1991年2月26日 火曜日 18:30~
「時々、こういうメッセージが届くんだわ。」
私の手にあるプリント用紙を指差しながらユージが言った。
ざっと目を通した私が、この文面から受け取ったのは一つの可能性である。
“日本国外務省、事務次官、サトウコウイチ、17歳”
17歳の外務省事務次官など聞いたことが無い。
有り得ないことだった。
だから、サトウコウイチが事務次官になるのは、もっと先の未来のこと。
今のサトウコウイチは、只の17歳の少年。
そう考えるべきであろう。
こんなヘンテコな記載ができるのは未来を知る者だけ。
つまり、
「これの差出人は、もしかして? 」
「そりゃ、未来人だな。」
ユージは、あっさりと肯定したが、
「こんなの変だろう! なんか話が違うぞ! 」
1990年は、Time communication device の交信範囲を超えているから、連絡の取りようが無くなるとか、未来人が言っていたはず。
先ほど、ユージも未来と連絡を取り合うのは無理だと言っていた。
それなのに、これは何なんだ?
ホントのホントはできるのか、未来との交信?
「できないよ。できないって言っただろ。」
興奮して、すっかり素面に戻ってしまった私に、ユージは事情を話すから落ち着いて聞けと言った。
「あいつらは時々、俺のパソコンに電話回線とモデムを経由して最大で50キロバイトぐらいのテキストメッセージを送りつけて寄こすんだよ。いつ発信されたのか、何処から発信されたのか、どういう原理で発信しているのか、さっぱり分からないけど、未来人が発信していることだけは間違いない。こっちはそれを受信するだけ。こっちから発信する手段は無いよ。」
「一方通行ってこと? 」
「そういうこと。こっちにゃ未来に向けて発信するテクノロジーなんて無いからね、交信のしようも無いでしょ。」
言われてみれば、当り前のことだった。
向こうは、それなりのテクノロジーを持っているが、こっちにはそんなモノあるはずが無い。
「それは、うん、そうだな。」
期待しかけたが、また落とされた。
一方通行では、私の求める使い方はできるはずが無い。
大きく溜息を吐いた私に、
「ガッカリさせて悪いね。もう一度、酔い直そうや。」
そう言いながらユージは、空いていたグラスに焼酎を一杯に注いで寄こした。
「いや、少し考えれば分かることだったわ。」
私は「スマン」と一言付け加えてからグラスを受け取った。
但し、この件については確かめておかなければならないことが残っている。
「一つ、聞いて良いか? 」
私はグラスに口を付けながら、探るような上目遣いをユージに向けた。
ユージは、私が聞きたいことを直ぐに察したようで、自分の手にあったグラスを一旦テーブルの上に置き、
「何なりとどうぞ。」
と、受け身の体勢であることを示すように右手で手招きし、ついでに空いている左手で咥えていた煙草に火を点けた。
「ユージは、何故、過去に遡行した? 」
“時間遡行者には何らかの任務や依頼事が課せられている” というならば、ユージにもそれがあるはずだった。
最長不倒だという1988年に遡行し、他の時間遡行者の面倒を見たり、未来人からのメッセージを受信したりと色々やっているようだが、そもそもの遡行理由は何なのだろう?
さっきは些か非合法に思える発言もしていたが、別に悪人というわけではないことは接していれば分かる。
だが、決して並の人物ではないとも思っている。
大手IT企業のCEOを務める人物が並であるはずが無いし、そもそも2020年代に於いては日本経済界の大物であるということ自体に何か重大な意味が含まれていそうな気がしていた。
だから、ユージが何を言うかには興味津々、期待していたのだが、予想外の答えが返ってきた。
「俺が未来人から受けた依頼はね、何もするなってこと。」
答えの意味が掴めずに
「はぁ? 」
と、言ったきりポカンとしている私を見て、ユージは頭を搔きながら苦笑した。
「まあ、誰に言っても、そういう反応されるんだよね。中には怒り出しちゃった奴もいたりしてさ。でも、これは本当なんだよ。何もしないってことを依頼されて、俺は1988年に遡行したんだわ。」
“何もしないことが依頼” とは、まるで謎解きのような回答である。
そのままの言葉どおりに受け取るべきか、それとも何らかの意味を見付けるべきか、悩ませられる。
“何もしない” ということは、普通に考えれば “ゼロ” を意味する。
“ゼロ” つまり無意味であるから、そのままでは時間遡行する意味が無くなってしまう。
“何もしない” が依頼であるならば、“ゼロ” ではない。
ふと、ユージがどんな顔をしているか覗いてみたら、少し意地悪そうな笑みを浮かべて焼酎を舐めていたので、この回答には続きがあることは明らかだった。
それならば、どんな意味が含まれているのか、アルコールに緩んだ頭には少々厳しいが考えてみることにした。
「ああ、なるほどね。」
答えは意外に簡単だった。
これも、今日散々聞かされた時間のパラドクス系の話だったが、私も大分その手の思考に慣れてきたらしい。
「未来人にとっては、ユージを1988年に送ったという事実が大切なんだよな。その事実を失わないようにしたいわけだ。過去の足掛かりにするため、だろ? 」
