引きこもりと罵られましたが、それはあなた様のせいですわよ?
初めてオリジナル設定で書いた拙作です。設定はゆるっとしてます。
大目に見ていただけると嬉しいです。
ここは王立学園。王侯貴族の子息令嬢たちのみならず、成績優秀であれば爵位を持たない者も通うことができる。
王国の未来を担う若者たちが集う学園では、身分に関わらず平等に扱われ、対等な立場で日々切磋琢磨していた。
そして四半期に一度開かれる夜会は貴族社会に生きる上で必要なスキル――授業では得られない実践的な社交を学ぶ。卒業してから恥をかかぬように。
今宵も美しい弦楽器の生演奏がダンスホールに響く。着飾った生徒たちは流れる音楽に合わせてパートナーと踊ったり、グラスを片手に談笑したりと、各々が楽しんでいた。
その楽しい宴も終わりに近づいた頃、水を差すような声が一つ響く。
「フリーレ・ライラック! 貴様との婚約破棄をここに宣言する!!」
照明に照らされてきらめく銀髪に、王家特有の翠色の瞳。白の夜会服に身を包み、高らかに宣言するのは、ここブルーム王国の王太子アルベルトだ。背中には女の影がある。
名指しされた公爵令嬢フリーレは、思わずため息をつきそうになった。やはりこうなったかと。
あのバカ殿下のせいで、周りの視線がこちらに突き刺さる。ああ、仮にも未来の国王様に“バカ”だなんて言ってはかわいそうですわね。
けれど大半の生徒が呆れ、失笑しかけているのにお気づきになりませんのね。王太子だというのに、視野がお狭いこと。
「…理由をお聞きしても?」
「とぼけても無駄だ。ティナがそれを証明している!」
不躾にもこちらを指差したアルベルトの背中に隠れていた令嬢が、体を震わせながら恐る恐る顔を出す。その顔には見覚えがあった。
ティナ・イヴラン。父親は船を使った貿易で財を成し、二年前に男爵に叙されている。それに伴い娘である彼女は、編入という形でこの王立学園へ入学してきた。
そしてアルベルトがティナ嬢に入れ込み始めたのは、二ヶ月前ほどから。新興貴族である彼女は少しでも条件のいい相手を求め、婚約者の有無に関わらず男性たちに声をかけているという噂があった。
要領が良かったり、頭の良い殿方は遠回しに甘い誘いを断っているというけれど、誘惑に乗ってしまった方々は家族や婚約者からお咎めを受けているらしい。
まあ、貴族社会を生きる普通の人間であれば、問題を起こさないために回避するのが良策だと気づけることだろう。
その噂を知らなかったのか、あるいは知っていて恋をしてしまったのか。愚かな王太子アルベルトは、ティナ嬢の仕掛けた誘惑にまんまと引っかかったそうだ。
今日も彼から贈られたであろう上品なフリルの白いドレスを身に纏い、桃色のふわふわな髪をなびかせ、藤色の瞳を潤ませたティナ嬢はアルベルトを見上げている。白を選んだのは、あたかも自分たちが被害者だと言うためというところか。私はドレスどころか、装飾品の一つも贈られたことはないというのに、随分な待遇の差だと思う。
実際に今、私が身につけている青藍色のドレスは、アルベルトが贈ってこないことにしびれを切らしたお父様が『お前の好きなデザインで作って良い』と、御用達の仕立て屋へ注文してくださったものだ。装飾品はお母様の持っている中から、今夜のドレスに一番似合うものを選んでもらった。
おかげで金色の髪が映えるようなスタイルになり、夜空にきらめく星のようだと周りから声が聞こえる。そういえば、アルベルトから贈られるものはいつも(贈り物をしたことがないというのに……従者にでも指示していたのでしょうか…)、私が目立たぬように地味なものばかりだった。
なのに気に入った女には、好みのものを与えるのか。しかもあれはおそらく、国費から出している。私に割り当てられた予算で。
まったく、本当にどこまでも脳内お花畑な方々ですわね。何度も忠告しましたのに、おバカな殿下はおわかりになっていないようですわね。
すぐにでも婚約破棄を了承したいところですが、相手の主張を聞いた上で反論せねば私はただの“悪女”で終わってしまいますので、一応聞いてみることにいたしましょう。
「私が男爵令嬢を虐げたと。自信がおありのようですが、証拠は?」
「当然だ! 俺が直々に調べさせたのだからな!」
私が呆れた目をしているのを、自分の女へ嫉妬した視線と捉えたのか。これは都合がいいとアルベルトは勝ち誇ったように、ありもしない罪をつらつらと並べ始めた。
「まず貴様はティナの私物を破壊した。鞄や教科書、時には俺が贈ったドレスや装飾品も粉々にされたと、彼女が泣きながら証言してくれたのだ!
