それは平和だった頃の可愛い思い出
単行本発売記念の短編~!
遅ればせながら、ではありますがw
「さぁルピア、ご挨拶を」
父、アリステリオスに背中をそっと押され、ルピアは一歩前に踏み出した。
「初めまして、殿下。ルピア・カルモンドと申します」
短く、年不相応なほどに落ち着いた表情、仕草でカーテシーを行ったルピアを、王太子リアムは少しだけ驚いて見つめていた。
こんなにも落ち着いた令嬢は、見たことがない。というか、王家の人間を目の前にして緊張しているような雰囲気を感じさせないだなんて、と思わずごくりと息を呑んだほどだ。
「ルピア嬢、初めまして。婚約者なのだから、そんなに固くならずにいてほしいな」
「……かしこまりました」
もっとフランクに話がしたい。
リアムはそう思ったけれど、ルピアの表情は形式上の微笑みをぺたりと張りつけただけの柔らかさしか見せてくれることはなかった。
折角婚約者となったのだから、もっと、もっと、笑顔になってもらいたい。
ルピアが心から微笑んでくれたら、どんなに嬉しいだろうか。そうリアムは思ったけれど、お互いの立場を考えればそうもいかないということは、すぐに察せた。
親同士が決めたこの婚約。王家と由緒正しき公爵家の繋がりの強化のための、結びつきを得るためのもの。
カルモンド公爵家と結び付きを得ておくことで、王家の得られるメリットは相当多い。
王妃も、国王も、ルピアとリアムの顔合わせにはどうやら満足したようだ。
ルピアがあまり笑わないのも、言葉数が少ないことも、ルピアがこういった場に慣れておらず、緊張しているからだ、と国王夫妻は前向きな方向に受け止めてくれているようで、ルピア本人とアリステリオスは安堵の息をこっそりと、気付かれないように吐いた。
「リアム、初対面からあまり無茶を言うものではありませんよ。ルピア嬢、ごめんなさいね」
「……いいえ、問題ございません王妃様」
「まぁ、……公爵、ご令嬢は本当に落ち着いていらっしゃって……これからの成長がとても楽しみね」
「もったいないお言葉にございます」
アリステリオスも、ルピアも、揃って王妃に向き直り、また揃ってお辞儀をした。
国王もリアムも嬉しそうにその光景を眺めていたが、そもそも今日はとりあえず、の顔合わせに過ぎない。
これから正式な婚約締結に向けて会議なども行われるだろうが、まずは一安心だ、とアリステリオスは声に出さずに思った。
帰宅したら、ルピアを褒めてやらねばならない。
何せ、つい数日前に起こった嵐がようやく通り過ぎてここまで落ち着いてくれたのだから。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「嫌!! 嫌よ、絶対に嫌!!」
「る、ルピア、落ち着きなさ……ぶっ!」
「出ていって! お父様も、お母様も大っ嫌い!!」
落ち着きなさい、と言おうとしたアリステリオスの顔面を柔らかな羽毛の高級クッションが直撃した。
痛くはないが驚きが先に来たのに加え、可愛い可愛い娘からの『大嫌い』発言に、アリステリオスもミリエールも愕然とした。
「ル、ルピア、あのね」
「出ていってーー!!」
思い切り叫ばれ、同時にルピアからは魔力も放出される。波のようにぶわりと広がり、そこにいる人たちの息をあっという間に苦しくさせた。
魔力を放った本人は無意識なのだろうが、息がしづらくなってしまったことは、魔力を直接浴びることに慣れていない使用人たち、そして少なからず慣れているはずの公爵夫妻も驚いてしまった。
「お姉ちゃん、ねぇ、お姉ちゃんってば!」
「ルパートも出ていって!!」
自分なら大丈夫、と胸を張っていたルパートだったが、ものの数秒で玉砕した。
「お、おねえ、ちゃん……!?」
双子の弟からの声すら、気遣いすら拒否してしまう。ルピアは、それほどまでにこの婚約話を嫌がったのだ。
物心ついて、アリステリオスの仕事を間近で見ていたルピアはある日突然、きらきらとした目で父に対してこう告げた。
『わたし、大きくなったらこの公爵家を継ぐわ』
親戚一同の前でもあり、おやこれは、と大人たちは嬉しくなったものの、女性が公爵家当主になるのか?と訝しんだ人も少なくはない。
そして、なるといってなれるものでもない。
幼い子供の可愛らしい夢だ、とばかり思っていたがルピアがとんでもない努力の人で、夢を叶えるための努力はなんぼでもする、ということを後日大人たちは知ることになり、結果的に一族総出でルピアを応援することになるのだが、その矢先の王家からの婚約の打診。
烈火のごとくルピアが嫌がり、今、現在進行形で部屋の中で大暴れをしているのである。
公爵家当主としての跡取り教育が始まっていたこともあり、ルピアはまず体を鍛えるところから開始していたというのが、一つ目の不幸。
もう一つは、一族皆が応援してくれているというのに、どうして王家からの婚約を父は持ってきたのだ、という怒りが爆発した不幸。
「(嫌よ……! だって、わたしは……、わたし、は……!)」
ひとしきり暴れ倒したルピアは、ぜえはあと荒い呼吸を繰り返す。
部屋の中は散々たる状態になってしまったのだが、ルピアの心はそう簡単には落ち着いてくれないらしい。
「っ、く……」
ぼろ、と涙が一粒零れてしまえば、もう後はぼとぼとと止まることなく溢れてしまう。
しゃくり上げるだけだったけれど、それどころではないくらいになってきて、ルピアは無意識のうちに声を大きくあげて泣き出してしまった。
「うわあぁぁぁぁぁん!」
嫌だ。
どうして、婚約なんかしなければならないのか。
それが家のためになるとは理解はしている、だが、ルピアが目指していたものからは大きくかけ離れてしまう。
今までの努力は?
