1990年11月28日、水曜日 02:30~
(またなのかよ? )
痛みと同時にイメージが過っていた。
1990年に飛ばされてからこっち、度々不意打ちのような頭痛を伴って単発の短い映像が見える。
“先読み”とは、便利な能力が身についたような気もするが、これまでに見えたイメージの全てが警告である。
現れるイメージが、何秒先、何分先の未来なのかは毎度バラバラだが、事前に危機回避できるので随分と役に立ってきた。
但し、過るイメージは、どれもこれも見て気分の良いモノではなかったので、メンタルにかなりの負荷が掛かる。
それに、この能力が時間遡行の後遺症であることは、たぶん間違いないので、米神に痛みを伴うという点が身体的な異常に繋がっているような気がして不安になり、便利だがあまり歓迎する気にはなれなかった。
もちろん今し方過ったイメージも、一言で言って不快そのものであり、吐き気をもよおすほどに嫌なモノを見せられた。
「大丈夫ですか? 疲れてるのに雨に濡れたから、具合が悪くなっちゃったのかな? 」
口に手を当てて俯いた私の額に手を当てて熱を測ろうとするアキラに、
「大丈夫、もう痛くもなんともないから。一瞬だけだったみたい。」
と、心配の必要は無いことを告げた。
「でも、なんか辛そう。顔色悪いよ? 」
それは痛みによるものではなく、見てしまったイメージに因るモノだと思うのだが、
(あれに、私らが関わっているとしたらマズいな。)
見えたのは、今回も警告。
おそらく30分以内には起こるであろう出来事のイメージ。
(たぶん、今回も回避可能だとは思うんだが・・・ )
その時、遠くの方で鳴っていた複数のサイレンの中の一つが、徐々に私たちの現在地に向かって近づいて来るのが分かった。
「あ、消防車! 」
サイレンの主は小型のポンプ車だった。
運転していた隊員が、雨宿りしていた私たちに気付いたらしい。
ポンプ車が目の前の車道で停車し、一時的にサイレンが止んだ。
「あなたたち、逃げ遅れたんですか? 」
助手席に乗っていた若い隊員が窓を開けて声を掛けてきた。
「もしかして、日野駅方面から逃げて来たんですか? 大丈夫ですか? 」
私は痛くない方の右手でアキラの左手を繋ぎ、一緒にポンプ車の傍まで行った。
「八王子方面に向かってたんですけど、パンクしちゃって。」
ガードレールに立て掛けたままになっている2台の自転車を指して答えた。
「それじゃ乗っていきますか? これは6人乗りですから後部シートに2人乗れますよ。」
ポンプ車に乗る消防隊員は4名。
運転手1名、助手席1名、そして後部シートに座っていた2名の隊員が、私たちのために席を空けようと尻を上げていた。
自転車がパンク、身体は疲労困憊、ついでに雨降りというトリプルハードな現状では、たいへん有難い申し出なのだが、
「あの、この車は何処に向かおうとしてるんですか? 」
「私たちは調査のために日野駅前方面へ向かいます。火災も発生しているようなので、街の現在の状況を確認しなければなりません。途中で要救助者を発見した場合は、救急車両の手配誘導をするつもりですが、お2人ぐらいならば同乗して構いませんよ。」
火災と聞いて一瞬ドキリとした。
「自分たちが原因です」
などとは、目の前に証拠を並べられて尋問でもされない限り言うつもりは無かったし、どうせこの状況では大抵のことは化物のせいということで収まるだろう。
「現在、JR中央線の多摩川橋梁南岸を中心として半径2キロに避難勧告が出ています。我々消防や警察も一旦引いて体勢を立て直していますが、現地の様子が分かり次第、再度進出する予定でいます。そのためにヘリも飛んでますけど、我々も地上から偵察に向かうところですね。」
こう話してくれたのは、助手席から最初に声を掛けてきた明るく気さくな雰囲気の若い消防隊員である。
既に消防や警察にもかなりの被害者が出ているはずなのに、全く怖れる様子も無く現地を偵察しに向かうと言う。
(そりゃ無茶だわ! 取り囲まれたらおしまいだぞ! )
組織である以上、命令ならば止む無しというところだと思うが、そんな雰囲気は微塵も感じさせないところがプロフェッショナル魂というモノなのだろうか?