さらに貴様が主催する勉強会にも、お茶会にも、ティナだけが呼ばれていない!
それだけでは飽き足らず、ティナが男遊びをしていると悪評まで流す極悪非道者め!!」
私には挑発的な視線を向けつつ、ティナ嬢は震えながらアルベルトに縋りつく。最後のはただの事実ですのに、まるで私が流した虚言のように捉えるなんて。本当にご自分の都合のいいところだけを切り取ってますわね、このバカ王子。おそらく国王陛下にも話を通していないのでしょう。
「ごめんなさい、フリーレ様! 私が殿下を愛してしまったから…」
「謝る必要はない、ティナ。君は何も悪くない」
「アル様…!」
謝る気も、罪悪感もないでしょうに。そもそもあなたに名前を呼ばれる筋合いはありませんわよ?
ハンカチで出てもいない涙を拭うティナ嬢を、アルベルトは優しく抱き寄せる。それを見ていちゃつくのなら外でやれ、と二人に呆れた目を向けた。
「ハッ、思い当たることがありすぎて、ぐうの音も出ないか。この役立たずの“引きこもり”」
「……はぁ」
引きこもり令嬢、引きこもり姫――学園内のみならず、社交界や王宮内でも呼ばれる私の別称です。そう呼ばれる理由を二人は知らないのでしょう。
それにここでその呼び名を出すのは、あなた方にとって非常に不利になるのですけれど……まあ、気づいていないから、言っているのですわね。周りが見えないおバカな王太子殿下と、私を嘲笑している男爵令嬢は。
七歳で婚約してから早十年。親同士が決めたものだとしても、好き合ってのことではないとしても。私のことを知らないというのは、婚約者を蔑ろにしすぎではないかしら。
ただ婚約破棄を言い渡されるだけでしたら、了承して両親にも説明いたしましたのに。これだけ言われれば、さすがに私も限界ですわ。
さて、反撃開始しましょう。
「では殿下。私があなた様の仕事を代わりにやっているのをご存知ですか?」
「仕事? なんだ、唐突に」
「殿下は国家予算の額を把握、道路や水路や法律の整備、諸外国との対外交渉の記録など。次期国王として知っておくべきことを、代わりにやっている方をご存知ですか、とお聞きしております」
「予算……交渉…?」
まるで初めて聞きました、と言わんばかりの顔ですわね。
この調子では王家の影が常に行動を見張っていることも、国王陛下が廃嫡をお考えになっていることも、下手な真似をすれば王籍を離れることになることも。この方はすべてご存知ないのでしょうね。
「さらにもう一つ。殿下は私が引きこもりになった時期を覚えていらっしゃいますか?」
「当然だ!! 俺がティナという真実の愛を見つけた頃――」
「違いますわ」
「なっ!?」
やはり覚えていない。ティナ嬢に入れ込み始めた時点で気づいていたが、全く興味がないところを見ると寧ろ清々しく感じる。
だから容赦なく反論できた。
「私が引きこもるようになったのは、ティナ嬢が編入してくるよりもずっと前。あなた様が公務に呼ばれるようになった五年前ですわ」
「そ、そんな、前だと…?」
「ええ。王宮で働く人間や、ライラック公爵家の人間なら皆、知っております。
そしてあなた様が私に仕事を丸投げしたのも、五年前ですわ」
「っ…!!」
アルベルト王太子殿下と、彼に寄り添うティナ嬢が青ざめた顔で慌て始める。おバカなお二人でもさすがに気づいたのだろう。おそらく二人は勘違いしていたのかもしれない。
婚約破棄宣言するまでとは打って変わった、ダンスホールの冷たい空気。そして夜会に参加している令嬢令息たちの冷ややかな視線。それらは間違いなく、殿下とティナ嬢へ向けられているものだった。
「五年前。殿下が丸投げした書類などを持って、大臣や文官たちが私のところへ助けを求めたのです。
