1990年11月27日、火曜日 21:10~
パーン!
一発の銃声によって、私の思考は再び目の前の1990年の現実に引き戻された。
聴こえてきた先は、そんなに遠くは無い。
これに続くように、車がクラッシュする音、ガラスが割れる音、複数の悲鳴。
「危険です! 下がって下さい! 」
と、拡声器の声。
「放水開始します! 」と、これは消防車の拡声器だろうか?
「危ないから下がっ、ギャッ! ガガガーッ! 」
これはいったい?
全て日野の市街地がある方角から聴こえてくる。
(街に異変が起きている! )
今、笑顔を向け合った私とアキラの表情は元の緊張状態に引き摺り戻されてしまった。
「どうしたのかな? 」
考えるまでも無いと思っていた。
化物が街を襲っているのだ。
街を襲っているのはギガマウス。
電車の乗客を襲った奴ら以外に、街へ向かった奴らもいたということだ。
そうだとしたら、このまま街に向かうのは危険かもしれない。
(いったい、何匹いるんだ? )
未だ電車の中では、100匹以上がうろついている。
それ以外にも同数以上のギガマウスがいると考えるべきだろう。
(あいつら、凶暴だけど、実はかなり脆弱な生き物だと思うんだが? )
Time transfer device で送信できるよう情報を限定し、単純化して作られた生物。
人間を食い殺すという機能だけに特化していて、それ以外の不要な機能を全て省略されているなら、その生命力は極端に脆弱なはずで、新陳代謝も弱いだろうし、活動限界も普通の生き物ほどは無いと思う。
(そんな奴らが、こんな大量に現れて、活発に動き続けていられるのって? )
不安そうに身を寄せてくるアキラの肩を抱き寄せながら、私は多摩川橋梁を振り返り、どっしりと腰を落ち着けたままでいるホワイトシーサーペントの巨体に目をやった。
(それにしても、あいつの役割りって何なんだ? あの巨体があれば、大抵のモノは圧し潰せるだろうけど、機動力は無さそうだし、マジででっかい置き石ってこと以外に使い道はなさそうだが? )
生物としての情報量は単純で少ないかもしれないが、質量は凄まじい。
そんなモノを、わざわざ過去に送り付けてくるからには、それなりの意味があるからだと思うが?
ホワイトシーサーペントについて何か見落としていることは無いだろうかと遠目で観察していたら、
ブッ! ブフォッ! プシューッ!
まるで、超巨大なゴム風船から空気が抜けたような、不快な音が聴こえてきた。
ホワイトシーサーペントが頭部? (こちらに近い方を頭部としておくが、実際はナマコと同じで、一見しただけではどちらが頭で尻なのか分からない)を、ほんの少しだけ持ち上げて、たぶん(背中が盛り上がったので)大きく息を吸い込んだ音らしい。
それを、数秒溜めてから一気に吐き出した。
ヴォーッ!
電車の中にいた時に聴こえた重低音。
鉄橋をビリビリと振動させ、付近の家屋を揺らすほどの音量を広範囲にばら撒いた。
(あの音の出何処は、やっぱ、こいつだったのか。)
先ほどは、この重低音が鳴り響いた途端に、それまで乗客の遺体に食いついていたギガマウスたちが一斉に移動を始め、一旦は姿を消したのだが、
(ってことは? )
それに繋がる答えが出る前に、私の身体が先に動いていた。
「え? なになに? どして? 」
戸惑うアキラを荷物のように抱え上げ、斜道の手摺りを飛び越えて、土手に生えた枯草の茂みの中に飛び込んだ。
「あいつらが戻ってくる! 」
「あ! 」
私の一言で、アキラは直ぐに現状を理解した。
察しの良い子なので、一々長い説明をしなくて済むので助かる。
現状を理解すると共に、見るなと言われても見えてしまっていたであろう電車内の惨状まで思い出してしまったようで、茂みの中で下ろされても、私の左手をしっかりと抱え込んで離さず、目を瞑って顔を伏せて身を固くしていた。
間もなくして、思ったとおりの状況が発生した。
ジジャーッ! ジジャーッ! ジジャーッ!
