2 エリ
わたしが生まれたのは深い森の中だった。心地よい眠りは、起きて、という世界の囁きで終わりを迎えた。起き上がるとそこは外の光さえも届かない深く暗い森の中。おかしい。わたしは死んだはずなのに。25歳のときに流行り病にかかって、両親に看取られたはずだ。そのまま心地よい眠りに誘われてぐっすりと眠ったら今目が覚めたような、そんな感覚。もしかして生き返った、とか。そんなはずはないか。土葬されているはずだから、生き返ってもこんな森の中のはずがない。
それにしても妙に身体が軽い。息がしやすい。世界がキラキラと輝いて見える。弾むように立ち上がり歩いていると、繁みを抜け、洞窟のようなものを見つけた。すごい。自然にできたものかしら? 入ってみたいけれど、危険かもしれない。
「いえ、きっと大丈夫だわ!」
危険かもしれないというのはわたしの考え。本能はわたしに大丈夫だと囁いていた。あの洞窟は動物の巣かもしれない。その動物は獰猛な肉食獣かもしれない。けれどきっと大丈夫。何故だかそんな確信がある。
洞窟の中に入ると、置くに光が見えた。ゆらゆらと動いている。人がいるのかしら? そのまま歩き続けると、ランタンを持つ男がぬっと急に現れた。
「きゃああ!」
「うわっ! ってお前誰だ! おい! 侵入者だ!」
男が持っていた槍をわたしに向かって突き出した。ランタンが落ちる。錆びの付いた槍はわたしの脇腹に当たる。痛い。痛い? 分からない。咄嗟にわたしは逃げ出した。
――逃げる必要などないわ。
本能だけがそう囁き続けている。
亡くなった原因が流行り病だという時点でお察しだが、わたしは生まれつき病弱な子供だった。貧しい家の子だったら早々に売られていたかもしれないが、運よく生まれは王都にある大きめの商会だった。本来であれば婿を取って商会を継ぐべきだっただろうけれど、毎月のように身体を壊すわたしは誰に見初められることもなかった。いずれは貴族の末席に名を連ねたいと思っていたらしい父親の命により言葉遣いやらマナーやらを中途半端に習った嫁き遅れがわたしだ。いつか成長と共に丈夫になるだろうという目論見は見事外れてぽっくり逝ってしまったけれど。
つまり何が言いたいのかというと。
身体が! 軽い!
走っても全然疲れないし、何より生前よりも遥かに身体能力が向上している。後ろを振り返る余裕すらあるのだ。4人の男がこちらへ走っていた。走りながら彼らを見ると、何度か男達の胸元に汚い色の何かが見える。
――あれは魂、人の定めた理に反して、汚れてしまった魂。
ぞわりと鳥肌が立つ。魂を認識すると途端に近寄られたくなくなった。
「死にたくなけりゃあ、止まりな……!」
バァンッ 低い爆音があたりに響く。木々から一斉に鳥が飛び立つ音がした。思わず立ち止まって振り向いてしまう。
こちらに金属の筒? を向けた男が呆然とこちらを見つめていた。他の3人も困惑した顔でこちらを見る。その隙にとわたしは足を速めた。
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銃口を女の背に向ける。美しくも貴族令嬢でもない目撃者の女。下手に手足を狙うよりも的の大きなところを狙う。立ち止まって引き金を引いた。
銃特有の大きな発砲音がする。鉛でできた玉はまっすぐ女に向かっていく。組織に2丁しかない銃を持たせてもらっているのは、男が組織で最も銃の扱いに長けているからだった。
地面が真っ赤に染まるところを想像していたが、眼前には信じられないことが広がっていた。
鉛の銃弾が女に触れた瞬間、銃弾が消えたのだ。いや、あれは吸い込まれた? もしくは溶けたと表現すべきだろうか。女は驚いたように振り向いたが、全くの無傷のようだった。
銃の効かない相手など、そう多くはない。あの逃げた女は人間ではないということだ。呼ばれて追いかけてきたが、そう思うと納得がいく。一般人の女があんな森の奥に一人で来るはずがない。
「おい! アレを準備しておけ!」
近くにいた仲間に指示を出す。
年頃の女の格好をした精霊。捕縛には骨が折れそうだが、捕まえたらきっと高く売れることだろう。
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ひたすらに走り続けて1時間、くらい。当初の余裕などなく、わたしは必死に走り続けていた。森の中での大きなバァンという音。最初は何かと思っていたけれど、凶悪な兵器だった! 2度目の轟音の直後、走る先の木に大きな穴が空いたのだ。それと同時にふわりと煙の臭いが漂った。その木が倒れたせいで男達との距離も縮まってしまった。
何あれ何あれ何あれ……!? あんなものが当たったら死んでしまう!
