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癌で余命宣告された私が時を遡って、美少女を助けたり、仲間と一緒に怪獣と戦ったりするお話 ~ RETROACTIVE 1990  作者: TA-MA41式
1990年に時間遡行した私が、初めに巻き込まれた事件と出会いのお話
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2027年11月25日、木曜日、14:00~

 「残り半年、ですか?」


 午後から半日の年次有給休暇を取り、先日受けた精密検査の結果を聞きに訪れた病院で余命宣告をいただいた。

 時刻は14時を少し過ぎたところ。

 治癒の見込みが無い末期の癌で、身体中のあちらこちらに転移しており、もはや手の施しようも無いほどの状態だそうである。


 (ここ暫く体調がすぐれなかったし、疲れやすかったし、食欲も無かったし、そう言えば、ダイエットしているわけでもないのに体重が急に減りだしていたっけ。)


 思い当たる節だらけだった。

 だから、というわけでもないのだが、30代半ばくらいの人の好さそうな顔をした若い医師が検査データを前にして、こちらに辛そうな顔を向けてきた時、


 (あ~やっぱり、そういうことなのね)


 と、即座に察せられ、ほんの数秒間ぐらい愕然としたような覚えもあるが、死の宣告を受けたにしては、意外なほどに冷静な自分がいた。

 これまでの人生において、絵に描いたような不摂生を続けてきた自分に、病気の原因も責任もあることは十分に承知していたので、診断を疑うようなことはしなかったし、我を失って医者を困らせるようなことも無く、泣いたり嘆いたりもしなかった。


 「了解しました。で、今後はどういうスケジュールになりますでしょうか? 入院するのですよね? いつ頃からでしょうか? 仕事の引継ぎや住居など諸々の後始末もあるので、できれば早めに教えていただきたいのですが? 」


 こんな時、どんな反応を返すのが正解なのか分からなかったし、この場を重苦しい雰囲気にして、気を使わせるのも嫌だった。

 それで、とりあえず半年間の過ごし方でも質問して、さっさと話を先へ進めてもらおうと思ったのだが、この話し方が淡白過ぎたようである。

 余命半年と宣告されたにも関わらず、顔色一つ変えず、妙に落ち着き払った私の態度を見た医師と看護師が、却って言葉を失ってしまっていた。


 (えーと、もっと感情の籠った反応を返すべきだったのかな? )


 そんな風にチラッと思ったが、やはり面倒だし、時間がもったいないし、それに多分嘘っぽい芝居掛かった台詞が出てきてしまいそうなので止めた。

 間もなくして自分のペースを取り戻した医師から今後の治療についての話を聞き、看護師からは入院の段取りについての説明を丁寧に聞かされて、


 「それでは、今後ともよろしくお願いいたします。失礼いたします。」


 と、まるで仕事の打ち合わせを終えて退出する時のような、間の抜けた挨拶をしてから、診察代を支払って病院を後にした。


 病院の正面玄関を出て、目の前にある薬局に入り、暫く待たされてから処方された薬を受け取り、最寄りの小田急線登戸駅まで10分ほど歩いて電車に乗った。

 下り各駅停車で2駅先の生田駅で電車を降りて、そこから自宅までの道筋の途中にあるコンビニに立ち寄り、夕食用にと唐揚げ弁当を一個、夕刊一紙、気になる見出しがあったので本日発売の週刊誌を一冊、それと好物の歌舞伎揚げを一袋買い、これをボリボリと行儀の悪い音を立てて齧りながら、決して人目も交通量も少なくない津久井街道沿いを歩き食いしながら帰った。

 自宅マンションの鍵を開けて、リビングの灯りを点けたのは18時を少し回った頃だっただろうか。


 「ただいまぁ~!」


 誰かが返事をしてくれるわけじゃない。

 長年続いた誰に気兼ねする必要もない気楽な一人暮らしである。

 荷物を丸ごと食卓の上に放り出し、適当にだらだらとした時間を挟んでからシャワーを浴び、19時のニュース番組を観ようとテレビを点けた。


 [インド洋上を航行中に、一昨日より消息を絶っていた中国船籍のフェリー “オーシャンプリンセス号” 17,000トンが、スリランカ沖の南方海上にて漂流中のところを発見されました。今後、船体はスリランカ海上警察によって最も近い港まで曳航される予定ですが、同警察による立ち入り調査の報告によりますと、船内には多数の血痕と人体の一部が散乱しており、何者かと争った跡も確認されたとのことです。邦人19名を含む乗員乗客合わせて約2,000名の安否については今のところ確認は取れておりませんが・・・ ]


 本日最初のニュースを険しい表情で読み上げる男性アナウンサーの声を聴きながら、唐揚げ弁当の蓋を開けた。


 (そいえば、去年も似たような海難事故があったっけ? )


 そっちは南大西洋で起きた事件で、被害にあったのはブラジル海軍のフリゲート艦だったはず。

 事件の初期報道によると、艦内には乗員のモノと思われる人体の一部が多数散乱しており、生存者は確認されなかったという。その辺が今回のオーシャンプリンセス号の事件と似ている。

