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精霊王の大陸  作者: 山瀬
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9 エリ・ルー

 ――ご婚約者のベイリー子爵がいらっしゃいました。

 なによ、メリッサ。婚約なんてしていたのね。貴族なんだから当然なのかしら。貴族ではないわたしですら、病弱じゃなかったらきっとどこかの商人の息子のもとに嫁がされていたでしょうし。

「なにを一丁前に憂鬱そうな顔をしているのです?」

 わたしの前を歩いていたミスフィルが小馬鹿にしたように笑う。

「ちょっとエリだったときのことを考えていただけよ。いちいち癪に障るわね」

「まあ落ち着くのですよ。僕たちの目的はメリッサの婚約者を見ること。そうなのですよ?」

「……そうね」

 メリッサが部屋を出てから少しして部屋を出たので、すでに姿は見えない。窓の外には既に馬車もいなくて、おそらく子爵はもう屋敷に入ったのだろう。わたしにとっては迷路のように広すぎる屋敷だが、ミスフィルは迷いなく廊下を歩いて行く。

 ミスフィルは子供のような外見で精神年齢に思えるが、少なくとも庭師のドムと同じかそれ以上の時を生きているはずだ。

……セルアには言っていないけれど、昨日の夜ミスフィルに事情を聴いたのだ。男爵に切り殺された従者はあなたなの? と。

『僕にとっては忘れたいくらい嫌な事なのですよ。言いたくないのです』

 幼さを少し隠して、ミスフィルはそう答えた。そんなに言いたくないことならばもう聞かないわ。わたしは彼にそう伝えた。その時のミスフィルが本当に辛そうだったから、わたしはこいつを少し認めることにしたのだ。嫌なことを経験した後にこれだけ天真爛漫に振る舞える者は大人だ。わたしの持論である。

 なので詳しいことは全く分からないけれど、数十年の時を昨日わたしが壊した倉庫で過ごしていたということだけは聞くことができた。だから色々なことに興味が尽きず、自分の足で歩くことができるのをとても喜んでいる。

「応接室の場所は分かるのですが、きっとメリッサはドレスを着替えてから向かうのですよ。会話はメリッサが部屋に入ってから盗み聞くとして、窓の外から覗くにしても応接室は2階ですし……」

 盗み聞きなんてエリだった頃にしたら父親からどれほど怒られただろうか。絶対に淑女がやることじゃない。けれど今は別に良いかと思える。だってそちらのほうが楽しそうだ。

「あなたが間違えたふりして部屋に入ったら良いじゃない。近所の子供の振りでもして」

「絶っっ対嫌なのですよ! ……あ、メリッサが来るのですよ。隠れて隠れて」

 慌てて曲がり角まで走って戻り、メリッサから身を隠す。何人かの使用人が不思議そうにわたし達を見て通過した。

 廊下に現れたメリッサは綺麗だった。わたし達といるときのような軽やかな印象のドレスではなくて、重苦しいというか……言い方は悪いけど少し地味な柄だ。

「失礼しますわ。レン様」

「ああ、どうぞ入ってくれ。メリッサ」

 そんなやり取りをしてメリッサは部屋へ入っていく。こそこそと扉に近づき、わたし達は耳をそばだてた。……あまりにも無礼な態度のわたし達の後ろを通り過ぎるメイド達が何も言わないのは、きっと男爵が使用人達に何か言っているのだろう。

 婚約者同士ってどんな会話をするのかしら。わくわくしながら会話を聞いていたけれど、正直それほど面白い会話はしない。挨拶から始まって子爵の近況報告にどこぞの貴族の領地がどうのこうのを子爵が一方的に話していく。メリッサの声は相槌程度にしか聞こえない。ミスフィルも飽きたのか顔を扉から離して欠伸をしていた。

「ところで、犯罪に巻き込まれたと聞いたよ。今はシーズンではないけれど、いずれ君の醜聞は広まるだろう。既に噂好きな女性達は知っていたけれどね。本当に結婚するのかと直接聞かれたよ」

「……そうなのですね」

「ここで婚約破棄なんてしたら、君は傷物として一生結婚できなくなるだろう。男爵にもお世話になっているし、僕としてもそんなことは望んでいない。ただ、君には子爵夫人になるのだという自覚をもって行動してほしい」

「申し訳ありません」

 顔は見えないけれど、なんとなくいけ好かない男な気がするわ。まあ、貴族の男なんて皆こんなものなのかもしれない。回りくどくて偉そう。そしてこの二人の余所余所しさも、政略的な婚約なら仕方のないものなのだろう。

「そういえば、庭園の奥が騒がしかったが、何かあったのかい?」

「……精霊の友人ができたのですわ。その関係です。レン様がお気になさることではございませんわ」

「精霊? 君みたいな人がそんな特殊な友人ができるなんて、信じがたいな。どういう繋がりで?」

「レン様がお気になさることでは」

「僕は忙しい。余計な時間をとらせないでくれ、メリッサ」

「……誘拐された先でお会いしたのです。わたくしが無事に助け出されたのも、彼女達のおかげですの」

「彼女達? 一人じゃないのかい? それで、何の精霊なの。助けてくれたってことは戦えるんだろう?」

 精霊と聞いた途端、子爵が饒舌になる。わたしの隣でミスフィルが小さくため息を吐いた。

「……火の精霊ですわ」

「火? 火の精霊だって? ハハハ、本気で言ってるのか? ハハハハハハハ!」

 子爵は狂ったように笑いだす。わたしが笑われているという不快感よりも、何となく不気味に感じた。

「誘拐されたけど四大精霊とお友達になれましたってこと? 君が考えた作戦かい? 悪くないけどすぐバレるよそんな嘘! アハハ! 久しぶりに笑わせてもらったよ! 男爵は信じているのかい?」

