白川郷旅情&唐津哀歌
短歌の形を借りて思い出を記録。
序章(ある掲示板の尻取り遊びよりスタート)
07/ 3/ 6
★締めくくり 名門フェリーで 九州へ
期待はしない でも待っている
07/ 3/ 4
★温かい! 今日は誕生日 恋よ来い
命尊く 独り祝い酒
07/ 2/27
★夢見た日 思い出すのは 母ばかり
窓外見ては ただぼんやりと
★ぼんやりと 記憶たどれど なにもなく
されど恋しい 母の面影
07/ 2/21
★つらいから 支え合おうよ 人の字で
人と人とは 支え合うもの
07/ 2/19
★君が好き 誰かに言える日 来るのかな
夢食べて生きる 仙人悲しい
07/ 2/18
★夢の中 ラリラ リラリラ ハイフェッツ
肺腑の奥から 溜息が出る
07/2/16
★ひっぱたいた あの娘は風呂屋の 番台で
裸の我に アカンベをした
07/ 2/16
★幼き日 一度おんなの子 追い掛けた
好きだったのに 意地悪されて
07/ 2/15
★質でしょう 自分でも嫌やや 女々しくて
それでも眺める 山のあなたを
07/ 2/14
★自己満足 トラウマ短歌 詠み上げて
母が恋しい 唐津の哀歌
★詠み上げて 今年こそ旅に 出ようかな
母と妻とが 待っているかも
07/ 2/13
★一杯だ! 二敗目ご飯 我慢して
春の気配に 又々元気
07/ 2/ 7
★呼びかける 人がいなけりゃ 雲を呼ぶ
仙人家業 今日もさびしく
☆☆☆☆☆☆☆☆
白川郷旅情
5/15(火)
1
新月や 旅の準備に 疲れ果て
どこにも行かず 京のネオン見る
2
ナビ地図で 木曽川を見る 河川敷
孤独に狂う 姿ぞ見えて
5/16(水)木曽川野宿
出発日
気が進まない。もう、やめた!
意味もなく宛てもなく、そんな孤独な旅に出ることに、何の意味ぞある!?
しかし、この日をおいて機会はない。
惰性的に準備を進めているうちに……やがて、その気になっていった。
ままよ、なるようになれ!
向日町で林氏に出会う。家族らしげな同乗者がいた。会釈だけで通り過ぎる。
3
名神を たゞひた走る 竹の秋
エンジン全開 ステレオ聴こえず
4
日は落ちて 150cc バイクうなる
ハンドルたがえば? …死はまだ早い
5
ようやくに 羽島をい出れば 北へ行き
東へ変えれば 道は南へと
6
また北へ 磁石の針のみ 頼りなり
川の堤防 ようやくに出る
7
バイク停め 見れば「きそ川」悠々と
西詰め空き地 野宿の候補
8
いつまでも遡り行く 木曽川を
ようやく見付ける 河川敷の森
9
テント張り 食事終れば 雨が降る
宇宙に一人 雨音数え
木曽川野宿 その2(眠れずに、また、携帯からプログへ送信)
10
現では 叶わぬ人々 バーチャルの
女性に会いたし 木曽川野宿
11
木曽川の 雨音強く 独り寝の
チョコに焼酎 眠薬呑みて
12
母恋し バーチャル女性 なお恋し
我は木曽川 雨に泣いて待つ
13
そこはかと 濡れて眠れず 雨止まず
木曽川に待つ 夢に恋う人
14
神よ見よ 子羊一人 さ迷える
木曽川の森 雨に打たれて
5/17(木)
今度は飛騨川で野宿
昼間、名古屋城で時間を過ごす。国道41号を北行する。まっすぐに、まっすぐに北へ延びた道だった。やがて、木曽川と合流して、いつしか、飛騨川となっていた。川辺、と表示された町を通り過ぎた。
町を出外れ、車両通行止めの脇から、旧道へ入った行った。人に出逢うことはなく、それが安心である……というのが、わからない。
人が嫌いなのか? 人がすべて優しく善意であるとは信じていない。もし、国道沿いで野宿をすれば、まず、警官に立ち退きを要求される。または、無頼の輩に絡まれるかもしれない。そういう無用なトラブルをさけるためには、人気のない所を見つけなければ……
15
飛騨川の 蛙鳴くなり 一人旅
家でも一人 同じことかな
16
食終わり また雨が降る 飛騨川に
廃道残りて 蛙にぎわう
17
誰ぞ来る? 来るわけがない 廃道に
バイクとテント 一人酒呑む
18
携帯の 電波は届かず 川辺の山
対岸に走る 電車の叫び
(翌朝)5/18(金)
19
左手に 虫の刺され傷 痛くなく
見れば名勝 飛水峡なり
七宗町を過ぎ、国道41号飛騨川沿いをひた走る。やがて下呂温泉。二泊の野宿で入浴欲求。体の傷も気にするまじきと…。
さらに41号を走り続ける。飛騨高山に。しかし国道沿いには見るべき物もなく、また走りつづける。白川郷の文字に引かれて。
