1991年2月26日 火曜日 15:00~
九段下マンションがある場所は良く知っている。
神保町にはアルバイト先の広告代理店が契約している出力センターがあって、1980年代後半の印刷業界では主流になっていた電算写植(※)を受け取りに行く際、東京メトロ東西線の九段下駅から向かう道筋の途中に建っている古い建物という認識である。
なんでも、戦前に建てられた築60年以上にもなる歴史的な建築物らしいが、よほど作りがしっかりしているようで、1990年代でも普通に入居者が暮らしており、一階は飲食店のテナントも営業していた。
もっとも、2027年では取り壊されてしまっていて跡形も無く、九段下マンションが建っていた敷地には他の建物が建っている。
さて、その九段下マンションは、都営新宿線九段下駅から神保町方面に歩き、俎板橋を渡ると左手に見えてくる。
(おお、ちょっと感動! )
取り壊される直前の2010年頃、靖国通りを移動中、車の窓越しに外観を眺めたのが最後なので、約17年ぶりである。
その時は老朽化した壁材の落下防止のためだったのか、建物全体がネットで覆われていたが、今は未だ健在で独特の外観が剥き出しのままである。
私は特に旧建築マニアというわけではないが、いずれ近い将来に失われて二度と見ることが叶わなくなると知っている建物が目の前にあれば感動ぐらいはする。
そういえば、1990年末、私が学生時代に隔週ペースで通っていた三鷹の名画座が閉館したのだが、かつてはアルバイトが忙しくて早い時期に年内閉館を知りながら一度も出掛ける機会が無く残念な思いをしたので、今度は最後のプログラムを逃すまいと朝イチから出掛けて行って、しっかりお別れをしてきた。
そんな風に未練を残したまま失われた個人的な東京名所は、まだまだ沢山あるので、これから計画的にお別れしていかなければと思っている。
ところで、九段下マンションだが、私の“お別れしなければならない東京名所” のリストには含まれていない。
前を通り掛かった回数は数えきれないが、中に立ち入ったことは無いし、テナントの飲食店なども利用したことは一度も無い。
懐かしい風景の一部ではあるが、そんなに愛着がある建物では無かったので、未来人の言葉が無ければ、今度も足を運ぶことなど無かっただろう。
まさか、こんな状況下で縁が生まれとは思わなかった。
いずれは、「リストに含まれることになるかもしれないな」などと考えながら、靖国通りに面した入口からマンション内に入ったら、
(狭っ! そして暗っ! )
エントランスなんてものは無く、入って直ぐが階段室である。
しかも、通路や階段は人一人分ぐらいの幅しかないし、天井も低くて、閉所恐怖症の人ならば尻込みしそうな構造である。
照明器具としては古ぼけた蛍光灯がぶら下がっているが、日中は節電しているのか、今は点いていない。
二階に上る途中の踊り場に窓があるので、目が慣れれば階段に躓くことはないのだが、外来の訪問者には決して優しいとは言えない環境だった。
それにしても、流石の昭和初期に建てられた築60年モノである。
今どきの建築物とはひと味もふた味も違っているし、今後20年は現役でいるはずなのに既に廃墟的な雰囲気が漂っている。
(あんまり気が進まなくなっちゃったんだけど、行くしかないよなぁ、204号室。)
意を決して狭い階段に足を掛けた。
2階に上がり、狭い廊下を歩きながら部屋番号を辿っていて気付いた。
お化け屋敷の中を歩いているつもりだったのに、2階は企業名の看板を掲げたオフィスが並ぶフロアになっていて、木製ドアの上部に嵌め込まれた摺りガラスの向こうには人の気配もする。
(出版、司法書士、不動産、商事会社ねぇ、なんだよ、見掛けは凄いけど全然普通のビルじゃないか。)
なんとなくホッとした。
ドアの向こうには異世界の入口なんかがあっても全然不思議じゃない内観だったので、身構えたほうが良いかもと思い、念のため護身具の入ったディバックを肩から外そうとしていたのだが、そこまでの警戒は必要無さそうだった。
