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癌で余命宣告された私が時を遡って、美少女を助けたり、仲間と一緒に怪獣と戦ったりするお話 ~ RETROACTIVE 1990  作者: TA-MA41式
1991年に至った私が、パソコンオタク、柔道四段の研修医、傍若無人なチビッ子女子高生とチームを組んで戦うお話
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1991年2月26日 火曜日 14:30~

第2章、ここから本格的に動き始めます!

時系列的には、プロローグよりも1か月ほど遡る感じです。

 2月も終わろうとしているのに、冬が今頃になって本気を出してきたと思えるほど、寒さが厳しくなった。

 都心でも、朝は3日連続マイナス気温で日中も10度に届かず。

 よって、私が住む八王子などは、明け方には窓に霜が降り、ベランダに出してある洗濯機の内側には薄氷ができるほどの冷え込みぶりである。

 まあ、都心が雨降りの時に、雪が降っているような街なので、今さら驚くようなことは無いのだが、時々、八王子はホントに東京都を名乗って良いのか? と、思うことがある。

 思い起こせば40年前(こっちの時間では3年前)大学の卒業式の日に大雪が降って、次々に交通網が麻痺していく中、雪まみれになりながらも何とか大学に辿り着いたら、卒業式は中止になっていて、しかも倒木で送電線が切れたため学内は停電中だった。

 濡れた身体を温めることもできずに茫然としたあの時から、“八王子って、山梨県でも良いんじゃない? 富士山も見えるし。” などと、思っている。

 まあ、同意してくれる八王子市民などいないだろうから、ディするのはこのくらいにして話を先に進めることにする。


 1990年11月27日から翌28日に掛けて、東京都下を震撼させた “獣害事件” の後、日本国中は同様の事件が発生することを警戒して、各自治体、警察や消防、一応自衛隊も24時間体制で臨んでいたらしい。

 しかし、あれから約3カ月が経過した現在、日本中見回してもホワイトシーサーペントやギガマウスが現れたなんて事件は起こっていないし、怪獣や化物絡みの噂話も聞かない。

 もっとも、インターネットやSNSが無い時代なので、民間の情報交換ネットワークに厚みが無く、不確かで未確認な事件情報が一般に拡散することは滅多に無いので、ローカルで起こっている事件までは確認しようがない。

 しかし、日々の新聞を見ていれば気付いくことがある。

 私が、かつて歩いた1990年と、今私が見ている1990年とは明らかに異なっている。

 今、中東で起きている戦争は私の記憶にある通りに推移していたし、それ以外の大まかな世界情勢もほぼ違和感無く進行していた。

 しかし、明らかに記憶に無い、かつては起こらなかった出来事も多くある。


 (まただよ、こんな戦争知らないぞ? )


 今、私は、都営新宿線九段下駅の神保町側の出口から地上に出て直ぐにある喫茶店で、遅めの昼食を取りながら、今朝、八王子の自宅を出る時から読まずに持ち歩いていた朝刊を漸く広げていた。

 最後に食べようと残しておいたミックスサンドイッチの一切れ、ハム&トマトサンドを齧りながら眺めているのは国際面。


 (小規模な戦争が世界中の彼方此方で起きてるけど、私の知っている1991年じゃ、こんなの無かったはずなのに。)


 中東で起きている戦争が大きなニュースになり世界中の人々の耳目を集めている裏側で、要人の暗殺や国境警備中の軍隊同志の衝突など、突発的な原因により始まる紛争が多発していた。

 大規模な国際戦争に発展する恐れは無さそうな、短期間で終結する紛争ばかりだが、


 (大抵の紛争に、米・中・ソを中心とした大国が巻き込まれているんだよな。どれも進んで介入したんじゃなくて、不本意に巻き込まれたって感じでさ。)


 ただでさえ、世界の大国や主要国は、多額の軍事費を投じて中東に大規模な軍隊の派遣を行っている真っ最中である。

 別口で、小規模とはいえ、不意に止むを得ずの紛争介入が多発すれば、それによって国力は確実に疲弊する。


 (そういうのが原因になって、未来では大国の影響力が低下するってことか? )


 そして、未来人の言っていた某国とやらが、それに乗じられる歴史を徐々に積み上げているのかも知れない。


 (と、言っても、俺にはどうしようも無いから、考えるだけ無駄だよね。)


 2027年からの時間遡行者であっても、社会には何の影響力も持っていない。

 昨年の11月27、28日では、たぶん未来人の依頼を達成できたのだろうと勝手に思い込むようにしているのだが、ああいうドンピシャなタイミングで事件に遭遇でもしなければ、所詮は民間人で一般市民の私には、世界を動かすような仕事なんてできるはずが無い。


 (ま、世界の彼是に関しては、傍観者の立場で居させていただくとしましょうかね。)


 世界を救うのは未来人たちに任せて、こっちは自分の人生の修正とやらに専念することにした。

 世界よりも、身近にある問題を何とかする方が先決である。


 (2027年の人間が、1990年の世界に来たら楽勝だと思ってたんだけどさ。)


 そうはいかないということは、この3か月間で思い知らされた。

 パソコンにスマホ、インターネットが無い世界では、2027年で有効だった知識の殆どが無意味であり、自分が1990年代の人々よりも、社会人として遥かに脆弱であることが思い知らされた。


 (調べもの一つするにも手間掛かり過ぎるし、スケジュール管理するのもアドレス記録するのも手書きだし、通信手段は固定電話とポケベルとファックスなんて、こんなんで世の中が回っていたなんて驚きだよ。)