しかし、「白川郷へは行けません」と注意書き。なぜ? 工事のための通行止めなら、バイクでは通れるかも。折角ここまで着たのに…と、国道360号を走り続ける。やがて、鉄扉で完全なストップ。その先は天生峠。脇から強引に行くべきか否かと迷い、引き返すことにした。
清見方面の標識で地図を調べていると、簡易郵便局兼食料品売店の女将が駆けつけてきた。
白川郷へは清見から二時間と、こともなげに言う。止めて富山へ向かおうかと思案したものの、白川郷へ行くことに。
まだ、午後の3時過ぎ。野宿を探すには早すぎる。
しかし、行けども行けども、山道とダム添いの道。工事現場の警備員に聞くと、「ここは小鳥ダムではない。この先の清見で突き当たって右に行けば白川郷」と教えてくれた。
南へ下って、また北へ。庄川桜の高原へ出た。白川郷へはいつ着けるやら……茫然自失、卒倒しそうな気分になる。
寒い。荘川高原というのか、気温は16度と出ていた。桜が咲いていた。桃らしき濃紅の花も咲いていた。こう寒くては野宿は出来ない。白川郷で民宿を探そう。あの合掌造りの中には、民宿もあるのでは? 白川郷なら、民宿に支払っても悔いはなし。果たして有るか無いか?
民宿を楽しみに、ようやく白川郷に辿り着いた。右折すると写真に見ていた合掌造りがすぐに見えた。するとそれが「民宿松兵衛」であった。
訪ねると、玄関の引き戸は開くものの人気無し。周囲を一回りして、他に民宿を探してみるが、無い。再びその家に戻り、しつこく呼びかけ続けると、やがて老夫婦が畑から戻ってきた。
すでに6時を過ぎていた。素泊まりを頼むと快諾してくれた。食事がまだなら、近くのコンビニで弁当を買って来れば、と教えてくれた。明朝の食事を依頼した。6000円也という。
20
疲れ果て ようやく着いた 白川郷
今夜は泊まる 松兵衛の宿
5/19(土)
宿泊客は他にはいなかった。夜半、雨音が聞こえた。
内部は、合掌造りの旧家のままではない。普通の和風民宿だった。しかし、一つ興味を覚えることがあった。天井板が、柱が……!漆塗り? 光沢で光っているのである。長持ちさせるための塗装であろうか?
朝は七時に起床。障子を開けると、廊下を置いて木製の雨戸に仕切られていた。開かない! 脇に一本つっかえ棒があった。それを外すと、雨戸は簡単に 開いた。
トイレから眺める石垣の景色が美しかった。河原の丸い自然石を横真一文字に並べ、それが上下交互に斜めに配置されているのである。道中でもよく見かけた石垣である。
京都方面では、自然石を利用した石垣を「穴太衆積み」と言っていたが、それよりもはるかに整然としており、何よりも完全な一文字配列が見た目に鮮烈である。カメラに納めたはずだが……。 あった! ご覧有れ。
着替えと洗面をすませると、一人生活には縁のない豪華な朝食だった。つい二膳も食べてしまった。
出発時に、小柄な老母が包み物を渡してくれた。(……後で開くと、海苔に包んだ大きなお握り二つとトマトが入っていた。昼食にと、お櫃の残り飯を包んでくれたのであろう)
子供たちのことを聞くと、名古屋に行っている、という。多くを聞くのは失礼かと配慮して、老夫婦に別れを告げた。
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一夜明け 松兵衛の宿 雨あがる
すこやかにあれ また会える日を
22
古里は かくの如きか 白川郷
雨あがる空 おふくろを見る
23
いつまでも 健やかであれ 祈りつつ
松兵衛の宿 また会える日を
民宿・松兵衛の周辺は「白川郷の里」と表示されていて、大きな駐車場と土産物店(昼間だけで、夜間は人気無し)、それと、廃村になった加須良の民家を移築して、永久保存とした有料の「合掌 造りの民家園」がある。
「庄川」を人道専用橋で越えたところに、住民が住んでいる合掌造りの集落「荻町」がある。
もし、直接旧道を通って荻町へ行っていれば、別の民宿に泊まって、加須良の廃屋には触れずじまいであったことだろう。そうすれば、単なる通りすがりの、一観光客で終わっていた。
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人住まず 加須良の廃屋 水に映え 古里さがす 汝れを待つかな
25
いずことも 行く宛てはなく たどり着く
白川郷は 古里に似て
26
水車小屋 人目を逃れ 涙する
加須良の若人 音に隠れて
27
ふるさとを 求めて得られず 旅の果て
加須良の廃屋 なみだ流るる
28
荻町で 出会う中華の 観光団
娘と交わす 言葉が嬉し
29
記念写真 横に顔出し 写ろうか?