(で、204号室は? )
塗料の剥げ掛けた廊下の壁を伝い、円い真鍮の取っ手が付いた古臭い木製のドアを幾つか通り過ぎた先に、目的の部屋番号があった。
(おや? )
他の部屋が全てグレーに塗装された古い木製ドアなのに、204号室だけは頑丈そうなベージュのスチール製ドアで、摺りガラス窓も無く、代わりにモニターフォンが付いていた。
ドアノブも円い真鍮ではなく現代的なL字型で、鍵穴が無くテンキーが付いている。
(キーレスロックなんて、ドアを開けたら異世界とかじゃなく、2027年だったりして。)
いくら何でも、そんなことは無いだろうと思いながら、呼び出しボタンを押した。
ピンポンくらい聴こえるかと思ったのだが、室内からの音漏れは全く無い。
音の出ない呼び出しシステムなのか、まさかの完全防音なのか、シーンとしたまま10数秒間が過ぎた。
その間、ドアの向こうからの反応は無いように見えるが、中に居る誰かがモニター越しに私の様子を窺っている気配がしていた。
もう一度ボタンを押すべきか、それとも待つべきか、回れ右して立ち去るべきか、考えていたら。
漸く、部屋の中からお声が掛かった。
「入りな。」
インターフォン越しに聴こえた男性の声。
そのぶっきらぼうな一言に続いて、
ウィーン カタン
ドアのオートロックが外れる機会的な音が聴こえた。
「失礼します。こんにちは。」
と、一応挨拶をしながら私はドアを開けた。
すると、目の前に現れたのは、20畳ほどある長方形のスペース一杯に展開された1990年とは思えない、だからと言って2027年でも、異世界でもない、異様な空間だった。
(ここは機械室? いや、コンピュータ室? まさか、この部屋全体が一つのコンピュータだったりしないよな? )
私が、初見でそう思ったのも無理はないだろう。
部屋の内周に沿ってグルリと並べられた、天井に届きそうなほどの高さの組み立て式スチールラックの中には、筐体を取り除かれて中身が剥き出しになったメーカーや型式不揃いのパソコン群、大小様々のCRT、RAIDになっているらしい大型のHD、全く用途の分からない機械、組み合わさった基盤などが、ラックの向こう側が見えなくなるぐらいビッシリと詰め込まれている。
そして、それらを接続するケーブルや電源が壁や天井を縦横に這い回っており、沢山の冷却ファンが一斉に回る音も加わって、本来あるべきレトロな室内風景が全て失われてしまっていた。
よって、この部屋の構造が剥き出しになっているのは床ぐらい。
さすがに歩きまわるには不都合と考えたのか、ピータイルが敷かれた床にケーブルは一本も這わされていない。
そんな部屋の中央には、まるで掃き集められたように纏まって配置された応接ソファ4点セットと、両袖引き出し付きのオフィスデスクがある。
オフィスデスクの上には天井から数本のケーブルが下りてきていて、たぶんそれに繋がっているのであろう20インチぐらいの大きさのCRTが3台、横並びで入口に背を向けて置かれていた。
その向こう側から、
「立ってないで座れよ。」
この部屋の雰囲気に圧倒され、茫然と突っ立っていた私に声が掛かった。
インターフォン越しに聴こえたのと同じ男性の声だった。
その声の主だが、CRTが邪魔で見えるのは頭の天辺だけである。
覗き込むのも失礼に感じたので、言われた通りに座って待つことにした。
「ああ、それじゃお言葉に甘えて。」
私はディバックを床に下ろし、オフィスデスクの方を向いた3人掛けのソファを選んで腰を掛けた。
「ちょっと、待って。すぐ終わるから。」
声の主は、そう言ってから暫くの間、カタカタとキーボードを叩く音を響かせていた。
その間、手持無沙汰なので、部屋中を隈なく見渡していた。
(ここは電気屋か? )
電気屋というよりも修理屋、又はジャンク屋の方が雰囲気に近いかもしれない。
