1990年11月28日、水曜日 01:45~
「ヤツら入ってきた! やるぞ! 」
裏口の扉を開けて待機中のアキラに、通常ボリュームの声で合図を送った。
わざと侵入してきたギガマウスに聞かせるつもりで言った。
できるだけ沢山のギガマウスを店内に引き込むことが、私たちの脱出作戦を開始する上での要だからである。
私の合図に、アキラの方は無言でいなければならないのだが、それでも何とか応えたかったらしい。
流石のアキラも、作戦決行の土壇場においては緊張でオタオタしてしまっており、別に頷くなりOKサイン出すだけで良かったのに、何か私を応援しなければならないとか思ったのだろうか?
(なんだよ、それ? )
私に向けてウインクしながら横倒しにしたVサイン。
(“横ピース”、いや“セクシーポーズ”か? )
そんなの1990年にあったっけ?
昔の“魔女っ子アニメ”ではあったかも?
もしかして、私を和ませようとしてるのか?
もしくは激励の一種なのか?
それとも単なるポージング?
おそらく、その全部だろう。
(困ったオタクだな。)
思わず噴き出してしまった。
ここまでアキラと一緒にいて、何となくその性格も掴めてきた。
(面白いやつ。)
賢くて論理的で冷静で強がりだが、少々間の抜けたことをしたりする。
(でも、可愛いからOK! )
ここを無事に脱出できたなら、同じオタク仲間として、もっと親睦を深めてみようじゃないか。
だが、今はそんな呑気なことを考えている場合じゃなかった。
私の声を聞きつけて、獲物と認識したギガマウスが数匹突進してきた。
「やばっ! 」
寸でのところで扉を閉めて突進を食い止めたが、薄っぺらなアルミサッシは今の一撃で既に歪んでいた。
上部に嵌め込まれた透明アクリル板も折れ曲がって枠から外れ掛けている。
(BARの内はどんな感じだよ? )
アクリル板を透して覗いてみたら。
「うげっ! こんなにいたのか? 」
もはや店内はギガマウスで一杯になっていた。
何もせず中に残っていたら、二人とも一瞬でコマ切れにされてしまうほどの数である。
崩れて散乱する家具や備品と大量のギガマウスでBARの中はグチャグチャになっていて、もはや足の踏み場も無くなっている。
(これ以上、店内を荒らされたら、せっかく作った電子レンジの発火装置が壊されてしまうかもしれない! )
どの程度、ガスが充満しているのか確かめたかったのだが、目の前では私の存在に感づいてアルミサッシを破ろうと暴れているギガマウスがいて、それに釣られて加わろうとするヤツも現れだしている状況では見切り発射するしかなくなった。
(たぶん大丈夫だ! )
私は、そう判断して、足元に置いていた電源コードを取り、ドアの脇にある家庭用100Vコンセントに差し込んだ。
この電源コード、先ほどカウンター裏側の床に置いた電子レンジに繋がっている。
今、電源が入った電子レンジでは、一杯に回しておいたのダイヤル式のタイマーが動き始めただろう。
そして、電子レンジの中には、スプーンやらフォークやらアルミホイルやら、「絶対に入れてはいけません」と、取扱説明書には必ず注意書きされる金属製品が沢山詰まっている。
その結果、ご家庭でもお手軽、簡単、発火装置の完成である。
火花が出るまで10秒から20秒というところだろうか?
店内はLPガスで満杯のはず。
その結果、どうなるかは言うまでもない。
「引き上げるぞ! 」
そうアキラに向かって声を掛け、裏口に向かって走り掛けたと同時に、歪んでいたアルミサッシがギガマウスたちによって文字通り突き破られた。
バキバキッ! ガッシャーン!
