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もったいぶる青春

作者: Z(ゼット)

もつたいぶる青春







【はじめに】

未婚のまま六十歳を迎えた主人公は、遅いくはなってしまったが結婚したいともがき、結婚相談所を利用することになる。

しかし恋愛すら経験して来なかったこの男は、理想的な恋と現実の狭間でもがき苦しみながら遅い春、結婚というゴールを目指していく物語、もったいぶる青春です。







もくじ


はじめに

一.誕生日

二. 結婚相談所への興味

三. 結婚相談所の相談員

四. 結婚相談所に行く

五. 初めてのお相手選び

六. 勘違い男

七. 反省と勉強

八. 初のデート

九. 挫折からの復活

十. 出逢い

十一. 再び巡って来たチャンス

十二. 春の予感

十三. 最初の報告

十四.初めての感触

十五. 何気ない一コマに居てくれる大切な人




一.誕生日


プッ、プッ、プッ、ピーン

深夜の午前零時、ついにこの日がやって来た。

独身のままで五十代が終了し、たった今、六十歳を迎えてしまったのだ。

決して結婚から逃げていた訳ではない、だが結果的にそうなってしまっただけなのだ。

理由はたぶん……これまで真剣に婚活をやってこなかったからだろう。

学生時代は男子校だったし、就職してからは男性が多い職場だったから仕方がないと思う。

しかも仕事はとても忙しいのだから、これじゃ嫁さんを探すことなんて無理だよな。

ただ不思議なことに、一緒に働く男性社員の大半は結婚をして家庭を持っているのだ。

そうだ! 会社で結婚している奴等の愚痴を聞きすぎたせいではないだろうか。

そのため自分は結婚に対し、全く興味が湧かなくなってしまったのだろう。

これまでの人生の中で彼女が欲しいと思ったことは勿論あったのだが、女性に声を掛ける勇気などなく、何らかの行動を起こす訳でもなく現状維持を貫く人生を過ごした。

いつも行くコンビニには可愛い店員さんが居るのだが、年齢は三十歳くらいで、いつも満面の笑顔で対応してくれることから、たぶん自分に恋心があるのだろうと考えていた。

ただ、その気持ちにどう応えたら良いかが分からなかった。

明日、思い切って声を掛けてみようかなとも考えていた。

結婚する年齢としては少し遅くなってしまったが、そのコンビニの店員さんと結婚してみるのも悪くはない、俺もそろそろ結婚でもしてみるか。

この男、完全に勘違い男である。

結婚できなかったことを他責にして、おまけに自分が行動してこなかっただけだと……お宅には鏡がありますか?

今まで女性に対して、どれくらいの気遣いをしてきましたか?

単に優しいだけで、男としての魅力は全くなかったのではないのではないでょうか。

本当にこの男には、いろいろと文句を言いたくなる。

ただ……この男は今から婚活に励むことになるようだ。

今後この男に遅い青春が訪れるのか、暫く見ていきましょう。

この男の名前は『五十嵐いがらし 幸男ゆきお

五十で嵐を起こす、(さち)ある男と書いて五十嵐 幸男。

五十代で嵐を起こすどころか、そよ風すら起こすことができないまま、先ほど満六十歳を迎えてしまった。

幸男は田舎に建つ一軒家で、八十三歳の母親と二人で暮らしをしている。

父親は五年前に肺がんを患い、三年間の辛い闘病生活の末、二年前に他界した。

幸男はこの家の長男で大切な跡継ぎなのである。

二つ上には姉がいるのだが、隣の県に嫁ぎ、家族四人で幸せに暮らしている。

もし幸男が未婚のままで亡くなることになれば、五十嵐家は幸男の代で終わりを迎えてしまう。

母親は以前から、幸男のことを一人残して逝ってしまうことに不安を感じており、たまに自宅に掛かってくる結婚相談所からの電話案内で相談をしたり、婚活の資料を送ってもらったりしていた。

幸男の唯一の友達は自宅で飼っている犬のクリ、犬種はポメラニアンだ。

いつも寝る前に居間でじゃれながら焼酎を飲んでいるが、今日も一緒にじゃれ合っていた。

幸男が今日飲んでいる焼酎は、誕生日祝いと言ったところだろうか。

焼酎を飲むうつろな目に、あまり見馴れない雑誌ぐらいの紙の塊が映った。

どうやら母親が結婚相談所から取り寄せていた資料のようだ。

「おふくろ、俺のこと心配して取り寄せていたのかな?」

見たところパンフレットは全部で三社分あったのだが、全ての資料に目を通してみるのだが、資料だけではどの会社が良いのかなんてさっぱり判らなかった。

しかし幸男の心の中では、一つの光が灯り始めていた。

「やっぱり俺もそろそろ結婚して、おふくろを安心させてやらなきゃダメだよな。とりあえずどこかの会社から話しだけでも聞いてみるか」

大した決断でも無いが、前向きに考え幸男には大きな一歩にはなりそうだった。






二.結婚相談所への興味


翌日……

幸男が働いている会社は、自宅から車で二十分ほどの所にあるインスタント食品を製造する会社で製造員として働いているが、この日もいつもと同じように朝八時に出勤していた。

お昼の食事は母親が作る弁当を食べるというのが殆んどなのだが、たまに近くのコンビニでお弁当と汁物、それに必ず大好きなモンブランを購入して食べていた。

今日は誕生日ということもあり、コンビニで好きな食べ物を買って食べることにしていた。

ささやかだが自分への誕生日プレゼントといったところだ。

逆を言うならば、誕生日を誰からも祝ってもらえない、誰からも気付いてももらえないから自分で自分を慰めているだけなのだ。

幸男はそんな寂しい人生をこれまでずっと送ってきたので、自分ではこれが寂しいということすら気付いてはいない……幸男は幸せが麻痺した人間である。

コンビニではお気に入りのあの娘が「いらっしゃいませ」と笑顔で迎えてくれていた。

幸男が選んだコンビニ弁当は、ハンバーグと焼肉がセットになったハンバーグ&焼肉弁当、それに汁物としてカップヌードルのカレーで大きさはビッグサイズ、もちろんモンブランケーキも手に取っていた。

ガッツリとしたセットなのだが、今日は幸男の誕生祝いなのだから仕方がない。

わざわざあの娘が居るレジの前に並び、そこで受けた彼女からの対応に『やっぱり俺のことが好きなのかな』と、またまた勘違いで満足した幸男は会計を済ませて店を出て行った。

会社で一人もくもく弁当を食べ、十分後には完食、お腹が満足したあとは少し昼寝をしてから午後の仕事に励んだ。

午後五時半、今日は残業も無く定時に終了した。

『今日は早く帰って、おふくろと結婚相談所の話でもしようかな』

幸男は急がないまでも、途中で寄り道することなく真っ直ぐ帰宅、母親はご飯の支度をしながら幸男の帰りを待っていた。

今日の夕食は刺身に焼き魚、野菜の煮物に酢の物、純和風の料理がテーブルには用意されていた。

帰宅後は直ぐお風呂に入りビールをプシュッ、ゴクリと一口飲みテーブルに並んだ料理に箸を付けた。

幸男は料理について美味しいとも言わず、母親に対してもありがとうの言葉もなく、当たり前のように目の前の料理をパクパク食べている。

これが幸男なのだ。

こんな人間だからこそ結婚という輪に入れないどころか、入れてもらえないのだ。

これまで結婚が出来なかったのは当然の結果なのである。

夕御飯を食べ終えた幸男は、母親に結婚相談所から届いていた資料のことを切り出した。

「結婚相談所から資料を取り寄せていたの?」

「それは、あんたが心配だったし、そろそろ結婚してもらいたとも思っていたから……なぁ、話しだけでも聞いてみないか?」

「まあ、話しぐらいなら聞いてもいいけどね」

「本当に! 明後日の日曜日はどう?」

「俺は休みで大丈夫だけど、どこまで行けばいいの?」

「家まで来てくれる結婚相談所もある」

「おふくろ的には、どこの会社が良いとかあるのか?」

「頻繁に電話してくれる、結婚相談所のラブが良いと思うの。凄く親身になって話を聞いてくれたし、そこは相談員が家まで来てくれるみたいだよ」

「へぇーー、じゃあそこを段取りしておいてくれないか」

幸男という男は、どこまでも親に頼り、一人では何も出来ない男なのだ。

「わかったよ、ありがとうね」

そんなこんなで結婚相談所の相談員が、今度の日曜日自宅まで来ることになった。







三.結婚相談所の相談員


日曜日の朝……

「おふくろ、今日結婚相談所の人は何時に来るんだっけ?」

「二時だよ」

幸男の普段着といったら、ヨレたTシャツに短パンだが、今日はジャージを身に纏い、いつもより少しはマシだと言える格好をしていた。

これは幸男なりに正装していることになる。

「ピンポーン! 結婚相談所のラブと申します」

「どうぞ」

訪ねて来た相談員は見ためは四十代の男性で、身なりはスーツをビシッと着こなしたモテそうな方だった。

「今日はありがとうございます。私の方からご説明させて頂きますので、お邪魔してもよろしいでしょうか?」

「はい、でも……今日は話を聞くだけですからね」

「わかりました」

幸男は相談員を仏壇のある座敷に案内した。

しかし座敷に入った幸男は何故かモジモジしていた。

座布団が二枚敷いてあるのだが、どちらに座ってもらえば良いのか分からないようだ。

そんな常識すら知らないのが幸男なのだ。

母親が座敷に入って来て「今日はどうも、あっ!」挨拶の途中で驚いてしまった。

「幸男、何をしているの! 早く座ってもらいなさい。さあ、こちらにどうぞ」

六十歳にもなって、お客様を上座に案内することすら知らない幸男だった。

母親が相談員に話しかけ会話がはじまったのだが、幸男はずっと下を向いたまま黙っていた。

どうやってこの話しの中に入っていけば良いのか、何をどう話したら良いのか、それすらも全く分からないようだ。

そして相談員が話し掛けてきた……

「今日は良い天気ですね?」

「今日、仕事はお休みですか?」

「職場には毎日、車で通勤されているのですか?」

全て幸男が返答に困らなくてよい様な質問が、立て続けに三つ飛んできた。

幸男は全ての問いに対して「はい」とだけ答えた。

「結婚へのお気持ちはどうですか?」

「それは勿論ありますよ」

「良い人さえ居れば、今直ぐにでも結婚したいと思っていますか?」

「そうですね」

「現在お勤めの会社の中で、幸男さんの結婚対象となる方はいませんか?」

「対象になるような人は皆な結婚していますので無理ですね」

「知人や親戚からの紹介はどうですか?」

「若い頃は少しありましたが、今では全くありません」

「若い頃に紹介してもらった方とは、上手くいきませんでしたか?」

「二回ほど食事行って、それで終わりでした」

「その時の紹介は、一人だけ連れてくるという紹介でしたか?」

『この人は何を言ってるの? そんなのは当たり前でしょう!』

「はい、そうですが」

「それでは上手くいかないですよね! 紹介してくれた方も一度に三、四人の方を同時に連れて来ていたら、幸男さんも合う人を探すことができたのかも知れませんね。まあ、一般的にそんな紹介はありませんけどね。五十嵐さんが、今まで結婚に至らなかった一番の要因は何ですか?」

「そうですね、学生時代は男子校でしたし、社会人になってからは仕事が忙しくて婚活どころではありませんでした。それに時間もなかったので。それに出会いがない、今はそれが一番の原因ですかね」

「ちなみに、会社でのお昼ご飯はいつもどうしていますか? お母さんの手作り弁当? それともコンビニの弁当ですか?」

「殆んどは母が作ってくれる弁当ですが、それがない時は、コンビニで弁当を買っています」

「じゃあ、コンビニに買いに行った時に、かわいいなぁと思う店員さんや、お客さんに会うことはないですか?」

「ん……まぁ、ありますね」

「それなら出会いはあるじゃないですか! その人に声掛けたら良いですよ。なんだ、しっかり出会いがあるじゃないですか!」

「いや……」

暫く沈黙が続いたあと相談員が「そうですよね、無理ですよね。この年になって、コンビニでやたらめったら女性に声掛けてたら、直ぐにパトカーが飛んで来るような時代ですからね。受けた相手がどう思うのかで、声を掛けた人はストーカーにもなってしまいます。そうなれば逮捕、そして牢屋、会社もクビですからね。それは無理ですよね」

