3 エリ
「大丈夫ですか、あの、大丈夫ですか」
肩を何度も叩かれて身体を揺さぶられる。パチリと目を覚ますと知らない少女がわたしのことを覗き込んでいた。一緒に逃げた子ではない。もっとおっとりとした空気を持った少女だ。
周囲を見渡すと、ごつごつとした岩肌の壁に金属が格子状になってわたし達を閉じ込めている。外からの光はなく、少し離れたところにランタンが置いてある。
腕にはあの不快な手錠がつけられており、足にはそのひと回り大きい拘束具がつけられている。そのせいでわたしは立ち上がることすらままならない。
「良かった、お気づきになられたのですね」
「ここは……そうか、あの男達の……」
「場所は、わたくしにも分かりませんの。ずっとここに一人で、とても怖くて……うっ……っ」
町娘のような恰好をしているが、どこか質の良い服に手入れの行き届いた髪や肌。きっと良い家の令嬢だろう。よほど怖かったのか、裾を目に当てて令嬢は泣き出してしまった。
「ごめんなさい。こんなことを言ってはいけないと分かっているのだけれど、あなたや、もう一人連れてこられて、すごく、安心してしまって……ごめんなさいっ」
「泣かないで。大丈夫よ。皆で逃げられるわ。それよりも、もう一人連れてこられた子はどこにいるの? それにわたしはここにいる連中のことをよく知らないのよ。あなたは何か知っている?」
「はい……」
令嬢は自分の知っていることを話し出した。
まず、もう一人の少女は連れてこられてすぐ別の場所へ運ばれたという。
そして令嬢はまさしく令嬢であった。彼女の名前はメリッサ・エスト。エスト男爵令嬢である。こんな状況ではあったけれど、それを知ってわたしはメリッサを品定めでもするかのように眺めてしまった。お父様がわたしに求めていたもの。わたしは彼女のようになるべく勉強していたのか。
「な、なんでしょうか?」
「何でもないわ。……あ、いえ。何でもありません。続けてください」
彼女の治めるエスト男爵領にて人身売買を目的とした誘拐事件が頻発していたという。最初は下町の子供。次に商家の娘。エスト男爵家のメイド。メリッサは事件がゆっくりと自分に近づいてくるように感じたそうだ。それが偶然なのか、より価値の高い人間に近づけていったのかはわたしには分からないが。エスト男爵は私兵を使って調査をしていたが、足取りは掴めないでいた。
そして屋敷に閉じこもっていればいいものを、メリッサはお忍びで領地へと向かったという。
「え!? どうしてそんなことを!」
「ユーリ――攫われたメイドは、わたくしのお友達だったのです。彼女を捜したくて、護衛に無理を言って付き合っていただきました」
大人しそうに見えて意外とやんちゃなお嬢様じゃないの。
「そしてまんまと捕まってしまったのですね」
「路地裏を歩いていた際に護衛の一人が銃で撃たれまして……。民が混乱して騒ぎになったところを襲われました。まさか銃を持つような組織だとは思っておりませんでした」
「ねえ、そのジュウって何なのです?」
メリッサはきょとんとした顔をした。
「ご存じないのですか? 数十年前に精霊と人間の共同開発で生まれた武器です。なんでも仕組みは火薬を爆発させた力を利用しているのだとか」
数十年前という言葉にドキリとした。敢えて考えないようにしていたけれど、わたしが死んでからどれくらいの月日が経ったのかしら。わたしの実家は王都グリセラの商会だ。そんなお金になりそうな話、聞き逃すはずがない。つまり……少なくとも数十年は経っているということ?
いえ。今はそんなことを考えている場合じゃない。
「では脱出するにあたってその銃に気をつけないといけませんね」
メリッサは怪訝な顔をしてわたしを見た。
見張りに戻るか、と遠くから声が聞こえる。
「お名前を聞いてもよろしいですか?」
しゃがみこんで顔を近づけ、メリッサは小声で聞いてきた。
「エリと申します」
「エリ様は、手足を拘束されていらっしゃいながら、なぜそんなにも自信がおありなのですか? 絶対に逃げられると確信していらっしゃるように見えますわ」
それは、実はわたしにもよく分からないのだ。わたしはここに侵入してから捕えられた今まで本当の意味で恐怖を感じたことはない。怖くないのだ、何故か。
――そりゃそうよ!
本能だけがその理由を知っている。わたしの中にエリであるわたしともう一人いるような感覚。わたしは、エリは基本的に病弱で大人しい女の子だった。初対面の相手に対して砕けた口調で話すことはなかった。
「おら商品。無駄口叩いてるんじゃねえぞ!」
醜い魂を持つ男がやって来て格子を蹴りつける。靴に着いた泥がわたしの元まで飛んでくる。男の持つ松明がその場を照らした。
「そこの精霊も順番に検品してやるからな」
ハハハと笑って男はそう言う。
「検品?」
「あの……身体に傷がないか……服を……」
メリッサが顔を真っ赤にさせて涙をポロポロと流しながら言う。
「そうそう。丸裸にして隅々まで、な! 今やってるヤツは散々暴れて時間がかかっているが、間もなく始まるだろうよ」
時が止まった気がした。服を脱がされる? あの子が? あの美しい魂を持つ子が? こんな汚い男達に?
「――ふざけるな!!!」
わたしともう一人のわたしの声が重なる。ああ。わたしはこんなにも感情の起伏が激しかっただろうか。許せない。キン、と金属が割れる音がして、手足が軽くなった。身体も軽い。軽くて熱い。
「!? 馬鹿な、それは高位の精霊に作らせた拘束具だぞ……!?」
「うるさい」
格子を握る。ドロリと金属は解けて地面に落ちる。わたしに触れたところから溶けていき、数秒もしない内に牢屋としての機能はなくなった。男の持つ松明の火が大きく揺れて男を飲み込んで燃え盛る。それを見ても心は一つも動かなくて、彼らの言う通りわたしは精霊として生まれ変わったのだと変に納得した。
悲鳴を上げて逃げ惑う人間を無視し、わたしは走った。