但し、まだまだパソコンが高価な1990年で、これだけの機材を個人が集められているのは凄いことではある。
(先週、ウチの会社に届いたセットだって、国産の新車一台買えるぐらいの値段なのに、ここにある機材全部合わせたら、高級外車ぐらい買えるんじゃないか? )
それが、築60年の古いビルの一室に並んでいるのは異常なことだと思う。
わざわざ未来人が示唆するくらいなので、この部屋の主は普通の1990年人でないことだけは間違いないだろう。
「やあやあ、お待たせ! 」
仕事に区切りを付けた感じで、CRTの向こう側にいた男が立ち上がり、オフィスデスクを回り込んで姿を現した。
「一ノ瀬 裕司だ。よろしく。まあ、この工房の主ってことで良いだろう。」
そう名乗って差し出された右手を、私も立ち上がって握り返してから自分の名を名乗った。
「阿頼耶識 稔です。よろしくお願いします。」
一ノ瀬は、「ん? 」と、顔を上げて私を見た。
そのまま数秒間、何かを確認するような、探るような目でジロジロ見られた。
「まあ、珍しい名前だよね。滅多に無いよな、アラヤシキ、か。」
私の外見について一通りの確認をし終えたのか、今度は満足そうな顔でウンウンと意味有り気な頷きを繰り返しながら、私に席に戻るよう促し、自分は向かい側の一人掛けに腰を下ろした。
「さてと、アラヤシキ君、って、なんか呼び辛いな。噛みそうだよ。」
「みんな、そう言いますね。下の名前で良いですよ。」
「そうか。それじゃミノル君。お互い敬語は止めようじゃないか。歳も近そうだしタメ語でいこうや。」
一ノ瀬は、そう言いながらシャツの胸ポケットから煙草を取り出して火を点けた
ちなみに、この一ノ瀬と名乗る男、歳は私と同じくらい。
身長は175センチくらいで瘦せ型。
髪型は暗めの茶髪を真ん中分けしたロン毛スタイル。
目が悪いのか伊達なのか分からないが、黒フチの眼鏡を掛けていた。
服装の下は裾を折り畳んだグリーングレーのチノパンで、上は白Tシャツに縦ストライプ柄のカジュアルシャツをボタンをとめずに羽織っている。
全体的に1990年代初めの街では多く見掛ける、普通の若者のように見える。
(でも、普通じゃないんだろうな。)
格好は若者なのに、身のこなしや話し方に世慣れた年配者の雰囲気が見える。
それに、
(そもそも、一ノ瀬 裕司の名前、俺は知っているし。)
会ったこともある。
もちろん1990年代でではない。
確か2010年から2020年の間でのことである。
(ITベンチャー企業のCEOだったはず。)
経済業界紙などで頻繁に見掛ける名前だったし、一ノ瀬の経営するグループ企業には大学の教え子が何人も就職している。
マスコミ主催のイベントで何度か同席したこともあるし、デザインのコンペティションで一緒に審査員をしたこともある。
その間、別に親しくしたことは無いし、会えば挨拶するぐらいの関係だったが、私が大学に引き籠るようになっていた近年では顔を合わせる機会も無くなっていた。
向こうは相変わらず日本経済の中枢で活躍していたようだが、既に私との縁は無くなったものだと思っていたのに、こんなところで顔を合わせるとは、
(もしかして、一ノ瀬も私と同じ遡行者なのか? )
そうだとしたなら、一ノ瀬も気付いて驚いているだろう。
名乗った直後に向けられた探るような目は、それが原因ではないかと思う。
それを問おうとしたら、
「ミノル君も同類なんだろ? 何年先から来た? 」
一ノ瀬の方から切り出された。
どうやら、思ったとおりのようである。
「2027年からだけど、なんで分かった? 」
私の問いに対して、一ノ瀬は笑いながら煙草の煙を吐き出し、こう言った。
「そうじゃなければ、ここには来ないからさ。」
※電算写植
印刷の工程において、それまで手動で行っていた写真植字による版下製作を、コンピュータで行えるようにしたシステムである。
オペレーターには高い技量を求められることと、1990年前後からDTPが主流になると共に廃れて消えていった。