「はい」

「でも、コンビニで会うかわいい方は独身の方なんですか?」

『あっ、そういえば独身かどうかも知らない……勝手に独身だと思っていた』

「わからないです」

「そうですか。普段すれ違う女性を見ていても、どの人が独身で彼氏も居ないのか、それも直ぐにでも結婚したいと思っている人なのかなんて分からないですからね。もしも、すれ違った可愛い女性が首からプラカードなんか下げていて『私は独身です』『直ぐにでも結婚したいと思ってます』『○○歳~○○歳の方募集中』と書いてあったら声を掛けることができますか?」

「そこまで書いてあったら掛けることができるかも知れません」

「当社は、それができる会社です。良い人さえ居れば、直ぐにでも結婚したいという独身の方しか入会していません。ただ、女性の方も、結婚する相手が誰でも良いという訳ではありませんから、どんな人と結婚したいと思っているのか男性、女性、双方から希望を聞いて、それを基にこの人とこの人なら合うかも知れないという引き合わせをおこなっていきます。最初は男性側に複数名の女性をご紹介し、どの方に会ってみたいのか選んでいただき、その選んだ女性の中から一番良いお返事を頂いた方とのお見合いをセッティングしてくというやり方なんです。更に『恋愛の家庭教師』である結婚カウンセラーが五十嵐さんの担当として一名付き、先ほど伝えた『女性の紹介』や『お見合いのセッティング』お見合いで良いお返事となれば『デート』や『交際』のお世話してくれます。恋愛のことで分からない部分を手助けをしてくれます。五十嵐さんの横に良い人が居る状態であれば、その二人の仲を温め成婚に向けて進んでいきます。まだ横に良い人が居ない状態であれば、ご紹介をしてお見合いをしていくことになります。このやり方だったら幸男さんは結婚相手が見つかりそうですか?」

「そこまでやってもらえるのなら、見つかると思います」

「私もそう思います」

幸男は相談員の話を聞き、すっかり結婚相談所の虜となってしまった。

しかし、幸男も易々と「はい、わかりました。入会します」という訳にはいかない。

幸男にも多少の意地はある。

「ラブさんが凄く良いというのは分かりましたが、私には気になる人がいますので、その人に告白してからでも良いですか?」

「はい、大丈夫ですよ。ちなみにその方とは、食事に行かれたりする仲なんですか?」

「あっ、いいえ……えっと、会社近くのコンビニで会うだけです」

「そうですか……ちなみにその方は何歳の方なのですか?」

「それは……分かりません」

「その方は独身の女性なんですか?」

幸男は彼女の事を何も知らなかった……彼女が独身なのかさえも。

もし彼女に告白をして「私には旦那がいます」なんて言われたらいい恥さらしだ。

幸男は相談員から質問された「彼女は独身なのか?」問に対しても「それも分かりません」と返答した。

「それであれば、先ずは確実な結婚相談所でお嫁さん探しをしてください。それと並行して、コンビニの彼女にも声を掛けてみてください。もしその方と上手くいくような話になれば、その彼女と結婚に向かって進んで行くというのはどうでしょうか? 幸男さんが思い描く幸せな結婚までの時間は限られたものになっています。これ以上、時間を無駄にしないで、結婚への確率を上げていきましょう。結婚を早めるためにも同時進行でいきましょうよ! 何よりも時間がもったいない!」

「わかりました。よろしくお願いします」

「良い選択だと思いますよ。最高の協力をさせていただきます」

幸男は説明に来た結婚相談所ラブで、幸せな結婚に向け婚活することを決めた。

今後、幸男には幾つもの試練が訪れ、苦しむことになるのだろうか?

それとも、この上ないハッピーが訪れて来るのだろうか?

それは正直、活動してみなければ分からないことなのだろうが、幸男は結婚のきっかけになるかも知れない、大きな第一歩を踏み出したのだ。

結婚相談所という未知なる世界に飛び込み、残されている可能性に賭けていく。

これから活動していく結婚相談所に、幸男が望んでいる幸せが転がっている、そう信じて。

その活動の初日となるのが来週の日曜日、十三時に結婚相談所へ行くことが決まった。

もちろん結婚相談所での活動にはお金が必要となる、それも安い金額ではない。

幸男が今回決断した一番の理由は、時間を掛けずに結婚まで辿り着き、高齢の母親を安心させてやりたいという想いからだった。

六十歳を迎えた幸男にも、その母親にも時間は無いのだ。

年々、足早に変化していく環境、やはり結婚するということに関しても『運には期限がある』のだろうと思う。

五十嵐 幸男という男は、世間では既に賞味期限を過ぎてしまっている男ではあるが、消費期限までには頑張って何とか結婚してみたいという気持ちになった。

お金で時間は買えないと言うのだが、結婚相談所という場所はある意味、結婚までの時間を縮める場所である。

そう考えるとお金で時間は買えることになる。

それは高速道路や新幹線、飛行機も一緒のことなのだ。

今はとにかく、自分ができる限りの努力をしてみようと決心した幸男であった。






四.結婚相談所に行く


初めて踏み入れた未知なる世界、結婚相談所に興奮が止まらない幸男は、これまでの一週間、胸のドキドキが止むことはなかった。

一体それが緊張から来るものなのか、それとも不安からなのか、それは自分でも分からなかったが、ドキドキが続いていた。

今日は結婚相談所に初めて行く日なのだが、幸男のことをお世話してくれる担当のカウンセラーというのが決まるらしい。

幸男はそのカウンセラーとタッグを組み、無理をせずに二人三脚で歩んでいけるような結婚相手を見つけていくことになる。

女性とのお付き合いというのは、お相手の女性と二人三脚をしていくようなもの、お互いの条件や相性、それに考えやペースが大きく違えば、二人三脚では転んでしまうことになる。

これから無理なく二人三脚でゴールを目指せる人を探していくことになる。

この日の最後には、写真館で写真撮影すると聞いていた。

普段は余り自分の顔を鏡でじっと見ることがない幸男だが、今朝は洗面所の鏡に映る自分の顔をじっと見て「俺、実年齢よりも若く見えるよな」と一言。

勿論そんな訳はないのだが……こんな幸男でも昔から頭が薄くなるのだけは避けたいと考えていた。

特にシャンプー時の洗髪の仕方には幸男なりの拘りがあった。

幸男は勝手に『江戸ライン』と名付けている頭の部分があった。

それは眉間から真っ直ぐ上がった頭頂部までのラインで、江戸時代のお侍さんがわざわざ髪の毛を剃り、ちょんまげをチョコンとのせていたあの部分のことだ。

幸男はその部分のことを『江戸ライン』と言っていたのだ。

幸男は普段から、その部分を入念に洗い、そこの髪の毛が薄くならないように気をつけていた。

おかげで幸男の『江戸ライン』には髪の毛があり、見た目としてはそれだけが救いであった。

「これでスーツでも着たら写真撮影も問題はないだろう」

幸男はスーツに着替え結婚相談所に出掛けていった。

幸男が目指す結婚相談所は駅前の繁華街にあり、結構立派なビルにお店を構えていた。

今まで過ごしてきた幸男の私生活からは全く無縁とも言える場所にあり、何度も迷いながらやっと辿り着いていた。

綺麗なビルにある見た目もオシャレな店舗、それを目の前にした幸男の足はガクガクと震えていた。

勇気を出してドアを開けると、綺麗な女性がカウンターで幸男を出迎えてくれた。

「いらっしゃいませ」

幸男は「ゴクッ」唾を呑み込み「きょ、きょ、今日の一時に予約しています、五十嵐幸男です」と緊張しながら話した。

「お待ちしていました、こちらへどうぞ」

幸男はカウンセラーに案内され、店の奥へと進んでいくと、お見合いの最中なのだろうか、男性と女性が楽しそうに話す声が聞こえていた。

途中カウンセラー数名ともすれ違ったのだが綺麗な方で、皆んな優しそうに感じた。

『俺もこれからは、この中で活動していくんだな』

幸男はじわりじわりと実感が湧いてきているようだった。

カウンセラーに案内された部屋で待っていると、部屋の扉がノックされ一人の女性が入ってきた。

「こんにちは五十嵐様、今日から五十嵐様を担当いたします、近藤(こんどう) 愛子(あいこ)と申します。よろしくお願いします」

「あっ、よろしくお願いします」

「今日は五十嵐様の結婚相手を見つけていく上で、とても重要な取り組みをおこなっていきます。五十嵐様がどんな女性を探しているのか、これからどんな女性を紹介していけば良いのか、どこまでお手伝いを必要としているのか、それを聞いていきますので私に教えてください。お相手となる女性の希望年齢は何歳くらいですか?」

「えーっと……」

幸男から中々言葉が出てこない、何故なのだろう。

それは、これまでの人生で、そんなことを全く考えたこともなかったからだ。

「例えば、下の年齢だと何歳の方から紹介しても大丈夫ですか?」

「若いのは、どれだけ下でも大丈夫です」

「女性は二十代前半から活動している人がいますが、流石に二十代の方は若すぎますよね?」

「いや、そんなことはないですよ。若い人は全然問題ないです」

「そうですか? では逆に、上の年齢であればどうですか?」

幸男は悩んだ……『大金を使って結婚相談所で探すのだから、それは若いお嫁さんを貰うことに越したことはないよな。それに俺は長男だし、家も墓も守っていかなければいけない立場だ。だから実子を授かって跡継ぎを作っていかなければならない。そうなると、結婚相手は三十代までなのかな』

「三十五、六歳ぐらいまでかな」

「えっ! 五十嵐様は六十歳ですよね。お相手が三十五歳だと二十歳以上も年が離れてしまいますが、大丈夫ですか? それにお相手様にも希望条件がありますので、この条件だと中々お見合いすらできないかもしれません」

「それは大丈夫だと思います。私は周りの人から若いと言われてますので、年の差は特に問題はないかと思います」

「五十嵐様は実子が希望ですか? 既にお子さんがいらっしゃる年の近い一度結婚を経験された方なんかはどうですか?」

「できれば未婚の方でお願いします。それに自分の子供は絶対に欲しいですね」

幸男は自分が走っていくレールに、とてつもない高いハードルを置いてしまった。

そのハードルを跳べるかどうかは別として。

あまりにも世間を知らない幸男に対しカウンセラーも最後は飽き飽きしてしまい「はい、はい」という感じだったのです。

一体この自信はどこからやって来るのだろうか?

きっと幸男の家には鏡がないのかも知れないと思ってしまう。

幸男は一通り自分の理想を伝え、初日のカウンセリングは終了した。

残るは写真館に行き、お見合いのプロフィールになる写真の撮影となる。

写真を撮ることに馴れていない幸男は、緊張のあまり顔がこわばってしまい、なんと二十回以上も写真を撮り直したのだが最後まで奇跡の一枚とはならず、両者あまり納得しないまま撮影は終了してしまった。

次回の結婚相談所への来社は二週間後に設定され、その時に複数名の女性が紹介される予定になっている。






五.初めてのお相手選び


あれから二週間後……

『結婚できる!』という期待感から爆上がりした心の高ぶりは不眠を招いてしまい、その日の朝はなんと四時に目が覚めてしまった。

外はまだ暗くテレビといえば、どの局にチャンネルを合わせても、朝から通販ショップの番組が元気良く放映されていた。

早起きというものは実につまらないものだ、そう感じた幸男だった。

やはりこの男は残念な男である。

幸男以外の人にしてみれば、早起きした朝はとても素晴らしい時間のはずなのだ。

外の空気は澄み、自然からはたくさんのパワーがもらえる貴重な時間なのだ。

結婚相談所でのカウンセリングは、朝十時からの予定になっているのだが、幸男は少し早めに家を出て相談所の近くの牛丼屋で、朝からカレーでも食べて行こうと考えていた。

日曜日の朝は、電車を利用する人も少なく快適な移動時間となった。

幸男の服装は白いトレーナーにジーンズ、あとは汚れてしまい山吹色に見える白いスニーカーで、お世辞にもお洒落とは言えない残念な格好であった。

幸男が計画していた予定通りお目当ての牛丼屋に入り、牛肉をトッピングした特盛牛しゃぶカレーを朝から豪快に食べた。

何も気にすることなくひたすら豪快にカレー食べたのだが、牛しゃぶが纏っていたカレーのルーが口元で豪快に飛び跳ね、幸男が着ていた白いトレーナーや口の周りに付いた。

更に口や服からはカレー臭が漂い、首や耳の後ろからは加齢臭が漂っていた。

この男は人と会う礼儀も知らない、とても失礼な人間である。

幸男は結婚相談所に向かう前に牛丼屋で時間を潰したのだが、それでもまだ九時、予定の十時までにはまだ時間があった。

しかし幸男は『とりあえず行ってみるか、遅れるよりはマシだろう』ということで、かなり予定よりも早い時間に結婚相談所に着いた。

「えっ! 五十嵐さん、いくらなんでも早過ぎますよ」

そんなこんなで相談所から追い出された幸男、どこまでも常識がないのだ。

こんな男がこれから女性と出会い、結婚まで考えているというから驚きだ。

当然ながらこのままの幸男では、女性から好かれるということは難しいだろう。

そして結婚相談所を追い出された幸男が向かった先は、先ほどまで滞在していた牛丼屋だった。

幸男は再びこの場所で時間を潰すという作戦のようだ。

お腹の方はそこそこ満足しているのだが、流石に牛丼屋に入って何も注文しない訳にはいかないので、今回は軽めにカレーの並盛りを頼んで、今度は時間をかけゆっくり食べることにした。

