斉藤京子さんの受難 1991年3月23日 土曜日 02:00
めちゃめちゃ走った!
小学校を卒業して以降、一番の全力疾走だった!
深夜で、真っ暗で、寒くて、雨降りで、酔っているのに、しかも裸足!
もう、すっかりヘトヘトで、走るどころか一歩も歩けない。
「うーっ! 酸素足りないわぁ。ここ、何処よ? 」
京子は膝に手をついて、ゼイゼイと荒い息を吐きながら、汗と雨を上着の袖で拭いながら辺りを見回した。
辺りに街灯が少なくて見通しが悪く、辛うじて見えるのは、左右に木々が茂っていることと、正面には、
「えーっ! 競馬場って! 家通り過ぎちゃったわよぉ! 」
変態? から逃げることばかり考えて、宛てもなく夢中で走ってしまっていた。
後戻りしなきゃならないが、息が切れていて、膝が笑いっぱなしなので、直ぐには動けそうにない。
(20歳過ぎてからの、全力疾走って無茶だわ! もう二度としたくない! )
でも、必死に走った甲斐はあったようで、変態? の姿は何処にも無い。
(とにかく、座りたいし。)
目の前に、人の背の高さよりも少し高いぐらいの赤い鳥居がある。
その奥に小さな祠っぽいのがあって、隣には人一人がやっとお参りできるぐらいの大きさの社殿もある。
その社殿の屋根が手前にせり出しているので雨宿りぐらいできそうに見えた。
「神さま、お願い。石段もあるし、少し座らせて下さい。」
一応お断りを入れ、バックから小銭入れを取り出し、賽銭箱に5円玉を入れた。
手を合わせる前に、もう少し入れた方が良いかなと思い、100円玉を1枚追加した。
雨宿り休憩代金として105円支払ったような感じである。
(にしてもさ、府中ってなんで神社ばっかりあんの? )
そんなに多くは無いと思うが、京王線府中駅と府中競馬正門前駅、それとJR府中本町駅を結んだ三角形の中には大小10以上の神社が集まっている。
京子は助けを求めていたにも関わらず、どういうわけだか神社だらけの三角地帯を走り回っていたので誰とも出会えなかったし、神社の敷地には木々が茂っているので人里離れた山奥を逃げ回っているような気になり、心細くなってしまっていたので特にそう感じられるのである
「もう参った、参ったよ、ふぅーっ! 」
一服しようと思ってバッグから煙草を取りだしたら、すっかり濡れてしまっており、水がポタポタ滴っている。
「あれっ? 」
バックの中を覗いてみたら、雨水が沁み込んで中身は何もかもビショビショ。
ブランド品のバックが、もはや再起不能のボロボロである。
もう、ここまで来たら笑うしかない。
「アハハ」と口に出し掛けた、その時!
ガサガサッ!
頭上の木の枝が激しく揺れ、
ザザーッ!
と、大量の水滴が音を立てて降り注いだ。
それらと一緒に
ボシュン!
空気の半分抜けたバスケットボールが地面にぶつかるような鈍い音と共に、白くて大きなモノが落ちてきた。
「は? 」
笑おうとして開けた口を閉じられずに呆然とする京子の前に、手足を大の字に開いて地面に突っ伏した白い不細工な人形がいた。
「・・・! 」
悲鳴を上げたいのだが、声が出てこない。
口をパクパクさせ、喉を動かそうとするのだが、どうやっても出てこない。
驚き過ぎて、声の出し方を忘れてしまったようである。
(声が出ないなら、逃げなさいよっ! )
自分で自分を叱咤するのだが、足腰に全く力が入らなくて立ち上がることもできない。
先ほど走った疲れが未だ残っているのというのもあるが、それとは別に腰が抜けて動けなくなってしまったようだ。
(どうしよう! どうしよう! どうしよう! どうしよう! お願い! 私の足! 動いて! 動いてよーっ! )
声も出ないし、動くこともできない。
落ちてきて直ぐは俯せのままヒクヒクと痙攣していた変態? だが、今は手足をギクシャクと折り曲げながら、立ち上がろうとしている。
(なんなのよコイツ! なんで私を追い掛けてくんのよ! こっちくんなよ! あっち行けよっ! )
自分は、この変態? に、いったい何をされてしまうのだろうか?
攫われるのだろうか?
強姦されるのだろうか?
それとも殺されてしまうのだろうか?