私が確認しに行った際。あなた様はなんとおっしゃったか、お覚えですか?」
「っ…、それは、」
殿下はギリギリと歯を食いしばり、それ以上は言うなと強く睨みつけてくる。とうとうティナ嬢を庇う余裕もまったくなくなって、ダンスホールの令嬢令息からの冷たい視線に耐えきれず震えていた。
それはそうだろう。第一王子だからと甘々に育てられたこの男は、今まで冷遇されたことも、こんなに蔑む目に晒されたこともなかったのだから。王太子が責務を果たしていない、という以上の醜聞はないだろうし。
「…殿下、どうして、こんなに私たちが責められて……」
こんな時まで被害者ぶるのか。さすが爵位を金で買ったという、黒い噂が流れるイヴラン男爵家の娘だ。演じることに慣れている。
だから王太子殿下共々、被害者ぶった顔を剥がしてしまおう。
「あなた様は『まだ国王ではないのだから、お前がやっていればいい』とお答えになられました」
「…やめろ、」
「では王太子に仕事はないかといえば、ないわけではありません。現に私が代わりに執務をしているのですから。
そんな責務を放棄している王太子が、貴族や民の支持を得られるとお思いで?」
「っ…、だ、だが、それは貴様が勝手にやり始めたのだろう、それに公務はこなしている!」
「…そうですか」
公務に出ていれば問題ないだなんて、それでよく一国の王太子だと胸を張って言える。どこまでもおバカな殿下に、呆れて物も言えないし、寧ろ婚約破棄と言われてよかったとすら思った。
「それに、誰も俺に執務をしろなんて言わなかったじゃないか!!」
「いいえ、何度も忠言を差し上げました。公務だけが王太子の仕事ではないと。国王陛下も、王妃殿下も、私も、大臣も。もちろん、あなた様の侍従たちもですわ。
それなのに耳を傾けなかったのは、殿下ですわよ? 言われなくなっても当然のことでしょう」
「あ……」
「殿下…!」
小言を言われなくなる、というのは期待されなくなるということだ。
それに気づいたところで、時すでに遅し。夜会に来ていた王家の影とみられる者が、ダンスホールから出ていった。国王陛下へ報告に行くのだろう。
「学園に通い成績を維持し、王妃教育も受け、さらには王太子の執務を代わっている。
そんな引きこもりが、男爵令嬢を虐げる暇があるとお思いで?」
膝を突いたアルベルト王太子殿下に、顔面蒼白のティナ嬢が縋りつく。先程までの威勢はとうになくなり形勢逆転、おそらく二人には国王陛下から直々にお咎めが待っていることだろう。
「では私は婚約破棄の件を、公爵である父へ報告へ参りますので。ごきげんよう」
「ま、待て、フリーレ!!」
「お待ちください、フリーレ様!!」
諦めが悪い二人がまだ引き止めるので、私はにこりと嫌味たっぷりの笑みを浮かべて言った。
「ああ、そうでした」
「な、なんだ、フリーレ、」
「婚約破棄を言い渡された方に、名前を呼ばれる筋合いはごさいません。
それに気軽に声をかけ合う関係になった覚えはありませんよ、イヴラン男爵令嬢」
「っ…、」
苦虫を噛み潰したような顔の二人を置いて、私は颯爽とダンスホールを出た。
* * * * * *
夜会の後。王家と公爵家との間で交渉があり、公爵家側からの申し入れという形で婚約破棄が成立した。
王家からの破談ではない、というのは王太子側に瑕疵があったと認めることであり、それはとても珍しいことだった。何としてでも王家の威厳を保つため、多額の慰謝料とともに口止めされるのが普通だからだ。
「な、なぜですか、父上!!」
「何のことだ」
国王の私室に飛び込んできた第一王子アルベルトは、父に掴みかかる勢いで叫んだ。息子とはいえ、国王に対して取るべき態度ではないのだが。
「フリーレとの婚約破棄で、なぜ俺に非があると発表を、」
「ああ、そのことか」