今度は予定通りの時間に来店した幸男だったのだが、近藤カウンセラーの顔はしかめっ面だった。

『臭い! それに服も汚れてる』

カウンセラーは幸男を出迎え、直ぐに倒れそうになってしまった。

「五十嵐さん何を食べてきたの? もしかしてカレー?」

「はい、二杯ほど」

「服にカレーの汁が跳ねて汚れていますよ。そんなことでは女性に嫌われます」

その通り! ごもっともな意見だが、幸男には響かないだろう。

そもそも何をするために、結婚相談所に来ているのかを全く理解をしていないようだ。

「五十嵐さん、今日は七名の女性をご紹介しますね。前回来店した時に五十嵐さんから聞いた理想の方が四名と、カウンセラーの私がお薦めする三名になります」

先ずは条件通りの方から紹介がはじまった。

年齢は三十二歳が二人と、三十四歳が二人、顔は飛びっきり美人という訳ではないのだが、普通に可愛いという感じの方である。

四名の方は全員会社員として働き、住まいは家族と同居、趣味はアウトドア系が多くお酒は付き合い程度、一人だけ離婚を経験している方がいたが子供はいない、あとの三人は結婚の経験がない方だった。

プロフィールの内容には殆んど差はないのだが、幸男の中では『料理が得意です』と書いてある人が一歩抜け出ているという感じだった。

次は近藤カウンセラーのお薦めする三名の方が紹介された。

年齢は左から三十八歳、四十歳、四十三歳の方だった。

あとから紹介された三名は最初に紹介された四名と比べ、見た目だけであれば幸男のタイプであり、そして三名とも結婚の経験のない未婚の方だった。

特に四十三歳の方の顔は好みで、しかもアピールポイントには『私が作った料理を一緒に食べて欲しいです』と、とても惹かれる一文が書いてあった。

しかし、やっぱり子供が産めるのかということが心配であり、どうしてもこの部分が引っ掛かってしまっていた。

「五十嵐さん、どの方にお見合いを申し込まれますか?」

幸男は迷った……

『三十二歳の二名は確かに年齢は若いが顔は好みではない、三十四歳の一名は結婚を経験しているから前の旦那と比べられたりするのも嫌だな……だからといって顔が好みのカウンセラーおすすめの三名は年齢に不安が残ってしまう』

「五十嵐さん、何も一人だけに絞らなくてもいいのよ。気に入った人が複数名いるのであれば、お見合いのお申し込みは気に入った方全員でも大丈夫ですよ。あとはお相手の返事もあることなので」

「何名でも申し込むなんて、そんな事は絶対にできません! それこそお相手に失礼ですよ!」

近藤カウンセラーはポカーンとしてしまった。

この段階では結婚どころか、まだ会ってもいないのだから。

幸男の頭の中では複数の方にお申し込みするということは、浮気なことをしている罪な男に思っているらしい。

会ったら即結婚、そんなくらいに思っているのだろうか。

どこまでもおめでたい、とてもスケールのでかい勘違い男だ。

幸男は『料理が得意』と書いてあった、三十四歳の結婚経験のないという一人の方だけを選んだ。

このときの幸男の気持ちとしては、この人と結婚したというぐらいの気持ちだったのだろう。

『俺もいよいよ結婚か』

「五十嵐さん、本当にこの方一人だけで良いのですか?」

「はい」

「それでは女性にお申し込みをしてみますので、お相手様からのお返事をお待ちになってください」

そして最後に、近藤カウンセラーから注意があった。

「念のためですがお見合い当時の服装はスーツ、そしてカレーやニンニクみたいな臭いのある食べ物は避けてくださいね。それだけで嫌われてしまいすからね」

「わかりました」

近藤カウンセラーからきつく注意を受けた幸男は、結婚相談所を出たあとは、もう結婚が決まったかのようにウキウキしながら帰宅したのだった。

あれから十日後……

仕事が無事に終わり自宅に帰宅した幸男の携帯が珍しく鳴った、相手は結婚相談所からだった。

先日、お見合いを申し込んだ女性からの返事を知らせる内容だった。

「五十嵐さん、この前選んで頂いた方からお返事を頂戴しました。残念ながらお見合いとはなりませんでした。理由としては、五十嵐さんとは年齢が離れ過ぎていて、どうしても結婚相手として見ることができないとのことでした。自分の父親が六十一歳で、五十嵐さんが六十歳、お相手様としてはお父さんにしか見えないとのことでした。また来週、相談所に来てください。違う方をご紹介をさせて頂きます。ただし……お相手に対する条件を少し変更して頂かないと、五十嵐さんは女性には会えない可能性があります。その辺もご相談させて頂きたいと思います」といった電話だった。

幸男は谷にでも蹴落とされたような状態だった。

ガッカリ……幸男の頭の中では既に、彼女と結婚をしていたのだから。

幸男は弱々しい声で、来週、結婚相談所に行くことを約束した。

幸男の人生初となる女性に対する告白みたいなものだったのだが、あっけなく振られてしまい、ほろ苦い青春を味わうことになってしまった。

幸男の遅すぎた青春は、今はじまったばかりだった。

六十歳となった今から経験していく青春は、一体どんな味になるのだろうか……甘酸っぱい青春なのだろうか、それともホロ苦い青春が訪れてしまうのだろうか?





六.勘違い男


『何をどうしたらお見合いが出来るのだろうか……俺の何が悪いのだろうか?浮気もせずに一人だけ選んだのに……それに俺は人から若いって言われているから、そんな年齢の差なんて感じたりはしないはずなんだけどな……そんなの大丈夫だよ』

落ち込みは半端ではなかったが、幸男は良い意味で前向き、悪い意味では自分を理解していない人間だ。

この男には幾つもの問題があり、やはり結婚どころか恋愛にも程遠い男である。

遠く遥か彼方の宇宙からやって来る自信と、全く反省しない態度は、見た目の問題以上に難題になるだろう。

今はとにかく相談所からお相手を紹介してもらうしかないと気持ちを切り替える幸男だった。

一週間後、幸男は再びラブ結婚相談所を訪れた。

今回は臭いのある食事は取らず、時間厳守で訪れたことは、少しずつではあるが成長しているのだと言えよう。

近藤カウンセラーからは「今日は女性を紹介する前に、お相手の方への条件について再度話し合いましょう」と言われた。

条件で一番ネックになっているのが年齢に対することだ。

この若い人オンリーの条件を和らげない限り、このままお見合いにさえならないことも考えられる。

結婚相談所のプロの立場から考えても、とても難しい条件だと告げられた。

「このままでは、お相手の紹介だけで一年の会期が終了してしまいますよ。対象となる人の年齢を上げてくれたら、私が責任持ってお相手を見つけるから! 私に任せてくれませんか?」

幸男は近藤カウンセラーの気迫と熱意に圧倒されてしまい「わかりました」と答えてしまった。

そのあと近藤カウンセラーは席を外したが、十五分後に戻ってきた……数名の女性プロフィールを手にして。

幸男は期待した、次こそは良い結果を出したいと。

今日の紹介は三名、最初に紹介された人は年齢が四十六歳、結婚の経験はなく見た目はまあまあの方だった。

二人目の方は年齢が五十一歳で、この方も結婚の経験がなく見た目は清楚でとても素敵な方だった。

三人目の方は四十二歳。

今日の紹介の中では最年少です。

幸男は食い入るようにプロフィールを確認した。

顔は可愛い系で幸男のタイプである。

近藤カウンセラーは全員の詳細を説明した後、幸男からの見合い申し込みを待った。

幸男はまたもや一番若い四十二歳の方だけを選んだ。

「今回も一人だけのお申し込みですか? 良いと思えば全員選ぶことも可能ですよ」

「そんな何人も選ぶことなんてできません。やはりそれは、失礼にあたります」

「そうですか……また連絡いたします」

幸男は帰りの電車の中で考えていた。

『今日選んだあの方は少し年齢が高いよな……本当に大丈夫かな』

自分より十八歳も年下なのに、年齢が高いとはどういうことだ、余りにも自分という存在が分かっていないということだろう。

幸男は顔、職業、財産、どれを取っても自慢できるような魅力などない。

武器を持たずに戦場に出掛けた兵士が、よくもそんなことが言えたものだ。

そんな兵士はいくら意気がったとしても、まず勝つことはあり得ないのだが、とりあえずは結果を待つしかない。

しかし一週間後に奇跡は起こり、結婚相談所からの電話で幸男の見合いが決まった。

お見合いを申し込んでいた四十二歳の女性は、幸男とのお見合いを受けることにしたようだが、これは奇跡としか言いようがない。

この方は入会して間もない女性のようで、まだ結婚相談所のシステム事態をよく把握している訳ではなかった。

せっかく自分をお見合い相手に選んでくれたのだから、それを受けなければならないと思っていたようだ。

この女性の名前は山中美保さん、性格は素直で真面目な人です。

結婚相談所からの電話を受けた幸男は『自分が妥協して希望年齢を上げたのだから、お見合いになって当然の結果じゃないの』だった。

本音のところは『本当は三十代の人でも大丈夫だったのじゃないの』とも思っていた。

お見合いは二週間後の日曜日、時間は午前十時からということに決まった。

果たして幸男の初見合いは、どんな結果になるのだろうか。

お見合い当日……

さすがの幸男でも、お見合い当日は朝から緊張していた。

この日まで幸男は家のレイアウトをどうしたらいいのだろうかと、お見合い相手との同居生活をシミュレーションをしながら過ごしていた。

これで新生活のシミュレーションはバッチリ、幸男の頭の中ではお見合いイコール結婚になっているようだ。

これが恋愛経験の少ない人にありがちなパターンなのだ。

そんな妄想が現実の一歩になるかどうかは、今日のお見合いの結果次第なのだ。

幸男は初のお見合いに向け念入りに身支度をして、いざ戦場へと出掛けて行った。

相変わらず武器は持たないままである。

結婚相談所に到着した幸男は、近藤カウンセラーから「五十嵐さん落ち着いて下さい、大丈夫ですか?」

お見合いという緊張から来るものだろうか、幸男は体中から汗が吹き出て止まらなくなっていた。

誰がどこから見ても暑苦しく見苦しい姿で、そして不潔な人間としか見えない。

スーツを着たおっさんが熱帯雨林で迷ってしまい、出口が見つからず焦り汗を拭っているかのようだ。

ただ今の幸男にはどうすることも出来ない、それが現実だ。

「五十嵐さん、もうそろそろお時間なので参りましょうか」

カウンセラーから声を掛けられた幸男は、お見合い相手の山中さんが待つ部屋へと案内された。

その時の幸男といえば、当然、緊張はMAXである。

部屋に入り何とか挨拶をすませた幸男、その後はカウンセラーからお互いの紹介がされて、 いよいよ幸男ちゃん人生初となるお見合いが始まった。

会社の女性とは普通に話せていたことから、幸男は今回のお見合いで話す内容などは全く考えることなく、逆に問題はないだろうと考えていた。

だから案の定、お見合い開始から暫くの間は地獄の沈黙が続いてしまった。

当然といえば当然の話である。

お相手の女性も今日が初めてのお見合いで、この場をどうして良いものなのか分からない様子だった。

堪りかねた女性が「今日は少し暖かいですね」と気を利かせ話し出した。

「そうですね、今日は汗が出ますね」

さすがの幸男も『このままではダメだ、この場を何としなければいけない。このままではただ向かい合っているだけの、まさに見合いなのだ。何故だ! 会社ではあんなに女性と話すことができるのに……そうだ! 会社の話をすればいいんだ!』

