1990年11月28日、水曜日 夜明け前
冷たい雨が降り頻る中、私たちは消防隊員に指示されたとおり徒歩で甲州街道を八王子方面へ向かい、その途上でバリケードフェンスと警察車両や消防車両で囲まれた避難救護用テントの群を見つけることができた。
その頃には、二人とも意識が朦朧としており、半分夢の中にいるような気分のまま、足を持ち上げては下ろすという動作を惰性で繰り返しながら、のろのろと前進するのが精一杯の状態にあった。
そんな風にして近づいて来る私たちに気付いた数名の消防隊員が、はじめはバリケードの向こう側から何事かを叫んでいたが、返事をするのが億劫だったので、黙って進み続けていたら、数人の隊員が担架を持って駆けつけてきてくれた。
アキラは消防隊員に促されるまま素直に担架に乗ったが、私は大袈裟な気がして遠慮というか抵抗したのだが、無理矢理押し倒され、そのまま担がれて医療用テントに運び込まれてしまった。
後から聞いた話だが、真っ暗闇の中からずぶ濡れになった私たちがヨタヨタと歩み出てきた姿は、見た目がボロボロで、まるで映画に出てくるゾンビのようで、そういう化物もいたのかと消防隊員たちを一時緊張させてしまったらしい。
私たちが運び込まれた救護テントは、灯りが煌々と点され中規模の個人病院並みに医療設備も整っていたが、意外なことに他の避難者の姿は何処にも見えず、入る前は自然災害時の避難所のような慌ただしさと喧騒を覚悟していたので拍子抜けだった。
何でも、避難者の多くは付近の小学校や高校の体育館に収容されており、その中に負傷者は殆ど無く、死者の直接確認もされていないらしい。
せいぜい避難中に転んで軽傷を負ったお年寄りと、喘息の発作を起こした子どもがいたぐらいだったという。
ギガマウスがウロウロしている中を通って、死傷者を出さずに避難することなどできるはずがないので、ここに集まっている避難民はギガマウスの活動圏外に住んでいた人々なのだろう。
ということは、私たち以外にギガマウスの活動圏内から脱出できた者で、ここの避難所までは辿り着いた者は殆いないということになる。
(ホントに運が良かったとしか言いようがないな。)
いずれ、警察なり消防なりが日野駅周辺の現場まで踏み込むことができたならば、この程度のテントやスタッフ数では到底賄い切れないほどの数の死傷者に遭遇することになるだろうが、幸いにも今は私たちの貸し切り状態だった。
疲労困憊しているが特に外傷の無いアキラは着替えと毛布と水分を与えられ、女性の看護師に仮眠を取るように勧められて別なテントに連れていかれた。
私も疲労困憊状態だが、まずは左腕の治療が先ということで、付近の病院から出向してきたという医師の治療を受け、3針縫ってから抗生物質を注射された。
その後で、アキラとは違って私は大人扱いなので直ぐには解放されず、日野駅方面の現状とここに辿り着くまでの足取りについての説明と情報提供を求められた。
二人の警察官を相手に、私は多摩川橋梁から始まった一通りの事柄を順を追って全て説明した。
イガラシ氏の死についても、そのまま伝えた。
事実と異なるのは一つだけ。
BARのガス爆発については意図的なものではなくギガマウスの襲撃によって起こった不測の事故ということにしておいた。
緊急避難とはいえ後々面倒なことになる可能性は伏せておいた方が良いとは、ここに来るまでにアキラとも話し合っていた。
事情聴取に付き合わされた時間は30分ほど。
解放されてから直ぐに別テントで仮眠中だというアキラの様子を見に行ったのだが、そこには既に彼女の両親が駆けつけており、うっかり開けてしまったテントの中では娘の無事を喜ぶ父母とアキラが3人しっかりと抱き合った、正しく親子水入らずの最中だった。
慌てて幕を閉じて、その場から離れようとしたのだが、アキラに呼び止められて、おずおずとテントの中へ入り、そこで外資系の商社に勤めているという父親と専業主婦の母親を紹介された。
堅苦しそうな四角い銀縁眼鏡に髪型七三分けの父親と、育ちが良さげで少し神経質そうな雰囲気を漂わせた母親の視線を同時に浴びて思わず引き気味になってしまったが、考えてみればアキラの両親は共に30歳代半ばなのだから本来の私から見れば若造であり、それを相手に身構えてしまった自分が可笑しかった。
(そろそろ、私も25歳に慣れてきたんじゃないかな? )
もっとも、身構える必要など全く無かったわけで、この後、私は両親から娘の恩人として代わる代わるに握手を求められ、只管感謝の言葉を捧げられることになった。
でも、そういうのは、ホント苦手である。