アルミサッシが壊れる大きな音は、店内にいた他のギガマウスを呼び寄せることになっただろう。
いったい、何匹のギガマウスが私の後を追ってきているのか、振り返って確かめる余裕などなかった。
大急ぎでアキラが待っている裏口を抜けなければならない。
僅か数メートル先の扉に辿り着くまで実際は2秒も掛かっていなかったと思うが、体感としてはスローモーションのように、自分の一挙手一投足、待ち受けるアキラの表情までが、ありありと記憶可能なほどに、長々とした時間が過ぎていたような気がする。
「うしっ! 」
裏口を潜り後ろ手にスチール製の扉を閉め、追ってきたギガマウスたちの衝突音を背後で聞いた時、体感時間が正常に戻った。
事前の打ち合わせどおり、アキラが先頭に立って自転車を担いで階段を上る。
その後に私も自転車を担いで続く。
階段はあっと言う間に登り切ったが、私たちが逃げ込んできた時にできた攻防現場がそのままになっていて、手前に押し倒されたアコーディオンフェンスや、金属製の格子戸のおかげで、無駄な足踏みをさせられる。
「足元に気をつけろよ! 怪我するなよ! 」
急ぎたいのは山々だが、こんなところで怪我をして動きを止めてしまっては意味が無い。
やむを得ず、慎重に足を運ぶしかない。
ボン!
と、背後から腹に響くような重い音が聴こえてきた。
なかなか計画通り、スムーズにはいかないもので、ガスに着火する前までには急いで道路に出たかったのだが、それには至らなかった。
「伏せろっ! 」
私が咄嗟に出した指示にすかさず応えたアキラが自転車を一旦手放し、階段を上がりきって直ぐの壊れたアコーディオンフェンスなんかが転がる邪魔物だらけの地面に何とか伏せた。
続いて、私が自転車を手放してからアキラの身体に半分覆い被さるようにして倒れ込んだ。
ドドン!
地面が揺れ、ビルの何処かしらのガラスが割れる音がした。
階段の下ではスチールドアが吹っ飛んだ音が聞こえ、それと同時に熱風が地面に伏せた私たちの後背から直上に向かって噴き上げていった。
(どんなんなってんだよ? )
恐る恐る振り返ると、私たちが上ってきた裏口階段からは大量の煙が上がってきており、その奥には赤い火がチラチラと見える。
「やべーぞ! とんでもない破壊力! 」
急いでこの場を離れないと、次の爆発があれば熱風と煙に巻き込まれてしまう。
アキラを抱き起こすと、再び自転車を担いで道路を目指した。
格子戸の残骸に足を取られて何度か転びそうになったが、二人とも何とか道路に出られた。
「怪我は無い? 自転車は無事だな? 」
「怪我無いです! 自転車もOKです!」
私の自転車も特に問題無さそうだった。
背後では更なる爆発音が聞こえたが、もう振り返るつもりはない。
「そんじゃ、八王子方面行きますか! 」
「了解です! 」
勢いよく走りだす2台のマウンテンバイク。
爆発音に釣られ、付近にいた真っ白な化物たちが続々と集まってきたが、
(やっぱ、音のでかい方に行くよな! )
ギガマウスたちは私やアキラを見向きもせず、その横を素通りし、ガス爆発現場に向かって行く。
けっこう安易な発想で思いついたトンデモ作戦だが、何とか成功したらしい。
もしかしたら、ビルを半壊くらいさせたかもしれないが、
(これは緊急避難! 緊急避難なんだから大丈夫! )
そう心の中で何度も唱えながらペダルを漕いだ。
◇
悠々と走り去ってゆく自転車の存在に気付いた化物は1匹もいなかった。
その後、付近にいたギガマウスたちは、まるで誘蛾灯に群がる虫のように、轟音と黒煙を噴き上げながら燃える地下の炎に引かれ、その中へ次々に身を投じていった。
そして、炎に焼かれて絶命する寸前に上がるお仲間の断末魔を聞きつけた周辺のギガマウスたちが、これも次々に現れては躊躇いもせず、ジャリジャリと不快な鳴き声を上げながら炎の中へと突っ込んでいく。
火災の煙と共に、辺り一帯に漂い始めたギガマウスたちの焼死体が発する悪臭は、一連の事態が収拾した後も暫く消えずに残っていたらしい。
化物の集団自殺とも言うべき、凄まじく、悍ましい、狂気に満ちた光景。
その目撃者が一人もいなかったのは人の精神衛生上、幸いだったと言える。
後に焼け跡から見つかった大量のギガマウスの焼け爛れた死骸や燃え残った骨から、その最後の様子を想像するだけで十分であろう。
ちなみに、このガス爆発による人的被害は無く、火災の被害は部分焼に留まったことを付け加えておく。
まだ、終わりじゃないですよ。
第1章、もう少し続きます。