 その後は、被害にあったのが軍艦ということもあって、乗員の死因や詳しい調査状況などの発表を一切しないままブラジル政府が口を噤んでしまったので、今も被害者遺族による情報公開の訴えが続いているらしい。


 (インド洋と南大西洋じゃ、現場が離れ過ぎてるから、この二つを関連付けるのはちょっと苦しいだろうな。)


 テレビの向こう側では、スタジオに呼ばれたコメンテーターも同じことを指摘し、同じ意見を述べている。

 専門家の同意を得たことにウンウンと独り勝手に納得しながら、大きめの唐揚げを箸で半分に割って、飯と一緒に頬張った。

 コンビニで温めてもらってから1時間以上も経っているので、衣も肉もフニャフニャになった唐揚げだが、ベテランコンビニユーザーである私の舌にはカラっとパリっとした唐揚げよりも良く馴染んでいた。

 1食450円也のリーズナブルなグルメをゆったりと味わいながら眺めるテレビでは、コメンテーターが、今度は過去の海難事故との比較検証を始めている。


 (でも、やっぱり専門家って、常識的な意見しか言わないんだよねぇ。)


 世間では、些か不謹慎な話題として扱われているが、大西洋とインド洋の件以外にも度々起きている海難事故と、近頃、世界中の海でUMA(未確認生物)の目撃が相次いでいることを関連付けて、実しやかに語るネットロアがある。

 私も詳しく読み込んではいないが、大まかに言うと船舶を襲う巨大UMAや人間を襲って食うUMAがいて、近年の海難事故は全てこれらに因るモノだそうである。

 まず巨大UMAは、素人撮影による手ブレしまくりで不明瞭な画像や動画がSNSに沢山投稿されており、わりと有名だった。

 目撃者の証言によって全長5メートルから500メートルと大きさはバラバラだが、共通しているのは全身が真っ白だということ、そして手足も鰭も無く海上を蛇のように畝って進む姿が多く目撃されているということである。

 こうした特徴により、ネットメディアでは巨大UMAは “ホワイトシーサーペント” と呼ばれている。

 人を襲って食う方のUMAは目撃例はそれなりなのだが、画像や動画は殆ど存在せず、数少ない目撃者が描いた数点の稚拙な想像図をSNSで見掛けることがあるぐらい。

 それによると、こちらも全身が真っ白、目や鼻のようなものは見当たらず口が異様に大きい全長2メートルから3メートルの蛇ということになっている。

 つけられた通称は “ギガマウス” 。

 日本では “口だけ蛇” と呼ばれることが多い。

 この2種類のUMAは、ほぼ同じタイミングと同じ場所で目撃されることが多く、それも幾つかの海難事故が起こった現場でのみ目撃されているという点が、世間の野次馬たちの好奇心を掻き立てていた。

 だが、こんな話が正統派ニュース番組で取り上げられるわけがない。


 (そんな話を絡めようものなら、被害者の遺族に猛烈なバッシングを受けるから。)


 ところで、かく言う私も野次馬の一人なわけだが、元々が怪獣大好きな昭和特撮&アニメオタクなので、この手の話にはついつい心誘われてしまう。

 だが、実際にはUMAなどという非現実的な存在が絡んでいるなどとは、これっぽっちも信じておらず、いずれ事件は極々現実的な原因に辿り着いて、誰もが納得できるオチを迎えるだろうと思っている。

 妄想と現実の区別がつく、正しい大人という奴である。


 (でも、ついついノリで買っちゃうんだわ。)


 見出しに惹かれてコンビニで買ったばかりの週刊誌が食卓に置かれている。


 [街にも出没する謎の白いUMA! ]


 弁当の残りをかき込んでから一息つき、見出しに該当するページを開いた。

 テレビのニュースは、とっくにオーシャンプリンセス号の話を終え、政治や経済、スポーツと過ぎ、今は天気予報の時間である。


 (さて、どれどれ~ )


 弁当を食べ終えたばかりだというのに、今度は歌舞伎揚げの残りに手を出しながら記事に目をやる。


 [街で、職場で、学校で、顔の無い真っ白な人型をした怪物の目撃情報が相次ぐ! 妖怪“白坊主”が、あなたの隣にいるかもしれない! ]

 

 どうやら口裂け女やトイレの花子さんみたいなモノらしい。

 

 (これってUMA? ちょっと違うんじゃないか。)


 記事の内容は都市伝説で有りがちな妖怪話みたいな感じだった。

 もっと怪獣っぽい派手なモノを期待していたので、せっかく買ったのに、あまりオタク心を誘われはしなかった。

 がっかりしながらページを捲り、買った以上は最後まで読むべきとして、グラビア、芸能、政治、経済と斜め読みしながら進み、後半の特集記事まで辿り着いた。


 (やっぱ、これは凄い人なんだよねぇ。)