私の答えに、ユージは「ほぉ」と、感心したような息を吐いた。
「察しが良いな。正しくそれだよ。時間に関わらず、未来に影響を与えず、かつて経験したままに過ごして、無事に出発点である2026年を迎えること。それが俺に与えられた使命ってやつ。」
「つまり、俺の場合のように、時間遡行した事実が未来人の記憶から失われてしまったら意味が無いわけだ。そのためにも、ユージには過去への一切の不干渉が言い渡されてるってことなんだな。そうすることで、ユージの存在とその記憶も未来まで維持される。確かに、“何もしないことが依頼”だわ。理解した。」
未来人には、某国の Time transfer device に対抗するためできるだけ遠い過去との繋がりを確保する必要があった。
そこで、Time communication device の交信範囲を超え、時間遡行の限界ギリギリに配置した連絡要員、それがユージということだった。
「しかし、何もしないってのは、それはそれで厳しいだろう? 」
誰でも、人生の中で後悔の一つや二つ持っている。
やり残したこと、もう一度挑戦したいこともあるだろう。
だが、それはユージには許されない。
成功したこと失敗したこと、嬉しかったこと悲しかったこと、それら全てをかつて体験したままで再体験しなければならない。
その中には、自分が手を差し伸べたなら救われる “人の生き死に” に関わる出来事だってあるだろう。
だが、それをせず、一切の可能性を無視し、耐えて生きるのは、強靭な精神力を持っていなければ務まらない。
「この3年、色々あったけどな。何度か迷ったこともあったさ。でも、俺にだって分かるよ。目の前の不幸を救うことで得られる満足感は一時的なモノ、それをしたことにより未来が破滅するかもしれないって恐怖感と、責任を放棄した罪悪感に一生涯苛まれるに決まってるからな。そう考えるようにしてたら、最近になって漸くこっちの生活にも慣れてきたところさ。」
未来人も酷なことをすると思った。
見たところ、ユージはそれを受け入れているようだが、ゴールの2026年はまだまだ先である。
それまでには、心がぐらつくこと、頭を抱える程に悩むこともあるだろう。
(心が壊れなきゃ良いんだが。)
これまでは、時間の修正を言い渡され、殆ど無理矢理に1990年へ遡行させられた自分を嘆いていたが、ユージに比べたら大したことではないように思えていた。
「そんな、同情されるほどのことじゃないぞ。もともと、俺は自分の人生に不満は無かったし、けっこう充実した生き方ができたと思っている。だから、もう一度自分の人生をやり直すのも決して苦だとは思っちゃいない。未来人たちも、そんな俺だから、こんな重要な依頼の相手に選んだんだろ。それに、俺の人生や社会に影響を与えないことなら、何をやっても問題無いからな。せっかく2026年の知識を持ってるんだから、こういうのでストレス解消させてもらってるのさ。」
ユージは、部屋の内周をひと回りしたスチールラックに収納された大量のパソコン&周辺機器群を指して言った。
「俺の実家はお金持ちでなんでね、個人的にも大学時代に取った幾つかの特許のおかげで潤ってるし、金に糸目を付けずに組み上げた自慢のシステムだよ。」
パソコンは使う側、よって知識も技術も全然深くない私にとっては、スチールラックごとガラクタの壁にしか見えないのだが、個々のガラクタが1990年代では高価な代物であることぐらいは理解している。
それこそ、この部屋のガラクタ全部集めたら高級外車並みのお値段になることも十分に想像がつく。
(実家がお金持ちねぇ。)
良いんじゃないだろうか。
趣味と、それに注ぎ込むお金があれば、人生の不満の大方は解消される。
と、その時、私の “先読み” に反応があった。
(おや? )
何か、不測の事態が始まっているような気がする。
命に係わるとか、そんな大それた危機ではないが、米神のピリリとした痛みと同時に頭の中で危機を告げる警告音が鳴った。
「いやぁ、1990年の技術には満足できなくてねぇ、2026年並みのシステムを自作しようと思い立ったのが3年前なんだわ。前の人生じゃ工房は高田馬場にあったんだけど、こっち来る前に未来人から分かりやすくて目立つからって、九段下マンションに本拠を確保するように言われたんだけど、こっちの方が秋葉原に近くてラッキーだったよ。
おかげさまで、この3年間は暇さえあればハードウェアを買い漁って、パソコン弄りに精を出してたってわけ。そして、出来上がった作品がこれなんだよぉ! 」
気付けばユージの目がキラキラと輝いていた。
(ヤバイ! オタクの目だ! )
酔っぱらったオタクに自慢ネタを披露させるのは不味い!
しかし、既にユージは立ち上がって、部屋中に広がる自作システムの解説を始めてしまっていた。
彼を思い留まらせ、現実に引き戻す方法は無いのか?
「なんかさぁ、未来人からのメッセージの話するんじゃなかったっけ? そのサトウさんの話とか? 」
「ん? ああ、その前に、このシステムの性能を2026年の最新ハードウェアと比較してみるんだが・・・ 」
既にユージは、完全に面倒臭い世界に入り込んでしまっている。