 カチャンと高い音がする。ティカップを乱暴にソーサーに置いたのだろう。

「真実ですわ」

「火の精霊はこの大陸で一度も確認されていない。いたとしても、君のようなつまらない人間が引きこめるわけがない」

 楽しそうな半笑いだった声が一気に冷たい響きに戻る。

「もしかして、君は誘拐されて無事ではなかったのかな。それで心が病んでしまったのかもしれない。もしくは、火の精霊を名乗る詐欺師にでも会ったのかい。後者なら僕が化けの皮をはがしてやろう。会わせてごらん」

「レン様」

 子爵の声にかぶせる様にメリッサの声がした。これまで聞いたことのないような大声で、子爵も話すのを止めた。

「わたくし、お二人のように純粋なお友達ができたのって初めてですのよ。わたくしのお友達を詐欺師呼ばわりすることは、絶対に許しません」

「メ、メリッサ?」

「あなたは、あの方々に会わせる価値もありませんわ。――誰か! ベイリー子爵がお帰りよ!」

 メリッサが思い切り扉を開く。わたし達がへばりついている扉を。

「うわっ」

「わわっ! なのですよ!」

 怒るメリッサが珍しくて聞き入ってしまっていた。今の会話の流れだと非常に気まずい上に床に転がる精霊達ということで情けない。

「エリ様! ミスフィル様! どうしてここに!?」

 大丈夫ですかとわたし達を起こしてくれるメリッサに対して、レディと子供が倒れているのに棒立ちの子爵。ジェントルが聞いて呆れるわ。

「えっと、メリッサ。この方々は?」

「……先ほどお話した火の精霊のエリ様ですわ。こちらは昨日我が家で見つかった宝剣の精霊ミスフィル様です」

「初めまして。信じてもらえていないようですけど、火の精霊のエリ・ルーといいます」

 精霊として――ルーとして覚醒してから、わたしは精霊としての力を思い通りに扱うことができる。むしろこれまでどうして扱えなかったのか分からないくらいだ。どろりと魔力をその場に充満させていく。ミスフィルは顔を青ざめさせて、メリッサも気分が悪そうに俯いた。

「盗み聞きでもしていたのかな」

 だというのに子爵はけろりとしている。魔力を感じるのも個人差があるのだろうか。

 ――メリッサのことを悪く言われていても喧嘩をする気なんてなかった。それは二人の問題であって、わたしが出しゃばることではないのだから。

 わたしの周囲にいくつもの炎が現れる。炎は魔力を燃料に大きく燃え上がる。床に壁に燃え広がらないように。そんな調節は息を吸うようにできる。ミスフィルが剣を自分の本体だというように、わたしの本体も火なのだ。

 炎を従えて子爵に近寄ると、彼は怯えたように同じだけ遠ざかった。

「わたしが火の精霊だと、信じていただけるかしら」

「あ、ああ。もちろんだ、レディ」

 引きつった表情で子爵が頷く。そういえば彼の顔をどうやって見ようかとミスフィルと画策していたのだった。じろりと見るとさらに怯えた顔をして数歩下がった。顔だけで言うと悪くないけれど、情けなさ過ぎて評価をする気にもならないわ。

「それなら良いのよ」

 それだけ言って二人の前から去る。ミスフィルが小走りでついてきた。





「……ろくなヤツじゃなかったのですよ」

 帰っていく子爵の馬車を見送りながらミスフィルがぼそりと呟いた。庭の隅から眺めていたので、子爵はわたし達に見送られているとは思わなかっただろう。馬車が見えなくなるまで正門の前にいたメリッサも同様に。

「そうね。あんまり良い人じゃなかったわね」

「貴族というものは、僕達精霊からしたら理解ができないのですよ。ムカつく奴らとニコニコして仲良くするだなんて狂気の沙汰なのです」

「……そうね」

 馬車の見送りを終えてメリッサが屋敷へ戻っていく。わたし達といるとき彼女はずっと穏やかだったけれど、噂が全ての社交界で生きる貴族である以上これからは大変なことも多いだろう。

「まあメリッサなら大丈夫なんじゃないかしら」

「なんて無責任な発言なのですよ……」

「責任なんてとれないわよ。でもメリッサも弱い女の子ってわけじゃないし、結婚したら案外尻に敷いてるんじゃない?」

 子爵はわたし達相手に怯えていたし、メリッサのほうが心は強そうだ。結婚後の二人を考えて笑っていると、ミスフィルは未だに心配そうに眉を寄せている。やはり長い間エスト男爵邸にいたせいで思い入れが強いのかもしれない。

「そんなに心配なら嫁入りの時について行けば良いじゃない。あなたがいれば、子爵も滅多なことはしないわ」

「……」

「ねえちょっと。無視?」

「うるさいのですよ」

 ほんっと、ムカつく奴だわ。

 用事も済んだし、セルアの部屋へ向かう。何事か考えながら、ミスフィルもゆっくりとついてきた。




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