8 セルア
「皆ッ! 逃げるのですよ!」
ミスフィルくんの声が聞こえたと同時に、息ができないほどの衝撃と熱風に襲われた。ふと気づくと目の前には闇色をした空が広がっており、満月が私達を見下ろしている。一瞬自分が何をしていたのか思い出せなかった。
そうだ。エリが、エリとミスフィルくんが話していて、いつのまにか。起き上がろうとすると、肩が痛くて起き上がれない。這うようにして周囲を見渡すと、メリッサ様とメイドさん達が見えた。彼女達も服がところどころ焦げているが、立ち上がっており無事そうだった。
わたしのもとへ走り寄ってくる。
「セルア様! 大丈夫ですの!?」
「肩が、痛くて……」
「まあ……! わたくしに掴まってくださいませ」
エリとミスフィルくんはどこに。くるりと後ろを振り向いて、私は言葉を失った。
屋敷が――違う、倉庫が半壊しているのだ。エスト男爵家の倉庫が半壊している! 半壊した倉庫の中心にエリとミスフィルくんはいた。エリは傷一つないけれど、ミスフィルくんはところどころ煤がついている。二人は暗闇の中、発光しているかのような存在感を放っていた。屋敷から何人もの人が集まってきているけれど、エリとミスフィルくんを前に何もできないでいる。私のもとにも何人もが集まって心配して屋敷へ戻るよう言ってくれたけど、エリをそのままにするのは気が引けて断った。
「その様子だと名前を思い出したようなのです」
「ええ。わたしの今の名前はルーよ。火の精霊ルー」
火の精霊。私を支えるメリッサ様の元へ駆け寄ってきたエスト男爵がそう繰り返すのが聞こえた。驚いた様子でエリを見つめている。それは自分の屋敷の倉庫を半壊させた犯人を見つめるものとはかけ離れたものに見えた。
うっすらと笑うエリはとても冷たく、残酷な生き物のようだ。
「いきなり爆発させるとは、なんて非常識な生き物……。僕はお前らのような高位精霊のそういうところが大嫌いなのですよ」
「さっきからアンタ生意気なのよ」
エリの周囲にいくつもの火が灯る。何もないところに火が現れるなんておかしい。けれど、それを可能とするのが精霊なのだ。
エリがうっそりと笑った。
「殺してあげるわ」
「エリ、駄目……!」
メリッサ様とメイドさんの協力で立ち上がり、私はエリに向かって走った。腕が揺れるたびに肩が痛くて涙が溢れてくる。痛い、痛いけれど、このままだとエリがいなくなってしまう気がしたのだ。
エリとは昨日あったばかりだし、もともと精霊だったから情に厚いわけでもなかったし、時々ひどいことだって言ってたけれど。ミスフィルくんが煤だらけなのは、きっと私達を守るために何かしてくれたのだと思う。まっさきに逃げてと言ってくれた。そんな優しい精霊に対して殺すだなんて言ってはいけない。
エリは一気に近づく私に驚いたように半歩引いた。周囲の火も消える。エリの周りに充満する魔力に吐きそうになりながら、私は手を伸ばす。
「そんな簡単に、殺すとか言うな!!! そんな人とは、絶対に一緒に旅なんかしないから!!!」
エリの長い髪を左右から引っ張って怒鳴ってやった。思い切り引きすぎてぶちりと髪が何本も抜けるのが感触で分かった。怒るだろうか。きっとこの精霊が怒れば私は一瞬で死んでしまう。
殺される覚悟なんてしていないけれど、その可能性に気が付いたのは怒鳴った後。怒鳴られたエリは目を見開いて私のことを凝視していた。
「セルア……」
憑き物が落ちたかのように静かな声が私の名前を呼ぶ。
「エリ、エリだよね?」
離れた場所からだとエリには傷一つないように見えたけど、近くから見ると顔や身体にいくつもの小さな傷があった。きっと崩れた建物の破片のせいだ。自業自得なのかもしれないけれど、何だか傷のついたエリがとても可哀想だと感じた。頬にできた切り傷を指でなぞると、エリはくすぐったそうに目を細める。嬉しそうな顔。私に告白まがいのセリフを言ったときも、エリはこんな顔をしていた。
「あなたのエリよ。セルア。ごめんなさい」
「……うん。いいよ」
ぎゅう、とエリが私を抱きしめる。
「~~~~~~~~~ッッッ!!!」
負傷した肩を思い切り圧迫され、私は昨日から数えて何度目かの失神をした。
***
「セルア……具合どう?」
「どうなのですよ?」
次の日。私が目を覚ましたのは日もだいぶ傾いた頃だった。起きたら肩が強く痛んだけれど、見たら包帯で固定がされており処置が済んでいた。私が起きたことに気づいたメイドさんがお医者様とメリッサ様を呼んでくれ、肩の負傷具合を説明された。骨折はしているが骨同士がずれている訳ではないようなので、固定して様子を見ましょう。とのことだ。何日か様子を見てリハビリもしなければならないらしい。説明を聞いている最中に何度も扉がうっすらと開かれて、エリという名前の盗み聞き魔が現れていた。
「肩が完全に治るまで、我が家で療養してくださいませ」
メリッサ様がそう言ってくれたことで少し気が楽になる。
お医者様が帰られるのを見計らってエリとミスフィルくんがやって来たのだ。
「肩は痛いけど、全然大丈夫だよ」
「……ごめん」
「気にしないでエリ。肩は痛いけどね」
「ごめんなさい……」