 そんな中で、せめてアルバイトのグラフィックデザインでは、周りに迷惑を掛けないようにと必死でアナログの勘を取り戻すように努力した。

 最初は、作業工程や入稿の段取りも忘れてしまっていて散々だったが、会社の上司や社員たちには、 “獣害事件の後遺症(PTSD的な感じ)だな” と、勘違いされて労わられていたので辛うじてセーフだった。

 最近になって、漸く仕事の勘が80%くらい戻ってきて、順調とはいかないまでも、周囲から心配されることは殆ど無くなってホッとしていた。

 そんなある日、っていうか先週の金曜日のこと。

 アルバイト先の広告代理店の制作部の私のデスク上に、大きな段ボール箱が幾つか重ねておかれていた。


 「こっ! このマークは! 」


 段ボール箱の一つに、“齧り掛けの果物マーク” を見付けた時の私の心は、正しく狂喜乱舞の状態だった。

 この日は、私の人生に於ける文明開化、デジタルデザイン幕開けの日となった。

 この3カ月、夢にまで見て待ち望んでいたパソコンによる “デスクトップパブリッシング” が始まった日である。


 「おおっ! これは名機! ツー・シー・アイ! 」


 私が2027年で使っていた愛機たちに比べたら、かなりショボい性能のハードウェアだが、この時期の周辺機器やアプリの性能も同じくショボいので、大して気にならないはずである。

 1991年のインターネットは貧弱で実用レベルに無いが、モデムによる通信は可能なので、出力センター(この当時は電算出力とか言っていたが)や、印刷会社へのデータ送受信も可能になる。

 それに何よりも、“デザインのためのアプリケーション” のおかげで、アナログ作業にオサラバできることが最大の喜びだった。


 (会いたかったよ! イラレ君! フォトショ君! さようなら! お世話になったね! ピンセット君にペーパーセメント君! )


 一人で燥いでいる私を見て、制作部の社員たちは、


 『この忙しい時期にパソコンなんて面倒なモノ押し付けられて、何を喜んでんだ? 』


 と、不思議そうな顔をしていたが、そんなことは一切気にならなかった。


 「こういうのは、若いモノの方が得意だろうからさ、まずはアラ君が覚えて、皆に教えてやってよ。」


 そんな指示が上司からあったと思うが、それを言われる前に私は全ての箱を開封して、総務部からタコ足用のコンセントタップを借りてくるや否や、勝手にセットアップを始めてしまっていた。

 そして、聴き慣れた起動音が鳴り、大量の3.5インチフロッピーディスクによるアプリケーションやフォントや周辺機器のドライバのインストールを終えた頃には、終電も無くなって会社泊まり込みが決定していた。


 「でも良いんだ! これで文明的で効率の良い仕事ができるし! 」


 2027年の制作環境に比べたら、燃料電池車とクラシックカーほどの差があるに違いないが、アナログ時代に比べたら格段の進歩である。

 ズングリした17インチのCRTや、周辺機器を繋ぐ太っといSCSIケーブルも、全てが有難くて、ついでに懐かしくて、色々弄っていたら二晩連続の会社泊になってしまった。

 流石に疲れてしまったので、


 「すみません。月曜日はお休みさせて下さい。」


 と、言ったら、


 「ゆっくり休みなさい。」


 と、即OKされてしまった。

 実はパソコンと戯れていただけなのだが、上司や他の社員には会社の新たな設備導入と、その勉強を、アルバイトにも関わらず土日返上で熱心に取り組んでいたように見えていたらしい。

 私は会社の正面玄関を出る際、初めて2027年の知識が勝利した事実を噛みしめながら、小さくガッツポーズを決めていた。


 そんな感じで、週が明けて2月26日、火曜日の今に至る。

 毎週火曜日と木曜日は午後から大学へ行くことにしていたので、アルバイトは午前中で終了。

 但し、今日は大学へ行くのではなく、ずっと気になってはいたが、先延ばしにしていた件を片付けておこうと思い、九段下までやって来た。

 気になっていたこととは、私の意識が2027年から1990年に遡行する直前に未来人に言われたこと、


 『37年前で困ったことがあったら、“九段下マンションの204号 ”を訪ねてくれ。』


 について、確認するためだった。

 そこに行けば何があるのかは全く見当もつかないが、未来人がわざわざ言って寄こすからには、私が1990年代で生きるための助けになる何かが待っているはずだった。

 少なくとも私の害になるモノが待っているようなことは無いだろう。

 ただ、予告も無しに、化物たちの群れの中へ私を遡行させるような奴なので、100%信頼はできないとも思っている。

 だから、警戒は怠っていない。

 ディバックの中には3段伸縮式の警棒と催涙スプレーが入っているので、またもや身に危険が及ぶようなことがあれば、相手が化物だろうが何だろうが、ひと暴れしてやるつもりでいる。

 腕力には多少の自信があるし、昨日は2日連続の徹夜を解消すべく、まる一日寝て過ごしたので体調は万全、頭もスッキリしている。

 でも、まあ、そんなことにはならないだろうと、私に危険を知らせる例の “先読み” が起こらないこともあり、特に心配してはいなかった。


 (だけど、37年前の九段下マンションに、いったい何があるんだろうか? )


 それを知るには行ってみるしかないだろう。

 “九段下マンションの204号 ”で、何が待っているのか確かめてやろう。

 私はカップに3分の1ほど残っていたコーヒーを一気に飲み干してから、九段下マンションに向かうべく席を立った。

今後は、16~17時ごろが投稿しやすくなりそうなので

勝手ながら以降は、毎週[火・木・土]の夕方投稿予定でまいります。


何卒よろしくお願いいたします。

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