1991年5月4日 土曜日 05:00
札幌市中央区にある大通公園の西外れ、13丁目に由緒ありそうな石造りの西洋風建築物がある。
建物自体は小ぶりだが外観は美しく、格調高く、歴史的な重みを感じさせる大正モダン風建築であり、敷地全体は小ぢんまりとした公園に整備されているので、散歩途中の市民が気軽に利用できる休憩所になっている。
ちなみにこの建築物、“北海道文学館” とかいう名称で1990年のエリアマップには載っていたが、その史跡然とした見掛けにも拘わらず、観光ガイドに紹介されているわけでもなく、ツアーコースにも含まれず、観光名所だらけの札幌市の中にあっては比較的マイナーな扱いである。
おそらく、有名な観光名所である大通公園の端っこで、オマケのようにくっ付いているせいかもしれないが、
「ねぇ、あの建物って何? 」
「さあ? 何だろうね? 」
などと、焼きトウモロコシを咥えた観光客が遠目で語る程度の存在になってしまっていたりする。
大通公園で記念写真を撮ったら見切れていたりもして、
「あれ? こんなんあったっけ? 」
と、後になって気付く人もいるだろう。
さて、この “北海道文学館”だが、正面に当たる東側は綺麗に芝生が敷かれた前庭が整備されていて、明るくて見通しも開けているのだが、背面に当たる西側は建物を覆い隠すほどに沢山の木々が生い茂り、昼間も薄暗いので、三方向が通りに面しているにも拘わらず、通りすがりに中の様子を覗くのは難しい作りになっている。
「死角が多いから、仕事する上では都合が良いわい。」
そして、敷地はもちろん、建物の中も入場料など取られること無く、人の出入りは自由。
ジョギングの途中で一休みしたり、ストレッチする者がいても全然不自然ではない。
「史跡っぽいし、街のド真ん中にあるんで心配したけど、ぜんぜん人目を気にしなくて良さそうだね。」
「ですな。それにしても同じ大通公園なのに、テレビ塔の方には屋台もあるし賑わってんのに、こっちは寂しいもんだわ。」
観光地っぽさは皆無。
特に、只今の時刻は午前5時なので、今、周囲には人っ子一人いない。
このロケーションならば、明日の仕事に差し支えることは無いだろう。
念のためジャージを着てジョギングスタイルで早朝のロケハンに臨んだ私とケンタだが、違和感無く風景に溶け込めている自信がある。
「ね、そう思うでしょ? 」
同じくジョギングスタイルで、私たちの後ろをついてきているサユリさんに同意を求めた。
「んぁ・・・ 」
返事なのか呻き声なのか何なのか、良く分からない反応が返って来た。
早起きしたサユリさんは、ホテルを出てから殆ど何もしゃべらず、黙って後について来るだけで少し気味が悪かった。
「サユリさん、起きてる? 」
「んぉきてぇる・・・ 」
半分以上は寝ているっぽい。
「なぁ、サユリさんって、低血圧なのか? 」
「まあ、見た目通りってことじゃないかな。これで高血圧だったらビックリだわ。」
ケンタはそう言って笑っているが、明日の本番でも寝惚けられていたら流石に困る。
相手はHUNTERが4匹、分散して現れたらケンタと2人では手に余るかもしれない。
「低血圧ってのもあるだろうけどさ、友だち2人と同室だろ。修学旅行と同じで、絶対に夜更かししてガールズトークしてるからさ、単なる寝不足ってだけなのかもしんないよ。たぶん、今夜は早めに爆睡すると思うから大丈夫なんじゃない。」
まあ、JKが3人集まっての旅行初日なら、そういうこともあるだろう。
「そんなことよりも、そろそろターゲットが来る時間だわ。」
ケンタに言われて時計を確認したら5時10分とちょっと。
あと5分ほどしたら、ジョギング中の未来の経団連会長 “ナガセ ユウキ” 氏が姿を見せるはずだった。
3人並んで待ち構えていたら不自然なので、前庭の芝生の上で適当に散らばって取り合えずストレッチでもやりながら、こっちもジョギング中の振りをすることにした。
「サユリさんも、せっかく来たんだから “ナガセ ユウキ” の顔ぐらい覚えてよね。」
モゾモゾとラジオ体操第1っぽい動きをしているサユリさんに声を掛けたら、先ほどよりは意識がハッキリしてきたようである。
「んぁ、だいじょぶだわ。ばっちし。」
“ばっちし”とは言い難いが、返事はあるし、一応目も先ほどよりは開いている。
「おい、来たぞ。あれだろう。」
ケンタがアキレス腱を伸ばす運動をしながら顎で指した方向に目をやると、Tシャツと短パン姿の爽やか好男子が、花壇に挟まれた大通公園12丁目の真ん中にある遊歩道を軽快に駆けていた。