(怖いよ! )
泣けてきた、怖くて涙が止まらない。
声が出ないのに涙は視界が歪むほどに溢れてくる。
そんな絶体絶命状態の京子に向かって、立ち上がった変態? は両手を開いて一歩一歩近づいて来る。
ボゴッ ボゴッ ボゴッ
何も言わず、気味の悪い足音を立てながら近づいて来る。
「いやだ だれか たすけて! 」
京子の口から掠れた小さな声が絞り出された。
だが、そんな声じゃ誰にも聴こえない。
そんな声を聞き、駆け付けてくれるような人は近くにいない。
テレビドラマじゃあるまいし、そんなに世の中は都合良くできていない。
誰も助けに来てくれないし、変態? の白い手は、もう少しで京子の身体に届きそうな所まで近づいてきている。
真っ白で気味の悪い顔も近づいてきた。
そんなもの見たくないのに、まるで金縛りにあってしまったように顔が動かせず、目も離せない。
「いったぁーっ! うおぉーりゃあぁーっ! うっしゃーっ! 」
何処からともなく変な声が聴こえた。
この変態? が、発した声ではない。
別の誰が発した声である。
その声が聴こえたと同時に、背後にある社殿の裏側の林がガサガサと騒がしくなった。
(何? 何なの? 今度は何が起こるのよ? )
目の前の白い変態? に加えて、新たな変態が登場するのだろうか?
もう、そういうのは、お腹一杯なので勘弁して欲しいのだが?
ガサッ! ザザザーッ!
林の中から何かが飛び出して来たらしい。
それが変態なのか?
助けに来た誰かなのか?
そのどちらでもないのか?
顔が動かないので確かめようが無い。
京子は相変わらず目の前の白い変態? と、睨めっこのままである。
その白い変態? は、周囲の物音とか誰かの声とか、全然お構いなしのようで、一切無視して京子に迫ってくる。
「うぉっとぉ! 」
さっきの声とは別の誰かの声が聴こえた。
その声の主が京子の視界に入った。
白い変態の後ろに立って、手に持った棒のようなモノを構えている。
そして、その棒を思い切り素早く水平に振った!
「フン! 」
振り切った棒が立てる風切り音と共に鼻息を吐き出すような音が聴こえた。
それから、もう一つ。
ブォゴッ!
その音が聴こえた次の瞬間、白い変態? の顔が消えていた。
胴体は目の前にある。
手足もそのまま。
首から上だけが消えていた。
「はーっ! ヤレヤレだわ。」
今し方、棒を振り切った男の人が、白い変態の後ろに寛いだ姿勢で立ち、雨に濡れた顔を掌で拭っていた。
「一人で先に行くんじゃねーよ! ミノルよ! 」
そんなことを言いながら、もう一人の男の人が林の中から現れた。
「もっと、早く走れよ! こっちはけっこう間一髪だったぞ! 失敗したらどうすんだよ! 」
棒を担いだ先に現れた男の人が、後から現れた男の人を指差して詰った。
この二人、どうやら知り合いらしい。
(何なの? この人たち? )
良く見れば二人とも、手に棒を握っている。
(棒じゃない? バット? )
野球の金属バットである。
(服装も何となく・・・ )
上半身だけだが、プロ野球球団のユニフォームを着ている。
ちなみに、最初に現れた男の人は “燕” のユニフォーム。
(背が高くて細身で、けっこうイイ男。好みかも? )
そして、後から現れた男の人は “鯨” のユニフォーム。
(こっちはガタイが良くて格闘技系? ちょっと怖い感じかも。私はパス。)
燕男も鯨男も、どちらも年齢は20歳代半ばくらいに見える。
(でも、絶対に、なんか怪しい。)
こんな雨降りの真夜中に、上半身だけユニフォーム着て、野球する奴などいるわけがない。
それならば、この二人組、金属バットなど担いで、いったい何をしているのだろうか?
相変わらず声が出なくて腰が抜けっぱなしの京子だが、せめて現状を把握しなければと思い、目を大きく見開き、二人の会話に耳を欹てながら、必死に頭を回転させていた。
でも、状況は京子を置き去りにしてドンドン先に進んでいく。
「とりあえず、先に確認しとくか。」
と、鯨男が言った。
何を確認するのだろうか? と、思いながら様子を窺っていたら、ツカツカと頭が無くなって、突っ立ったままの姿勢でピタリと動かない白い変態? に近づいて行った。
そして、
「よーいしょっと! 」
いきなり蹴り飛ばした。
白い変態? は、蹴り一発で抵抗感無く2メートルくらい吹っ飛び、雨水の溜まったアスファルトの上でゴロゴロと転がった。
(ひぃっ! なに? 今のなに? )
それを見て、京子は絶句した。
思考停止して、意識が遠ざかりそうになった。
それを必死で踏みとどまり、正気を保つために何が起きたのか順を追って思い出してみた。
まず、帰宅途中に白い着ぐるみを来た変態? に出会って、追い掛けられて、襲われそうになって、そこに二人の男が現れて、バットの一撃で変態? の頭を吹っ飛ばした。
(え? 頭、飛ばした? )
変態も人間のうちなので、この男たちは人間の頭をバットで吹っ飛ばしたということになるのだが?
と、いうことは?
(人殺しっ?! )
番外編「私が過去に遡ってひと騒動終えた師走のある日、もうすぐ亡くなる叔父と再会するお話」
全5話で完結しました。
お時間のある方は、そちらもぜひご覧下さい。