思わず「頑張れ」と激励し、送り出したくなるほどの好感度だったが、
「日野駅の辺りは酷いもんですよ。地上からなんて絶対に行かない方が良い。甲州街道も脇道も化物が沢山徘徊してますし、脇道の幾つかは事故車両で塞がってますから。いざという時に大きな車だと小回りが利かないし、逃げ道の確保も難しいですよ。私たちは自転車だから、何とか逃げてこれたんです。」
それよりも何よりも、武器を持たない消防や警察では太刀打ちできないような化物が相手なのだと、ハッキリ言うべきなのかもしれない。
だが、それは実際に化物に遭遇した者でなければ到底理解できないだろう。
この隊員たちは、ホワイトシーサーペントやギガマウスをテレビの映像で見ただけだと言うから、おそらく何を聞いても半信半疑にしかならない。
(それでも、行かせちゃダメなんだよ! )
私は何とか言葉を尽くし、消防隊員たちに任務を一旦中断させた後に引き返えさせようと頑張った。
化物たちの恐ろしさを説明し、電車が襲われた時の様子、警察や消防のバリケードが突破された時の様子などを事細かに伝えた。
多少事実よりも大げさに盛ったり、感情を込めた泣き落としに近い話し方までして、消防隊員たちに怖れを引き起こそうともした。
そして、引き返すならポンプ車に同乗しても良いが、日野駅方面へ向かうなら私たちは絶対に乗らないと強く突っぱねても見せた。
だが、
「貴重な情報ありがとうございます。それでも、我々は行けるところまで行ってみます。決してお二人を危険な目には合わせたりしませんから、同乗して行きませんか? 」
私は溜息を吐きながら、無言で首を左右に振った。
プロ意識の塊である彼らに、非力な一市民である私の警告は伝わらなかった。
「それでは、この道を真っ直ぐ南に下ると甲州街道に出ますから、そのまま八王子駅方面を目指して下さい。その途中に仮設の避難所が開設されてます。医師も待機していますからね。お怪我されているようですので、診てもらって下さい。」
若い消防隊員は私たちを置き去りにすることが、よほど心残りなのだろう。
「それでは、我々は失礼します。」
ポンプ車が発車した後も助手席の窓から半分顔を出して、こちらを何度も振り返って見ていたような気がする。
(さっきの “先読み” は、彼らのイメージだったか・・・ )
私が消防隊員たちを必死に引き留めようとしている間、アキラは一言も発すること無く、黙って私と手を繋いだまま静かにしていたが、ポンプ車の姿が見えなくなった頃、
「あの人たち、死んじゃうんですか? 」
そう、問い掛けてきた。
アキラは、私が“先読み”できることなど知らない。
おそらく、消防隊員たちを必死に引き留めようとしていた様子を見ていて、何となく私の気持ちだけ察したのだろう。
「うん。残念だけど、止められなかった。」
そう答えると、
「そっか。」
と、小さく呟きながら、私の右手を強く握りしめた。
(この先で彼らがどうなるか、分かってるのに止められなかった! )
口惜しさといたたまれない気持ちで一杯になっていた私は、ポンプ車を見送ったこの場所から一刻でも早く離れたいと思っていた。
「歩かないか? このままじっとしていてもしょうがないから。」
雨が止む気配は無いので、このまま雨宿りを続けていてもキリがない。
疲れたからと言って、ここで歩みを止めたままでいるよりもは、少しでも早く避難所に入ることを考えた方が良いだろう。
「うん。そうだね。」
一休みして喉も潤したので、多少は元気回復できたらしいアキラも同意してくれた。
「んじゃ、避難所目指して夜の散歩でもしますか。」
“軽快に出発”とはいかないが、もうそろそろこの命懸けの冒険にも終わりが見えてきたことで、歩くことに苦痛は感じられなかった。
歩き出して直ぐ、私は一度だけ後ろを振り返った。
無駄と分かっていながら、もう見えなくなったポンプ車に乗った4人の親切な消防隊員たちの無事を祈った。
つい先ほど私が “先読み” で見たイメージは、逃げ道を失ってギガマウスに囲まれたポンプ車と消防隊員たちの姿だった。
そのイメージの中には、私とアキラの姿もあった。
ポンプ車に同乗し、その結果、消防隊員たちと一緒にギガマウスたちに襲われていた。
もし、あの “先読み” のイメージを見ていなかったなら、私たちは消防隊員たちの親切と、限界まで積み重なっている疲労感により、これ幸いと喜んでポンプ車に同乗していたかもしれない。
いや、かもしれないではない。
間違いなく同乗していたに違いない。