幸男は自身が働いている会社の仕事内容や、会社での出来事、それに会社の愚痴を話しはじめた。

『なんだ、やっぱり俺は話せるじゃないか』

こんな話を永遠と聞かされている、お見合い相手の山中さんとしてみれば、とてもつまらなく退屈で迷惑な時間となってしまった。

山中さんが結婚相談所に入会したのは、少しでも早く良い人と出会い結婚をしたいという想いからである。

少しでも早く結婚に繋がるのならと、貴重な時間を割いてお見合いに来ているのだ。

しかし永遠と続く会社の愚痴、そんな話しを聞かされるとは想像もしていなかった。

これは事故のようなものだ。

山中さんは『このお見合い早く終わらないかな……息が詰まりそうだ』

このように思っていたに違いないだろう。

作り笑いしている時間にも限界はある。

現にお見合いで山中さんの顔はひきつりはじめていたのだが、幸男はそれを察知することなどなく、荒れ狂う怪獣のようにゴーイングマイウエーイを貫き通したのだった。

「お時間になりましたので男性はご挨拶をして退出してください」

カウンセラーから声が掛かってから十秒後に退出した幸男、約一時間にも及ぶ人生初のお見合いが終了した。

退出してきた幸男の顔は満足そうに微笑んでいたので、近藤カウンセラーがお見合いの感想を聞いてみた。

「五十嵐さんお見合いはいかがでしたか?」

「とても良かったです」

「女性とは、お話しができましたか?」

「はい、たくさん話しをしました。一時間がアッという間でした」

「そうですか、それは良かったですね。お相手からの返事は一週間以内で頂きますので、またご連絡いたします」

「よろしくお願いします」

幸男は大きなことを成し遂げたという、達成感に近い気持ちで結婚相談所をあとにした。

『あの人が家に嫁いで来るのか……あの人となら上手くやっていけそうだ』

お見合いルームに一人残る山中さんに会うため、扉を開けた近藤カウンセラーだが、山中さんは半泣き状態でうずくまっていた。

「どうしたの?」

「いいえ、なんでもないです。ただ……一時間が長くて、辛かったです」

「お相手の五十嵐さんは、話しがたくさんできたと言っていましたが、五十嵐さんとはどんな話をしたの?」

「五十嵐さんの会社の話しを聞いていました」

「その他の話は?」

「それだけです」

「それは辛かったね……ごめんなさい」

山中さんの初のお見合いは、幸男のせいでとても辛いお見合いとなってしまった。

山中さんがこれに懲りて、結婚相談所を辞めてしまわないことを祈ります。

幸男には、近藤カウンセラーから厳重注意が必要だ。

お見合いでありがちなミスというのは幾つかあるのだが、服装、態度、話す内容……幸男はこの話す内容の部分で大きく失敗してしまっていた。

会社の話しというのは少しくらいなら問題はないのだが、細かな仕事の内容や、一緒に働く人のことなど聞いても相手はさっぱり分からないから、聞いている方としてはとても疲れる、それに話が長くなれば嫌気も刺してくるのだ。

話す内容がどんどんエスカレートし、会社の愚痴までいくと最悪の結末になってしまう。

今回のお見合いの結果というのは……その通り、最悪の結末だった。

幸男は翌日の近藤カウンセラーからの電話で、それを知ることとなった。

『何故だ? 何故なんだ……あんなに話しができたのに』

近藤カウンセラーから二週間後に来店して欲しいと言われ、その時に説明するとのことだった。

翌日は母親の手作り弁当ではなく、久々のコンビニの弁当になった。

『あれ! 彼女がいない。今日は休みなのかな?』

その彼女の補充なのか店内には、今まで見たことがない男性の店員が一人働いていた。

コンビニで肉系のガッツリ弁当とモンブランを買って店を出た。

『おふくろは風邪みたいだから、明日もコンビニだな。明日は彼女に会えるかな』

しかし、翌日のコンビニにも彼女の姿はなかった……

幸男はこのコンビニで何度か見たことがある、年配の女性店員に聞いてみることにした。

「すみません、いつもレジに居たもう一人の女性店員さんはお休みですか?」

「あの明るい子のことかな? あの子だったら旦那さんが転勤なったので辞めてしまったよ」

ガーン! 幸男は彼女がコンビニを辞めてしまったことにもショックを受けたのだが、彼女が結婚していたことにかなりのショックを受けた。

単に幸男の勘違いであっただけだが、自分では彼女と両想いであると思っていたことから、そのショックは大きかった。

しかしコンビニの彼女には旦那さんがいて、その旦那さんの転勤で彼女は居なくなり、更に結婚相談所でのお見合いの返事はあっさりとお断り……幸男には悪い結果が続いてしまった。

この先、幸男は挽回できるのだろうか? 悔やんでいても仕方がない、少しずつ勉強しながら進んでいくしかないのだろう。

やはり恋愛というものは、経験するべき時に経験しておかなければいけないものなのだ。

年齢を重ねてからでは、とんでもない勘違いや予想もできない様な苦労が待っているものなのだろう。

六十歳になるまで恋愛を経験して来なかった幸男には『恋愛の家庭教師』となる結婚相談所のカウンセラーが必要なのだ。

「今度、結婚相談所に行ったら、しっかり勉強しよう」

少しだけ大人になった幸男であった。





七.反省と勉強


結婚相談所来店の日……

「今日は前回のお見合いの反省をしましょう」

「はい、お願いします」

「初めてのお見合いはどうでしたか?」

「最初は緊張していてお相手の山中さんと話せないという沈黙の時間がありましたが、自分の中で切り替えをしてからは話すことができたと思います。彼女も楽しそうにしていたので、自分としては上手くいかなかったのが不思議なくらいです」

「そう、彼女とはどんな話しをしたの?」

「私の会社の話しをしました」

「それよ、それが原因なのよ」

「えっ?」

やはり幸男は全く分かっていなかった。

近藤カウンセラーは自分自身に気合いを入れるため大きく深呼吸して「ハッ!」と一声上げた。

何も知らない、何も出来ない幸男に対して一から教え、絶対に成婚させようと思ったのだ。

「五十嵐さん、今日は帰る時間が遅くなりますが大丈夫ですか?」

近藤カウンセラーから受けた物凄い眼力に圧倒され幸男は「大丈夫です」と即答した。

そこから幸男ちゃん成婚に向けた勉強会が始まった。

勉強会の内容は……

五十嵐さんにはもっと女性のことを知って欲しい。

お見合いというのは、せっかく巡ってきた結婚へのチャンスが『たった一言の失言』や『無神経な態度』が原因で一瞬にして『水の泡』となり、目の前から消え去ってしまうことがあります。

だから女性のことを知っておくことはとても大事なことなのです。

『モテる男』と『モテない男』の違いは、そんなところにあるのかも知れません。

先ずはお見合いでやってはいけないこと『一.当日に遅刻』『二.話題がなく沈黙』『三.服装が手抜き』『四.不清潔』『五.会話が仕事に関する自慢や愚痴』『六.笑顔がない』『七.過去の恋愛を聞く』です。

今回のお見合いでもいくつか当てはまるものがありますが、お見合いの最初の一言は決めておいてください。

『今日会えることを楽しみにしていました』などの嬉しい気持ち伝えてあげてください。

そうすることで印象が良くなります。

それと事前に会話ネタはいくつか用意しておくこと。

盛り上がる会話術の鉄板は、食べ物の話題です。

会話の中に『今度一緒に食べに行きたいですね』といった話題が発展するかもしれません。

あとは共通の趣味があれば話しをしやすい。

ただ話しやすい分、自分の話しばかりにならないように注意することが必要です。

お相手にはたくさん質問してあげて、そしてたくさん聞いてあげてください。

ペットも話題も盛り上がりの一つ、可愛いペットの話題であればお相手もたくさん話してくれると思いますよ。

今回決定的だったのが、終始仕事の話をしたことです。

会話というのは自分の話だけではなく、相手の女性に質問して、たくさん話しをさせてあげなくてはいけません。

ただ念のために言っておきますが、初対面のお見合いで女性がドン引きする質問は『一.これまで付き合った人の人数は?』『二.給料はどのくらいもらっているの?』『三.体重は何キロ?』です。

初めて会う人ですから、ガツガツと結婚観や子供について聞くことも引かれてしまいます。

この日は近藤カウンセラーから、その他にもたくさんのことを教えてもらい指導を受けました。

「五十嵐さん、お見合いからデートになれば、また勉強しましょうね」

幸男は自分に心強いカウンセラーが付いているということが分かり、とても嬉しかった。

そのあと近藤カウンセラーからは女性の紹介がありました。

「今日の紹介は、三名です」

四十一歳、四十四歳、それにカウンセラーお薦めの五十五歳。

四十一歳の方は三田麻美(みた まみ)さんといい、とても綺麗な人で、幸男はその姿に一目惚れしてしまった。

趣味は食べ歩き、旅行、ピアノ、ヨガ、好きな食べ物はイタリアンと書いてあった。

そこに幸男との共通点など、どこにもない。

四十四歳の方は、どこにでも居そうな四十代半ばの女性といった感じ。

離婚を経験していて二十歳の息子が一人居るようだ。

近藤カウンセラーお勧めの五十五歳の女性は田中麻理子さん、結婚の経験はありません。

「田中さんは、五十嵐さんにとても合う方だと思うのよ」

料理は勉強中、犬を飼っていて、ガーデニングが趣味、甘い物が好きで特にケーキが大好きという方でした。

幸男は本当に自分に合うのかな? といった様子だ。

「また一人だけですか!」

結局選んだのは一人、四十一歳の三田麻美さんでした。

「また連絡しますのでお待ち下さい」

幸男が三田さんを選んだ理由はただ一つ、綺麗だったということ。

幸男は本当に結婚することが出来るのだろうか……とてもに心配になります。

それから暫くして近藤カウンセラーから連絡があり、二週間後に三田さんとお見合いすることになった。

幸男は前回のお見合いを反省して、挨拶や気遣い、会話の準備、彼女への質問などしっかり計画を立てた。

今回のお見合いは、幸男史上初となる万全の態勢でお見合いの当日を迎えたのだった。

そのお見合いは出だしから順調なようである。

この日、外は肌寒い気候だったことから、建物の中は弱い暖房が入っており、建物の中はポカポカした状態でした。

幸男は感じ良く挨拶をしたあとに「外は少し寒かったのですが、このお部屋は暖房が入っていて暖かいですね。三田さんが、もし暑すぎるとか少し寒いとかあれば、私がカウンセラーさんに言って調整してもらいますがどうですか? お見合いを快適な時間にしたいので」

「ありがとうございます。調度良いので大丈夫です」

この気遣いは三田さんから好印象を受けたようだ。

会話や質問も準備していた通り順調に進んでいった。

「三田さんはイタリアンが好きと聞いてますが、よく行かれるお店とかありますか?」

「そのお店のお薦めは何ですか?」

「それ美味しそうですね! 食べてみたいな。もし機会があれば、是非一緒に行きたいです」

お相手に対し興味があると伝わるような質問が多く、彼女も回答がし易いことからお見合いは快調に進み、アッという間に終了したような気持ちだった。

幸男は、今回のお見合いには手応えを感じており、かなりの自信があったようだ。

幸男は近藤カウンセラーの教えを実践し、話す内容も事前に準備していたことが結果的に良い方向にむかったのだ。

「五十嵐さん、お見合いの雰囲気とても良かったじゃない! 部屋の前を通った時にそう感じたよ」

「近藤カウンセラーにご教授を頂いたお陰です。結果が出るまでは分かりませんが、今日はとても楽しい時間でした」

「良かったですね。彼女から返事をもらえたら連絡しますね」

幸男は控えめながらも、気持ちまでは隠せず笑顔が漏れていた。

後日、近藤カウンセラーから受けた電話は、お見合いの良い返事を知らせるもので、次回は彼女とデートに発展することが決まった。

ついに幸男の人生初となる、デートという大舞台がやって来た。

彼女とのデートの日取りは、お見合いから三週間後の日曜に決定した。

ただ不安なことがあった、幸男はイタリアンの店など行ったことがないことだ。

お見合いの流れから考えても、デートでの食事はイタリアンで決まりだろう。

幸男が考えるパスタは、スパゲッティーと完全にイコールである。

そのスパゲッティーもナポリタンかミートソースしか知らないのだ。

お見合いという難関を突破しデートに進んだことから、既に幸男の頭の中では結婚という二文字が浮かんでいた。

結婚までの過程というものは、実際お付き合いが進んでいく毎に難関は上がっていき、どんどん強敵になっていくということを幸男は理解していない。

当然ながら『デート』と『結婚』はイコールではない。

たった一つのチャンスが与えられただけに過ぎないのだ。





八.初のデート


浮かれ気分のままデートの当日を迎えた幸男、三田さんとの待ち合わせ場所は結婚相談所で、二人が揃ったところでデートに出掛ける段取りになっている。

待ち合わせ時間は昼の十二時で、今日のデートはランチデートの予定です。

「三田さんお久しぶりです。またお会いできるのを楽しみにしていました。今日はよろしくお願いします」

「今日のランチは、お見合いの時に話をしていた、イタリアンのお店『クッチーナ ボンゴレ』でも大丈夫でしょうか?」

「はい、是非」

やはり食事はイタリアンに決定した。

二人はランチの場所が決まったところで出掛けて行ったのだが、クッチーナ ボンゴレまでは徒歩で十分、幸男は事前にその場所までの道のりを事前に調べていたことから、三田さんのことなど気にすることなく一目散にお店を目指し歩いて行った。