あまりにも簡単に『王太子となるリアムとルピア嬢ならば同い年だから、きっと良きご縁となりましょう』と言えてしまうのか。
実際のところ、由緒正しき血筋のカルモンド家ならば一番丁度いいから、というのが国王夫妻の本音だ。
歳が近いとか、気が合いそうだとかは後付けの理由に過ぎない。
わんわんと声を上げて泣くルピアをどうにかして抱き締めてやりたい、そう思ってアリステリオスはルピアの部屋の扉を開けようとしたが、泣きわめくルピアからは変わらず魔力放出がされているようで、内側から押さえられるかのような状態になっており、扉は開いてくれない。
「ルピア!」
ルピアから魔力放出された際、その場の全員が部屋から追い出されるようになってしまったのだが、無理にでも留まるべきだった、とアリステリオスは後悔する。
このままだと、ルピアから魔力が放出されすぎて魔力の枯渇を招く恐れだってある。それは危険だから避けなければならないのだが、どうにも部屋の扉が開かない。
「お姉ちゃん!! ねぇ、開けて!!」
ルパートも扉をばんばんと叩く。姉のそばに居たい、一人にしたくない、と必死に訴えかけても重厚な扉の向こうには、なかなか声は届かないようだ。
「ルピア!! お願いだから落ち着いて!! ルピアー!!」
ミリエールも必死に呼びかける。
中からかすかに聞こえてくる泣き声の大きさから、喉まで潰しかねない、と思うと気持ちばかりがどんどん焦ってしまう。
「……っ、部屋の扉を破る! ミリエール、ルパートを連れて少し離れろ!」
「はい!」
「お姉ちゃん!! 嫌だ、母さん、離して!!」
「ルパート、少しだけだから!!」
嫌だ、お姉ちゃん、と叫ぶルパートを背後から羽交い締めにしてミリエールは扉から離れた。
もう扉をこじ開けるどころか、ぶち破るしかない、と判断したアリステリオスが剣を抜いて切りかかろうとタイミングをはかりかけたその時だった。
──かちゃり。
扉が開き、ぐずぐずと泣きながらルピアが出てきた。
「ルピア!!」
剣を放り投げ、慌ててアリステリオスは娘へと駆け寄ってぎゅうと抱き締める。
ルピアが出てきてくれたことでルパートもようやく落ち着いたのか、ミリエールの腕の中で力を抜いた。
「おねえちゃん……」
「ルピア……良かった……」
ルピアはアリステリオスにぎゅう、と抱き着いて、途切れ途切れに呟いた。
「婚約、を……受け入れ、ます」
「いいや、無理はしなくていい。あまりに唐突だから、お父様が断りを……」
「いいえ。……家の、ため……ですもの……っ」
ぐ、と泣きそうになりながらも堪えて言ったルピアは、ばっと顔を上げた。
「でも!」
そして、力強く続ける。
「公爵になる夢は、私は捨てない!」
先程まで泣きじゃくっていたとは思えないほどハッキリ告げたルピアの目には、強い意志が宿っていた。
「ルピア……」
アリステリオスは、そんな娘をじっと見つめる。
「だから、力を貸して。お父様も、お母様も、もちろん、ルパートも」
あぁ、この子はもう決めてしまったのだ。
こんなにも幼いのに、己の役割を理解してしまった。
けれど、夢も諦めない貪欲さまでも持ち合わせてしまったのか。
アリステリオスも、ミリエールも、もちろんルパートも。
何があろうと、これから先、ルピアの絶対的な味方でい続けようと、心に誓ったのだった。
書きたかったルピアの大あばれです。