中華娘は 陽気に笑う
30
雨止まず バイクで立ち去る 白河郷
観光バスに 娘の顔が!
高速道路は、にがて……。
地図で近道と確認していた米原経由の道路へ出そびれて、名神高速まで戻ってしまった。
自宅へ帰り着いたのは、五時間後の6時であった。
それでも、なぜか満たされていた。
古里を見つけた嬉しさであろうか……。
31
ひた走る
たゞひた走る
京都まで
土産は不要 ポストはあふれ
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山奥の また山奥の さらに奥
白川郷は 人のこころに
(以上、2007/5/16~19までの四日間の旅記録)
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
唐津哀歌
(3才の時と、5才の時に、唐津へ行った。
3才の時は、父に手を取られ(記憶鮮明)
5才の時は、親戚の年長者に伴われて……)
汽車に揺れ 唐津は遠き 母の里
白砂青松 夢にこそ見る
唐津とは 母の異名と なつかしく
胸おどらせて はしゃぎてまわる
唐津には 恋しき母の いますぞと
裏の竹山 分け入りてみる
竹を切り 笛を作りて 吹き鳴らす
唐津の空に 母呼びかけて
(竹笛を父が作ってくれた。それを鳴らそうと日没まで夢中で過ごした)
訪ね来て 母には会えず ひとり寝の
遠く聞こえる 夜汽車の汽笛
(田舎の一間、広い室の中に一人で寝かされた。汽車の汽笛が、もの悲しく聞こえていた)
いつまでも 眠れぬ夜の 古里は
一人枕に 夜汽車が走る
(滅多に通らない汽車が、また、通っていた。不眠症の初体験だった)
(翌朝、仏壇へ初盛りの飯を運ばされた。
仏壇と居間との間には隙間があった。
そこへ足を取られないようにと、仏壇へ片手を付けて、
指定の場所へ置いたのであったが、それが母の位牌であるとは、知るよしもなかった。)
仏壇に 飯盛運びし 幼子は
唐津の母は いずこぞと問う
(そして、その幼子は、齢を重ねて100才に! 100才越えれば仙人になるとか……)
(昔、唐津には、夫を見送り、帰りを待ちつづけた
娘がいたという。その名は松浦佐用姫。)
待つら姫 白砂青松 露となり
母待つ汝が子は 仙人とぞ成る
(仙人は、女性に縁がなかった。
幼くて母なく、少年になりて女友なく、青年になりて恋人なく、
壮年になりて妻なく老年になりて看取り婆なく、
死して天女なく……
やむなく仙人となりて、また若き日の夢を追う)
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
続・唐津哀歌
丑三に 一人眺める 瀬戸大橋
眠りに就ける 乙女の夢に
手向山 桜並木に ん十年
さまよう幼子 一人来たりて
八景園 呼ばれし古里 今はなく
山の姿に 呼びかけてみる
面影ひとつ そは赤坂の 延命寺
母にも抱かれず 生き延びて来て
未だなお
懐かしからず
女教師に
屈辱的な 渾名を付けられ
☆☆☆☆
(青木の交差点にて、下校の可愛い児童、我を眺める。我もまたその時ありしが…)
行き違う 子供ら我を 眺め居る
過ぎし歳月 ただ茫然と
(唐津の人々、福岡に集合。母を訪ねて、知り合った唐津の従弟たち)
古里の人々つどう
老若の世代替わりて
ただ息を呑む
(集いし人々の中に、十数年前に京都に立ち寄った少女が居た。二十歳を過ぎて、その美しさ、麗しさに目を奪われる)
十年を 過ぎし少女の 麗しく
己の歳こそ 恨めしかりけり
あと十年 過ぎれば我も 若くなる
歳近づきて 語らえる日を
(十年経てば、乙女は30代。そして我は、十年若くなる!? 仙人なら…可能なはず!と?)
我が横に 座りし乙女 思わずも
泣きて抱きたく… 箸取り笑う
二十年 過ぎて出会えば 白髪の
彼も彼女も 声のみ変わらず
(容貌はすっかり年寄りで……
しかし、声だけは若き日々の記
憶のままであった)
以上 作 京都野 愛君こと久米弘
短歌形式で書くことを始めたその初期の思い出。