三田さんは幸男に付いていくだけで必死、もはや駆け足状態となり、こんなものはデートでも何でもない。

結婚相談所からクッチーナ ボンゴレの店までは、予定よりかなり早い五分ちょっとで着いた。

「三田さん、ここですよね?」

「は、は、はい」

三田さんは完全に息が上がってしまい、まるで持久走あとのような状態になっていた。

こんな状態で食事とは、何とも過酷なデートプランになってしまった。

クッチーナ ボンゴレはとてもお洒落な店構え、幸男は緊張から来るビビりで身体中に電気が走った。

そして二人は落ち着かないまま店内へと入って行った。

「いらっしゃいませ」店員が出迎え、席へと案内してくれる。

幸男が最近行った外食といえば、牛丼屋にラーメン屋ぐらいで、こんなお洒落な店には行ったこともない。

幸男は初めての経験となり、そわそわして状態になり、子供の様な目で店内を見回していた。

「五十嵐さんは、あまりイタリアンのお店には行かないと言っていましたが、外食するとしたらどんなお店に行っているのですか?」

「外食はほとんどしませんが、行くとしたら食堂みたいな所です。このお店は本当にお洒落な店ですね」

「ここは友達が教えてくれたお店で、その友達と時々一緒に来て気分転換をしています」

「そうですか、楽しそうですね」

「五十嵐さんは何を注文されますか?」

幸男はメニューに目を向けた……

『高い!』ランチでも二千円以上していた。

この金額なら三回は食事できる、と考えていたから幸男はセコい男だ。

それに初めて目にする食べ物ばかりで、どれにすれば良いのかメニューをじっと見たまま固まってしまった。

このデートでは三田さんへの気遣いなど全くない、もはや自分のことしかなかった。

「僕はこれにします」と、とりあえずメニューの中で一番安いスープパスタにした。

「三田さんは決まりましたか?」

三田さんはクリーム系パスタのセットを選んだ。

そして三田さんは店員を呼び、幸男の分も注文した。

料理を待っている間も二人の会話は弾まない……見合いの時とはまるで違う幸男の姿に、三田さんはギャップを感じはじめていた。

それもそのはず、お見合いの時は話す内容を念入りに準備して挑んだお見合いだから、良い結果には繋がったのだが、デートに関してはカウンセラーとの打ち合わせも準備をしていない。

だから当然の結果と言えるだろう。

このデートでは、素の幸男が丸出し状態なのである。

そんな静かな二人のテーブルに料理が運ばれてきた。

三田さんが頼んだ料理は彩りも鮮やかで、目と舌で楽しめるシェフのセンスがキラリと光る拘りのランチセットです。

幸男のパスタは大きな器に、魚貝類が豊富に入ったスープパスタ。

三田さんは「いただきます」と言ってからサラダを食べ始めたのだが、幸男はというとスープパスタが入った器を見ながら固まってい。

『スプーンとフォークしかないが、どうやって食べるのだろうか? 箸はないのかな?』

「五十嵐さん、どうかされましたか?」

「あっ、いや……箸は付いてこないのかなと思っていたのです」

三田さんは「箸ですか!」と一言、幸男は店員さんを呼び「すみません、箸を頂けますか」と自分で頼んだ。

「これでようやく食べられます」

このあとの光景は、たぶん想像の通りだと思います。

周りの人から見たら、見た目がお洒落なラーメンを急いで食べているようにしか見えない。

ズルズルと音を立てながら勢いよくほお張り、あっという間に麺を完食、最後は器を傾げスープまでも完食したのだ。

もちろんお洒落な料理を食べながらの楽しい会話などそこにはない。

女性は美味しい物を食べたいというのは勿論のこと、実はお洒落な店での雰囲気を味わいながら会話も楽しみたいのです。

今日は一人でラーメン屋に入ったのではないのだから……

幸男が座るテーブル席は、当然のことながら周りの客から注目の的となり、三田さんは顔から火が出そうなくらい恥ずかしい思いをしながら料理を食べることになってしまった。

『早くこの店から出たい! 最悪だ……』

怒りからなのか、それとも恥ずかしさからなのか、三田さんは料理の味など全く分からない状態になっていた。

それでも料理を作ってくれたシェフに悪いとの想いだけが、なんとか胃袋に料理を送っていた。

パスタを早々に食べ終わった幸男は『三田さんは食べるのが遅い人なんだな』というような目で三田さんを見ていた。

三田さんが食べ終わると幸男は「お店を出ましょうか」と一言、早足でレジの前まで行き「僕はこのスープパスタです」と明細書に記されているスープパスタを指差し自分の分だけ支払った……幸男は割り勘にする気だ!

三田さんからしたら『げっ、マジで!』と思ったに違いない。

幸男のせいで恥をかかされてしまった、とてもつまらないデートなのにまさかの自腹、割り勘なのだから驚きだ。

このデートの結果は既に見えている、良い結果に成る筈がない。

店内から出た幸男は「これから何処かに行きますか?」と迷惑を掛けているとは微塵も感じていないようだ。

「あぁ……えぇ、まぁ、いいですけど、何処に行きますか?」と本当は気乗りしていないのに断ることのできない三田さん、それに対して「美術館はどうですか?」とノリノリで応えた幸男だった。

幸男は女性の心というよりも、人の心を感じることなどできない人間なのだろう。

三田さんとしては内心嫌なのだが渋々、幸男と美術館へ行くことにした。

幸男の思いつきで選んだ美術館では『刀剣』の展示が行われていた。

「刀剣ですが大丈夫ですか?」

三田さんはアニメ好きで、特にるろうに剣心が大好きだったことから、主役が持つ逆刃刀という刀に興味を持ち、その刀が本当に存在したのかということも含め興味があったので「はい、大丈夫です」と答えた。

もちろん入場券は割り勘で購入して美術館や中へ入った。

中は美しく光輝く刀剣の数々が並んでいて、二人は釘付けとなり夢中で眺めていた。

「あっ!」

そこには三田さんお目当ての逆刃刀が展示されていた。

展示されていた逆刃刀は古く錆びていて輝きこそないのだが、その刀の存在を自分の目で確かめることができた三田さんは幸せな気持ちになれた。

今日のデートで唯一の収穫だといえよう。

館内を一通り回り終えた二人だが、その間は全く会話することもなく美術館を出た。

「今日はありがとうございました。またお会いができたら嬉しいです」

「ありがとうございました。あとは担当カウンセラーさんに報告します」

人生初のデートは終了した。

幸男の中では満足だったのだろう、三田さんと別れて直ぐ近藤カウンセラーに電話を入れていた。

そして「最高に楽しいデートでした」と伝えている。

既に幸男の中では、三田さんとの結婚生活が頭をグルグルと駆け巡っていた。

しかし三日後に掛かってきた電話の内容は「今回のデートは、次に繋がりませんでした」と予想通りの展開、またもや幸男は谷底に突き落とされてしまったのだ。

この時、幸男の中で変化が起こっていた。

それは幸男の中に存在する僅かなプライドが、今回の結果を許さなかったのか、それとも女性からの断りに深く傷ついてしまったからなのかは分からないのだが、幸男は婚活への意欲が全くなくなっていた。

カウンセラーからは「また紹介していくから大丈夫。次はデートの仕方についても勉強もしていきましょう。これからも一緒に頑張りましょうね」という言葉も、無気力状態になった幸男には全く届いてはいなかった。

「次はいつ来社できそう?」

「しばらく考えてみます。またこちらから電話します」と電話を切った。

幸男の心は重傷のようだ。

それ以降、結婚相談所から着信があっても電話に出ることなく放置して、折り返しの電話をすることもなかった。

幸男はそんな無気力な状態のまま、それから約二ヵ月の時間が過ぎていった。






九.挫折からの復活


結婚相談所を登所拒否している状態が続いていたが、勿論そこからは結婚に関する進展などなく、一年間という会期の六分の一を単に無駄にしているだけだった。

そんな頃、幸男は休日に母親を連れスーパーに出掛けていた。

母親とスーパーで買い物をしていると、幸男の目の前である光景が映った。

それは五十代後半、若しくは六十代だと思われる男女が、腕を組ながらとても楽しそうに買い物をしていた。

スーパーに並ぶピーマンを見ながら「俺はこっちのピーマンの方が良いと思うけどな」「こっちの方が大きいし艶もあるから、私は絶対にこっちよ」「わかったよ、カナに任せます」と、ピーマンをどれにするかの攻防がおこなわれていた。

最後は女性の意見が通ったというものだったが、そんな物こちらからしたら、どっちでもいいだろう! と言ってやりたくなるようなやり取り、それを見て幸男は『いいな……あんな自然なやり取りをしながら、楽しくスーパーで買い物をしてみたい。結婚やパートナーを求める意味というものは、もしかしたら、あんなごく普通の生活の中にある、何気ない一コマなのかも知れない』と思ったのだ。

このとき幸男は、幸せの法則というものを開花させたのかもしれない。

買い物を済ませ帰宅した幸男は、携帯電話を手に取り、電話を掛けはじめたのだ。

その電話の相手は勿論、結婚相談所ラブの近藤カウンセラーだ。

「あの……五十嵐幸男です。近藤カウンセラーお願いします」

「あっ、五十嵐さん! 私よ、近藤よ。凄く心配してたんだから。大丈夫なの? でも、でも、声が聞けて本当に良かった」

電話に出たのは担当の近藤カウンセラー、幸男のことを凄く心配してくれていたようだ。

「はい、すみませんでした。また相談所に行っても良いですか?」

「もちろんよ! 私は五十嵐さんが成婚するまでお世話するんだからね! 私に任せて」

幸男は近藤カウンセラーの言葉が嬉しかった、こんなにも自分のことを心配してくれる人が近くに居たのだと、それが凄く嬉しく感じたのだ。

六十年間、一度も掴むことが出来なかった幸せを掴み取るため心強いカウンセラーと共に歩み、人よりはかなり遅くなってしまったのだが、青春を味わいながら、その先の幸せに向かって進みたいと思った。

「五十嵐さん、明日相談所に来られますか? 是非、紹介したい人がいるの」

「はい、明日伺います」

幸男の目の前には、青く澄んだ綺麗な青空が広がっていた。

翌日、近藤カウンセラーは笑顔で幸男を迎え入れてくれた。

「五十嵐さん、おかえりなさい」

「心配をおかけしました。これからよろしくお願いします」

「はい」

この出来事をきっかけに幸男は、また少し成長できたのかもしれない。

相談所ではカウンセラーブースに案内され、コーヒーを飲みながらカウンセラーからの紹介を待った。

「お待たせしました。今日は五十嵐さんに絶対に合うと思う一人だけの紹介になります」

「はい、わかりました」

これだけ自分のことを心配してくれる近藤カウンセラーなのだから、絶対に信じていこうと心に決めていた幸男からは反論も疑問もなかった。

「この人覚えてる? 以前に紹介している人なんだけど。田中麻理子さん五十五歳」

プロフィールを見せられた幸男は「なんとなくですが覚えています」

「そう良かった。この方は五十嵐さんに絶対合うと思うの。料理は勉強中、犬を飼っていて、ガーデニングが趣味、甘い物が好きで特にケーキが大好きという方です。五十嵐さんも犬を飼っているわよね? ケーキの話しは私との雑談の中でしているし、特にモンブランが好きで、よく買っているとも言っていましたよね。それにガーデニングに関しても、お母様が広い庭に花を植えているから花は好きだと言っていた。ねぇ、田中さんに会ってみない?」

