斉藤京子さんの受難 1991年3月23日 土曜日 01:30
これより第2章の始まりです!
「もう! 人生最悪の1日だったわ! 」
京王線府中駅で終電を降りて、人っ子一人いない深夜のケヤキ通りを競馬場方面に向かって歩きながら、斉藤京子(23歳、独身、商社勤務)はヒステリックに叫んだ。
京子は前日の夕方から、職場の同僚たちと一緒に西麻布の高級会員制ディスコで行われたパーティーに参加し、その後に会場で知り合った数名の男性たちと連れ立って六本木のお店数件を梯子して、つい小一時間ほど前までは楽しく飲み歩いていたはずだった。
それなのに、今は一人ぼっちで終電に乗り、自宅のある府中に帰ってきてしまっている。
「無駄な時間だったわ!」
先月、学生時代から付き合っていた彼氏と別れた京子は、今回のパーティーには新しい出会いと恋の始まりを期待していた。
勝負服と勝負下着を装着し、会社を早退して会場近くにあるスパに立ち寄って身体を磨き、思い切り気合を入れてから出掛けていった。
しかも、友人たちからの事前情報では、
「医者や弁護士と出会えるチャンス! 」
と、いうことだった。
「そんなこと言われて、高望みしてたのが第一の敗因かなぁ? 」
会場に行ってみれば、男性参加者の殆どは中堅どころの企業で働く普通のサラリーマン。
中には医者や弁護士もいたらしいが、そんな優良物件は彼女が出会う前に手の早い女によって早々に搔っ攫われてしまっていた。
そこで頭を切り替えて、せめて見た目が良い男は残っていないかと探しまくって、何とか数名見繕うことができたので、皆で2次会から3次会へと繰り出したのだが、予め目を付けていた男は同僚の一人とくっついてしまい、いつの間にか二人でフェードアウト。
残っていた男に目をやれば、そちらも他の同僚たちと既に良い雰囲気であり、後から割り込む余地は無さそうだった。
「もう、やってらんないわ! 」
と、いうことで本日は全て空振り、凡打さえも打てなかった。
これ以上は無駄と見切りをつけて、男も同僚も置き去りにして、さっさと終電で帰ってきたのである。
準備万端整えて、気合十分で臨んだパーティなのに、収穫は何も無く、一人寂しく家路につく虚しさ。
しかも、天気は雨、気温はひとケタ、それなのに傘が無いときている。
冬のボーナスで買った “ピンキー&ダイアン” は、雨でビショビショ。
綺麗に立っていた前髪のトサカも、今は額にペッタリと貼りついていた。
もちろん、メークもドロドロである。
「3月だってのにぃ、これはねーだろ! ふざけんじゃねーぞ! 馬鹿っ! 」
酔いに任せて夜空に向かって文句を叫んでみても、虚しさが一段と身に染みるだけだった。
ついでに、文句を言うために口を開けば、吐く息が白く見えるので寒さが助長された。
「うーっ! それにしても寒うっ! 」
今週の中ぐらいには気温が20度を超えた日もあったが、もうすぐ4月だというのに桜の開花も未だだったし、明らかに例年よりも今年は寒い。
「とっとと、家帰って風呂入って昨日の残りのおでん温めて、留守録してたドラマ観ながら飲み直そ! 」
今日は休みだし、夜更かしして昼過ぎまで寝てても何の問題も無い。
「お酒、残ってたかな? コンビニで買ってた方が良いかな? ずぶ濡れのままコンビニ入って大丈夫かな? 」
そんなことを考えてるうちに、大國魂神社前の交差点に出た。
そのまま通りを渡り、神社を斜めに突っ切れば自宅への最短コースなのだが、昼間は兎も角、流石に深夜の参道は真っ暗で気味が悪い。
痴漢が出るという噂もあるし、女一人で歩くのは危なそうなので、神社の境内を避けて、脇道を通って住宅街を行くことにした。
「まあ、こんな雨降りに痴漢も出歩かないと思うけどさっ。」
雨降り、夜道、一人歩き。
酔ってはいても、あまり気味が良いものではない。
いっそ家まで走ろうかとも考えたが、履きなれないハイヒールでは足首を捻ってしまいそうな気がする。
この上、怪我までしてしまったら、馬鹿々々しいなんてもんじゃ済まない。
「そんなんなったら、悲し過ぎて死にたくなるわ。」
だから、我慢して歩くことにした。