気の強いエリが私の言葉でシュンとするのが少し面白い。
「ところで、エリ様はエリ様でよろしいのでしょうか? 昨日はルー様と名乗っていらっしゃいましたけど」
――わたしの今の名前はルーよ。火の精霊ルー
そう言ったエリのことはすぐに思い出せる。なんだかとても美しくて怖い雰囲気をしていた。エリも思い出したのかバツが悪そうに視線を逸らした。
「ああ……どっちでも良いわ。どっちもわたしの名前だもの。これからはエリ・ルーって名乗ることにする予定」
「覚醒ハイだったのですよ。大丈夫なのです。誰もが通る道なのですよ」
「覚醒ハイ……すごい響きですわ」
「まあ、満月と重なったからといって建造物半壊させるなんて聞いたことないのですよ! あはは!」
半壊。そうだ。多分エリが爆発を起こして、エスト男爵の倉庫が半壊した……。
肩の怪我とは別の理由で倒れそうになる。全身から血の気が引くのが分かった。
「あ、あのメリッサ様……。倉庫、壊れました……よね」
「え? ええ、そうですわね」
「あの、べ、弁償、します……生きてるうちに返せるか分からないですけど……多分返せないですけど……」
もごもごと段々と声が小さくなるのが分かる。突然屋敷に来て夜中に倉庫を爆発させるだなんてテロリストじゃないか。正確には壊したのは私じゃないけど、一緒に旅するなら罪も一蓮托生だ。死ぬ思いで発した言葉は、よりによって犯人であるエリに打ち消された。
「あ、セルア。その件なら既に解決済みよ」
「か、解決??」
「ええ」
なんでも、私が眠っている間にエリはエスト男爵のもとを訪ねたらしい。そこで諸々の謝罪(この偉そうな精霊がまともに謝ったとは思えないが)と倉庫の責任をとることを伝えたのだとか。
「すっごい優しかったわよ。最初は全然気にしなくていいって言ってくださったの」
それはそうだろう。私はエスト男爵に同情した。男爵も昨日の惨劇を見たはずである。下手に刺激をしたら消し炭になるのは自分、そんな状況で相手を責めることはとても難しい。
「あのでも、お父様の言うことも、あながち嘘でもないんですのよ」
じっとりとエリを見る私をとりなすようにメリッサ様が付け足す。
「貴重なものは入れていないはずですし、頻繁に使うものも保管されていなかったはずです。それに、幽霊探しなどを持ちかけたわたくしにも非はありますわ」
「そんな……」
幽霊探しを最初に持ちかけられたときは驚いたけど、きっと私やエリが退屈しないように考えてくれたのだと思った。その気づかいが嬉しかったから、メリッサ様自身でそんなことを言われると、何だか悲しくなった。
「ちょっと、わたしの話はまだ終わってないわよ。男爵はそう言ってくださったけど、それだとセルアが納得しないだろうなと思ったから、そういうわけにはいかないって伝えたのよ。そしたら、メリッサと末永く仲良くしてほしいって言われたの。そんなことでホントに良いのかしらね」
小首を傾げるエリには悪いが、少しほっとしてしまう。きっと男爵としてはいくつかの財産を捨ててエリ――火の精霊との繋がりを取ったのだろう。それが男爵にとってどれほどの利になるのかは分からないが、それで手を打ってくれて良かった。
「そんなことでって……。お前は自分の価値をもう少し理解するべきなのですよ」
「だって、頼まれなくてもメリッサは友達だわ」
「まあ、エリ様……。わたくしもエリ様のこと、大好きですわ」
にっこりと笑うメリッサ様にエリは照れたように視線を逸らす。そのまま話題も逸らそうと思ったのか、「そういえば」とミスフィルくんを指さした。
「こいつ、ちゃっかり封印解いてたのよ」
「え、どうやって?」
「エリさんが覚醒ハイで魔力を垂れ流したときに、イチかバチかで封印された本体を投げ込んだのですよ。いやぁ、最悪本体が割れて死ぬかとも思いましたが、僕に何事もなくて良かったのですよ。しかもあのファインプレーがなかったらきっと被害はもっと大きかったはずなのです」
ふふんと嬉しそうに言うミスフィルくん。私よりも年上なのは確実なのだが、なんだか可愛い。
「ミスフィルくん可愛い。ちょっとだけ撫でちゃダメ?」
「良いわよ」
「なんでお前が答えるです!?」
そのまま言い合いを始めるエリとミスフィルくんは、意外と相性がいいのかもしれない。優し気な目で二人を見るメリッサ様と目が合い、私もニコリと笑ってしまった。
そんなとき、扉が軽くノックされた。
メリッサ様に目で合図をされて慌てて「どうぞ!」と答える。入ってきたのはメイドさんだった。
「――お嬢様」
「あら、どうしたの?」
メリッサ様に耳打ちをするように伝えていたから何も聞こえなかったけれど、エリとミスフィルくんには聞こえたらしい。二人はそろって窓の外を見た。つられて窓へ視線をやると、正門に馬車が止まっているのが見えた。見たことも無いような豪華な馬車だ。
「少し失礼いたしますわ、皆様」
メリッサ様が退室するやいなや、ニヤリと笑って立ち上がるエリとミスフィルくん。
「え、なに? どうしたの?」
「面白そうだからちょっと行ってくるわ」
「セルアはそこで待っているのですよ」
精霊二人は不気味な笑みを浮かべて立ち去った。