この時の幸男の心境は『田中さんは可愛い系で顔は嫌いではないのだが、ただ、五十五歳ということ気になる……本当にこの人で良いのか?』という迷いが、正直まだありました。

近藤カウンセラーのことは信じながらも、心の奥で自問自答を繰り返すような状態でした。

そして、いよいよ幸男の答えが出た。

「田中さんに会ってみます」

どうやら決心がついたようだ。

「では、田中さんとのお見合いを進めて参りますね」

「はい、お願いします」

「もし田中さんとお見合いになれば、自然体の五十嵐さんで大丈夫だと思うわ」

幸男は近藤カウンセラーからの連絡を待つことになった。

三日後、近藤カウンセラーから連絡があり、正式に田中麻理子さんとのお見合いが決定した。

お見合いの日程は、十日後の土曜日、 午後一時からとなった。





十.出逢い


お見合いの当日……

最近の幸男はスーツも体に馴染んで、少しずつではあるが着こなしも上手になっていた。

この日も早過ぎず遅刻でもないちょうど良い、お見合いの八分前という時間に結婚相談所へ到着した。

この日の相談所はお見合いの数がたくさん入っているのか、いつもよりも人の出入りが多いように感じられた。

結婚相談所の中では他の会員と顔を合わせることはほとんどなく、聞こえてくるカウンセラーの足音から忙しいのだろうということが分かった。

暫くして幸男が待つ部屋に近藤カウンセラーがやって来た。

「今日のお見合い頑張ってね。田中さんは犬好きで、食べ物はケーキが好きだから色々と聞いてあげるとよく話してくれると思いますよ」

「わかりました、ありがとうございます」

いよいよ近藤カウンセラーが一押し、そして幸男としては勝負とも言えるお見合いが始まった。

今回も挨拶を無難に済ませ、お見合いとしては良い滑り出しをしたと言える。

幸男は近藤カウンセラーからアドバイスを受けた『犬』と『ケーキ』の話題に入っていくのだが、先ずは『犬』の話題から話してみた。

「田中さんは犬を飼われているとお聞きしましたが、飼われている犬の種類は何ですか?」

「トイプードルです」

「トイプードルですか、可愛いですね! 名前は何ていうのですか?」

「マロンです」

「マロンちゃん、名前も可愛い。実は私も犬を飼っていまして、ポメラニアンなんですが名前はクリと言います」

「ポメラニアンですか、私はマロンの前に飼っていた子がポメラニアンなんです。それに名前、マロンとクリなんて……似てますね」

「あっ、本当ですね!」

しばらく犬の話で盛り上がったあと『ケーキ』の話題に話は移った。

「田中さんはケーキがお好きだと書いてありましたが、よく行かれるお店だとかありますか?」

「この相談所の近くだと『パティスリー ベリー』というお店が美味しいのでよく行きます。その店はモンブランが最高に美味しいんです!」

「モンブランがお好きなんですね、私もモンブランが大好きです。私は『ケーキ』イコール『モンブラン』というくらい大好きです。今度、機会があれば是非、一緒に行って食べてみたいです」

「私達、何だか似ていますよね」

その後も話題は尽きることなく、約一時間のお見合いはアッという間に終了した。

お互いがまだ話をしていたいという余韻が残るようなお見合いでした。

近藤カウンセラーからは「田中さんとのお見合いはどうでしたか?」

「田中さんとはいろんな面で話が合い、気を使うことのない本当に楽しい時間でした」

「そうでしょう、だから五十嵐さんには会って欲しかったのよ。田中さんとは合うと思ったわ」

「ありがとうございます。お相手さえ良ければ先に進んでいきたいのですが」

「わかりました。彼女からの返事も聞いてみますね。また連絡します」

「よろしくお願いします」

近藤カウンセラーは幸男を見送った後、田中さんが一人で待つ部屋へと向かって行った。

お見合いルームで田中さんは笑顔で待っていてくれました。

「私と感覚が凄く似ていて、あんなに話が合う人と会ったのは初めてだったので正直びっくりしました。今日は本当に楽しいお見合いでした。またお会いできたらと思っています」

「良かったね。それでは五十嵐さんと相談してから連絡しますね」

これが近藤カウンセラーの長年の感なのだろう、二人は絶対に成婚すると確信しているようだ。

そのベテランの感が当たることになるのだろうか。








十一.再び巡って来たチャンス


お見合いから二日後、幸男の携帯電話が鳴った。

水のようにやさしく♪ 花のように激しく♪

「はい、五十嵐です」

「五十嵐さん、ラブの近藤です。この前のお見合いの返事で電話しました。今、大丈夫ですか?」

「はい、大丈夫です」

「田中さんから、またお会いしたいとの良い返事を貰っています。良かったですね」

「本当ですか! 良かった。嬉しいです」

「次はデートになります。一つ上へのステップだけど、私は少し不安があるのよね……この前のことがあるから。五十嵐さん、デートの前に一度相談所に来て欲しいの、デートの勉強をしましょう。次の日曜日は大丈夫?」

「はい、わかりました。大丈夫です」


そして日曜日……

「いらっしゃいませ。五十嵐さんこちらへどうぞ」

「はい」

「五十嵐さん良かったわね! 田中さんとのデート絶対に成功させましょう」

「ありがとうございます」

「あんな綺麗な人とデートに進めるなんて、皆なが羨ましがります」

「次こそは何とかしたいです」

幸男は前向きだった、前はあんなに実子に拘っていたのだが幸男は変わったのだ。

田中さんとは実子が見込めないことぐらいは幸男も分かっていた。

もしかしたら本当の愛というものを見つけたのかもしれない。

その後、近藤カウンセラーの恋愛講座が始まった。

「デートで彼女が好きな食べ物を食べに行くというのは正解です。ただ、そこに行ったというだけではダメなのよ。男性と女性では食べ物に対する重点が違うの。男性はボリューム、そして肉、味付け、食べ物に対しての重点が本当に高くなります。逆に女性は、店の雰囲気、そして料理の見た目、それに流行を重要視するのですが、それ以上に女性が求めているのは、ご飯を食べながらお喋りがしたいのです。特に自分の話を聞いてもらいたいの。勿論デートとなれば、お店の雰囲気は重要なポイントとなります。五十嵐さん、女性が好きな食べ物って何だか知ってます?」

「パスタ? かな?」

「パスタもそうだけど、六位は寿司、五位はチーズで四位は焼肉、三位はパンで二位はパスタ、そして一位はスイーツなのよ。だから前回の五十嵐さんのデートプランは間違いではなかったのだけど、パスタの食べ方と割り勘というのが良くなかった。パスタをずるずるラーメンのように啜りながら食べるのは絶対にダメ。それになぜ割り勘だったの! 初めてのデートでランチ代金を割り勘にする?」

「ダメですか? 会社ではいつも割り勘なのですが」

「はぁ? 会社のこと? 五十嵐さんは女性と二人だけでお食事というのは初めてだったの?」

「はい。会社の同僚としか行ったことがありません。それも女性と二人というのは経験がありませんでした」

「そうだったのね、ちゃんと教えてあげていない私が悪かった、ごめんなさい。次は必ず成功させるようにしますからね」

「はい、よろしくお願いします」

近藤カウンセラーは正に、恋愛の家庭教師なのである。

デートは来週の日曜日に決まった。


デート当日……

「お久しぶりです。またお会いすることができて嬉しいです。今日は凄く楽しみにしていました」

「ありがとうございます。私も五十嵐さんにお会いできることを楽しみにしていました」

「今日は美味しい物をたくさん食べましょう」

「はい、よろしくお願いします」

二人は早速ランチへと出掛けて行った。

今日の目的の場所はイタリアンレストラン『LaLaポッタ』そこでパスタランチの予定です。

この店はパスタが美味しいことで有名なお店だ。

幸男は会社での昼食を、全てコンビニで買ったパスタにして、今日までパスタの食べ方を勉強してきた。

だから今日の幸男は自信に満ち溢れていた。

レストランに着いた二人は『本日のパスタランチ』二つを注文し、犬の話をしながらパスタが運ばれて来るのを待った。

二人の会話は途切れることがなく、ずっと笑顔のままで話は続いていた。

パスタがテーブルに運ばれ食事が始まったのだが、幸男の口からは『ズルズル』というような不快な音はなく、練習の成果が表れていたようだ。

田中さんとの楽しく美味しい食事が終わり幸男は「次はデザートを食べに行きませんか?」と田中さんを誘っていた。

「お見合いで田中さんが話してくれたモンブランの美味しいお店『パティスリー ベリー』に行ってみたいのですが、どうですか?」

「嬉しい。行きたいです」

二人の共通点であるモンブラン。

飼っている犬の名前も『マロン』と『クリ』で二人は気が合うようだ。

『パティスリー ベリー』のモンブランは見た目が美しく、味も最高だった。

二人はモンブランを、それぞれ二個づつ食べて店を出た。

当たり前のことなのだが、今日の食事代は全て幸男の支払った。

この時点でも二人の会話は途切れることがなく、お互いが居心地の良さを感じているようだった。

田中さんは時折出てくる、幸男のおかしな言葉とイントネーションがツボにはまりクスクスと笑いが溢れていた。

「田中さんはガーデニングが趣味だと言っていましたが、どんな花を育てているのですか? 私はあまり花は詳しくないのですが」

「逆に五十嵐さんは、どんな花が好きですか?」

「私? 花? ……ガーデニングでも何でもないのですが、私はタンポポが一番好きな花です。地面低く、そして力強く生え、鮮やかな黄色い花を観ていると勇気が湧いてくるんです。だから私の好きな花はタンポポです」

「クスクス……私もタンポポは好きですよ。綺麗な黄色ですものね。私は色んな花を育てていますが、シンプルに好きな花はチューリップやラベンダーかな」

「それなら知ってます。うちの庭は広いのですが、そこを花でいっぱいにしたら綺麗なんだろうな」

「五十嵐さんの家の庭はそんなに広いの? 素敵。私が一番好きな花はダリア。色んな種類のダリアを庭いっぱいに咲かせてみたい」

「ダリア? その花は分からないです、すみません」

「また機会があれば一緒に観ましょうね」

「はい」

この日のデートはこれで終わり、このあと二人は別れて行った。

デートが終了すると担当カウンセラーにデートの報告をすることになる。

その報告でお互いが『携帯番号を教えても良い』との想いになれば『交際』がスタートすることになる。

今回はそこまで進展することになるのだろうか? 楽しみなところです。






十二.春の予感


幸男はデートの報告をおこなうため近藤カウンセラーに電話をした。

「今日のデートの報告で電話しました」

「五十嵐さん、どうでしたか?」

「とても楽しかったです」

「それは良かった。今日は五十嵐さんがご馳走してあげたの?」

「はい、全て私が支払いました。今日はパスタを食べたあとに、ケーキも食べに行きました」

「良かったじゃない。五十嵐さんは田中さんに携帯の番号を教えても良いと思っているの?」

「もちろんです」

「田中さんも教えても良いと思っていれば交際になるけど大丈夫?」

「はい、大丈夫です」

「わかりました。まだ彼女からは連絡がないので、連絡があったら電話しますね」

「よろしくお願いします」

それから一時間後……

「田中ですが、デートの報告です」

「どうだった?」

「五十嵐さんと一緒に居ると自然体で居られるので、とても気持ちが楽なんです。それにとても楽しい」

「良かったね。五十嵐さんも同じように楽しかったと言っていましたよ」

「五十嵐さんからは連絡が来ていたのですね」

「田中さんと別れて直ぐに掛けてきたみたいよ。五十嵐さんは自分の携帯番号を教えて、田中さんと交際に入りたいと言っていましたが、田中さんのお気持ちはどうですか? 五十嵐さんに携帯の番号教えても良いという気持ちまでになった?」