せめて他に人の歩く姿でも見えれば、夜道の不安ぐらいは解消されるのにと思いながら、左手に住宅、右手に神社の境内を見ながら、細くて薄暗い通りをヒールの音をカツカツと立てながら歩いていた。
その時、ふと前方の視界に見慣れないモノが映った。
(ん? 人がいる? )
通りの神社側には等間隔で街灯が並んでいるが、2本先の街灯の下に人影らしきものが見える。
(あれって、人だよね? )
形は人っぽいのだが、
(でも、なんか違うかな? )
駅のトイレでコンタクトを外していたし、顔を上げたら雨が正面から当たってくるのでハッキリとは見えないのだが、別に怖そうなモノとは思われなかったので、そのまま歩き続けて横を通り過ぎようとした。
(真っ白い? 人形? )
裸のマネキン人形のようである。
それが、街灯の横で雨に濡れながらポツンと立ててある。
(誰かが悪戯して置いてったのかな? )
それにしても、スタイルの悪いマネキン人形だと思った。
寸胴の幼児体形で足が短いし、頭も大きく5頭身ぐらい。
(変なの。)
誰かの悪戯、路上の迷惑だとしても、こんな深夜の雨降りの中で関わるのは面倒だったので、知らんぷりして通り過ぎようとしたのだが、
(え? 動いた? )
京子が近くに寄った途端に、人形の手がスーッと上がった。
胴体と同じように関節の括れも無い寸胴な腕が、ポタポタと雨粒を滴らせながら差し出された。
驚いて、思わず足を止めてしまった京子に向けて、まるで抱き着こうとでもするかのように開き加減で差し出された両腕、その先端でヒクヒクと動く指無し手袋のような手先。
この人形、凹凸も何も無い楕円形の頭、それに胴体と足も、全身がツルンとしたビニールっぽい質感で、どう見ても安物のぬいぐるみのような作りなのだが、それが動き出した。
しかも、その動き方は機械的ではなく人間のような有機的な動きに見える。
もしかしたら、これは着ぐるみか何かで、中に人が入っているのかも知れない。
そんな感じがした。
こんな雨の真夜中に、着ぐるみを来て、道端に突っ立って、通行人に腕を差し出してくるなんて、
(変態! )
それ以外には有り得ないと思った。
「な、何よっ! 」
変態に遭遇した時にどうすれば良いのか、そんなマニュアルが無かったかと、大急ぎで頭の中を検索しながら1歩後退りをした。
すると、変態? も、彼女を追うように、円いゴム長靴を履いたような足を一歩踏み出した。
ボゴッ
雨水の溜まったアスファルトの上で、鈍い足音がした。
「いや! 近付かないでよっ! 」
京子はさらに2、3歩後退りした。
すると、変態? は、いきなり両腕を左右一杯に広げ、勢い付けたジャンプで躍りかかってきた。
「ヒィーッ! 」
京子は悲鳴をあげながら、摑まれる寸前で身をかわしたが、10センチハイヒールのせいで足が縺れ、路上にへたり込んでしまった。
振り返ると、変態? も、着地に失敗したのか思い切り大の字で俯せになり、地面に突っ伏している。
「頭でも打ってくれていたら助かるんだけど。」
モゾモゾしているので、それは無さそうだった。
だが、この変態? 着ぐるみのせいで直ぐには立ち上がれそうにないと見た。
「今のうちに逃げなきゃ。」
それが最善策であると決めた京子は、身動きするに邪魔なハイヒールを脱いで片手にぶら下げると、
「キャーーーーーーーーーーッ! 誰かーっ! 助けてーっ! 嫌ぁ-っ! 変態がいるーっ! 」
大声で叫びながら、裸足で水飛沫を上げながら、後ろを振り返らず、全力で走り出した。
(もーっ! こわいよ! こわいよ! こわいよ! こわいよ! こわいよ! こわいよ! こわいよ! こわいよ! こわいよ! こわいよ! こわいよ! こわいよ! こわいよ! こわいよ! こわいよ! こわいよ! こわいよ! こわいよーっ! )
まったく、なんて1日なんだろう?
最後の最後で、こんな変態に遭遇するなんて!
「もう、人生最悪よ! くそったれーっ! 」
タイトルを変えたので
リニューアルオープン的なつもりで
第1章前半部の所々を修正しました。
後戻りして読むほどの内容ではありませんので
ここまで連続して読んでいただいている方は
引き続き、先にお進み下さい!