# 恵仁海総合病院別館(4)
「海上のガキ覚えているか」
「秀人君? 」
「今ではシーウェイブ社のVIPプログラマーさ。最近話題の『きもちラボ』は彼がひとりで作ったんだ。容量が大きくて酸化コードの暴走に追われて大変だがな」
「最近のパティシエ乱獲の原因って、それ? 」
「まあな」
零香はノスタルジックな気持ちになったのか、少し優しい口調で尋ねていた。
「あの子、ちゃんと生きられていたのね。よかった」
「当時、あのガキはまともに会話も出来なかったな。海上が大変な時期で家庭を顧みる余裕もなくて、可哀そうなことした」
「馬鹿! そんなの理由になるか。会社が軌道に乗らず借金も増やしている時期に、家庭を支えてくれる奥さんを裏切って派手な遊びにいそしんでいただろう。それで奥さんはあんなことになって・・・・私が知らなかったとでも思っているのか」
核心を突かれた男は焦って、思い出さなくてもいい記憶をつい掬って話を始めてしまう。
「それで、海上は面倒を見れないからって、葬式帰りにそのまま事務所に連れて来たんだっけ。俺たちが仕事をしている時に都合のいいお前もいたから、アッ、いけね」
ガン!
「痛いな! 蹴るなよ」
瞬間的に脛を蹴ったが、それでは気持ちが収まらない零香は呻く。
「ウウウッ、思い出したよう。お調子こいたあんたの提案だろうが。
最悪だ。誰がお前たちのビジネスの核を作ったと思っているんだ。でも、まあいいわ。そのおかげで、秀人君と面白いコミュニケーションをすることが出来た」
源蔵は話をうまく着地させるチャンスと見て畳みかけた。
「そうなんだよ、そうなんだよ。『きもちラボ』が作られたのもお前のおかげだ。最高の奥さんだったよな。あんな会話も出来ないポンコツが、お前に数学の公式遊びやプログラムを学ぶことで、自分の武器を手に入れたんだから。お陰で社会とも繋がり一人で生活していけるようになったのだから」
零香は言い方を注意するのも疲れたようで、目を閉じて一息ついてから話を続けた。
「で、・・・・元気なの? ボクちゃんと三つ違いだからもうじき二十歳? 」
「うん? そうなのか」
「何よ、それ」
「あれから、俺は一度も会っていない。あの後、施設に入れられてそれっきりで、話にも出なくてな。正直、死んだかもしれんと思っていた」
「最悪っ」
「顔だって思い出せん」
「私はいろいろ、思い出すわ。正直、あの子の必死なコミュニケーション欲求から導かれる向き、というか引力的なプログラムは『SLIDER』のヒントになっている」
そう言い終わった時、零香の心が僅かながらザワッとしていた。
「お前に影響を受けてひとつの成果を『きもちラボ』で構築したが、未だに『ノベンバー・ソウル・ランド』には及ばない。
だからな、元を正せば、お前の行為から来ている今のパティシエ乱獲なのさ」
「雑にまとめるな」
「実際、海上も下衆な奴だから、お前を脅して取り込むことだってしたい筈さ。だが、厄介な後ろ盾がお前に付いちまって手も出せんのが現状だ」
「マイ・ダーリン、強っ」
「フン。だから、少し警備の薄い日本へやって来たのは渡りに船でな。
とにかく、例のガキは日本にいるのか、存在しているかも分からんが。あいつは『NSL』を自己のクリエーショにおいて支配でもしたいのかな」
「物騒な子ね」
「純粋にお前への憧れから始まったが、今では嫉妬感情が漏れてるぜ」
「腐食に悩まされている痕跡もないから悔しいでしょうね」
「なんだよ、優しいなあ。母性かよ」
「あのぉ、お取込み中のところ申し訳ございません」
菓乃がふたりのやり取りの間に入ってきた。
「よろしいですか、お父さん」
「源ちゃんでいいよ。痛っ」
零香は再び脛を蹴った。源蔵は蹴られることに既に慣れたのか、構わず菓乃への返事を優先した。
「どれどれ、見せてごらん」
「メアちゃん、ちょっとダークなファンシー感を盛って、クビレを綺麗に見せてみました。そして何よりピンクの髪の毛が爆推しです」
「え、お、神だ。うわあ、これに俺がなって生きちゃうのか。君の方が似合うかな。想像して想像して。うん?」
零香は素早い反応で元の旦那に警告した。
「セクハラだぞ」
「なんだよ、コミュニケーションだろ。まあ、いい、ああそうかい。
取り敢えず俺は行くから、やるべきことが済んだら、お前たちは早くここを出ろよ」
「あなたの身体はどうするの。海上一族の指示で処理されるんじゃない? 」
「大丈夫さ。彼らの知りえない俺たち夫婦のシークレット・コードを咥えてダイブするんだ。殺したら取り出せない」
「匂わせの痕跡は付けとくわね」
「頼む。向こうは察しがいいから、おっさんの身体であっても無下に処分しないだろう。病院内の設計図に載っていない、ここよりも更に深い地下の物置の片隅ででも生かされているさ」
「素敵ね、ふふっ。私はボクちゃんにこれ以上邪魔させないようにするコードをこっちのメインサーバーにプレゼントしてから逃げるわ。ちょっとは時間稼ぎになるでしょう。
坊ちゃんがうちのボクちゃん級でなければね・・・・」
「親父より秀人が完全に跡を継いだとしたら、この会社の問題ではなく『ノベンバー・ソウル・ランド』にも、相当な影響を及ぼす能力者だと俺は思っている。一部の技術者からは既にモンスターだって言う奴もいるんだよ」
「そうなんだ。でも、神さまはひとりよ」
「何だよ、さっきから、引っかかることを言いやがるな。
まあ、いい。お前が言った通り自分で理解してくる。いろいろ納得して決断する為にな。
菓乃ちゃんのパンケーキの匂いがした頃に、コードをメアちゃんにドクドク注入してくれ」
「メアメアは可愛いくても、中身はオヤジなのはキショくて死にてぇ」
「うるせえ! とにかく無事でここを抜け出せ」
「OK。あと、誘拐してきたパティシエさんたちを解放して」
源蔵は少し気弱に唇を結ぶ。
「いろいろ大変だな。みんな俺のせいになるんだろうな」
「そうはさせないわ」
「今まですまなかったな」
「謝るのは未だ早いよ。パティシエの件も結構大きなスキャンダルだからな。フウのことも合わせて乗り切った後に、昔の恨みを蒸し返した分に利息を上乗せして返してもらうから。
ダメならこの手で殺してあげるよ」
源蔵は何か憑物が落ちたような無味無臭の顔になって、零香には聞こえぬ程に呟いた。
「ああ、それは最高だな。楽観的過ぎるが・・・・」