「はい、五十嵐さんに携帯番号を教えても大丈夫です。私、五十嵐さんと交際してみます」

このあと近藤カウンセラーは、お互いの携帯番号を伝え、幸男が田中さんに電話を掛けて交際がスタートした。

幸男にとっては、女性との初のお付き合いとなった。

六十歳にして初めてやって来た幸せだった。

名前の通り五十では嵐を起こすことは出来なかったのだが、六十となった今、嵐を起こすことが出来るのだろうか……実に楽しみである。

幸男は翌日の夜も田中さんに電話を掛け、田中さんも嬉しそうに出てくれていた。

十五分くらい話したところで田中さんから、ある提案があった。

「五十嵐さん、ラインしませんか?」

「ライン? ですか? すみません、やり方が全く分かりません」

「えっ、ラインしたことがないのですか?」

「はい」

「うふふ、大丈夫ですよ。今度会った時に、一緒にやってみましょう」

「はい」

「次はいつ会えそうですか?」

「私は土日が休みなので、土日であればいつでも大丈夫です。田中さんはどうですか?」

「それじゃあ、今度の日曜日はどうですか? この前に話したダリアの花、初秋が満開なので一緒に観に行きませんか?」

「はい、行きたいです。それでは日曜日に車で田中さんを迎えに行きます」

「ありがとうございます」

次のデートの日程と場所が決まった。

田中さんからはラインをしたいとの要望があったが、幸男は大丈夫なのだろうか。

デート当日は、青空が広がる絶好のデート日和となった。

田中さんと待ち合わせ場所はコンビニの駐車場、幸男は自家用車で向かっていた。

コンビニの駐車場に到着すると、既に田中さんが白地に花柄のワンピース姿で幸男を待っていた。

『可愛い!』

幸男の胸は張り裂けそうなくらい、ドキドキが止まらない状態になっていた。

『今までこんなにドキドキしたことなんてなかったけど、これが人を好きになるということなのか!』

田中さんが幸男に気付いて、小走りで車に近づいてきた。

そして笑顔で「おはようございます。横に乗ってもいいですか?」

「もちろんです、どうぞ」

「花の公園の場所は分かりますか?」

「大丈夫です! ちゃんと調べてナビに入れてありますから」

「ありがとう」

『可愛い』

「シートベルトを締めたら出発しますね」

花の公園までは車で約一時間の道のり。

田中さんはコンビニでコーヒーとお茶を買い、幸男のために用意してくれていた。

こんなことは母親以外からしてもらったことがない幸男は、田中さんの気遣いが心から嬉しかった。

花の公園までの二人の会話は弾み、一時間の道のりもアッという間に感じるほどであった。

遠目からでも花の鮮やかな色が確認できていたのだが、いざ間近で見るとその凄さは十倍以上だった。

「五十嵐さん中に入りましょう」

「チケットはあそこで買うのかな?」

「そうみたいですね。入園料は私が払います。この前たくさんご馳走になりましたので」

「それではお言葉に甘えて、ありがとうございます」

「どういたしまして」

田中さんと一緒に花の公園に入った幸男だが、自分が想像していた以上に素敵な景色がそこには広がっていた。

「ダリアって、こんなに種類が豊富なんですね。それに色とりどりで、しかも鮮やかでとても綺麗だ」

「ダリアのこと好きになってもらえたかな? それだったら嬉しい」

「はい、好きになりました。それに今日は、田中さんと一緒に居ることができて嬉しいです」

「私もです」

「お昼過ぎてしまいましたね。少し遅くなりましたが、何か食べに行きませんか?」

「はい、お腹が空きましたね」

「田中さんは何が食べたいですか?」

「そうですね、オムライスはどうですか?」

「いいですね、田中さんお勧めのお店とかありますか?」

「私の好みで良ければ、そこへ行きますか?」

田中さんお勧めの店は、店名が『友蔵』と言うらしい。

名前からはお洒落なお店というイメージは想像できないのだが、他では味わうことのできない絶品オムライスを食べることができるらしい。

目的地が決まれば、幸男ちゃん、安全運転で急いでGOだ!

洋食の店『友蔵』では店長一押しのオムライスを食べたのだが、卵は超ふわふわで、その上からかけてあるオリジナルソースの味が絶品、二人のお口とお腹、それに心は満たされた状態になった。

食事が終わり田中さんがラインの話をしてきた。

「五十嵐さん、ラインの設定しましょうか?」

「あぁ、はい。でも本当に分からないんですよ。すみませんが、一から教えてください」

「携帯を見せてもらっても良いですか?」

そう言って幸男の携帯を預かり、素早くラインの設定をおこなった。

「これで大丈夫ですよ。ラインのやり方は……」

そのあと田中さんは丁寧に説明してくれ、幸男はラインができるようになった。

「絵文字はこうするのよ」

「あぁ、可愛いですね! これ楽しい」

「良かった。今日からラインもしましょうね! でも、声も毎日聞きたいから電話も欲しいな」

「はい」

幸男は真夏にソフトクリームが溶けるかのようにドロドロと溶けていき、この上ない幸せを実感していた。

それに何故だか、田中さんは幸男にベタ惚れのようだ。

何故そんなことが起こっているのかは分からないのだが、五十嵐 幸男、六十歳に遅い青春がやって来たのかもしれない……微笑ましい。

頑張れ、幸男!






十三.最初の報告


その後は二回のデートを重ね、二人は楽しい時間を過ごしていた。

楽しかったデートの帰り道に田中さんから「そろそろ二人揃って、結婚相談所に行かなければいけないね」と言われた。

「そういえば、一カ月に一度は二人で相談所に顔を出して欲しいって言われていましたよね」

「来週、相談所に行きませんか?」

「そうですね」

それから一週間が経ち二人は、結婚相談所に顔を出したのだ。

相談所に入るなり二人を別々の部屋へと離したのだが、実はこれにもちゃんとした意味があるのだ。

それぞれから本音の気持ちを聞くため、近藤カウンセラーは二人を離したのだった。

近藤カウンセラーが先に向かった部屋は田中さんが待つ部屋、そこで田中さんの本音を聞くことになる。

「あれから五十嵐さんとの交際は、どんな感じですか?」

「五十嵐さんと一緒に居ると楽しいのと、居心地が良いんです」

「そう、良かったわね」

「はい。一緒に居て自然体で居られるというのが一番です」

「ちなみに五十嵐さんとは、どんな所でデートしたの?」

「花の公園やプロ野球の観戦、それに神社仏閣巡りです」

「結構色んな所に行きましたね! 五十嵐さんとは頻繁に会っているのね。それは良かった」

「毎週会っています。それに電話は毎日しています。あとラインもしていますよ」

「二人が仲良くて本当に安心しました。ところで田中さんは、五十嵐さんのことを何て呼んでるの?」

「えっ? 五十嵐さんですが……」

「えっ? もしかして、まだ苗字で呼び合っているの? こんなに頻繁にやり取りしていて、色んな所にもデート行っているのに!」

「はい、そのままですね……」

「そっかぁ……わかった。田中さんは、今後も五十嵐さんと交際を続けていきたいと思っていますか?」

「はい、続けていきたいです」

「じゃあ今度は、五十嵐さんと話をして来ますね」

「五十嵐さん、こんにちは。田中さんとの交際は順調に進んでいますか?」

「はい、毎日が楽しいです。今、遅い青春がやって来たという感じです」

「そう良かったわね。最初に五十嵐さんがここに来た時は、どうなることかと思っていました」

「あはは、これも近藤カウンセラーのお陰です。ありがとうございます」

「でも、まだ終わった訳じゃないのよ。交際はこれからが大事なの! 今は、まだ私が付いているのだから、何でも相談してくださいね。最終的に二人には結婚して欲しいの、凄く応援しているのだからね。ところで五十嵐さんは、田中さんのことをまだ苗字で呼んでいるの?」

「はい、おかしいですか?」

「田中さんから聞いたわよ、花の公園や野球観戦、それに神社仏閣巡りにも行ったそうじゃない。この相談所から行ったランチデートまで含めると、合計で四回もデートしているのよ。それに電話も毎日しているみたいだし、今ではラインもしてるのよね。それなのに、まだ苗字呼び合っているなんて信じられない。ねぇ、もうそろそろ苗字じゃなく、お互い名前で呼びあったらどうかな?」

「良いんですか? でも少し恥ずかしいですね」

「田中さんは五十嵐さんと一緒に居ると楽しいし、自分が自然体で居られると言っていましたよ。二人は間違いなく両想いなのだから」

「良かった」

「今から田中さんが待つ部屋に一緒に行くから、今日から苗字ではなく名前で呼び合ってくださいね」

「はい」

近藤カウンセラーは幸男を連れ、田中さんが待つ部屋へと向かった。

「お待たせしました。二人ともお互い好き同志なのだから、今日からは名前で呼び合うようにしてください。たった今から、幸男さんと麻理子さんです。五十嵐さんから呼んでみて」

「あっ、はい。えっと、ま、ま、麻理子さん」

「は、はい……幸男さん」

「今日からはお互い、そう呼び合ってくださいね」

二人は少しずつだが距離を縮めているようだ。

結婚相談所を出た二人は、一番最初のデートで辿ったコースを歩き、あの日を懐かしむように、今日も食事とデザートを楽しんだ。

お互いあの時と違っているのは、苗字ではなく名前で呼びあっていることだ。

恋愛にうといこの二人は、言い方を変えれば純粋ということになるだろう。

この年齢で純粋というのは、ある意味羨ましいことなのかも知れない。

幸男は麻理子さんを自宅近くのコンビニまで送り、今日のデートが終了した。

麻理子さんと別れた自宅までの帰り道は、幸男にとっていつも寂しい時間のなる。

さっきまで横に居てくれていた麻理子さんが隣に居ない、いつも胸が苦しくなる時間だ。

自宅に着いてもそれが止むことはなかった。

『寂しい……麻理子さんが横に居ないことが寂しい。苦しい……麻理子さんに会いたい』

幸男は耐えられない苦しい気持ちになり、自分の気持ちをラインに書き麻理子さんに送った。

ラインは直ぐに既読となり、一分程で返事が返ってきた。

『幸男さんがそういう風に私を想ってくれていることが嬉しい、私も同じですよ。幸男さんと一緒に居ると幸せなんだけど、離れると直ぐに寂しくなります。また来週、私と一緒に居てください。幸せな時間を楽しみにしています』

このラインの返信を見た幸男は、安堵な気持ちと、何とも言い表せないほどの幸せな気持ちになり、涙が止まらなくなってしまった。

『麻理子さんのことが大好きだ』

この日の幸男は焼酎をたくさん飲んだ……嬉しさと、苦しさから。






十四.初めての感触


その後も順調に交際を続けた二人は一ヶ月後、交際の報告をするため相談所を訪れていた。

「どう順調?」

二人「はい順調です」

「それは良かった。それじゃあ、また別々の部屋に入ってもらうね」

幸男が部屋から出ることになり、別の部屋へと案内された。

近藤カウンセラーは麻理子さんだけが残る部屋に戻り、交際の状況を聞きはじめた。

二人は相変わらず毎日連絡を取り合い毎週デートして、トータルで七回ものデートを重ねていた。

「もう手ぐらいは繋いだのかな?」

「手? まだ一度も繋いだことなんてないです」

「えっ! まだ手も繋いでないの? びっくりした……もう七回もデートしているのよね? 田中さんは五十嵐さんと、手を繋ぐは嫌なの?」

「嫌とかではないのですが、私からという訳にはいかないと思うのですが」

それは、そうだ。

「麻理子さんは五十嵐さんのことが好きなのよね?」

「好きです。大好きです」

「待ってて。五十嵐さんの所に行って来る」

そう言って幸男の部屋に小走りで向かった。

ドン! 力強く扉を開けた近藤カウンセラー。

「五十嵐さん!」

「はい」

カウンセラーの迫力に幸男は驚いた、何があったのだろうと。

「何かありましたか?」

「何かじゃないわよ、五十嵐さん! まだ手も繋いでいないって本当なの?」

「はい」

「はいじゃないわ! 一体どういうつもりなの? 田中さんのことは嫌い? もしかしたら五十嵐さん、私のこと好きじゃないのかもって思われてしまいますよ! 今日は手を繋いで帰ってもらいます。五十嵐さん、大丈夫ですよね!」

「はい、わかりました」

「五十嵐さん、田中さんのことは好き?」

「好きです、大好きですよ」

「その言葉を、ちゃんと彼女に伝えてね。彼女はその言葉を待っているのよ」

「わかりました、ちゃんと私の口から言います」

「そうして下さい。彼女をここに呼んで来ても良い?」

「はい、大丈夫です」

五分後、麻理子さんが近藤カウンセラーと一緒に入って来た。

「麻理子さん、大好きです」

「幸男さん、ありがとう。私も大好きです」

幸男の目からは涙が溢れていた……本当に嬉しかったのだ。

そして二人は手を繋ぎながら相談所から出て行った。

「麻理子さん、ごめんなさい。私は自分の気持ちを伝えることが下手なんです。それに恥ずかしいけど、恋愛することが初めてなのです。だから分からないことも多くて……でもね、麻理子さんのことは本当に大好きなんです。これを言ったら嫌われるかもと思ったら言えなくなって……でも言えて良かった。気持ちを伝えることができて本当に良かった。そして麻理子さんの気持ちも聞くことができて嬉しかった。ありがとうございます」