「しかも廃嫡もされたのはなぜなのですか!? それにティナと結婚できないどころか、連絡すら取れないのは!?」
アルベルトは婚約破棄とともに廃嫡され、弟王子ヴィルハートが王太子となった。
入れ込んでいたティナとは夜会以来、連絡が一切取れない状況で、アルベルト自身も処遇が決まるまで自室を出ることすら許されなかった。
処遇が決まったと呼び出され、不平不満をぶつけるつもりだったのに。アルベルトは父王から言い渡される数々の言葉に、反論の言葉も出なかった。
「まず廃嫡の話だが、そのままの意味だ。お前を国王にはさせぬ」
「一体なぜ…」
甘やかしすぎたな、と後悔しながら父王は答える。
「アルベルト、お前は王太子として何をした。民のことを一瞬でも考えたことはあるか」
「? 公務などをこなして…」
「馬鹿者! 仕事は公務だけではないのだぞ!!」
「ヒっ…!!」
第一王子として甘やかされて育ったアルベルトは、父がここまで怒るのを初めて見た。今まで見たことがない――否、見ようとしなかった国王として叱責する顔だった。
「執務はすべてフリーレ嬢任せ、大臣や文官が諌めてもまったく聞く耳を持たない。
挙げ句の果てには婚約者がありながら、男爵令嬢に手を出し、婚約破棄まで言い渡す始末」
「で、ですが、あの女とは政略で…」
「言い訳するでない!」
「っ…!」
「自分の仕事も代わってもらい、引きこもり姫と呼ばれる原因を作ったのを覚えていないのか!
そんな恩しかない婚約者を“あの女”呼ばわりとは、お前がここまでできぬとは思っていなかった。失望したぞ」
フリーレにも言われたことを父に感情のない声で言われ、ようやくアルベルトは取り返しのつかないことをしてしまったのだと気づく。見たことのない父の冷徹な顔に全身が凍りつくようで、その場に膝を突くしかなかった。
「それと、お前が入れ込んでいたティナ・イヴランだが、今は牢獄にいる」
「なっ、なぜです!!」
婚約破棄してでも手に入れたかった、真実の愛。あの夜会から連絡が途絶えてしまった愛しい人の処遇に、アルベルトは絶望するしかなかった。
「イヴラン家はずっと黒い噂があってな。爵位を与えて監視し、ボロが出るまで待っていたのだ」
「黒い、うわさ…?」
「船で財を成した、というのは真っ赤な嘘で、野蛮な海賊を雇い、貿易船を襲わせていたのだ。
だから爵位を与えたのち、王家の影に罠を仕掛けてもらう算段だったのだが……まさかお前がひっかかるとはな」
「そ、そんな…、なら、ティナは、」
「父親を手伝っていたそうだ。犯罪者を王家の妻に迎えるわけにはいかない。当然だが彼女も尋問されている」
尋問されている、つまりティナはイヴラン男爵――父親の悪事を知っていたということだ。おそらくアルベルトに近づいたのも、王太子に嫁がせて王家ごと丸め込むつもりだったのだろう。
まあ、それもアルベルトがティナに夢中になるところまではよかったが、無実の罪をでっち上げてフリーレを断罪しかけたことで泡沫の夢と消えたのだが。
「お前もしばらくは謹慎してもらう。明日から私の弟であるサフラン侯爵のところでな」
「ど、どうして、叔父上のところで…!?」
王弟であるサフラン侯爵は騎士団長を務めたこともあるほどで、王族きっての武人として知られている。誰にでも優しく情け深い性格だが、騎士道を重んじており、曲がったことが大嫌いであることでも有名だ。
たとえ身内でもそれは変わらない。アルベルトはそれを知っているからこそ、ひどく慌てていた。今の状況で叔父のところへ行けば、恐ろしい目に遭うことは間違いないからだ。
「いくら息子でも容赦はしない。婚約者を蔑ろにし、犯罪者を妻に迎えようとした罰だ」
「ち、父上! お待ちください!!」
