはエシャムール大陸の地理からだな。俺たちが今いる国がアロホルブ。北が森で、南が王都だ。森から王都へ向かって進むとこの街に着く。んで街からさらに進むと東に迷宮、西に鉱山があって最南端に王都ってわけだ」
ヤノシュが指を地図に這わせながら説明する。地図には、広大な森、険しい山岳、そして迷宮などの位置が描かれていた。
続いてルディクが地図を覗き込む鞠達へ向けて説明を始めた。
「アロホルブは魔物の素材や魔石などの資源が豊かだが、逆に言えば魔物の被害や魔石による魔法災害が多い国だ。王都はともかく地方の生活は冒険者に依存していると言っていい」
頷く鞠達にルディクはさらに続ける。
「迷宮を挟んでアロホブの東隣にあるのがエシャムル。名前からなんとなくわかると思うが、エシャムール大陸の中でもっとも歴史のある国だ。エシャム神を信仰する伝統的宗教と神官たちの使う特殊な神聖魔法が特徴でもある」
ルディクがエシャムルについて話を終えると、ヤノシュが引き受けるように説明を始める。
「そんでもって大陸の南端にあるのがディメベル。ここは魔法がかなり発達した国家で、文明水準は間違いなく大陸随一だな。ただ、アロホルブやエシャムルに比べると小せえし、都市開発が進んでて魔石があまり取れねえから資源は他国任せだ」
「エシャムール大陸は概ね今言った三国が中心だが、他にも小さな都市や部族社会が点在してる。特に、北のハレゲブ荒野や南のパライタブア森林は、独自の文化を持っている」
ルディクが地図で該当する地域を指差しながら説明し、鞠がそれに聞き入りながら興味深そうに地図を見つめる。
「まあ、なんだ。あんま一気に詰め込むとわけわかんねえだろ? 今んとこはアロホルブについて覚えときゃなんとかなるさ。エシャムル、ディメベルの地理だとかそれ以外の国のことは追々な」
ヤノシュは地図をトントンと指の背で叩きながら場を和ませるように言う。
「こっからはお待ちかね、冒険者の心得についてだ。冒険者に限らず、仕事をする上で大事なのはなんだと思う?」
先程までの一方的に説明を聞くスタイルから突然対話形式のヤノシュ講座が始まって鞠は面食らうが、少し考えてから口を開いた。
「チームワーク?」
「その通り。人間にはどうしても得手不得手や相性がある。
一人ではできない事でも他人と協力して能力を補い合えば上手くいく。まずはとにかくコミュニケーションだな。ギルドメンバーや他所の冒険者と協力することが多いから、信頼関係は大事だぞ。嘘ついたり、人を騙したりすると、どこへ行っても信用されなくなる」
ヤノシュが力強く言うと、鞠は真剣な表情で頷いた。
「そんで次に、自分の限界を知ることだ。冒険は自分の能力を超えるものじゃない。無理な冒険に挑むと、自分はもちろん仲間を危険に晒しちまう。自分の強さを自覚し、無理をしないようにすることが大切だ」
ヤノシュの声は非常に真剣で、彼のこれまでの経験から来る重みのようなものが感じられた。
鞠がつられて険しい表情をして頷くと、ヤノシュはそれに気付いたようで笑いを押し殺しながら続ける。
「それと、金にだらしなくなるな。冒険には儲け話がつきものだが、基本的に命を張る仕事だ。金のために命を投げ出すのは馬鹿げてる。必要な分だけ稼いで、余裕があれば楽しむ。それが冒険者の生き方だ」
真面目に頷く鞠と顕孝に反して晴翔は項垂れながら呟く。
「耳が痛え……」
「なんだ、ハルトは浪費家なのか?」
「晴翔は流行に敏感だよね。あと知識欲もあるから色々買ってるうちにお金がなくなる」
鞠が語る晴翔の人物像を聞いてヤノシュは感心したように頷いた。
「金の管理ができねえのは困るが、知識は大事だぞ。魔物の生態、地形の変化、冒険者の噂話。すべてが命を守る情報になり得る。知識は冒険者にとっての力だ」
晴翔を励ますようにヤノシュがそう語ると晴翔は項垂れたまま親指を立ててそれに応える。
「頑張るっす」
「もちろんヤノシュが言ったことが全てではないが、今言った内容を守ればそこまで酷いことにはならない。さらに自分達に不足しているもの、逆に強みとなりそうなものを把握して行動すれば冒険者としての成長も早まる」
「またごちゃごちゃ言っちまったな。ついでにこれも覚えておけ。困難を乗り越え、未知を探求し、仲間と共に成長する。それが冒険者の醍醐味ってやつだ」
ヤノシュはそう付け加えながら三人の肩を叩いていった。