「正直な幸男さんが大好きです。いつもありがとう」

「僕も麻理子さんのことが大好きです」

良かったね幸男! そして更に成長したね! おめでとう。

経験というものは人を成長させる。

逆を言いうなら、考えているだけで行動を起こさない人には、何の変化も起こらないということだ。

遅くなってしまったのだが、幸男は一歩前に踏み出したことで経験を積み成長することができたのだ。

幸男は確実に一歩ずつ前に進んでいるということを実感していることだろう。

全ては偶然の集まりかもしれないのだが、それをしっかりと掴むことができるか、できないか、これが運だと思う。

『運はハコブなり』なのだ。

車での帰り道、麻理子さんは一枚のCDを出してきた。

「これ聴いてもいい?」

「誰のCDなの?」

「あいみょん」

「アイミョン? それ、バンドの名前?」

「違うよ。女性歌手の名前。これ良いから聴いていこう」

そう言って麻理子さんはCDをセットした。

今まで聴いたことのない音楽が幸男の耳に入ってきた。

麻理子さんは歌を聴きながらご機嫌な様子。

そして麻理子さんが「ねぇ、少しだけ寄道してもいい?」と言ってきた。

「大丈夫ですよ」

麻理子さんが行きたいと指定した場所は海岸の駐車場だった。

それは夕暮れ時のことだった。

海は波もなく穏やかであったが、間もなく日没を迎える時間帯だった。

辺りはどんどん暗くなり、やがて海は黒くなっていった。

「麻理子さん、海が見たくなったの?」

「うん、何となくね……今日は何だか嬉しくて、もう少し一緒に居たいなと思ったの」

幸男はその言葉に感動してしまい、自分からは全く言葉が出て来なくなってしまった。

その時に流れてきたのが『マリーゴールド』という曲だった。

「私、この曲好きなの」

そして曲の終わりが近くなった頃、麻理子さんが曲に合わせて歌い始めた。

「あぁアイラブユーの言葉じゃ足りないからとキスして♪」

そのあと麻理子さんは幸男の肩に手を添え、そして唇を合わせた。

「もう大好きだけじゃ足りないの。幸男さんとキスがしたかったの」

幸男は更に、貝のように固まってしまった。

幸男史上初の、そう! これがファーストキスだったのだ。

それは甘かったのか、酸っぱかったのかさえ分からなかった。

気持ちはフワフワ、身体はカチカチ、口は鯉のようにパクパクしていた。

「いつか晴れた日の夜に、夜景を見に行きたいな」

それに対し幸男は、上ずった声で「はい、わかりました」と返した。

幸男は何とか冷静を取り戻そうと必死になるが、戻ることのないまま麻理子さんの家近くのコンビニに到着した。

「幸男さん、気をつけて帰ってね」

「ありがとう」

まるでロボットの様な状態だ、事故起こすなよ、幸男!

麻理子さんとの次の予定は来週の日曜日、週間天気によれば当日は雨の予報、麻理子さんが一緒に観たいと言っていた夜景はお預けとなりそうだ。






十五.何気ない一コマに居てくれる大切な人


麻理子さんとの予定の日は雨予報なので、今回は室内で楽しめるスポーツをしたいと考えていた。

最近は身体を動かすことが少なくなっていることを二人は気にしていた。

そして二人が見つけたスポーツは『ソフトテニス』だった。

これがやってみると意外に激しいスポーツだ。

幸男達は体育館のコートを借りたのだが、隣のコートでもソフトテニスをしていた。

ただ幸男達と少し違っていたのが、シングルで打ち合うのではなくダブルスでプレーをしていた。

このソフトテニスはダブルスが一般的なのだろうか?

しかし二人はシングルでプレーして、激しく広いコートを駆け回っていた。

隣のコートと比べると、単純に二倍の運動量だということがわかる。

もうすぐ冬というこの時期に二人は汗だく、もちろん息は上がり苦しそうにしているのだが、なぜか笑顔と笑い声は絶えなかった。

この日の帰り道も、麻理子さんは一枚のCDを出してきた。

「これ聴いてもいい?」

「今日は誰なの?」

「MISIA」

「ミーシャ? 猫の種類みたいな名前ですね」

麻理子さんの家が近づく頃、車の中で流れていた曲を麻理子さんが歌いはじめた。

その曲は『アイノカタチ』だった。

星の数ほどの中 たった一人のあなたが 心に居るんだ あのね あのね ずっと大好きだよ♪

「幸男さんありがとう。私は星の数ほどの中で、たった一人の大切な人に出逢えました。幸男さん、ラブ結婚相談所に入ってくれてありがとう。そして私と出逢ってくれて本当にありがとう。大好きです」

「ありがとう……僕も麻理子さんと出逢うことができて本当に良かった。大好きです。来週、また結婚相談所に行きませんか? この二人の気持ちを近藤カウンセラーに伝えましょう」

「はい、そうしましょう」

このとき二人の気持ちが固まった。

麻理子さんとの交際が始まってから二ヵ月半が経っていた。

そして二人は、待ち合わせ場所にしているコンビニの駐車場で、そっと唇を合わせたのだった。

その一週間後……

近藤カウンセラーは相談所にやって来た二人の様子を見てピンときた。

「相変わらず仲が良さそうね。私達は幸せですというのが全身から滲み出ていますよ」

「はい、幸せです」

「また別々に話を聞くけど大丈夫?」

近藤カウンセラーは、先ず麻理子さんと話をした。

「田中さんの気持ちは成婚で良いのよね? 五十嵐さんと結婚に向けて進んで行こうと思っているのよね? 不安はない?」

「ないです。五十嵐さんとは、ずっと一緒に居たいと思っていますので、私は成婚で大丈夫です」

「わかった。五十嵐さんにも聞いて来ますね」

近藤カウンセラーは幸男の部屋に入るなり「五十嵐さんは凄く変わったわ、とても凛々しくなった。守りたい人ができたのよね?」

「はい」

「五十嵐さんに私のお世話はもう要らないわね。本当におめでとう、成婚よ!」

近藤カウンセラーの目からは大粒の涙が流れていた。

「途中で諦めなくて良かったね。五十嵐さん、私を信じてくれて本当にありがとう」

この日で幸男と麻理子さんは成婚を迎え、最高の形で結婚相談所ラブを卒業することになった。

ラブからの帰り道、二日後に会う約束をしたのだが、その日は快晴との予報、念願の夜景を観に行くことになる。

二日後の会社終わりに幸男は、麻理子さんと会う前に花屋へ寄っていた。

花屋ではダリアの花を購入したのだが、ダリアは花の中でも種類が豊富な花、色んな種類のダリアを織り混ぜてもらい、それを大きな花束にしてもらっていた。

『麻理子さん喜んでくれるかな』

その花束を車のトランクにしまい、麻理子さんが待ち合わせ場所に向かった。

今の幸男はとても幸せだ。

今まで生きてきた中で一番幸せな時間を過ごしている。

もしかしたら幸男の人生は、田中麻理子さんと出逢うための六十年だったのかも知れない。

麻理子さんのことが本当に大好きで、ずっと一緒に居たいと思っていた。

今後は他の男の人との出会いなんてあって欲しくない。

こんな気持ちは初めてだけれど、もしかしたらこれが結婚ということなのだろうか……

幸男は色々考えながら、麻理子さんとの待ち合わせ場所まで車を走らせた。

幸男が到着したとき既に、麻理子さんは駐車場で待っていた。

麻理子さんはいつものように笑顔で幸男の車の側まで駆け寄ってきた。

麻理子さんは車に乗り込むと「今日もありがとう。仕事で疲れているのに、私が夜景が見たいなんて我がまま言ってごめんなさい」

「そんなことないですよ、僕は嬉しいですよ、今日も麻理子さんに会えたし。それに麻理子さんと一緒に夜景が見たいです。さあ行きましょうか」

幸男は夜景スポットまで車を走らせた。

普段から安全運転の幸男だが、信号待ちには麻理子さんの横顔をチラリ、チラリと見て幸せを感じていた。

『麻理子さん、可愛いな』

車の中で流れている曲はMISIAとあいみょん、麻理子さんはご機嫌だ。

時折流れるスピッツの曲は幸男のチョイスだ。

曲を聴きながら二十分程で夜景スポットに着いた。

車のフロントガラスから広がる夜景に二人は圧倒され釘付けとなった。

そして二人はごくごく自然に手を繋いだ……一緒に居る幸せな時間を共有するかのように。

「綺麗な夜景ですね。麻理子さんに観に行こうって言われるまで、夜景に興味なんて持ったことはありませんでした。夜景って、こんなに綺麗なんですね」

初冬のこの夜は少し肌寒い気温ではあったのだが、幸男は「少し外にでませんか?」と声を掛けた。

麻理子さんは笑顔で「はい」と答え二人は外に出た。

目の前に広がるのはパノラマの綺麗な夜景、プロポーズするには絶好のロケーションである。

幸男は緊張を抑えながらも、体はやはり震えていた。

「今日はかなり冷えますね」

「そうですか?」

この日は初冬でありながらも気温は十度以上あり、この時期としてはあまり寒くない気温であったのだが、幸男には寒いらしくガタガタと震えていた。

「麻理子さん、いつも僕が知らない色んなこと教えてくれてありがとう。この目の前に広がる夜景もそうです」

「私ね、幸男さんとこの綺麗な夜景が観たかったの。それに一緒に居ると落ち着くし」

「僕も麻理子さんと一緒に居ると笑顔で居られるんです。楽しくて、幸せで……こんな気持ちは生まれて初めてなので、どうして良いのか分からない時があって……でもそんな僕を麻理子さんは、いつも優しい笑顔で包んでくれます」

「そのままでいいの。ずっとこのままの幸男さんで居て欲しい」

幸男は車のトランクルーム開け、ダリアの花束を取り出した。

赤、白、紫、真紅に白、ピンク、オレンジ、黄色のダリアが束となり、とても綺麗な花束だった。

「それ! どうしたの?」

「麻理子さんに渡そうと思って買ってきました。麻理子さんはダリアが一番好きな花なんだよね。僕も麻理子さんのお陰でダリアが好きになりました。それに麻理子さんが教えてくれたMISIAもあいみょんも好きになった。その時に言ってくれた言葉も、手を握ってくれたことも、キスしてくれたことも凄く嬉しかった。僕は麻理子さんとずっと一緒に居たい。もう他の誰とも出会って欲しくない。僕は、星の数ほどの中で、たった一人のあなたに会えた、ずっと、ずっと、一緒に居て下さい。大好きです」

幸男の顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃ、ほぼ号泣に近い状態だった。

六十歳になるオヤジのこんな姿は、実に汚いものだ。

しかし一人だけ、そうとは思わない人が居た。

麻理子さんは幸男に近づき「ありがとう。私も幸男さんが大好きよ。ずっと、ずっと、一緒に居てください」

そして幸男が持つダリアの花束を受け取り「私のことを一番わかってくれているのは幸男さんです」

「グスン」

「ありがとう、綺麗なダリア! 幸男さんが住む家の庭を、ダリアの花でいっぱいにしてもいいですか?」

「うん! 僕も一緒に手伝います。うちの庭をダリアの花でいっぱいにしましょう」

「ありがとう、幸せです」

もったいぶった幸男の青春は、麻理子さんという素敵な女性とのお付き合いを重ね、その後は結婚という形に変わっていった。

幸男は婚活を通し人間的に成長することができたのだ。

婚活する前の幸男といったら、何もできない、常識はずれの人間だった。

もしも、そのままの幸男に、突然結婚が訪れていたらと思うとゾッとしてしまう。

万が一、簡単にできる結婚があったとすれば、それは単に結婚をしたという証だけ、それが長く続くことはなかっただろう。

この日、幸男は永遠の愛を掴んだ。

そして幸男の家と庭には、たくさんの愛情とダリアの花でいっぱいになった。

六十歳からの青春というものはあったのだ。



おわり



通勤時間作家 (ゼット)



これまでの作品 (十二作品)

『昨日の夢』

『前世の旅 上』『前世の旅 下』

『哀眼の空』

『もったいぶる青春』

『私が結婚させます』

『ニオイが判る男 』

1.能力発見編 

2.天使と悪魔の話題 

3.霊感がプラスされた話題

『相棒は幽霊』

『鏡にひそむ謎』

『チャンネルを回せば』




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