「すでに弟には伝えてある。もうすぐ迎えに来る頃だ」
「……っ、」
父に縋っても状況が好転しない、と悟ったアルベルトはフリーレを探そうとした。
フリーレならばきっと、元婚約者の誼で助けてくれるに違いない。アルベルトは楽観的に考えていた。
国王の私室から出ようとした瞬間、アルベルトは巨体にぶつかる。
それは今、一番会いたくなかった人だった。
「アルベルトか。久しいな」
「お、叔父上…!!」
「随分と急いでいるようだが……まさか私から逃げようとは思っていないだろうな?」
「っ…!!」
叔父であるサフラン侯爵は騎士団長を退任したあと、軍務卿として辣腕を振るっている。思っていることを言い当てられたアルベルトは、腰を抜かして後退りした。
「そうか。さらに自分から婚約破棄を突きつけたフリーレ嬢へ助けを求めるつもりか」
「そ、それは…、ヒッ!」
アルベルトの顔を、侯爵の手がガッと掴む。
「息子といえど手加減はしなくていい、と兄上から言われているからな。その腐った性根から鍛え直してやろう」
「お、お許しを…!!!」
* * * * * *
「――それにしても、」
「ん? どうしたの?」
「あなたと婚約できるとは思ってもみなかったわ」
王城内の庭園。周りには季節の花々が咲き誇る庭の四阿で、私――フリーレは新たな婚約者と小さなお茶会を楽しんでいた。
「フリーレは嫌だった?」
「嫌そうに見えるかしら」
「見えていたらお茶会に誘わないし、そもそも婚約を申し込んだりしないよ」
「ふふっ、それもそうね」
新たな婚約者はヴィルハート。王国の第二王子で、廃嫡された兄アルベルトに代わり王太子に任命された。
アルベルト側に瑕疵があると発表されたが、本来ならば傷物として、辺境や隣国に嫁がされてもおかしくない。
けれど王妃教育を受けており、王太子の代わりに執務をこなせる。そんな優秀な人材を手放したくなかったと言っていたが、王国の光も闇も奥底まで知る公爵令嬢を他国に渡したくなかったというのが本音だろう。
「僕もずっと思ってたんだ。君が兄さんの妻になるのを遠い目で見て、生涯独身を貫くつもりだったから」
「そうなの?」
私がヴィルハートと初めて会ったのは十年前、アルベルトと婚約した七歳のときである。弟といえど腹違いであるため、アルベルトとヴィルハートは同い年だ。
遊び人でサボりがちな兄と違い、ヴィルハートはとても真面目だ。暇を見つけては図書館で本を読み、王侯貴族の会議にも積極的に参加して国王陛下にも臆さず意見を言える。
仕事に勉学に忙しい中でも城下街へ下り、民との交流も欠かさない。民が普段どんな生活をしているのか、お忍びで行くこともあるという。そんなヴィルハートは誰からも愛される王子で、彼が王太子ならという声も多かった。私もその一人だったし、十年前から彼に恋をしていたのだと思う。
けれど彼は側妃の子供であり、格式を重んじる一部の貴族には反対する者もいた。便宜上、書類の上では王妃の養子となっているが、実子であるアルベルトとの差は埋まらない。そもそも、この国は長子継承制だからだ。
きっと私は一生この想いを押し殺して、アルベルトの王妃になる。そう思っていたのだけど。
「だって君以外と添い遂げるなんて、絶対に嫌だったからね。今の今までも縁談はすべて断っていたし、あまりにも来るようなら『女嫌い』ってことにするつもりだったよ」
だって初恋だからね。と照れながら笑うヴィルハートを見て、私も頬が熱くなるのを感じながら微笑み返す。ずっと想い合っていたのが、ようやく叶うのだから。
「ヴィルハート――ヴィル。私も、ずっとあなたのことが好きだったの」
「っ…!」
「初恋の人と添い遂げられるなんて、なんて幸せなことなのでしょうね」
「ああ、そうだね。兄さんに感謝しないと」