と、算盤の玉を弾くような耳障りな音の合唱が聴こえてきた。
それと、ズルズルと重いモノが引きずられる音も。
(やっぱ来るよな。)
数にして100匹近くが街の方角からやってきて、私たちが隠れる茂みの直ぐ横にある斜道や、ホンの僅か上を走る中央線の線路上を次々に通過していく。
相変わらず音にしか反応しないので、静かにさえしていれば隠れる必要も無さそうなのだが、できるだけ慎重にしておくに越したことはない。
それにしても、開けた場所で見ていると、ギガマウスたちの不細工で醜怪な移動方法が良く分かる。
移動しているというよりも、互いに絡み合い、のた打ち回り、もがきながら、何とか前へ進んでいると言った感じで、身体に備わった移動専用の機能を使っているという感じは全くしない。
そんな機能は備わっていないのかも知れない。
但し、決して移動速度が鈍いというわけではなく、奴らに追われたならば全力疾走で逃げなければ捕まってしまうだろうし、多数のギガマウスと近距離で相対したなら気付かれてしまった時点で一斉に飛び掛かられてお終いである。
よって、私は間近を通り過ぎるギガマウスたちを警戒しつつ横目で追いながら、絶対に音を立てないよう、鼻水を啜るのも我慢して、最後の一匹が通り過ぎるまで必死に耐えた。
(とりあえず、ホワイトシーサーペントがギガマウスたちに時々集合を掛けているってことは分かった。)
ホワイトシーサーペントの鳴き声はギガマウスたちへの集合の合図である。
(でも、何のための集合? 両者の関係って何よ? )
呼べば戻ってくるあたりから親子関係ではないかとも思ったが、色が白いという以外に共通点は何も無いので、その線は薄そうである。
「アラヤシキさん。」
それまで、私の腕を抱えたまま口を結んでじっとしていたアキラが、ギガマウスたちに届かないほどの小さな声で囁いた。
「ん? 」
と、応えた私に、アキラはホワイトシーサーペントの方を見るように指をさした。
既に暗さにも大分目が慣れていたので、ホワイトシーサーペントの巨体にギガマウスたちが群がっていく様子がしっかり見えていたが、
(ホワイトシーサーペントがギガマウスを食ってる? )
ホワイトシーサーペントの左片方の側腹部が、まるで刃物で切ったかのように水平方向に大きく割れて、その中に吸い込まれるようにしてギガマウスたちが入っていく。
僅か数分を経て、見える範囲にいるギガマウスは一匹残らずホワイトシーサーペントの腹の中に飲まれてしまった。
まるでギガマウスが食べられているように見えたのだが、それは違っていた。
この機を狙って逃げようと考えた私たちが、茂みを抜けて斜道に戻ろうとした時、
ジジャーッ!
と、ギガマウスたちの耳障りな合唱が聴こえてきた。
振り返った私が見たモノは、ホワイトシーサーペントの側腹部から吐き出される大量のギガマウスだった。
一部は多摩川の河川敷に落下したようだが、大半は線路上に着地し、直ぐに移動を開始していた。
今度は、その大半の向かう先が街である。
電車内に向かう数は殆ど無い。
既に電車内には食うモノ、つまり乗客の遺体が無くなってしまっているのだろう。
獲物が多く、今も騒がしい街へ向かおうとするのは当然だった。
(くそっ! こっちに来るぞ、どうする? )
既に茂みから抜け出してしまっており、今から戻って身を隠そうとしても、ガサガサと枯草が音を立てているうちにギガマウスが来てしまう。
もちろん、この場でグズグズしていたらギガマウスの大群に飲まれてしまう。
どんなに静かに蹲っていたとしても、100匹以上が周囲や頭上を通過するような状況になったら気づかれない保証は無いし、12歳の少女が精神的に耐えられるとは思えない。
「アキラは走れるか? 」
「50メートル、9秒。 」
そのタイムが早いのか遅いのか知らないが、走るという意思は受け取った。