一方的に助けたわけじゃないし、助けられたこともあるし、それなのに感謝されるなど、身体中がムズムズしてきて居心地が悪いことと言ったらない。
だから、適当に挨拶をしてからアキラと両親を残して、そそくさとテントを出た。
いつの間にか、雨は然程気にならない程度の小降りに変わっていた。
(タバコ、吸えるとこ無いかな? )
喫煙所は無いかと見回したら、警察官や消防隊員、医療関係者までもが集まって、スチール製のバケツを囲んで灰皿にし、一服している風景を目にした。
1990年代には未だ普通に見掛ける風景だったが、その仲間に加わることに何となく抵抗を感じた。
(未だ喫煙者が恥ずかしくない時代なんだよな。)
そのうち、医療関係者はもちろん、公務員だってタバコが吸えない時代がやってくる。
公共交通機関に公共施設、飲食店も喫煙者に厳しい時代になるのは分かっている。
どうせ吸えなくなるのだから、若いうちに止めるのが正解かもしれない。
せっかく25歳からのリ・スタートができるのだから、そのぐらいの挑戦をしてみても良いだろう。
(これも、人生の修正ってやつだ。)
思い立ったら、即行動が良い。
ポケットから取り出した煙草の箱を、残っていた数本ごとクシャクシャに握りつぶし、近くのテントの前に吊るされていた真っ黒いゴミ袋の中に放り込んだ。
何か、とても勇気ある行為を行ったような気がして、とても気分が良かった。
「アラヤシキさん。」
いつの間にかアキラが傍にいた。
両親の姿は無く、一人で私を追い掛けてきたようだった。
未だ疲れが残っているようで、仮眠を取っていたテントからここまで、大した距離じゃないのに息を切らしている。
「少し深呼吸しなよ。」
そう言ってアキラを促しながら、私も一緒にラジオ体操の第2っぽい深呼吸を数回繰り返した。
「どう? 落ち着いた? 」
「はい! で、それで、その・・・ 」
元気良く返事をしたアキラだが、何か話を続けたそうにしながらモジモジし始めた。
「ん? なんだ? どうした? 」
私が首を傾げていると、アキラは一大決心でもしたような真剣な顔をして、
「あの、アラヤシキさんのポケベル教えて欲しいなって・・・持ってましたよね? 」
言い終わって数秒の間が空いたと思う。
見る見るうちにアキラの顔が赤みを増していくのが分かった。
彼女にとっては一大決心、私から見れば可愛らしい、これも一種の告白という奴なのかもしれない。
「良いよ。」
私は微笑みながら軽く返事をして、ポケットから懐かしアイテムのポケットベルを取り出した。
そして、すっかり忘れている操作方法を思い出すのに多少手間が掛かったが、何とか自分の番号を表示することができたので、それをアキラに見せた。
「書くものある? 」
「あります。」
準備してきたらしい。
小6女子には似合わない高級そうな万年筆と手帳。
たぶん、父親のモノだろう。
アキラは素早く私の番号を書き取ってから、違うページに自分の番号を書き、それを切り取って私に寄こした。
「連絡します。必ず連絡しますから返事くださいね。」
「ああ、もちろん。」
嬉しそうにアキラが笑った。
出会ってから初めて見た、全ての重しが取り除かれた、心の底からの純粋な笑顔だった。
私は受け取ったポケベル番号を書いた紙を折りたたんで、renoma の皮財布(これも懐かしアイテムなのだろうか? )の中に入れた。
「そういえば、俺からも、アキラにお願いがあるんだけどさ。」
そう言ったら、今度はアキラが首を傾げた。
「俺の名前、アラヤシキって言い辛いだろ。ミノルで良いよ。その方が簡単だろ。」
それを聞いた瞬間の、俯き加減で照れていたアキラの表情が小6女子とは思えないほどに可憐で、綺麗で、大人びて見えた記憶が残っている。
米神にチリッとした痛みがあったので、それが“先読み”の能力によるものだということは直ぐに分かった。
いずれ少女は成長し、美しい大人の女性になるだろう。
その過程にある幾つかのイメージが、今のアキラに重なり合って見えたのだと思う。
この能力、メンタルにダメージを与える映像ばかりではなく、たまには嬉しいイメージも見せてくれるらしい。
それにしても、失われたもう一つの時間の中で、私にとってのアキラが、どのような関係性にある女性だったのか、どんなに考えても知りようの無いことだが、その瞬間に垣間見た成長した彼女のイメージに、私は胸を絞めつけるほどの愛おしさを感じていたことは間違いない。
その記憶、いつまでも忘れられずに残っている。
そろそろ「始まりのお話」も終わりますので、これまでお読みいただいた方の
評価、感想などいただけると嬉しいです。