私を断罪しようとした二人――アルベルトとティナは学園を退学処分となった。王侯貴族の令嬢令息が集まる中で、騒ぎを起こしたのが主な原因だ。
元婚約者アルベルトは、王弟であるサフラン侯爵の下で監視の目に置かれている。甘やかされて育ったせいか、毎日の鍛錬だけで音を上げているらしい。
サフラン侯爵は騎士団長だった頃の面影を残す、まだまだ若い三十代前半で切れ者の軍務卿だ。脱走を試みても光の速さで追いかけてくるというから、アルベルトにしてみれば地獄の日々なのは間違いない。
一方、ティナ・イヴランと実家の男爵家は、当然ながら即刻お家取り潰しとなった。王家及び王太子を謀り、フリーレ・ライラック公爵令嬢の名誉を毀損した上、実家の犯罪の手伝いをしていた罪で。
イヴラン男爵家は噂通りの黒い家で、海賊に貿易船を襲わせるだけでなかった。襲った船の乗組員の誘拐、そして人身売買、闇市での多数取引など。叩けば叩くほどホコリが出てくる。
さらに男爵家で働く使用人たちも、奴隷同様の扱いを受けていたというから、死刑は免れないだろう。下手をすると死刑にされず、生き地獄が待っているかもしれない。
ティナ・イヴランに声をかけられ、魅了された令息たちの中には、婚約破棄をしてしまった者もいる。私のように破談にされた令嬢の実家から、とんでもない額の慰謝料が請求されるだろうし、それこそ奴隷同然で一生働いて返すことになるだろう。
まあ、破談にされた家は公爵から男爵まで、十件近くあるというから、一生をかけても慰謝料を返しきれないだろうけれど。
「ねえ、フリーレ」
「? どうしたの、ヴィル」
「僕は今まで王子として、最低限の教育は受けてきた。王太子になったけれど、これからも努力を続けることに変わりはない。
やれることも格段に増えたし、君には苦労させないつもりだ」
本来アルベルトが出るべき会議に出ていたこと。夜遅くまで王立図書館から借りてきた膨大な量の本を読み漁っていること。
今ここで私に振る舞ってくれている紅茶やお菓子を、商人たちと交渉して民が楽しめるように流通させたこと。
すべては王国に住む民のために。
実際に、ヴィルハートが頑張ってきたことは、確実に国を豊かなものにしている。
「でも、まだまだ王太子としては足りない。妃教育を受けてきた君の力を借りることもあると思う」
「そんなこと…王太子妃に決まったときから、覚悟はできているわ。
あなたのためなら、また“引きこもり”と呼ばれてもいい」
あの婚約破棄騒動以来、私は“引きこもり姫”とは呼ばれなくなった。ヴィルハートは勤勉だから、私が引きこもる必要がなくなったのだ。
立場に見合う努力をしているし、書類が溜まっているのをあまり見たことがない。元々が優秀なのだろう、兄アルベルトのように丸投げされた仕事が私のもとに――なんてこともなかった。私としてはもっと頼ってほしいのだけれど。
「だぁめ。僕は君だけに引きこもらせないよ。夫婦になるんだから、幸せも苦労も分かち合わないとね」
「…!! そうね」
その後、十数年後に即位したヴィルハートは民のための治世を作り、“賢王”と讃えられるほど愛された国王になった。
そして彼を支える“元引きこもり姫”ことフリーレ・ライラックもまた、民と家族を愛する国母となったのだった。
お読みいただき、ありがとうございました!
学園の皆様は引きこもりの理由を知っていたので、婚約破棄宣言をしたアルベルトに対して『不敬だけど、なんでこいつ自分の不利になること言ってんだ?』と思っていたと思います。
いいね、評価、感想などもらえますと、非常に励みになります。
2023/07/14追記
誤字脱字報告ありがとうございます。
初投稿で多くの方に読んでいただけて、嬉しいです。