走り続けていたら人通りはないものの公道の付近にたどり着いた。いえ、人は歩いている。女の子が一人! その子が視界に映った瞬間、私は状況も考えず彼女に見惚れてしまった。容姿もそうだけれど、なんて美しい色の魂なのかしら……。私を追っている彼らのものとは比べ物にならない。
――あの子が欲しい。
逃げる方向を変えて女の子のほうへ向かっていく。美しい魂を持つ女の子への興味が心の底から溢れて止まらない。
「え、なにっ?」
驚く少女の手を掴む。
「怪しい男達に追われているの! あなたも危ないわ! 逃げて!」
女の子の手は温かかった。触れているだけで充足感に満ち溢れる。ぞくりと身体が震えた。
「えええ!?」
「逃げるわよー!」
女の子も走り出す。しかししばらくすると息を切らして立ち止まった。
「はあっ、もう、無理っ」
そこからの彼女はすごかった。見たことも無いような魔法を繰り出して戦ったのだ。とりだした短剣に関しては妙な気配を感じたけれど、全てをなぎ倒すような風を巻き起こし、私の手を取って逃げようとしてくれた。しかしいつの間にか目を覆うゴーグルをつけていた男達に囲まれた。手袋なんかも、最初はしていなかったはずなのに。
「近づかないで」
男が近づいてきて、腕を掴まれる。鳥肌が止まらない。怖いというよりも気持ち悪い。
「触らないでよ!」
素早く両腕を掴まれると、大きな錠前のついた拘束具を取り付けられた。急に軽く感じていた身体が重くなり、気分が悪くなってくる。ふらついたわたしに男は笑った。
「お前が何の精霊かは知らないが、こっちだって素人じゃない。馬鹿め」
「身体が重いわ……」
「じきに立っていられなくなる。お前ら精霊は魔力さえ失えば人間以下なのだから」
――なんですって?
理由の分からない苛立ちが身体の底に生まれる。何が自分の琴線に触れたのか分からない。別に、今の男の発言にわたしは何も思わない。けれどもふつふつとした怒りは全身に行きわたり、体内からねっとりとした力の波が放出されようとした。ピシリと何かが割れる音がする。その瞬間。
背後からどさりと音がした。
振り向くとあの子が倒れている。
「ちょっと! ねえ、あなた、大丈夫? この子に何をしたの!」
わたしが妙な手錠を付けられている間に少女は昏倒させられていた。一目見て死んではいないことが分かり安堵する。
「生きていないと売り物にはならないからな。殺してはない。……ところで、拘束具を付けてもそれだけ元気に動き回れるのか」
「じゅうぶん、身体は重いですけどね。取りなさいよコレ」
見たところ男達のリーダー的存在であるように見える男は、頭をガシガシと掻いてからため息を吐いた。
「取引をしよう。お前は俺達の手には余るようだ。その拘束具を外してやる代わりに俺達をあの洞窟で見たことを口外するな」
とりあえずここで頷いておいて、この子を助けよう。そう思い頷こうとしたが、身体が動かなくなった。声も出ない。魂が絞られるような痛みに襲われる。
「兄貴、そんな口約束で大丈夫なんスか?」
「精霊は嘘がつけない。伝え聞いた話だが、嘘をつこうとすると身体が拒絶反応を起こすらしい。……こんな風にな」
膝をつく。冷や汗が額から零れ落ちて地面にシミを作った。
「っはァ、ていうか、精霊精霊ってさっきから言ってるけど、何よ、精霊って。わたしは、人間よ……ゥァあああああ!」
「うお、なんか知らねえが自滅してやがる」
痛い! 痛い! 痛い!! 胸の奥が絞られているかのように、熱い。痛い。立ち上がろうとして地面に手をつく。しかし足がもつれてしまい、地面に倒れてしまった。頭まで痛み出し、わたしは目を閉じた。
ゴーグルや手袋には精霊の一部が使われていて、そのために(危険な)精霊でも問題なく触れることができる、という裏設定がありました。うまく組み込めませんでした…。