 先月、発表があった日本人初の女性ノーベル賞受賞者、越永亜紀良こしながあきら氏の特集である。

 カリフォルニア工科大学の教授で素粒子物理学の世界的権威らしいが、一般人には理解困難な研究成果よりも、初の女性であり、49歳という年齢のわりには若く見えること、加えて宝塚で男役ができそうなタイプの美形、しかも独身であることなどがマスコミ受けしており、科学者としての本筋以外の部分が持て囃される、少し可哀そうなオバサンである。


 (でも、理系は私もよく分からん。)


 よって、記事本文の殆どはスルーした。


 「さ~て、仕事でもするかぁ~よっこらせっと! 」


 一応最終ページまで読み終えた週刊誌を食卓に放り出し、年寄り臭い掛け声と共に立ち上がる。

 弁当の空き容器を水で濯いでからプラゴミ用の袋に放り込み、歌舞伎揚げの残りと食事を始める前にスイッチを入れておいたコーヒーメーカーから淹れ立ての一杯を注ぎ、それらを抱えて仕事部屋に移った。

 そして、ノートパソコンを起動して持ち帰った仕事を片付ける本日の最終段階に取り掛かる。

 休憩含めて3時間ほど経過した後、仕事を終えた私が寝間着に着替えてベッドに入ったのは、もうすぐ日が変わる11時45分。


 (そういえば・・・死ぬ前にやっとかなきゃならないこと沢山あるよなぁ。明日にでもリストとスケジュール表ぐらい作りますか。)


 決して余命宣告されたことを忘れていたわけではないが、他のことに気を取られて考えるのが後回しになっていた。


 (10じゃ足りないな、大きめのことだけで20個以上はありそうだ。)


 “死ぬまでにしたい” じゃなくて、“死ぬまでにしなきゃなんない” ことである。

 仕事関係はもちろん、住居や預貯金などの財産関係、かなり手間暇が掛かりそうな事柄だらけである。


 (あ~そうだ、車も売らなきゃ。)


 この後の半年間は、かなり忙しくなりそうな予感がする。


 (けっこう面倒臭いもんだな。)


 死ぬのも楽じゃないと、ベッドの中でウンザリとしているうちに、間もなく睡魔が訪れてきて、この日1日が終わった。

 私にとって、運命の日であるべき1日であったはずなのに、不思議なほどに穏やかで、いつもと変わらない普通な、普通過ぎる終わり方を迎えた。


 これが、他人の目から見れば、普通過ぎるどころか、「異常でしょ! 」とか言われるのだろう。

 「なぜ平気でいられるの? 」とか、「不安で、怖くて眠れないとかしないの? 」なんてなことを、言われるのだろう。

 確かに私自身、そうならないのが不思議な気はしている。

 実感が無かったからとか、現実逃避していたとか、そんなことは一切無い。

 医師に告げられたことはキチンと理解できていたし、これから終活をしなければならないとも思っている。

 自分の日常があと半年ほどで終わるのだという事実は十分に認識しているし、これをしっかりと重く受け止めている・・・つもりだった。

 但し、その受け止め方というのが、例えば一つの仕事の案件を期日までに仕上げるための効率を考えるように、


 (これから半年間の自分を如何様にして片付けるべきだろうか? )


 などと、煩わしく面倒事ではあるが、突発的な非定型業務のように捉えてしまっている。


 (こういうとこは、同じような目に合った一般人とはズレてるんだろうけどさ。)


 ぐらいには自覚しているのだが。


 ところで、

 私の名は、阿頼耶識あらやしき みのる

 画数が多い漢字ばかりで面倒な名前である。

 年齢は満62歳、そして独身。

 職業は、仰々しい響きが好きではないが大学教授。

 同じ大学教授でも、ノーベル賞の越永氏に比べたら、吹けば飛ぶような軽輩である。

 10年ほど前から勤めている美術大学は、残すところ3年数か月で定年を迎えることになっているが、その後の人生設計は白紙。

 元はフリーランスのグラフィックデザイナーだったのだが、もう一度現役に戻る気はさらさらなく、


 「そもそもデザイナーなどという仕事は知力と体力が枯れてしまった年寄りに務まるような仕事ではない。」


 と、常日頃、学生相手にも語っている。

 とは言え、年金だけでは到底生活がままならないので、今のうちから何か次の仕事を探しておくべきなのだろうが、未だ何もしていなかった。

 両親とも既に亡く、兄弟姉妹はおらず、親戚付き合いも皆無なので、身寄りは全く無いと言って良い。

 ちなみに高校卒業後から始まった一人暮らし歴は、一度の結婚歴も無く、同棲歴も無く、同居人がいたことも無いまま、もうすぐ半世紀に達しようとしている。

 人並みな恋愛経験はあったし、女性関係が途切れることは殆ど無かったが、あらゆる人間関係に執着心が薄かったことと、他人に拘束されるのが苦手な性格のため、それを覆してまで結婚し家庭を持つに至るような相手には出会わずにここまで来た。

 よって、全くもって天涯孤独の身の上。

 そんなようなわけで、このまま生きていたら間違いなく迷える独居老人になってしまうので、余命を宣告された時、


 (現役でいるうちに人生が終わるというのも悪くないことなんじゃないの? )


 などという投げやりな思いが頭を掠めていた。

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