# 恵仁海総合病院別館(1)
菓乃は流れる景色を車窓から眺めていたが、足を組んで前を睨みつけている零香の方に身体を向けると囁くように尋ねた。
「あの、すみません。
殺されますか」
「アハハハハ、大丈夫よ」
暴力で押し込まれていないにしても、明らかに強制的ではある。
「無理やりですよね。そもそもなんで、私なんかも連れていくのでしょうか」
「すべては、菓乃の家のパンケーキから始まっているからさ」
「いまいち、分からないのですが」
「そもそも、お父さんのこともそれなのよね。悪い人たちがお父さんのお店「un peu de Z」の商品が、お金をもたらす打ち出の小槌だと勘違いしたのよ」
「あの時、お誕生日会に出されたパンケーキですね。あれは、お母さんのレシピに、私の好みを調整して焼き上げた特製で」
「それを知っていたのは私と息子だけで、当時の夫婦関係はヤバかったから教えてあげる気になんかならないからさ。
もし、教えていたら、多分あなたのお母さんも・・・・」
菓乃は両手をギュッと重ね合わせ太ももに置き、靴紐をじっと見つめていた。
「・・・・それで、よかったんです。
本当にそれでよかった」
心からの言葉であった。零香にとっては、そう言い切られて僅かながら困惑したが、問い返すことはしなかった。
「その件は現在進行形だし、申し訳ないと心から思っている。
広い意味では共犯・・・・。
目的の為には事実を見ないふりをしてきたからね」
「でも、私と母に関してだけ言えば、いろいろ援助されて生きてこれた事は感謝しかありません。それに・・・・元を正せば・・・・父親のせいでそちらにもご迷惑を・・・・」
「もうなんていい子」
零香に勢いよく抱き着かれて菓乃は窓に頭をぶつけた。
「痛い。あれ、病院、あのわたし潰れます、うぁ」
零香は華奢な少女を押さえ込んだままの姿勢で外を覗いた。
「恵仁海総合病院ね。別館か。数年でよくもまあこんなにでっかい病院になったこと。
あんたたちのおかげね」
そう言われて、少し冷静さを取り戻した菓乃は強い口調で聞いた。
「そうなんです。そもそも、パンケーキが何をしたっていうのですか」
「そうよね。おいしすぎたのが悪いのと、ウチのボクちゃんがあんなに嬉しそうにその日を生きていたから」
「分からないです」
「それはそう、ハハハ。
チョットだけ話すわね。あの誕生日会の日の夜、幸福に酔った感じのままにあのパンケーキをデータ化してひとつのプログラムを作ったら、人間とサイバー空間との間の共感値が上がったのよ。そしてこれが、新たな未来の鉱脈になってしまってね。ネット社会、特にAIの感情処理にも応用され、今もそのプログラムを維持するためにパティシエが取っ替え引っ換えされながら消費されている」
「連続パティシエ失踪事件ですか? 」
「そうね」
「零香さんもやられているんですか」
「やってないわよ。あの人達とは見ている未来が違うから、距離を取っていたんだけどね。まあ心配しないで。息子の大事なパティシエさまだからね。
私の命に代えてでも、あなたを守るわ」
「え? ハイ・・・・」
推しのヒミとチェキを撮っている瞬間の感情とリンクした。菓乃は身体が熱くなるのを感じ、悟られぬように慌てて少し離れようとする。零香は敏感に察したのか残念そうにぼやいた。
「何よ、つれないんだから。悲しいわ、フフフ」
「で、で、でもさっき、裏切られたっって」
零香のおどけているように見えた表情がスッと神妙になっていた。
「え? 生意気息子のフウのことね。
全部見てるから怖いわ。どんどん、神様になっていくから」
「どういうことですか」
「彼の手のひらで動いておきましょう」
それ以上は口にしなかったが、母親の胸の内は焦りに押し潰されそうであった。
「早くしなければ。
神様なんかではなく、仮想世界の地縛霊とか悪霊になってしまう前に」