彼が “北海道文学館”のある13丁目へ達するには、信号待ちして車道を1本渡らなければならないのだが、
(さて、左右、どちらの横断歩道を渡る? )
遊歩道は大通公園12丁目の終点で左右に分かれており、 其々が “北海道文学館” のある13丁目側へ渡るべき2本の横断歩道に繋がっている。
まずは、“ナガセ ユウキ” らしきジョギング男子が、そのどちらに進むかを確認しておきたかった。
おそらく、ジョギングが毎日の習慣であるなら走るコースは決まっており、道順だけでなく、渡る横断歩道も同じである可能性が高い。
(よし、左だ。)
“ナガセ ユウキ” は遊歩道の終点を迷う素振りも無く左側(私たちから見て)へと抜け、タイミング良く青信号になった横断歩道を渡り、“北海道文学館” の敷地内に走り込んできた。
そのスムーズな走りを見れば、彼が毎日のように同じコースを辿っていることは、ほぼ間違いなさそうである。
「おはようございます! 」
全くの赤の他人である芝生の上でストレッチ中の私たちに向かって、爽やかな笑顔と元気な挨拶を投げ掛けながら、“北海道文学館” の正面玄関前を斜めに横切り、木々の茂った敷地の裏手に向かって走って行った。
これで “ナガセ ユウキ” の走るコースは掴めた。
「なんか、爽やか好青年ってヤツだな。」
「なんか、イラっとしたわ。」
「未来の経団連会長なんて、もっとジメッとした悪人面で良いのに。」
「いずれ胡散臭ぇジジイになる癖に、スカしてんな。」
「足引っ掛けて転がしてやりたいわ。」
「どうでもいいけど、あんたたちのどっちか、建物の裏に行って確認しといで。」
ちっとも爽やかでないジジイ2人が向ける嫉妬の眼差しと、エンジンが掛かり切っていないサユリさんの虚ろな視線を置き去りにして、爽やかジョギング男子 “ナガセ ユウキ” の姿は建物の影に消えていった。
「んじゃ、ケンタ確認してきてよ。」
“ナガセ ユウキ”が、“北海道文学館” の裏にある公園の何処ら辺で休憩しているのかを確認しておけば、待ち伏せ型のHUNTERが出現する場所はほぼ確定できる。
例の磁石も、そのルート周辺を探せば見つかる可能性が高いと思われる。
「しゃーねぇな、行ってくるわ。」
「サンキュ、頼むわ。」
2人揃って確認しに行く必要は無いので、裏の公園はケンタ一人に任せることにして、私は “ナガセ ユウキ” が辿った正面のルートを詳細に確認しておくことにした。
(まあ、正面は見通しが良すぎるし、道路側に障害物は少ないから襲撃場所としてはあまり適してそうにないし、現場はたぶん裏の公園ってことになりそうだな。)
但し、万が一の可能性を放置するわけにはいかない。
門柱や植木の影にHUNTERが潜むかもしれないので、ひと通りの下調べはしておくべきだろう。
数は少ないが、HUNTERが隠れられそうな場所は幾つかあるし、ついでに例の磁石が落ちていないかの確認も行わなければならない。
昨日の出発前、九段下マンションに立ち寄った際、ユージから磁力探知に使えと方位磁針を一人一個渡されている。
ユージが言うには、あの元磁石はHUNTERを送り込む際に生じる熱と衝撃で磁力の大半を失っているが、それ以前ならばかなり強い磁気を帯びているはずなので、方位磁針を彼方此方に向けながら地面を探り、針の動きを確かめていれば引っ掛かるはずだと言っていた。
(そうだったら、助かるんだがねぇ。)
這い蹲って手探りで探し回るよりも、探知機があれば効率が良くなるに決まっているのだが、
(とりあえずユージを信じて、やってみましょ。)
私は早速、方位磁針を地面に近付けて、“ナガセ ユウキ” のジョギングルート周辺を調べ始めた。
「サユリさんもやろうよ? 」
「ふぁいよ。」
力の無い返事。
一応声掛けしたモノの、今のサユリさんに正確さは求められそうにない。
(まあいいや、一人でやるか。)
そうすることにして、磁石探しに取り掛かったのだが、
「ほれ、こいつだろ。」
「え? 」
作業を開始して10数秒後、サユリさんが放ってよこしたのは間違いなく黒い円盤状のフェライト。
形と重さについては神宮外苑で見つけたモノとほぼ同一である。
異なる点は、こちらの方が手触り滑らかであり、光沢が強いこと。
そして、方位磁針を近付けると針が暴れ出すことである。
「こりゃ凄い! ユージの言っていたとおりだわ! 」




